teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

パソコンが使える人と、使えない人ぐらい


ここで追った登さんの記事、の蛇足。



プログラミングのスピードを上げる方法
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080308/1204977907


プログラミングのスピードを上げる方法2
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080309/1205021173


プログラミングのスピードを上げる方法3
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080309/1205036222


大事な話があるんだ
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080310/1205207880




ここ注目。

論理思考の放棄:
http://d.hatena.ne.jp/softether/20070324


スプートニク 2007/03/25 04:05
興味深い視点だが、単純に経験量(ストック)とか向き不向きの差とも考えられるんじゃないかな?
論理的思考とは意識化しておこなっている作業であり、
上記で指摘している“脳の感覚的思考”とは無意識的作業
(所謂、“沸いてくる”とか“降ってくる”という感覚に依存する作業)と考えられるが、
要は、意識的作業ではなく無意識的作業のほうが効率が良いということだろう。


 例えていうなら、車の運転にしろ文章にしろ慣れないうちは
一々手順やルールを考えて行動に移すといった意識的に行うが、
慣れてくればそういう中間的作業をすっ飛ばして行うようになる、
つまり無意識的に行えるようになるので、
登君の言う「論理的思考」を介さないで行うようになるということではないかな?



softether 2007/03/25 04:07
そのような文書化して解説する作業が論理的思考です。
しかし文書化しないとblogには書けないので、その時点で情報の欠損が生じています。
”単純な経験量・向き不向きの差” ではありません

これを、
パソコンをすぐ使いこなす子供と、
パソコンがいつまでも使いこなせない機械に弱い大人に分けて考えてみる。


機械に弱い大人は、もちろんパソコンに対して全然ダメだ。
Google検索もまともに使えなければ、
CapsLockでひっかかったり、
Webサイトがおすすめするまま、なんでもかんでもインストールしては
パソコンが挙動不審におちいる。
もちろん、分厚い専門用語のマニュアルは意味がわからない。


対して、パソコンを直感的に使いこなす子供。
最初から怖がらずになんでもかんでも試す。
何度か壊すそのうちに、パソコンのルールが分かってくる。
共通したルール。
だいたいパソコンがどういうやりとりをしてるのか、
おぼろげなイメージで捉えてくる。


これが分かってくると、
やりたい操作を、直感的に当ててくる。
お目当てのメニューをざっと全部並べては試し、
ソフトを分解していくように理解していく。
今だとGoogle先生に直接聞いたり、
まとめサイトをみたり、
さまざまなカスタマイズソフトを駆使するまで
そう時間もかからないかもしれない。


全ての子供がそうではないが、
一部そうやって、事の本質をすぐさまイメージで捉えて
的確に攻めてくる奴がいる。

何かを習得するために、最初は ”努力する” ことから入るのが良いのかも知れません。
その結果、努力することによって習得することは不可能であるということに気付き、
努力するのを止めることになります。


このとき、大抵の場合は習得することを諦めるようなのですが、
そうではなく、努力しないでその対象物の本質を知る、
即ち自分の思考プロセスにおいて
その対象物への関数ポインタを獲得して保持するというとても簡単な作業を行えば、
習得したことになると思います

これとか、

プログラミングのスピードを上げる方法3
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080309/1205036222


いきなり現場投入しても右も左も分からなくオタオタする人が多いですが
中には、初めての現場でスッと入っていきなり活躍しちゃう人とかもいます。


その場合、「君何か似たよな仕事やってたの?」って聞いても全然そんなことはなくて、
「いや、なんとなくできそうに思えたので」っていうかなりなめた口をきくわけですww


そういう人はひどく仕事の予測イメージが高い。
イメージトレーニングの抜群なスポーツ選手とでも言うのでしょうか。
3ヶ月や3年の下積みがまるで無駄に思えるぐらいです。

こういう人とか。



「子供だから」
「天才だから」
じゃなくて、あくまで

論理的思考は完全にゼロということにはできないけれども、可能な限りゼロに近づける、これがコツです

なんじゃないかと。


いくらでも失敗が許される環境で、
赤ちゃんのように、膨大なトライ&エラーを楽しめる環境とかあったら
どこまでも人は伸びそうですね。


論理的思考で失敗を思い悩むというのは、
自分が自分にかけてるブレーキなのかもしれません。

”単純な経験量・向き不向きの差” ではありません

「事の本質をつかまえる学習法」


というのは、動物とか赤ちゃんに備わってる能力かもしれません。
大人になって、「論理的思考法」を覚えるほどその能力は失われました。


ふたたびそれを思い出すにも、
感覚的思考でおぼろげなイメージを捕まえてしまって
「勘」でアタリをつけていくのがずっと速いかもしれません。



これまでにイメージ通りにアタリをつけてすんなりうまくいった経験はありませんか?
そういう人がまわりにいませんか?