独り言で、自分の頭の悪い部分をマヒさせる

「声に出しながらプログラムを書くと理解が断然早い」


というのを、隣の席の人と
id:kaerusanuさんの、2人から聞いた。


これも「言霊」の力だろうか?



ならば日常的に「今やってることをブツブツ唱えながら」やってみてはどうだろう?


「見たまんまを、言葉に唱える」


これはとても意味がないはずだ。
だって、すでに行ってることであり、これから行うことであるのだから
黙ってやればいい話で、言葉にする必要がない。



これを逆に考える。


すると、
「意味がないことに言語野を無駄に使わせておくことによって、
 言語野と意識がつながるのを防ぐ」になる。


人間は、言語野を通した出力が正確で伝えやすいのだけど
その代わり処理的にはテキストなので相当遅い。


コレに変わる「イメージ処理」の場合は何百倍も速い。


とはいえ結局出力は手足と口なので出力が何百倍になるわけじゃないけど
能力のフル活用はできる。



これに入った状態は「フロー」とか「神が降りてきた」とか、
午後や深夜にもの凄く集中してるときとか。



論理的に考える人はこれがとても難しい。
論理は、そのまま言語野を通ってくるからそもそもその状態に入れないのだ。



で、さっきの
「ぶつぶつつぶやくことによって、言語野と意識をつながない」とする。


このときは、言語が「いまやってることの自動案内」に使われてるので
意識につながりにくい。
それでも手は進めるのでなんとか処理しないといけないから、
自動的に「イメージ処理」が働く。



このとき、つぶやきをやめて無理に言語野へ戻ることは可能だが
あえてそれをしない。
つぶやきは絶対止めないで、ひたすら現状案内だけに言語野を使い切る。


すると、無意識状態のまま「イメージ処理(感覚的思考)」が発動。
能力がフル活動となる。



能力がフル活動だからどんなものでも大丈夫かというと
結局基礎技術が足りてないと、壁を突き破れないことも多々あるわけだが、
その基礎技術を学ぶことや、なにか別のひらめきにも使えるわけなので、
そういう意味では、なんでも大丈夫なのかもしれない。


○広告β:アイデア出しと修行
http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/51354068.html

少し疑問がわく。
なんで、悟りたいのに、アイデアを出したいのに、歩く必要があるのか。
それに集中してはいけないのか。



こう考える。
滝に打たれたり、念仏を唱えたり、歩いたりしているときは、集中がそがれている。
何かについて考えるのに、わざわざそれ以外の行動を一緒にするのはなぜか?
ここで一つの仮説がうかぶ。
「意識を集中する」というときの「意識」は、ときによっては邪魔でしかないということ。


複雑で、抽象度が高い、深い思考というものがたぶんある。
我々がふだん、「考えている」と認識しているのは、浅い思考だと思われる。
意識上で、あれこれと概念操作を行うことが、浅い思考にあたる。
イデア出しや、悟りやらに関する思考は、深い思考がたぶん向いている。
深い思考をするためには、いったん浅い思考を止めなければならない。
浅い思考を止めるための麻酔薬が、おそらく「修行」やら「歩くこと」だと思う。


深い思考は、無意識との対話というふうに言い換えてもいい。
悟りだのアイデア出しだのをするときには、無意識との対話が必要なのだと思う。
人間の意識上の思考というのは、割と浅くて、おそらくは緊急用でしかない。
しかし人は、それこそ無意識的に、意識上の思考というのを始めてしまう。
それを麻痺させ、止めるために、修行というものがある。
修行におけるあの作業は、大きな、考えるプロセスの一つとなっている。


僕も「歩いてるとき」が一番アイディアとか、考えが進む。
(正確には自転車に乗ってるとき)
ならば座ってるときは「つぶやくこと」で同じ事ができるかもしれない。




これはたぶん、ここにつながる話。



○プログラミングのスピードを上げる方法3 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20080309/1205036222