teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

ではなぜ、質より量を作ってるタイプの社会人が質を生み出せないのか。

質より量に学ぶ - Radium Software
http://d.hatena.ne.jp/KZR/20080808/p1


すべての授業が終わり,さて評価は,となったとき,少し奇妙な事実が判明した。提出された作品のうち,最も高い質を持つものは,すべて「量」グループから提出されたものだったのだ。



「質」グループの生徒たちは,最高の作品を作り出すための理屈立てにばかり時間を費やしてしまい,結果的に質の高い作品を生み出すための技能を身に付けることができなかった。

同感。


でもひとつだけ気になるところがある。


スタジオジブリは、年に1本も出せるかどうかしかつくってないのに
そのクオリティは多作の他のアニメスタジオよりも高い。


ゲーム業界では、自転車操業でなんとか量を作ってはごまかして
結局つぶれてしまうところも多い。*1


他にもいろいろあると思うけど量が質に転化しない場合がある。


質を追い求めて質に至らないというのはまさに上の理由で、
理屈にばかり時間かけて、手を動かさなかったということに尽きる。


では、量を追い求めて質に至らないというのは、
新しいことに挑戦しなかった量なんじゃないかと。


量を重ねるというのは、
変わりばえのしない、同じような物を50個作るとかじゃなくて、
少しでも変化があって、他の49個と違う物を作ること。
後はその組み合わせと引き出しの多さが、
最終的な質に転化するんだろう、、、
と、これも当たり前のことなんだろうけど。



陶芸の学生の例では当然、新しい物を作れる自由はあって
そもそも同じ物を50個も作るなんて作る本人がつまらないから、
ほぼ何か違う物になるだろう。



ところが普通の会社はそうはいかない。

失敗したらそれはマイナスコストになるから、
失敗はゆるされない。

失敗できないから、新しい変化は好まれない。

新しい変化は好まないけど、質は欲しいから
失敗しない新しい物を作らないといけない。

失敗しない新しい物作りのために、
完璧な計画を理屈をこねて時間をかけて作る。

完璧な質を追い求めたスタッフたちは、
最高の作品を作り出すための理屈立てにばかり時間を費やしてしまい
結果的に質の高い作品を生み出すための技能を身に付けることができなかった。

という、全員それぞれが正しい判断で動いた結果、
大間違いの結論にたどり着きます。
こうなったのはあいつの判断が間違ってたからだと、
自分は間違ってないと誰もが思います。


じゃあ、会社が失敗を許す環境と資金
用意すればいいだけじゃないかというと、
よほど大ヒットを飛ばして自己資金の豊富な会社でない限り、
基本的に会社が人を育てる余裕はない。
少なくとも、商品の失敗で人を育てる資金は大手にもない。


ならば、会社で実績のある大先輩が、理論も理屈も実際の作り方も
全部教えてやればいいじゃないかというと、
時代は常に変化し続けるので(特に変化の速いエンタメ系では)
実績のある大先輩の今日までの理論や理屈ではなく、
第一線で活躍してる人の明日生まれる理論や理屈が必要だったりする。
それは大先輩本人にも明日生まれる理論のことはわからない。


そうでなくても、本質的な経験や変わることのない原点となる
普遍的な法則は伝えられるんじゃないかというと、
これがまさに、

理屈立てにばかり時間を費やしてしまい
結果的に質の高い作品を生み出すための技能を身に付けることができなかった。

になる危険性をもってて、
頭でいくら理解しても、実践してきっちりそれがハマルまで
絶対身につかない。


かくして、量は大事なのがわかってても、
実践で新しいことを試すチャンスはとても少なく。
また、質を上げるための経験とスキルは、
理屈や理論をいくら頭で理解しても身につかず。
新しくない量を重ねて質が上がらない例が後を絶たないわけです。


どうしたらいいんでしょうね?


これが、大手ゲーム会社になると規模のエコシステムが働いて、
10本のゲームのうち、1本大ヒットが出ればOK.
という考えで、まだ新しい試みを許される環境がある。*2



この考えは、Googleや、Youtubeなどを支援した
ベンチャーキャピタルも同じで、
投資したベンチャー企業の全てに100%のヒットを目指そうとはせず、
8割つぶれて資金が返ってこなくても、
そのうち2割が大ヒットして投資額を大幅に上回るリターンになる
確率に賭けている*3


海外の映画配給会社や、レコード会社だって同じ。



昔のゲーム業界だったら、
ファミコンの初期や、PSの初期がまさに新しい量の時代で、
出せば何でも売れるという市場。*4


ところが今は、ゲーム一本に開発が1〜3年かかってしまい
これをはずすわけにはいかないだろうと、
量も、新しい質も追いにくい状況が問題になってます。
スタッフの経験としても1〜3年でやっと1サイクルというのは、長いですね。



とすると小さな会社同士で組んで、あたかも大きなメーカーのように
10本中1本大ヒットが出れば、他の9本にも次回作を作るだけの
運転資金を廻すような提携を組めばいいでしょうか?


実際に、世界のいろんな業界が規模の戦いになって
大会社でも吸収合併をを繰り返したりしてはいます。


ただこれは、大きな会社だと絶対的な株価評価のもとで
納得のいく落としどころが決めれても、
小さな会社が複数となると、
お互いの潜在能力的なメリットを計りかねて、
なかなかうまくまとまらない気がしますね。


GoogleLabというシステム


わりとこれが、ベターな回答なんじゃないかと思うんですよ。
Googleのサービスは、まず社内でプロトタイプを作って、
それが社内で人気になったら、
GoogleLabにあげてテストをする。
GoogleLabで人気になってたくさん使われるようになったら、
本格的なベータサービスに移行しつつ、開発要員もさらに増える。


そのどこかの段階で、不人気になるようであれば
サービスを見直すわけです。
社内と、社外と、ベータリリース後の、3段階全てにおいて
常時生のQAチェックが入ってるという感じでしょうか。


プロトタイプ開発にも結構なコストがかかるじゃないか


というとても当たり前の理由で、
こんなまともな企画書もなさそうなロケットスタート
どこもやらないと思うんですが、
意外とこれが、
完璧な企画書とそれの決定権をもつ重役まで通す時間とコストで
プロトタイプが作れちゃうんじゃないかと思うんですよ。


そうであれば、
どっちが経験と成長になりえる、新しい量になり得るかというのは、
はっきりしてますよね。



例えばゲームなんかでも、よっぽど新しく実装が難しいシステムとか
単純にグラフィッククオリティの量で勝負とかでない限り、
プロトタイプにかかるコストはそんなでかい物ではないです。*5


ほんとにコストがかかるのは、
ステージの物量とか、バランス調整とか、デバッグとか、
本格的に作り始めてからの話。


そしてこれもGoogle20%ルールのように、
各自メインのプロジェクト以外で、
独自のプロトタイプを作る時間を会社側が強制的に作るようにして、
メインのプロジェクトが終了次第、
その時点で一番人気のプロジェクトをメインに昇格させる。
またはずっとシンプルなダウンロードお試し版などで反応を見るとかどうでしょう。


要は、ゲーム開発が大規模化したのなら、
無料版でも、社内版でも、小さくステップアップで試せる場を作ったらどうだろうと。
ゲームだと、絵心のあるプログラマーか、
Flashスクリプトを組めるデザイナーでもない限り、
20%ルールもチーム単位でうごかねばならんだろうけど。*6



そのために、20%ルールを採用するのは無駄なコストでしょうか?
それとも勇気でしょうか?


完璧な企画を作るのに20%以上の時間コストをついやすよりは、
こっちのほうが理にかなってるようにも思えますが、
僕はGoogleで働いたことがなく、
机上の論理の記事を書く暇があったら手を動かせよという、
締まらないオチですいません。

*1:つぶれるときはその逆パターンでつぶれることもよくある

*2:といっても昨今の大規模開発化と、やはりインセンティブ的なスタッフ個々の考えもあるので、大手でも新しいチャレンジはなかなかうまくいかないみたい

*3:これも聞きかじりで、そんなおおざっぱでもないだろうが

*4:まあそれは言い過ぎ、、でもないほど変なのが売れてたなあw

*5:極端にいえば、プロトタイプのグラフィックは前に作った何かの使い回しでいいし

*6:社内の人はゲームを楽しむ人じゃなくて、ゲームを批評する人になるので、いきなりWebLabの無料体験版に置くほうが正しい反応が見れるかもしれないなあ