teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

自分の土台として、他人のコピーがいかに重要か?!

面白い将棋の話があった。

■現代将棋が表現する思想--現代将棋が表現する思想 - My Life Between Silicon Valley and Japan
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080210/p1

二宮 感想戦の話のときも、「手の内をさらすほうがいい」とおっしゃいましたが、
やっぱり羽生さんとしては「共有すべきだ」という意見なのですね。


羽生 そうです。そのほうが絶対に早い。


二宮 でも、本音では反対の人もいるでしょう? 「俺は見せたくない」って。


羽生 もちろん、そういう考え方もありうると思うんです。
でも、時代の流れというか、共有しないと生き残れない時代になってますから、
多勢に無勢という印象はあります。
気持ちはわかるんですよ。
創造って、手間も時間も労力もものすごくかかるから、簡単に真似されると報われません。
私も対局で新しい試みをやるんですが、ほとんどはうまくいかない。
仮にうまくいっても、周囲の対応力が上がっているので厳しいものがある。
効率だけで考えたら、創造なんてやってられない。


二宮 すぐ追いつかれるということは、創造性を発揮するタイプより、
むしろ状況への対応力があるタイプのほうが有利になるということはありませんか?



羽生 そうですね。
でも、逆に考えると、創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。
だから、何かを創り出すのは無駄な作業に見えるけど、一番大事なことなんじゃないかと。
それ以外のことでは差をつけようがないので、最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。


この対話などは、将棋ということをまったく忘れて味わうべき思想に違いない。
羽生は最後におそろしいことを言っている。

創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。


これは、産業の世界で言う「コモディティ化」の議論そのものである。
羽生のいまのところの結論は、厳しいながら、権利のない世界のほうが進歩が進む、
だから(進歩を最優先事項とするなら)情報の共有は避けられない、
そういう新しい世界では、一見モノマネをして安直に生きるほうが正しいかのようにも見えるのだが、
無駄なようでも創造性を生もうとする営みを続ける以外、
長期的には生き残るすべはない、ということのようである。

そうなのだ!!!
すべては創造性!!
コピーでは結局勝負にならんのだ!!!
他人の物まねをやっても報われない!
最後に勝つのは地道に苦労を重ねてオリジナルを通してきたものだけなんだ!!


VIVA創造性!!
みんなもオリジナルにこだわれ!!!
ニコニコなんか見て時間を無駄にしてる場合じゃない!!
おまえだけの物を作るんだ!!!


ってアホか!!(/_・)/

ちげーーよ!
羽生が言いたいのはそういうことじゃねーよ!
よく観るんだ。

創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。
最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。

そうだ!!
そこなんだ!!!
この2つの言葉は矛盾しない!!!




閑話休題
難しい話に入る前に一息つきましょう。
最近大ヒット中のウッーウッーウマウマ(゚∀゚)です。



アイドルマスター 「ウッーウッーウマウマ(゚∀゚) 」‐ニコニコ動画(RC2)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2190589




ニコニコ見れない人はこちら。


2月に入ってから現れたこの動画はまったく勢いを衰えず
大ヒットばく進中らしいです。


ところでこの動画の元ネタを調べた記事がありました。


■こないだの新宿飲みで、あれってルーツ何なんだろうね?--ウッウッーウマウマ(゚∀゚) - behind the counter
http://d.hatena.ne.jp/suikyo/20080212/p1


いや、大変な調査ご苦労様です。
この調査によると2006年8月のフラッシュにまでたどっている。
って、、1年半前ですよ!!


ニコニコで火がつかないのがおかしいぐらいの動画。
実際に1年前からいくつかニコニコに投稿されてたようで、
そのときはさしてブームにもなってなかったんですよね。


じゃあ、なんで今ごろ?


こういうのはねえ、、、
分析することじたい、無粋なんですが、
行きがかり上、好感もてる点を上げさせてもらいます。
大ヒットしてる、「ちはや、やよいVer」が他の動画より好きというところ。


1,ループのつなぎにアクセントとなる強い腰の振りがある。
(この動画独自ってのはこれだけ)


2,ウッーウッーウマウマ(゚∀゚) という口にしやすい言語化の出現。と顔文字。
3,アクセントにあわせた短いループ
4,手書き
5,アイマスのちはや、やよいがニコニコでよく見るのですでに親近感?ある。
6,動画が1フレーズで終了してなくたっぷりコメント書くだけの長さがある。


そんなもんですかね?
もっと感覚的に自覚してない何かがあるのかもしれないですが、
まあとりあえず。


3,4,5,6は他の動画にもちらほら見られるわけですよ。
ウッーウッーウマウマ(゚∀゚)という言葉は、大ヒット手前に定番化しないうちにちらっと出てきたようで。
これにより、圧倒的に文字でアレを人に伝えやすくなった。
(言語化できてないものは伝えにくい、一緒に盛り上がりにくい)
そして1の強い腰振りアクセントはちはや、やよいVerでしか見られない。
(といっても全部チェックしたわけじゃないので、違ったらあしからずw)



これらがなかったらこんなに大ヒットしただろうか?と思うんですね。


うp主の”ぎゃわずP”さんはこんな説明を書いてます。

sm1650066をみたらティンときたんで何も考えずにうp。

ティンときた!!!



つまり元動画に何を付け加えるべきか
イメージがぴったりはまったんじゃないでしょうか?



話を一気に戻しますね。

創造性以外のものは簡単に手に入る時代だとも言えるでしょう。

そう、元動画を簡単に手に入れていじるのは誰でもできたんですよ。


最後は創造力の勝負になるんじゃないかと考えています。

ブレイクスルーのほんのわずかな差。
これは1から100まで全部オリジナルというわけではなく、
80や90点の動画にあと何を足せば100点になるか?
という差なんだと思います。
(もしくは『どの余計な物を引けば100点になるか?』)



インターネットと、発展途上含むグローバル国際化によって
中抜きの激しい時代がますます加速してきました。
金メダルの人以外はいらないという感じです。
でも金メダルだって、わずか0.1秒も1得点もない差です。
その手前までは、だいたい銅メダル手前までは着実に高速道路が整備されてきている。
これに乗らない手はありません。


ラスト1マイル。
最後のブレークスルーをどう仕掛けるか?
想像力が、、
創造力が必要になってくるのはまさにそこだと思われます。


別に一人だけの勝ちというわけでもありません。
個性化、多極化、ニッチ市場だってわけわからんほど創出されてます。
銀メダル以下はなかなか報われませんが、
金メダルの種目自体は増え続けてるのです。
(スマップの歌みたいだけどw)



何度も例に出してますが、
模様の集大成から、たくさんの創造性をなしとげたエヴァンゲリオン
これまでのすべてのゲームのいいとこ取りと宮本茂がいったスーパーマリオ
コピーが元でも著作を自分のオリジナルキャラに塗り替えれば、商品にもなるわけです。



模様でブレークスルー手前まで一気に距離を詰め、
決め手となる創造性で、グッと前に出る。


羽生善治の言葉をそう捉えたとき、
そしてもし、著作や特許が今日ほどこんなに厳しくなくて
3〜40年前ほどのあまりに緩い管理だったとしたら、、
誰もが革命の一歩手前、、、
ルネッサンスや、産業革命を超えるとんでもない時代に僕たちはいるんじゃないだろうか?
なんて、思ったりするのです。
(実際Webサービスとかの進化っぷりはすごいことなってるけどねw)


あとがき


オープンにしない、隠れてコソコソやるのもいいと思います。
でもたぶんそれはブルーオーシャン戦略と呼ばれる物。


「ここには誰もまだ目を付けてない!」
「そしてきっとまだ大丈夫であろう」
というものは、コツコツ用意して一気に市場を開拓制覇するのもありでしょう。
(もちろんそう思ってるのが他にもいて、
 先にやられたら終わりというリスクはありますw)


ただ、大半は目に見える市場、
レッドオーシャンで戦ってるのでしょうから、
そこはもはや自分たちだけでコツコツやってたのでは
高速道路使ってくる人にまったく追いつけない時代なのかもしれません。
いくら2〜3マイル先を取れる創造性を発揮してても、
金メダルにリーチできる位置にいなければ意味がないのです。



この解釈を読んだあとで、梅田望夫の元記事も読むことをオススメします。


また、元記事のトラバにあった



■将棋界における情報共有と囚人のジレンマ--So-net blog:本読みの記録:将棋界における情報共有と囚人のジレンマ
http://blog.so-net.ne.jp/book-sk/2008-02-12



こちらも、囚人のジレンマに例えて面白かったです。
総和としてはお互い協力したほうが得なのに、
裏切られて利益を独占される可能性を捨てきれずにみんな悩んでしまう。




囚人は相手を信用してないのでしょうか?
それとも自分を信用してないのでしょうか?