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自我を殺す小学生。

小学校の頃。
仲のいいグループで、笑いの主導権を握ってたことがあった。


これにはちょっとした秘訣があった。


「面白いことは言わないでじっと我慢する」だ。



笑いというのはタイミングが命で、
それを一拍でも外したらもうネタの力が半減してしまう。
ツッコミやボケが速すぎても効果が弱いし、
遅すぎても効果が弱い。


しかし、そのベストなタイミングでボケやツッコミを入れるというのは、
よほどの反射神経か、頭のキレが必要だ。
僕にはそのどちらもなかった。



そんな自分でも的確なタイミングで
ボケやツッコミを入れることができた秘訣が
「面白いことは言わないでジッと我慢する」だ。



タイミングを外した物はいわない。
タイミングがこない物も不用意にいわない。
そして、一度ボケた物にさらにかぶせるときも、余計なことはたさない。
仮に自分がネタになろうが、弁解はしない。
これら言いたいことを全部我慢する。



、、すると、日を置いて次のタイミングがやってくる。
日常はいつもと変わらないから。
1週間のサイクルもある。
あのとき言おうとしてた喉まで出かかってたボケやツッコミが、
まさに絶好のタイミングで再び巡ってくる。


そのときにの場に合わせてちょっと改良するだけで、
松ちゃんなみの天才的なボケも、
浜ちゃんなみの素早いツッコミも、
一度言いかけて踏みとどまったことなのだから、ここぞとばかりに出せる。
これが大ウケする。


ところが別の人は、少しぐらいタイミングを外しても
思ったネタは全部その場で言う。
長いタイミングを待たずに言う。
次はないと思って、とりあえずしゃべる。
さらに余計な弁解もする。


それではややウケなのだ。
しかもストックがたまらない。


我慢すればネタのストックがたまる。
ここぞというときにストックカードが切れる。
ややウケなんていらない。
計ったようにハマるボケは、「天然」と誤解されることもあり、
タイミングをちょっと逃したこときは、それでも言うかどうか内心ではすごく焦って
その弁解も説明も、とりあえずせっかく思いついたボケをしゃべってみたいのだけど、
いつかくるかもしれないそのときまでネタは取っておく。


もちろん取っておいた全部が全部、後で使える訳じゃない。
実際には再利用できるのは3割にもならないかもしれない。
それでも、タイミングを逃さずに間髪入れず反応するのは、大ウケなのだ。



のどから言葉がずっとでかかってるのを、常に必死で抑えてた自分がいた。
「そこはベストなタイミングではない。そこでのベストな言葉ではない」と。


たいていは、そのベストなタイミングが過ぎた直後に
「今、アイツがいったボケを、少しズラしてこの言葉に代えて言えたら爆笑間違いなしだったのに!!」
と、後から改善を思いつく。
そんなことばかり考えてたしょうもない小学生だった。


毎回、タイミングが過ぎた後にボケが組み上がるので
思いついたときには使えない。
過ぎた後だから、小学生でもボケをゆっくり組み上げる時間があったというべきだろう。


その意味で僕が爆笑を取るときは、その場で即思いついた物ではなく
何日か前に、タイミングを逃したくやしさから
ゆっくり組み上げて準備していたものばかりだった。
それは2度とこないかもしれないボケのタイミングを大量に用意してまちつづけていたのだ。
*1



2ちゃんねるなんかでも、
間髪入れずにAAや、コメントで天才的なボケやツッコミをかます本物達がいるが、
僕は、一度それをゆっくり眺めて
「このタイミングでこういうAAを置けば、、、」という過ぎた時間に対し、
もういちど同じ時間がくるかもしれないと、
使わないかもしれないAAをひたすら作り続けて待ち伏せしてたようなもんだった。



あのときは、笑いに関して自我の主張なんてしなかった。
ほんとはすぐいいたかったのに。
ほんとは全部せつめいしたかったのに。
笑いを得る一方で誤解も多かったけど
それは修正したかったけど、黙ってた。
みんなが笑ってくれたから。



必要以上に主張しない、弁解もしないというのは、
ウソをついてる感覚と同じだった。
その場で天才的な天然の反応をしてるようで、
実は全て用意されていて、そしてそこへ誘導してきたのだ。
誤解されてること自体、騙してるようだった。


時間かけて用意することは誰にでもできる。
いつもそんなしょうもないことばかり考えたのだから。。


しかもうまくタイミングがくるのが3割としたら、7割のネタは捨ててるのだ。
これなら凡才でも3割のヒットが可能。
主導権を握れた。
天才的な頭のキレや、天才的な反射神経もいらなかった。



これが、、、、、
自我を押し殺す原体験だったんじゃないかと、
今ふと思い出した。



逆に言えば、大人になった僕はこれができてない。
ブログとか今振り返って思うのだが、
自分の言いたいことばかり主張して、
周りを立てることにとんと無頓着。


上から目線で、
自分はこれだけ物を知ってるんだ、
なんでみんなは気付かないんだ!
という、自己主張が目立つ。


自分にとっての正しい自己主張を押し通そうとする。
たまに受け入れられる記事があるのは、
あまりに自我が拡大しすぎて、他人すら自分と同一視してたからだ。
特に弱虫に対しては、逆効果な対応が多かった。


自分を弁護するための言葉も、
煮え切らない矛盾した発言も、全部言葉にした。
それらは、長文で、趣旨がまとまらない記事になった。
誤解されるのが怖かったのだと思う。
これなら小学生のときのほうが遙かに強かった。


いきなりこんなことを思い出したのは、
少し前話題になった、oremoomaemoさんの回答欄を見たからだ。

Yahoo!知恵袋 - oremoomaeomo さんのMy知恵袋
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdetail.php?writer=oremoomaeomo

これで同じ31歳だって。
自意識過剰な自分が恥ずかしくなった。



別に自分のブログに何を書いたっていい。
ウケを狙う必要すらない。
思ったことを正直に言うのが一番。
、、、と思ってた。
相手の主張をさえぎってでもね!



だけど、その自己主張の姿勢はたぶん仕事にも現れるのだ。
クリエイトな職業であれば、観客を無視した自己満足の表現になってしまう。
プロジェクトマネージャーであれば、顧客から要求をきちんと引き出さねないだろう。
oremoomaemoさんの言葉からは、それらがきちんとできそうな雰囲気を感じる。




ここで、自分の正しくも正しい主張を通しても話はまとまらない。
ほんとにそれが正しくてもたぶん通らない。
相手の主張をまず受け入れないと、
自分の気持ちよりも、相手の気持ちを満足させないと
コミュニケーションが成立しない。


正しさや理論よりも、感情を満たすことがずっと大事なんだ。



、、そこにすごく戸惑っている。
感情を満たすために手段を選ばないとすれば、
最初は相手の望むことを望むままに提供することになる。


それは本心で違うと思ってても、自分では間違ってると思ってても
相手の感情を最大限肯定しないといけない。
自分の主張はお客様のためにひたすら押し殺すことになる。
自分が誤解されても、自分の主張が言えなくても、ひたすら自我を抑えて
それがウケたら万事OKとなる。


まるでどこかのTV番組のヒットプロデューサーみたいだ。


小学生の頃は似たような我慢をしていた。。
あのときは自我と言うほど、自分にこだわりも
特別な正義もなかったのかもしれない。
でも、大人になって自意識が拡大したらこれができなくなってた。



どう理論的に考えても、相手が間違ってると思えて、
どう理論的に考えても、自分が正しいと思えた場合、
それでも相手の感情を先に満たすにはどうしたらいいのだろう?


そもそもそんなことを考えること自体が正直でなく、嘘くさいのだが、
こと、ビジネスコミュニケーションでは必須にも思えるのだ。




、、oremoomaemoさんを見てると、ポイントはお客様を信じ切ることだと思う。
自分が不完全で不勉強なのは当然ながら、
お客様も不完全で、不勉強なのだ。


だけど、必ずお互い成長する。
感情が満たされたら、こちらの話も聞いてくれる。
最後は絶対お互いがうまくいくと信じていて、
それなら先に相手を満たそうとしてるのかもしれない。


理屈や理論は関係なく、ただ感情を満たして欲しいというのは
女性と会話するのと似てる気もする。





沈黙は金なり。
かといっていきなり自分が変わることはないだろう。
こういう姿勢が身につくまで、経験上あと2.3回はつまづく気がする。


つまづきつつも、仕事の上でも、このロールモデルは身につけていこう。
自分の意見を言うのは、相手の主張を全部聞き入れ、それに共感した後なんだ。
会話に時間がかかるように思うけど、ただ順番をちょっと入れ替えるだけさ。*2



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*1:中学以降は、人付き合いが悪くなって笑いとか気にしなくなっていった

*2:よく考えたら、相手をさえぎって自分の意見を先に言う方が余計時間かかるねw