teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

面白いゲームってなんだろう

4Gamer.net ― 【島国大和】面白いゲームとは何だー!を真面目に考えてみる。
http://www.4gamer.net/games/000/G000000/20090909001/


・100%勝てるゲームは,作業だから面白くない。
・100%負けるゲームは,やるだけ無駄だからつまんない。
・勝ち負けが全くランダムだと,それはバクチだから,褒美がなきゃつまんない。


 ……まぁ,ゲームというのはそういうもんです。


【勝ち負けが能力に依存するゲームで,勝てそうなのが面白い】



【誰が遊んでも面白いゲームというのはなかなか作れない】




 万人向けを狙ったRPGなどといったジャンルの成功は必然。
 コテコテのゲームがRPG程に振るわないのもまた必然。


つまり


ゲームを売りたいなら、ゲームを作ってはいけない。



ひどい真理だw



まあ、ゲーム内の駆け引きや、会話や、無駄話ひっくるめて
あるいは、小説読むのも、映画見るのも作者との心理的な対話と考えると
ゲームというのは、コミュニケーションの一部と考えることはできる。


なのでゲームパッケージで売られてる物が純粋なゲームでなくても
ゲームという枠の拡大、、、
書いてたらニンテンドーの人が言いそうな流れだ。
やめ。



解法のひとつであるコテコテのRPG
コストや、実績や、バランス感覚のあるプロデューサ、ディレクターとか
いろんな要素が必要になってくるので他の例を考えてみよう。


あえてグラフィックやシステムを削りまくる


例えばファミコンの頃のゲームってどれも難しかったけど
一般の人にまでその難しいゲームが売れたんだよね。


あのときはすべてが目新しかったというバイアスをさっ引いた仮説として
4色しか使えないキャラと、
画面に大量に敵も表示できなかったのと、
あきらかにおもちゃなサウンドと、
シンプルすぎるコントローラーで

誰でも勝てそう!!!


っていう錯覚と、実際には激むずの難易度のゆり幅が
パチンコの射幸性に似た効果を生み出してたんじゃないかとか。


難易度選択はやめよう


ついでにもう一つファミコンの話。


ファミコンのほとんどのゲームって難易度の選択とかいうのもなかったよね。
今のゲームでEASYを選ぶと、馬鹿にされた感じだし
思った以上に簡単すぎたりして、作業感たっぷりの感動、達成感半減。


逆にHARDは導入部すら突破できないというか、
その項目があるだけでこのゲームを遊び尽くせそうにないなというか。
HARDなんてなくても、ゲームの内容がおもしろければ
プレイヤーは勝手にナイフ一本でクリアしようとか
敵を殺さずクリアしようとか縛りプレイをするので
必ずしも必要ない気がする。
そこはプレイヤーの想像力に任せていいんじゃないかと。

クリアを前提としないゲーム


いきなり脱線してる気もするけど
ゲームをクリアできる人、
ゲームをクリアできない人に分かれるのは
ゲームに能動的な「クリア」という概念がもたらされたからであって
初期のゲーム、例えば「パックマン」や「ゼビウス」などは
どこまでいってもスタッフロールなんか流れず
延々と同じステージをどこまで集中力途切れずプレイできるかというのが試される。


だから難易度の選択があるゲームってのは
当然「クリア」を前提としていて、
だから誰でもクリアできるEASYがあって、、、、
ということになるんだけど
より大きなカテゴリのおもちゃというツールにはクリアなんかないわけで
ゲームに小説や映画みたいなエンディング(クリア)が持ち込まれたのが
終わりを定義したいアーケードの影響なのか
ストーリーを模様したい貧弱な8bitのあこがれだったのか、、


それはともかく
ゲームはクリアするという能動的目的ではなくて
プレイすることそのものを本来の自己目的的と回帰すべく
企画を考える前に今の常識をリセットするべきじゃないかと思う。


自己目的的ゲーム


今でも例えば、MMORPGなんかはクリアを目的とせず
優秀なコミュニケーションツールとして成り立っているし
一応のクリアはあってもとことん遊べる「モンハン」や
ドラクエ9」でさえクリアしてからが旅立ちだとか
ラブプラス」は告白されてスタッフロールが流れてから
永遠に年をとらないデートの始まりだったりする。


最近の例だけじゃなくても
桃太郎電鉄」はパーティゲームで、やはり一時的なクリアが目的ではないし
ストII」のような対戦ツールは、うまく自己目的的となっている。


アクション性の高すぎる対戦格闘はともかく
クリアがないツールとしてのゲームはいつでも遊べるよう
手元に置いておきたい心情もあるので
中古に流れにくいという意味で
パッケージゲームとしても一考の余地はあると思う。


4人対戦ゲーム


ドイツのボードゲームとか特に優秀なんだけど*1
トップを下位の3人が追い詰めることによって
常に逆転劇の緊張感を持ち、トータルプレイではバランスがとれるという。


対戦ゲームにクソゲーなしという名言があったけど
4人対戦こそ強者から弱者までバランスよく楽しめるゲームだと思う。


大乱闘スマッシュブラザーズ」や
昔でいうと「ダウンタウン熱血大運動会」
幽遊白書 魔強統一選(メガドライブ)」
もちろん「桃鉄」もここに入るね。


協力プレイゲーム


「モンハン」
MMORPG
星のカービィ スーパーデラックス


実力差があっても一緒に楽しめるよね。


自分が何で死んだか納得できて、次はどうすればいいかわかるゲーム


これは「風来のシレン」がよくできてて
運の要素もあるので次は勝てるかも。。。
って思わせるのが非常にうまい。


ボードゲームの「カタン」も
「あのときああしていれば!!」
「サイコロで6さえでなければ勝ってた!!」
という、仕組みがよくできてて
「麻雀」なんかもそういったいろんな要素が組み合わさってるんだよね。


まとめ?


過去の例までで

【勝ち負けが能力に依存するゲームで,勝てそうなのが面白い】
【誰が遊んでも面白いゲームというのはなかなか作れない】

仮にこれはクリアできても

今日の日記的何か:島国大和のド畜生
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-1289.html


世の中には、自分が面白いと思ってるゲームが、世間でも売れると思ってるバカや、コストの計算が出来ないバカがいるわけで。

うーーん、、、
この上記の条件を満たした面白いゲームだから売れるとは限らない。
ここから全然別の話になってくる。


なぜ作ってる側もわかってるのにクソゲープロジェクトが止まらないの? だとか
なぜあんなに面白かった初期構想がこうなってしまったのか? とか
どうやったらあの名作続編がこんなことになるの? とか
そうなる理由は当事者みんなわかってるけど
どうやって抜け出すかの決断がつかないというか
うまくやってる会社はたくさんあるのに
ゲームの中身やプロモーション戦略には学ぶことたくさんあるのに
ブログの余白が足りなくて


しかしそれは伝わらない
そしてきっと真似できない


としかかけない(∋_∈)

*1:カタン大好き