teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

「自分探し」にとどめを。

自己啓発本はなぜ流行るのか? - 京大院生の読書日記
http://d.hatena.ne.jp/windupbird/20110228


1)願えば叶う。


2)習慣を変えれば人生が変わる。


3)隠された潜在能力を掘り起こそう。


このようなポジティブ思考が商品化され、
ビジネス書の棚を占拠するようになったのは、
たかだかここ10年のことであると速水氏はいう。


なぜここまで自己啓発本が人気を呼ぶのかといえば、
それはこうした本が知識ではなく
「高揚感」を提供してくれる効果があるからだと速水氏は分析する。
しかし、「賢い消費者ならポジティブ思考が
一瞬のカンフル剤でしかないことにも気づくべきである」とも。


先にも書いたように、自己啓発のもともとのルーツは「宗教」にある。
社会の不安感が高まれば、人々は安心を得ようとして、
一瞬の高揚感にすがりつく。
しかしその高揚感は持続しない。
それゆえ、ヒット本に飽きたころに新種の自己啓発本が出てくると、
自己啓発的な人々はまたそれに飛びつく。


こうして同じような自己啓発本が手をかえ品をかえながら出版され、
そのたびごとにそれなりのヒットを生むことになる。
このような薬物依存的な構造が、
ここ10年の自己啓発本ブームを支えているということなのだろう。


BRUTUS元記事の筆者である
id:gotanda6 こと、速水健朗(はやみずけんろう)氏は
より詳しい著書を出していますが、

「じゃあ、どうしたらいいんだ?」

という対案や、なんらかの答えはやはり提示されてません。
なのでそれを考えてみましょう。

自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)

自分探しが止まらない (ソフトバンク新書)



自己啓発書」「自分探し」の何が問題なのか?


「自分探し」の無限ループにはまり、
時間だけが過ぎていくことです。


ただ、「自己啓発書」や「自分探しが」
役に立たたないとか、
ただのカンフル剤ということではありません。
知見を広め、新しい視点や心構えを得たり、
良い方向に反映されることもあります。
その分かれ目を探っていきましょう。


著者のあとがきやブログなど読むと、
別に「自分探し」がただ悪いといいたいわけではなく、
やはり落とし所が難しい問題のようです。


前向きに生きる姿勢について - 【B面】犬にかぶらせろ!
http://d.hatena.ne.jp/gotanda6/20080229/jibunsagashi

補足


著書の問題は本来、
政治経済に帰結すべき話かもしれません。
ですが、資本主義や社会主義に代わる理想的な社会、
本当の意味で平等な社会?
というスケールの話は、僕の手に負えるところではありません。


なので、あくまで「自分探し」の考え方について述べ、
「宗教」「洗脳」「搾取」という構図には触れません。
蛇足ですが触れない理由も書いておきます。


「宗教」「洗脳」「搾取」について補足 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20110309/1299788015
(時間あるひとだけどうぞ)


そもそも外部の社会的構造に責任を求める人は
自己啓発書なんか読んでないので問題ないですが^^;


自分がみつからないなら無理やり自分を決めるべきか?


すでに小飼弾さんの書評がありました。

404 Blog Not Found:探すな決めろ - 書評 - 自分探しが止まらない
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51003082.html


あえて自分を決めてしまうのである。
嘘でもいいから。
確証がなくてもいいから。


それは、「自分が思い描いていた自分」、
「見つかるはずだった自分」とは違うかも知れない。
実際の自分と「自分はこうだ」と主張している自分とのギャップを、
人は揶揄し嘲笑するかも知れない。


しかしこうだと決めた自分を「演じ続ける」うちに、
それは確かに本当の自分になっていく。


でもこれはちょっと違和感あります。
僕としては、id:mkusunok さんの意見に共感しました。

決別を超えて - 雑種路線でいこう
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080215/search


僕は人生に於いて何事も受け身だ。
2度目の留年が決まったとき親から
「これ以上、学費は払えん」といわれて高校を中退した。
向こうから仕事に誘われてIT業界に足を踏み入れた。
かみさんが孕んで大学院を諦めて結婚した。
仕事をやりにくくなった時に引き受けてくれるというので転職した。
今もなりゆきで、あれこれ役割を抱えている。


自分が何者であるかというのは探してみつかるものでもなければ、
決めた通りになるものでもない。
何者かであった自分に徐々に気づいていったり、
たまたま機縁を通じて何者かたらざるを得なくなることもあるだけだ。


というか、弾さんもブログ始めたきっかけが
ライブドア事件のインタビュー改竄から身を守るための
発信場所といつか書いてましたし、以下の話も、
縁のあった環境が自分を決めたといえるのではないでしょうか。

私とて20年前の自分に「おまえは妻子持ちになる」
と言ったところで信じなかったに違いない。
それでも妻子持ちになれたのは、
自分が夫になることを、父になることを決めたからだ。
探し当てたからではないのだ。


私が持つ「プログラマー」だとか「ブロガー」だとかいう属性も然り。
確かに「妻子持ち」というものよりは
かつての自分が「探していた」自分に近いが、
「それが自分の本当の姿だ」と言われたら
Getafuckouttahere! と全力で否定していただろう。

自分探しの「自分」はどこにあるか?

著書のレビューから、

若者の言う「自分探し」の"自分"とは、
「社会において人との関係のなかで成し遂げられる何か」ではなく、
「自分の内面から発見しうる何か/可能性」である


やはり、自分の中にある隠された可能性ではなくて、
社会との関係性で決められるのが自分だと思います。


でも弾さんが言う、
「演じ続けるうちに本当の自分になっていく」
というのもわかならいではなくて、


例えば、10歳の小学生が
「俺はワールドカップ選手になる!!」
「俺はメジャーリーグで100億円プレイヤーになる!!」
「俺は60歳までの事業計画書を作り、坂本龍馬になる!!」


と、自分を信じ続けてあれこれ遊びを犠牲にしながら行動して
20歳まで積み上げたとき、
まさかその10年を全部リセットして
「やっぱし本当の自分を探しに旅に出よう!」
とは、もう思えないでしょう。
そこまで積み上げてきた物は
もはや誰にも止められない本物の土台となってるはずですから。


でも「積み上げてきてない人」には怖い。
自分が何者であるか、、、
ゼロから積み上げるのだからいくらでもリセットできるし、
自分探しでリセットするから積み上がらない。


自己啓発書を手に取る大半は多分そんな人で
だからニューソートなどに救いを求める。


ニューソート

速水健朗氏インタビュー】拡散する自己啓発と自分探しムーブメントを読む :ソフトバンク ビジネス+IT
http://www.sbbit.jp/article/cont1/15861


速水氏■
さっき「多くは同じ宗教の影響下」って言いましたけど、
実際、自己啓発本のルーツは「ニューソート」っていう宗教運動です。
乱暴にまとめてしまうと「ニューソート」は、
「思ったことは実現化する」っていうことが教義になってるんだけど、
19世紀ころの神秘主義がベースになって生まれたもの。

これについて僕の意見は

すごい物を見てもへこたれないために - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20100719/1279480691


プログラマーの格言に、
コードは思ったとおりに動かない。書いたとおりに動く。
というのがあるだろ?」


「あれと一緒だ。人生は思ったとおりに動かない。行動したとおりに動く。


はじめに行動ありきです。


でもどう行動すればいいのか?


自己啓発書に傾倒してる時って、
自分の内面を高めたり、
自立心を高めたりする言葉ばかりに集中しがちなんですよね。
ちゃんと社会の関係性へつながる言葉も書いてるのですけど
そこは見えてないか、軽視したりするんですよ。


なので表面では人付き合いよさそうでも、
内面はガチガチの理想論で
硬いATフィールド貼ったみたいに近寄り難い。


この「努力がから回る自立心」がなんなのかというと、
ずっと「社会」を見てそう教えられて育ったからだと思います。


「大人として一人前になりなさい」
「競争で一番になりなさい」
「ナンバーワンでなくても、なにか一つオンリーワンを取りなさい」
「それができなければ、生き残れません」
「同じ人間だから同世代のあの人のようになれるはずです。」
「なるべく、できるだけ自分でやりなさい。」
「他人に依存してはいけません。自立しなさい。」


もちろん正しい言葉ですよ、
確かに、ナンバーワンや、オンリーワンの人は自立してますよ。


でもね、、長く積み上げた土台がなければ
自立なんてとうてい無理です。
飯炊き3年、握り8年です。


普通の人が、土台を積み上げる前に焦って
「ナンバーワン」や「オンリーワン」と比べると
土台ほったらかしのまま上へ登ろうとしては、
足元が崩れるということを繰り返します。
それをずっとループするわけです。


なのでこのブログの人気記事にある、
(全部自己啓発書みたいなタイトルだなw)


「基礎の意味をほんとにわかってるか?」


「急ぐな! 遠くへ行きたいならゆっくり走れ。」


「食事にも食べる順番がある。」


みたいな話は、銀の弾丸なんかではなく、
土台作りに終始してる訳です。


あせらずじっくり良い土台作りができたら、
それがフラクタルのようにスケールアップして成長します。
土台が崩れたままスケールアップしようたところで、
崩れも同じようにスケールアップしてしまいす。


目指すのは「自立」じゃなく「共存」。


自立というのはいざという時、
ネットワークが分断されても
自分で立てることを示してるわけです。
だから強い。
でも本当はたくさんのネットワークに支えられて
自立してるようにみえるんですよ。


社会で「ナンバーワン」や「オンリーワン」を目指すとき、
この「自立」に向かいがちですが、
本来は「共存」でいいわけです。


ただし人間がガチガチにルールを決めたスポーツは違います。
著書では、スポーツの夢を子供全員に煽ることで、
決められた人数しかプロになれない
大半が不幸になるポジティブ教を批判してますが
多様性を開拓してもいい社会の夢より、
100m走に、フライング、ドーピング、ロケットを使ってはいけない
スポーツの夢は条件がずっと厳しくなる。


スポーツは社会の多様性の一つであり、
「競争のために自立すること」が、「参加者の共存」を壊す
という形になり得ます。
だからこそそれをストイックに目指すのがカッコイイわけで。
夢破れてそれで人生終わりでもなく、
また別の多様性ある社会に戻るための自分探しなわけです。

共存は人に頼る力、共存は人を助ける力。


「自立」できない人は、いろんなモノが欠けているわけですが
それでかまいません。
全部自分でやろうとする人より、

「適切に人を頼る」ことができる人

のほうが、仕事はうまくいきます。


で、自分のほうが手があいて誰かを助けれる番が来たら
「それは俺の仕事じゃないから」だとか言わずに
助けてあげたらいいんですよ。
これが、「自立」を主張する空気で蔓延してると
「助けるのはあいつのためにならない」
「助けるだけ自分が損する」という、
あくまで「自分という個にエネルギーを貯めよう」という風に
ネットワークが分断され、またそう考えてる人ほど

「他の人に助けを求めるわけにはいかない」

と、自分だけで抱え込むようになり、次第に組織が息をしなくなります。




そんな事言ったらただ助けてもらうだけのお荷物な奴とか、
窓際族? とかもいるじゃないかと言われますが
別にいいじゃないですか。
最初は「依存」しかできなくても、
助けること、仕事を教えることによって共に成長していけばいい。
残業ばかりでそんな事してる余裕が無いというのは、
みんなで知恵を出し合って融通をきかしてないだけです。
なぜ知恵を出し合わないかというと、
みんな「自分だけ自立して個を確立しよう」というルールを守る、
自立を助長する空気だからです。


そうじゃない。
本当に価値があるのは、一人のスタープレイヤーではなく
全員がお互いをきちんと認識した先に示される
見えないつながりの力です。

スタープレイヤーこそ現場向き、能力が欠けてる人ほど管理職向き


ピーターの法則よろしく、
能力があるスタープレイヤーほど、
能力が発揮できない管理職へとどんどん昇進していき、
まだ能力上限に昇進しきってないプレイヤーのみで
会社は回ります。


でもほんとは、何か能力が欠けてて
「人に何か頼らないと生きていけない」人ほど、管理職向きなんです。
極端に言えば社長なんて、
全ての能力が社の誰かに劣る人であるべきで。
現場こそスタープレイヤーが活躍すべき場所であって、
管理職が給与高いから昇進させるというのは
給与システムも含めいろいろ間違ってるかもしれません。

「自立した大人」よりも「損得抜きで助け合える子供心」を

どうしてもオトナになると、
時給5000円分とか、1万円換算するととか
全てをお金のものさしで測ってしまいますよね。


そうすると何か殺伐としてしまうというか
今でも本当の友人はお金の損得抜きで付き合ってた
学生時代の友人という人も多いのではないでしょうか。
お金がある大人の世界より、
お金がなくても友人たちと馬鹿騒ぎしてた
昼休みのほうが楽しいとかないですか?


だとしたら「大人」になんかならなくていいんですよ。
「子供心」のまま、自分は完璧じゃなくていいから
自分の欠けた部分で、素直に人に助けを求める気持ちと、
そのかわり損得抜きで誰かを助けてあげるほうが大事です。
なぜか、そのほうがよくお金が回ってきます。


自分を決めてこなかった人が、社会の関係から自分を決めるには

目の前のことを一生懸命にやること。


ごく当たり前ですけど、
僕の「自分探し」はそれで終わりました。
一生懸命というのは、もちろん「時間内」に。
ひたすら技を磨いて、お客さんや、仲間や上司、
自分の社会関係の人たちに喜んでもらえるように。


技を磨きつつ、「時間内」に「時間以上」の成果が出てきたら
そこにどうしたって、「自分らしさ」が滲み出ます。
それは挨拶や、笑顔や、言葉ひとつでも、
それぞれが自分の質を高める
自分という商品の経営判断なのですから。

究極的にはそうした細部の完成度が決定的な飛躍につながる。


そうやって枠を超える事を繰り返していたら、
抜擢されることもあるでしょうし、
お客さんから引き抜かれることも、
自分の判断で飛び出すこともできるようになるでしょう。




まとめのかわり


YouTubeからビデオクリップ拾ってきました。
お好きな方をどうぞ。


May'n - パラノイア 歌詞
http://www.kasi-time.com/item-45433.html



StylesStyles

パラノイア - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%8F%E5%9F%B7%E7%97%85


精神病の一種で、体系だった妄想を抱くものを指す。
自らを特殊な人間であると信じたり、隣人に攻撃を受けている、
などといった異常な妄想に囚われるが、強い妄想を抱いている、
という点以外では人格や職業能力面において常人と変わらない点が特徴。

DISCOVERYDISCOVERY

Mr.Children - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Mr.Children


1997年4月から無期限の活動休止期間に入り、1年半の休止期間を経て
1998年10月に15thシングル「終わりなき旅」で本格的に活動を再開。
(終わりなき旅は現在ミスチル最後のミリオンヒットシングル)

あとがき


実は前に「自己啓発書」でループ時の話と、
立ち直った話は書いてたのですが、
具体的な転換点が抜けてたので、今回の記事としてみました。


仕事が超出来なくてダメアルバイト、ダメ社員だったTさんがいかに「考え方」を変えてできる社員となったか。 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20100711/1278783680



で、、
今回の話にはちょっと難解な背景哲学バージョンがあるんですよ。
昔の僕にとっては非常に価値のある、大事な話なんですが
ひどく抽象的な話で、伝えにくいというか意味あるのかとか。


まあせっかくなので、なるべく分り易く書いてみたいと思います。


賢人が月を指差した時、愚者はその指を見た。 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20110311/1299788122