日本人向けの褒める技術について


こないだTV番組「エチカの鏡」で「褒める」特集をやってました。
それによると吉田松陰がとても褒め上手だったと。


吉田松陰は幕末における維新の立役者を多数輩出した
松下村塾(しょうかそんじゅく)の主催者です。

吉田松陰最大の功績、松下村塾について
http://syouin.269g.net/article/13569270.html



松下村塾吉田松陰が開いた塾だと思っていましたが、
実はそうではなかったようです。


吉田松陰の叔父である玉木文之進が設立し、
松陰自身もそこで学んでいたことがあったようです。


その後、

松陰が主催するようになってから、

後に幕末、明治維新で活躍することになる人物が次々と入門してきたそうです。


(略)
久坂玄随、高杉晋作伊藤博文山県有朋・・・
など歴史の教科書に出てくるような人物がどんどん育っていきます。


しかし、驚いたことに吉田松陰松下村塾の主催者であったのは

たったの2年余りだったのです。


いったいどんな教育をしていたのだろう?と思います。


イメージとしては松陰が教壇に立って高杉晋作や久坂玄随が机を並べて
一生懸命話を聞いているといったところを想像してしまいますが、
実際は畑仕事をしながら心身の鍛練に重点おかれたようです。


(略)
その結果、危険人物とみなされ松下村塾は廃校となり、
吉田松陰も処刑されてしまいます。


松下村塾は理想の学校と言われているようですが、
その裏には松陰の知識の深さはもちろんですが、
情熱、実行力、人間性などがあったように思えます。

松下村塾門下生について(吉田松陰.com)
http://www.yoshida-shoin.com/monka/monkasei.html


塾生名簿は現存しないが、著名な門下生には
久坂玄瑞
高杉晋作
吉田稔麿
入江九一
伊藤博文
山県有朋
前原一誠
品川弥二郎
山田顕義
野村靖、
飯田俊徳、
渡辺蒿蔵(天野清三郎)、
松浦松洞、
増野徳民、
有吉熊次郎などがいる。


吉田松陰」と「松下村塾」の名は門下生達の活躍により、
全国に轟き、現在まで語り継がれる
歴史上稀に見る奇跡の私塾となったといっても過言ではない。

人、賢愚ありといえども各々一二の才能なきはなし


吉田松陰

どんなに愚かに見える人でも、必ず1~2個の才能を秘めている、、、


この心構えは、もはや褒める「技術」ではなく
「人間」というものを信じてるからこそ出てくるセリフ
人間賛歌にすら思えます。


とはいえ
松陰が褒める達人だったから、
あるいは人間の可能性を信じる人だったから
2年で幕府を脅かすほどの
理想的学校になったのかはわかりません。
時代の圧力、地理的条件、賢人が賢人を呼んだのか
環境的要因全部が
ただの偶然だったのかもしれませんしね。


しかし、褒めることは人を育てる上で
外せないポイントだという仮説で話を進めたいと思います。


エチカの鏡での違和感


番組は吉田松陰だけじゃなく、
いろんな識者の多数のメソッドが出てました。
セミナーや、識者で強調されてたのが

褒める練習をすること
短所を長所としていいかえること

「臆病だなあ」→「慎重なんだね」
「短気で怒りっぽい」→「率直に意見を言ってくれる」


でしたが、、、
なんか違和感がありましたw



普段夫をまったく褒めない主婦に指導して
隠し撮りでその様子を見てたのですが

「男がいるとやっぱ助かる」「高いところありがと」
「私もそう思う」「その考えいいよね。よく子供のこと考えてるね。」

に対して夫の反応が

「寒い」「なんか寒気がする」

で、早々に応接間を脱出。
照れてたとかそういうのではなくて、
見てるこっちも不自然な褒め方で気持ち悪い。
思ってもないことを無理して言ってる感じが伝わってきました。


褒める練習をしても、、


目指すところは、英語圏の自然な褒める習慣かもしれませんが、

「Aクラス理論」:Aクラスの奴はNoを言わない上に褒めるのが上手い。 - shibataismの日記
http://d.hatena.ne.jp/shibataism/20080307/1204898539


Aクラスの人は、人を褒めるのが上手いんです。


これはAクラスの人だからなのか、
英語圏の人だからなのか良く分からない部分もありますが、
褒めるのが上手いですね。


何かメールしたり、これやったよ、と言うと、基本的に
「Fine!」とか「Good Job!」とかそういう感じで返事が返ってきます。
こう返されて悪い気になる人はいないので、さらに仕事が進みます。


肯定挨拶の文化や言語的な違いもありそうで、
それでも日本人クラスがみんな協力すれば
多少似たようなコミュニケーションをすることはできますが
結局なじまずに、元に戻ると思うんですよ。


むしろ番組終盤のカヨコおばあちゃんのセリフに同意で、
(褒め教育中の子育てママに対して)

なんでもかんでも褒めりゃいいってもんじゃない。
子どもがそれに慣れてしまって、意味がなくなる。

と。


実際、

本人が当たり前にできることを褒められると腹がたちます


3歳ならまだしも、思春期以上になると怒ることもしばしば。
子供への理解が薄いことを、
反抗期の一言で片付けていいものでしょうか?



「褒められたい」を掘り下げると
「私の成長や変化を認めて欲しい」という
基本的な「自己承認欲求」につながります。


もし、当たり前にできることを褒めたとしたら

「今頃私の成長や変化に気づいたの?
今まで私のことを何も見てなかったのね!!」

という気持ちになっても不思議じゃありません。


もちろん初見の人にほめられるのはその限りではなく、
身近にいる人でも、改まって
「今までまったく気づかなかったけど、君のおかげだったのか!」
みたいないつもと違う視点や発見なら、嬉しいものです。


では、どうやってそれだけ人を
「観る」ことができるのでしょうか?
どうやっていろんな視点を見つければいいのでしょうか?



これは人それぞれの経験と知恵だと思います



、、が、あえて極論を言えば、
「人を観て褒める」というのは

「あなたが、いま、ここにいてくれて、私は嬉しい」

という人間そのものに対する感謝の気持ちであり
それが、曇りのない、
その人のいろんな面を発見することにつながるように感じます。


そんな聖人君子にはなれません、、、orz


まあ確かにw
その人の欠点ばかりが目にいく事もあるし、
どう考えても腹がたつ人に、
感謝しろとか言う方が不自然です。



でも実はこれ、簡単なコツがあるんです。





それは、「死」を真面目に考えること。


「その人が明日不慮の事故で死ぬかもしれない」
さらには
「自分が来週不慮の事故で死ぬかもしれない」



もし、相手の欠点ばかりを憎んで
明日死に別れたらどうでしょう?
それがほんの些細な事だったら?
リアルに想像したとき、
その人が死んでいなくなって初めて、
その人の良いところに気づきますか?


逆に、もし自分が救急車で運ばれて、
虫の息で言葉が伝えれないとき、
その人に何も伝えないでこの世を去りますか?



身近にほんとに不慮の事故で誰かいなくなった人ほど、
実感できるかもしれません。
戦争で死線をかいくぐって生き残った人たちや、
余命いくばくかと死期を悟った人たちは
年齢に関わらず、本当に強さと優しさを兼ね備えてます。


厚生労働省:平成18年 人口動態統計(確定数)の概況
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/kakutei06/hyo1.html


例えば日本の年間死亡者数は約108万人。
今この間にも30秒に一人、誰か亡くなっています。


もちろん、交通事故での死亡者は100万人もいませんが
30秒後に、急性白血病になったり、
30秒後に、脳梗塞で倒れたりという可能性は0じゃないわけです。



こんな数字じゃなくても、
いつかくる「死」と真面目に向き合うことで、
そういう思いを重ねることで、
聖人君子でないただの人でも
「あなたが、いま、ここにいてくれて、私は嬉しい」
に近い気持ちと、大抵の事は許せるような気はするのです。



でも自然に怒ってもいいと思いますよ。
お互いみんな不完全ですからね。
その不完全がゆえ、
後で謝ることも、許すこともできるのがいい。


むしろ完全な人ほど、*1
謝ることも許すこともできないかもしれませんね。
あるいは自分自身に。



日本人向けの褒める技術


そうは言っても、殆どの人は忙しくて
毎度毎度「死生観」を通した対人関係なんて考えないはずです。
一晩寝たらそんな思いも忘れます。*2



では「死生観」を通してみるのは、あくまで奥の手として
より深く相手と付き合いたいときに取っておくとして
もうすこし手軽な褒め方はないでしょうか?



番組で結構納得したのが、

○相手がリアクションのいらない褒め言葉を使う
○本人のいないところで褒める

でした。



「リアクションのいらない褒め言葉
というのは、
褒めても自己否定したり、
競争心で反発したりする夫や、男性向けの褒め言葉


「すごいね。よくやったね。それどうやるの?」
みたいな相手に話しかけたり、
相手の返事の間を与える褒め言葉ではなく


あくまで自分の独り言として完結する
「すごいなあ。ありがとう。なるほどねえ。」など
遠回しな、聞こえてるけど返事しなくても成り立つ褒め言葉


つまり相手に対して
「共感する」ことと
「余計なことは言わないこと」ですねw



「本人がいないところで褒める」
というのは、タモリさんが言ってましたが
「自分がいないところで他人にウソはつかないだろう」
という気持ちが、本人に面と向かって言うより、
それを知ったとき何十倍も嬉しかったりします。


ゲストの峰竜太さんも、
自分の変化を、石原裕次郎に影でほめられたことが
これまでの芸能界で一番嬉しかったことだそうです。


それを本人が知り得るかどうかは運次第なのだけど、
井戸端会議で誰かの悪口を言うよりは、
誰かを褒め殺しにする方がずっと効果的。


行間を読み、
空気まで読む日本人には、
直接言うよりも、間接的に伝える方が響くのかもしれません。


日本人は面と向かって褒められるとプレッシャーになる


正確には、
「本人が褒められたいこととずれてるほどプレッシャーになる」
ですかね。


褒められるというのは、裏を返すと

もっとそれをやって!

というメッセージでもあるので、
本人が望まない事を褒められても
拒絶するのは当然。


ゆえに、

相手がリアクションのいらない褒め言葉を使う
本人のいないところで褒める


という遠回しな褒め方が、
余計なプレッシャーを与えずに済むということもあります。


近いほどよいものが見えなくなる


つきつめると人の価値観は

距離が遠い人ほど、価値があり
距離が近い人ほど、空気になる


距離が遠い近いと言うのは、家族親族だけでなく
自分と遠い社長や、自分と近い上司、部下でもそう。
物理的にも自分から遠いものほど価値が高くなります。


だから近い人ほど、価値が薄れて見えなくなる。
死んで遠くに行ったらホントの価値がわかる。
これは宇宙の物理的法則みたいなものです。
どうしようもありません。


だからこそ、それを逆手にとって

「近い人ほど、遠回しに距離をとって褒める」
「この人も僕らも明日死ぬかもわからない」
が有効になるのです。



その人をよく観てないと直接褒めるのは難しいが、
遠くから褒めるのであれば反発されることはない。
すると、



普段は

「他人を通じてその人を褒める」


近くで変化を見つけたら

「相手のリアクションがいらない独り言で共感する」


褒めてもらいたいのが目に見えてわかるときは

「素直に賞賛する」


ここぞというときは

「明日死んでも後悔ないように相手を認める」

こういうことを、、
割と無意識にやってる方も多いと思いますが*3
この4つの距離感を知ってると、
自分に無理をすることも、
うそをつくこともなく、
だんだんと自然に褒めれるようになっていきます。


褒めるのはわかった。でもそれより先に自分が言いたいことがあるのだが?

鶏が先か、卵が先か。


相手の承認を満たさないまま、
自分の意見を言うときの
見えないコミュニケーションコストの高さは異常です。
それが家庭でも会社でも、他人を見てても、
自分にでも身に覚えがあるかと。


自分の意見をいいたいなら、まず最初に相手の心を開くこと。


番組で出た松井秀喜の父は
子供に注意するとき
必ず褒めることから入っていったそうです。
注意しようとしても褒めるところを知らない時は、
母に「今日、秀樹に褒めるところあるかな?」と
わざわざ聞くほどだったとか。


別に自分の意見を言うのは全然構わない。
ですが、自分のことを認めない人は親だろうが、同僚だろうが「敵」。
誰も「敵」の言う事なんか聞きたくありません。


それがどんな正しい意見でも、正しければ正しいほどアウト。
この感情は自分でも信じられないほど
合理的な判断を踏みつぶしたりします。



僕が尊敬するコミュニケーションの天才で
仕事ができすぎる先輩に教わったことですが*4

「会話は、まず "私はあなたの仲間です" からはじめるんだ」

と。



これは何も、相手に妥協しろというのではありません。
どこにでもある矛盾、
あっちを立てればこっちがたたなくてケンカになるようなことも
発想の転換で、
全てが丸く収まる用なアイディアが出てくることがあります。


でもそういうたぐいの発想は、
「相手を敵」だと狭い認識で見ていると、
自分からも、相手からもでてこない発想なんですね。
「協力」じゃなく、どう相手をやりこめるかの「競争」になってしまう。
ずっとそのことばかりに思考が傾いてしまうからです。


お互いに囚人のジレンマを回避するためにも、
「褒めたあとに、*5意見を言う」
のは、基本でありながら、とても大事なことだと思います。





まとめ。

近くの人ほど遠くから褒める


普段は

「他人を通じてその人を褒める」


近くで変化を見つけたら

「相手のリアクションがいらない独り言で共感する」


褒めてもらいたいのが目に見えてわかるときは

「素直に賞賛する」


ここぞというときは

「明日死んでも後悔ないように相手を認める」

「遠くから褒めはじめて、その後自分の意見を言う」

とはいえ、わがままに生きる人も嫌いじゃないですよw
こういう意見もあるというぐらいで
明日には忘れて構わないと思います。
意識しすぎて無理してまで褒めないように(・∀・)




関連:


なぜ新人は聞きに来ないのか? - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20091118/1258499089


異性をほぼ確実に落とす方法 - あるSEとゲーマーの四方山話
http://finalf12.blog82.fc2.com/blog-entry-511.html


フレームワーク脳を打ち破る宮本茂の言葉 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20090128/1233071017




ほめられサロン
http://homeraresalon.com/


こう思う人もいるようです。

スラッシュドット・ジャパン
http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=10/03/26/0140242


ある会社で、非常に優秀な技術者がいた。
彼は有能でほとんど毎四半期ごとに優れた成果を出していた。
ただ、彼は非常に…よくいえば謙虚、悪く言えばシャイで、
ある成果が彼の成果であることを調べるのは、
彼の上司にとってかなりの労力が必要だった。


この会社の社長は彼に報いるために、
毎回彼を社員ミーティングの場で表彰し、ボーナスを与えていた。
彼はそのような場でも、
自分はこのような表彰をされるに値するようなことはしていない、
という趣旨のことを毎回述べていたが、
誰も彼の主張に耳を貸そうとはしなかった。


で、10回目の表彰の直後、この技術者は辞表を提出した。
人事部があわててヒアリングを行った結果判ったのは、

○彼は人前に出るのが苦痛であり、表彰式などは拷問でしかなかった事
○表彰されるたびに新しい仕事が降りかかっており、ろくに有給休暇も取れない状態になっていたこと
○彼にとって仕事を離れての有給休暇のほうがボーナスよりもはるかに重要であること


で、人事部はこの技術者に対する表彰の停止と、
優秀な成果に対しては有給休暇の追加とそれを自由にとれる権利をもって答えるべきである、
と社長に説き伏せ、この技術者の流出を阻止した…


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*1:自分は死ぬことはないと思ってる人も

*2:僕はそう。でもそのほうが人として健康的じゃまいか?

*3:僕も初めて文章化しましたが

*4:褒める天才でもありました

*5:認めたあとに