それは気高き誇りだ!

共同体工学のすすめ - レジデント初期研修用資料
http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/147



人の動きをエンジニアリングするやりかたは、どの業界を見渡しても、あまり上手くいっていない。


経済学を含めて、そうした学問は、「起きたことを説明する」ことは出来るけれど、「これから起きることを予測」したり、人を想定どおりに振る舞わせることは、まだ出来ない。



「共同体工学」は、だから各々の主観として、「こうしたら儲かった」みたいな記述を重ねることでしか見えてこなくて、それは「症例報告」、学問のレベルとしては、一番証拠価値の低いとされるものでしかないけれど、きっとすごく面白い逸話が集まるような気がする。

お金の所はひとまず置いといて、なんらかの凄い結果を出す集団とはみな誇り高い。
自分たちの正義、信念をつらぬき、自己犠牲をいとわず他人に影響を与えまくる。


その誇りは、「我々はGoogleだから」「私たちは消防士だから」
「私たちは最前線の医師だから」「はてなだから」「スタジオジブリだから」
いやさ「俺は宮崎駿だから」「ウォルトナインズ」だから。
そして正義の「アルカイダ」だから。



決して多数決で決まる正義ではなく、それぞれの正義、信念。
誇りに善悪は関係ない。



リーダーがいかに自分の信念を貫き通す誇り高い奴かどうか。
それが全てだ。
それは信念に潔癖で、一瞬たりとも後ろを振り向かない奴だ。



後ろを振り向いた瞬間ヒビが入る。
もしくは、プライドの積み上げ直しだ。
リーダーは死ぬまで振り返ってはいけない。



そして部下をしかり飛ばしてばかりの監督がいるとする。
この場合、共同体を率いる誇りは全て監督に集中する。
本気を出さない部下のミスを叱ることで、世間を嘆くことで、
業界に怒ることで、誇りを維持する。
これはこれでうまくいくが、リーダーが死ねばチームは終わり。
共同体の終わり。



共同体をひとつの命と考えると、
エネルギーを中央集権、中央指示型にするのではなく、
エネルギーは前線移譲。
分散各個判断が望ましい。
もちろん、その誇りは一つにつながっている。



これは誇りをベースにした、信頼と、感謝。
権限移譲によるタスクフォース。
エネルギーを移譲するから、還ってくる。



もしかしてかつてのウォルトと、ウォルトナインズはそうだったのかもしれない。
そして今のGoogleの組織システムはそういう共同体に近いのかもしれない。



では我々は
この国、日本人として、
そこの、業界人として、
つとめる、会社員として、
歴史ある学校の学生として、
ひとりの男として、
ひとりの女として、
人として、


どれだけ気高く誇り高く、後ろを見ずに進んでいけるだろうか?