ネットの「中傷」に立ち向かわない強さ。


ちょっと違和感あったので。

Togetter - 「はるかぜちゃんと乙武さん「批判と中傷について」」
http://togetter.com/li/140364


@h_ototake
まずはじめに、これは「正解」じゃなくて、
あくまで「僕はこう考えている」
という参考意見として聞いてほしいんだ。
心の状態やあり方は、人それぞれ違うと思うから。
僕のやり方をはるかぜちゃんがやってみて、
うまくいくかどうかはわからない。



@harukazechan
ぼくの家族のわるくちは、
ぼくの仕事にもぼく自身にもなんの関係もないのに、
ぼくがこの仕事をしてることで、
ぼくのことをきらいな人がぼくじゃなく、
ぼくのぱぱやままを悪くいうのが、つらいです(ω)


じぶんのわるくちは聞けるけど、
家族のわるくちだけはちょうベコベコにへこみます(ω)
つらいです(ω)



@h_ototake
それはね、僕もこれまでずっと心を痛めてきたよ。
正直にいえば、いまでも。
でも、きっとご家族はそのことではるかぜちゃんが心を痛めることが、
もっと悲しいんじゃないかな。
ご家族も、「もう悪口言われるの嫌だから、仕事やめてほしい」
なんて、少しも思っていないはず。


心ないことを言う人はいます。
でも、その人の言葉で自分が傷ついたり、
やりたいことができなくなってしまったら、
それこそ相手の思うつぼだと思わない?
しかもね、そういう人たちって、かる〜く言ってるんだよ。
翌日になったら、そんなこと書きこんだの忘れちゃうくらい。


だから、そんなヒマつぶしのような、かる〜く言われた言葉を、
いちいち心の深いところで受け止め、
はるかぜちゃんが笑顔を失ってしまうなんて、
バカらしいと思わない?
くやしいと思わない?


さいわい、はるかぜちゃんは
「批判」と「中傷」の区別がついているみたいだから、
僕は心配してないよ。
自分を成長させてくれる「批判」については、
これまでどおり謙虚(けんきょ)に受け止めて、
くだらない「中傷」に関しては、「ふふん、ヒマ人め」と。
きっとできるよ。



@harukazechan
はい(ω)へこんだら、思うつぼ(ω)そうですね(ω)
ぼくがピンピンしてなきゃ(ω)
元気にわらって、たたかいます(ω)


戦っちゃダメw


いや、もちろん「ふふん、ヒマ人め」という
スルー力を鍛える意味で戦うのだろうし、
そういう人を相手にせず切り捨てることが、
ひとつ大人になるということなんだろう。


でもそんな大人でも、誰かを無視するとか、
悪意のある攻撃を身内に向けられるとかは
ちょっと辛い気持ちをかかえたまま割り切らないといけない。


分かり合えない人を目に見えてブロックするというのは
大人として多少傲慢な気持ちをもてない人だと
それだけでストレスとなります。


で、ここからは「僕はこう考えている」という参考意見。

ネット上の悪口とどう付き合っていくか?


僕も長くブログを続けてると、
はるかぜちゃんほどではないにしても、
それなりにネガティブコメントもらったりします。


このときリアルに「悪意のある敵」が目の前にいるなら、
張っ倒したり、水ぶっかけたり、思いっきりケンカしたあと、
夕日に向かって仲直りするのもいいのだけど
ネットのブログやTwitterでは、そうはいかない。
張っ倒せないし、数も多い。


それでまず

「批判」か「中傷」か判断するよりも前に、相手の「感情」を考える。

盗人にも三分の理(ぬすびとにもさんぶのり):ことわざデータバンク
http://www.sanabo.com/kotowaza/arc/2002/10/post_225.html


泥棒が盗みをするのにも、それなりの言い分がある。
どんなことにでも、もっともらしい理屈はつけられるということ。


僕はどんな的外れの悪口にせよ

それが「正論」かどうかを考えるのではなくて
それが「人間として正しい感情」ではないか?

という感情の理屈を先に考えるようにしています。


例えば僕が、ブログで記事を書いてネガティブコメントをもらうと


「精神的な強さを肯定することで、弱い人が怒るかもしれない。」
「記事には長すぎたり、欠けていることもあるのに、
なんでこいつの記事が注目されてるのか意味が分からない。と思うかもしれない。」
「夢をみさせるような煽り文句でうまくいく人のほうが少ないのだから、
失敗者を多く生み出すような誘導は残酷だ。と感じるかもしれない。」とか、


はるかぜちゃんがツイートするにしても、


「立場がフラットなネットでは年齢も関係ないのに、
小学生という理由でみんなから守られたら、
その不公平なアンバランスさに怒る人がたくさん増えるかも知れない。」
「自分が子供の頃や、あるいは自分の子とそこまで変わることはないのに、
背伸びしすぎてチヤホヤされるてるのをうとましく感じる
と、思われるかもしれない。」
「自分の子にTwitterを許可できる寛容な親としての姿勢が、
まるで子供にTwitterをさせない、普通の親である自分が弱く、
心の狭い親だと周りや、子供からも否定されてるように感じるかもしれない。」
などともっともらしそうな理屈をまず考えます。

否定するべき、自分のネガティブな感情をあえて肯定する


たぶん僕自身にも認めたくない嫉妬心とか、ネガティブな感情があり
もちろん、聖人君子でもなんでもないので
このいやらしくも、矮小な気持ちそのものが
自分の中にあることを認めるというか、
「人としてむしろもつべきだ」と肯定するんですね。


人間なんだから、自分の正しいモラルを守る気持ちがある限り
自分にとって正しい批判をしたつもり
必ず反作用として誰かにとっての悪い感情に見える、
という形で生まれるものだと思ってます。

相手が何を言ってるのか? よりもそれはどこからきた「感情」なのか?


相手の「論理」にまったく筋が通ってなくても、
そうやって相手の「感情」になってみてみると、
わりと共感できたりします。

人間関係では、相手が「何を言ってるのか?」と理解するよりも、
「どういう感情なのか?」を共感するほうがずっと重要に思えます。


感情面のもっともらしい理屈はいくらでも考えられますが、
わざわざそれを「論理的」に指摘すると、火に油なので
基本的には言いませんw


論理的に対立してようが、ただの悪口だろうが、
そういう表面的なことよりも相手の感情を考える。

どうせ実際に会ってみたらいい人なんでしょ?


で、まあ実際にあったこともない
ネットのようなテキストだけのコミュニティとか、
噂だけが先行するような環境では悪口も陰口もいうでしょうが、
リアルで会う機会があれば、そこまで悪い人じゃない、
ちゃんと話せる可能性のほうがずっと高いでしょう。

このパターンは腐るほど見てきましたw


そう思うともう、その人は
「いつか出会うかもしれない、身内」であり
「いつか遠い異国で、一緒に働く仲間」かもしれないし
「昔からつながる遠い親戚」かもしれないし
「友達の友達」かもしれない。

悪意のある「敵」も、心の中では「身内」として扱え!


「身内」が何か言う分には、もうしょうがないかと。
そういう意見もあるんだと割りきってスルーできる。
同じスルーでも、この違いが大事。

「敵」が言うことを、スルーして黙ってるとストレスになりかねないけど、
「身内」が言うことは、たいしてストレスになりません。


またこの認識の違いは、
言葉の端々や、態度、しぐさにも微妙にあらわれるので、
もし「悪意ある敵」という認識のままだと
そのちょっとした言い回しや態度が、ますます相手を怒らせ、
「より大きな中傷」に発展したりします。
ネットで話題になるのは、いつもこの「後半の誹謗中傷合戦」になってからです。


そういう態度が知らないうちに自分の発言から
ますます粘着されたり、悪意のある敵が少しづつ増殖して
ネットから離れないといけなくなる人もでてきます。


逆に、「身内」という認識だと言葉の端々や、
態度にもちゃんと気遣いが垣間見られて
ずっと収束させやすい、というのが経験談です。

閑話休題


よく、クレーム処理の仕事でも「やらかしてしまう人」は、
お客さんを「身内」と考えてないんですよね。
お客さんは「感情」を訴えてるのに、

処理する人が「ビジネス的な正論」の匂いを全開にしてると、

本来まとまる話も、全然まとまらないw


もちろん、値段以上のサービスを要求するクレーマーとか、
悪い方法で高額な金銭賠償を引き出そうとするような輩は
それなりの対処が必要ですが、
ほとんどのお客さんはそういう「敵」じゃないのに、
ついつい同じような、「感情を無視した正論」で対応しがちです。


少し時間かかってもお客さんの話を聞いて感情に「身内」のように共感しないと、
「正論」だけでは通りません。
ルールの中でも、最高の最適解を探す姿勢や、
お客の信頼のためならうまいことグレーな処理をすることもときに必要です。


これ、お客さんじゃなく、会社内の関係でも同じなんですよね。
ビジネス的には「数字の正論」を徹底させるほうが一番大きな利益が出て、
社員の感情や妙なこだわりなど、排除されるものかもしれませんが
それだと殺伐しすぎて、体壊したり、人が育たなかったり、長続きしない。
不合理でも、会社こそ社員は身内としてできるだけ話を聞き、
その人の思いを吐き出して、一人の人間として感情を認めてもらうほうが、
社内の協力がずっとスムーズにいったりします。


まとめ


「自分の正論」や「相手の正論」あるいは「ただの悪口」に反応する前に、
相手の感情が生まれる理屈から考える。
どっちが論理的に正しいかどうかよりも、
人間としての「感情」や尊厳を満たすほうがずっと大事。


嫉妬や、欲望など、自分のネガティブな道徳的でない感情を
あえて肯定してしまうほうが、他人のそれにも寛容になれる。


感情を理解したら、
「顔も知らない敵」ではなく、
「身内としてみたら、多分この人も会ったらいい人なんだろう。」
と心の中で思いながら対応するなり、スルーしてしまおう。


身内といっても、相手を気遣う気持ちを少し持つだけでよくて
聖人君子じゃないのだから、自分の意見を引っ込めるとか、
全ての人を愛する必要はない。


それでみんなが理想を掲げながらすれ違ったとしても、
たぶん世の中に、本当の「敵」なんていないんだよ。


と、思うぐらいの方が
ストレスを抱えずにネットと付き合っていけると僕は考えます。




最後に、

がんばる

@harukazechan
乙武先生、みなさん、ありがとうございます(ω)
前歯ないけどがんばりまん(ω)行ってきます(ω)テッテケテッテッテ〜(ω)
元気いっぱい(ω)はるかぜ歯なし子ちゃんです(ω)がんばりまん(ω)


@h_ototake
子どものうちから打ち込めるものがあるって、すごく幸せなこと。
だから、多少の壁や困難があっても、くじけないでほしい。
いや、くじけてもいいから、またちょっとしたら笑って、前に進んでほしい。
そんな子どもや若者を、僕ら大人は全力で応援する。
全力で守る。それが、大人の役目なんじゃないかな。


さて、ありがたいことに「やりたいこと」が見つかっている
35歳のオトナも頑張ります! 
はるかぜちゃん@harukazechanに刺激をもらったよ。
原稿、頑張ってきます(*^ー゚)b


「がんばる」の語源を見ると、
子供から、大人になる事なのかもなあと感じたりします。

頑張る(がんばる) - 語源由来辞典
http://gogen-allguide.com/ka/ganbaru.html


【意味】 頑張るとは、困難に耐え、努力してやり通すこと。


【頑張るの語源・由来】

頑張るは、江戸時代から見られる語で、漢字は当て字である。
頑張るの語源は、二通りの説がある。
ひとつは「眼張る(がんはる)」が転じて「頑張る」になったとする説で、
「目をつける」や「見張る」といった意味から
「一定の場所から動かない」という意味に転じ、
さらに転じて現在の意味になったとする説。


もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の「我を張る(がをはる)」が転じ、
「頑張る」になったとする説である。
眼張る」の説が有力とされるが、
東北地方の方言「けっぱる」は「気張る」から、
じょっぱり」は「情張り」からであるため、
「我を張る」の説が間違いとは断定できない。

「批判」と「中傷」はホントに分けて考えることができたらいいのですが、
ほとんどの場合、
「中傷」の中に「一理の批判」が入り交じっていたり、
「批判」の人からこじれて「中傷」されてたりして、
それが明確に分けられて、ただの「中傷」だったら、
はるかぜちゃんはそう傷つくこともなかったでしょう。


だから「ふふん、ヒマ人め」と、
相手の感情を無視したままでは、まだ「がんばる」の必要性が強く
その意味でも、Togetterの会話は大人の意志を感じました。



でも、必ず「大人」にならなくても、「成長」はできるとおもうんですよ。
ストレスに耐える頑張る力を鍛えるよりも、
「頑張らないですむように考え方を工夫する」方が、
環境の変化に応じた「成長」につながるんじゃないかと思います。
そこに違和感を感じて、今回のエントリーとなりました。


「がんばる」のは、
コンマ1秒をなんの道具も使わず極めるようなスポーツ選手に任せて、
子供は子供らしく、というだけでなく
大人が子供心を忘れないためにも、
「自分の欲望」にやさしく、
そして「他人の感情」にもやさしくありたいですね。