きっと何者にもなれないであろう僕達の生存戦略

自己肯定感を持つ者、持たざる者
http://anond.hatelabo.jp/20111017024535


私は、とてもじゃないけど自分に自信がない。
facebookで、昔の友人たちがTHE☆リア充な写真を上げてると、
よくもそんなことができるなあ、
自分に自信がある人は人生楽しそうだなあ、と思う。


私にだって恋人もいて、多くはないけど友人もいて、
同じような写真を上げることもできる。
けれど、異常に他人の目が気になるのだ。
「うわー、あの程度の人間のくせに、リア充気取っちゃうんだ?」
と後指さされるのが怖くて仕方ない。



こんな風に自己肯定感を持たざる者は、人生を気楽に楽しめない。
いつから持たざる者だったのか、
思春期のころからずっと、劣等感の塊だった気もする。
持つ者は、いいなあ。
私だって、自分で自分にOKを出してあげられる人になりたい。


けど、私は他人と比べて劣っているところがたくさんあるのを知ってるし、
それを無視できるほどプライドが低いわけじゃない。


そう、矛盾するようだが、私は私のことが好きだ。
プライドだけは一人前なのだ。
自分のことが可愛くて仕方がない。だから、誰よりも上位でありたい。
そうでない現実に耐えられないから、自分のことが嫌いになる。
だから、私の自己肯定感は低い。


こんな私のセーフティネットは、冴えないけれど気心知れた恋人だ。
自分で自分にOKを出せない代わりに、恋人から自分にOKを出してもらえる。
それは、無条件だ。
親兄弟よりも強烈に、今の自分を承認してくれている気がする。


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「きっと何者にもなれない」私の人生で、
自己のプライドと、どう折り合いをつけていくか、正念場です。
http://anond.hatelabo.jp/20111018110219

恋人から承認をもらう、「俺が信じる、お前を信じろ!」から、
自分で自分にOKを出せる
「お前が信じる、お前を信じろ!!」の成長過程かと。



共感を呼ぶ記事で、別に解決して欲しいわけではないだろうから
こうツッコムのは野暮なんですけど、
これを増田の問題ではなく、自分の問題と考えると結構深刻です。



僕と同世代の人たちはベンチャー社長とか、億単位のカネを稼いだりとか
ものすごい勝ち組の人がいっぱいいて、
僕より若い世代ですらそうなのに、
僕のリアルは、輪るピングドラムよろしく
「きっと何者にもなれないお前たち」↓なわけで、
同世代以下の成功者を嫉妬し自分を少し不安に思うところがあります。


このブログを読む人にとっての「何者」かにはなってるだろ。


と言われたらそうかもしれませんが、
増田が恋人からの承認欲求を確保してるのと同じく、
それだけの承認欲求では足りず、
ネットや恋人じゃない、もっと社会的に大きな承認欲求を求め
それをもってる人に嫉妬する卑屈な心が僕のどこかにあるわけです。

じゃあ、ブログで屁理屈ばっかりこねてないで大きな承認欲求満たすことやればいいじゃないか。


友人に言われた痛い言葉。

だいたい口がうまくて、まっとうな屁理屈こねる奴ほど
本人は何もやってない。
それを達成するまでTVもゲームもネットも切断して、
今からさっさと手を動かせ!


そ、、そうですよね(;_;)


締め切りがある仕事はともかく、
学生の頃からプライベートでギターをやろうとか、
漫画や小説書こうとか、同人ゲーム作ろうということになると
理想と現実のギャップの前に苦しみ、全ての要素が遠すぎて手が止まり、
何も創り上げることはできませんでした。

格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2011/10/18_1255.php


人間は自己利益のためにはあまり真剣にならない。
これは多くの人が見落としている重大な真実です。
自己利益は自分にしかかかわらない。
「オレはいいよ、そんなの」というなげやりな気分ひとつで
人間は努力を止めてしまう。簡単なんです。


耳が痛え(TдT)。


仏教的なあれこれ - まめ速
http://mamesoku.com/archives/3090665.html


求めることで苦しんで、いらいらして苦しくないかな?
まあやめろとまでは言えないけど、そういうの苦しみはガッツリなくせるんだ
それを知って欲しい



それと、できることと無理なことが判断できるくらいお前は大人じゃないか
何年後、ワンピースみたいなヒット描く!っていうのと
今日はここまで勉強する、っていうのじゃ現実味が全然ちがってくるね
でも、現実には後者すらやろうとしないんだ
やればいいのにね


僕はやろうとすらしない、、でした。
もしやってたら、とっくに1万時間以上の修練を終えて
何者かにはなってたでしょう。
でもやってないから何者にもなってない。
それを変えたい。


、、、なるべく、努力とか頑張るとかしないで向き合いたいw


「何者」って何なわけ?


いきなりちゃぶ台返しなんですが、
僕や増田が言う他人に認められる「何者」とか、
リア充」、「自信のある人」、「成功者」、「勝ち組」、
もっといえば「天才」も、「幸せ」も、「努力」も具体的に存在しないんですよ。
そんなものはない。


例えば本物の「リア充」(ネット以外のリアルな現実の生活が充実している人)は、
リア充」という単語をまず知りません。
例え知っていたとしても、それが自分に当てはまるかどうかがよく分からない。
これは「あなたは幸せですか?」という質問が
あまりに中身がなくはっきり答えられないのと同じ。


そういう他人と自分を比較する言葉を使わずに
僕らがそう羨み、嫉妬してグダグダ考える時間を
全部自分の仕事や興味に没頭してるから「リア充」なわけです。


いや、俺から見たらお前は「リア充」だ!!
と僕が言ってもいちいち否定する方がめんどくさい感じで、
「お前がそう言うならそうなんだろう。スタートすらしないお前の頭の中でな。」
と、他人と比較して諦め、嫉妬する頭の中にしか存在しない概念です。


逆に、その単語を意識しない人には表裏一体である
「非リア充」も、「自信のない人」も、「失敗者」も、
「負け組」も、「凡人」も、「不幸」も、「頑張る」という概念も無いから
これも彼らから見たらあてはまりません。


でもまあ、こういう単語がないと表現ややこしいので
このブログではそれぐらいの軽い気持ちで使ってるということです。


「ごちゃごちゃ言わずやればいい」で、怠惰な人は変わらない。


「ただやればいい」、「それをずっとやりつづければいい」という
究極の答えはすでにでてますが、
僕みたいな怠惰な人間をなめてもらっては困ります(゚Д゚)
そんな言葉で変われる人なら
もう学生の頃からすごい努力の人になってます(*゚∀゚)=3
(厳密には「怠惰」という概念も、
TVやネットや寝ることのにひたすら「集中」してる脅威の能力だったりしますw)



すでにホットエントリーでほぼ同じタイトルの記事が2つあるのですが、

先日、twitterでこういう言葉を拾いました。
「きっと何者にもなれないオタクに限って、
 写真…カメラ極めようとするよね。」
なんとなく同意するところなんですが、ここで質問です。
自分を何者だと考えますか? - 平民金子インタビュー
http://theinterviews.jp/heimin3/1762582


僕たちはそういった、
他人に簡単にうんこを投げてくる人たちを軽やかに無視して
前に進んで行く強さを持たないといけない。

こういうブレーキになる言葉をかけられて今もとまどったり
傷ついたりしている人はたくさんいると思うけど、
僕は一人のカメラを持った人間としてあなたに言いたいのは、
馬鹿だと言われても何者にもなれないオタクとか言われても、
自分が何かを好きになった気持ちをしっかりと信じて、
前だけを向いて歩いて行こうという事です。

「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110929#p1


僕がこの年齢になって感じるようになったのは、
「自分は何者にもなれないのだ」と知ってから、
本当の「人生」がはじまる、ということなんですよ。


僕が村上春樹さんの作品の登場人物に惹かれるのと同時に、
「浮世離れしている」と批判したくなるのは、彼らはみんな
「何者でもないけれど、自分のやるべきことを、淡々とやっている人」であり、
「それを自分で受け入れている人間」だからなのです。


どちらも琴線に触れる記事ですが、この話をもう少し掘り下げたい。
どうせ屁理屈ブログなら、その理屈を駆使して
「怠惰」から「モチベーション」に代わる視点を探していきます。


仏教と、YAGNI(ヤグニ)

仏教的なあれこれ - まめ速
http://mamesoku.com/archives/3090665.html


本当に、我々には今の一瞬しかないんだ
過去のことはどうしても取り返しがつかない
未来のことは今焦っても思い通りにならない

みんなそれをさんざん経験したのに
だから、今できることをできる範囲でやるしかない



VIPで良スレがなくていらついてる人
来週が不安な人
メールの返信がこない人


現実だからそれらはどうしようもない
でも、今の瞬間に気付いて欲しい
今現在は不幸でもなんでもないよね
それに気付いて欲しい


求めないこと
自分の考え一つが支持されないだけでも不満なのに
世間が100%支持してくれるものなんてない


この仏教の話、ほとんど同じ事を
プログラミングの話でも聞いたことあります。

[連載:ひがやすを×和田卓人] プログラマー人生を楽しむために知るべき97のこと【恋愛編 1/2】 技術屋の「公平さ」は恋の敵!? |エンジニアtype
http://engineer.typemag.jp/slive/2011/09/-97-12.php


和田
YAGNI』というのはXPの開発の根幹をなしている考え方で、
"You Aren't Gonna Need It"の略です。
ざっくりと説明すると、
「本当に必要になるまで、機能を作り込むことを待つ」
という考え方です。
それまでの開発の考え方は
「いずれこういう拡張機能も必要になるかもしれない」
なんて可能性を感じたら、
開発工程を多少遅らせてでも事前に設計に腐心したり、
機能を作り込んでしまうことが多かった。
でも、実際にはそういう機能を使うケースは意外と少ないわけです。


ひが
だから、
「先のことは予測不可能である以上、今やれることをシンプルにやるべき」
と提唱したのが『YAGNI』なんです。


和田
僕自身も、XPに出合うまでは臆病な完璧主義者でしたから、
「あらかじめ完璧に用意するのがカッコイイ」みたいな美意識がありました。
でも、『YAGNI』の発想を学んだことがきっかけで、
プログラミングのやり方がガラッと変わりました。
ソフトウエア開発には、やってみないと分からないことが非常に多いですから。
最初に「あれもしなければならないし、これもやってみたい」
と考えてしまうと、かえってコーディングが難しくなるんです。


ひが
和田さんは、『YAGNI』を提唱した
ケント・ベックマーティン・ファウラーとの出会いから
TDD(テスト駆動開発)の伝道師になったんだもんね。


和田
ええ、ベックやファウラーがXPでもTDDでも強調している
YAGNI』の考え方は、今でも僕を支えるベースになっています。
で、ひがさんは、それを恋愛に適用したわけですね?


ひが
うん、僕ら男はさ、素敵な女性を見るとすごく惹かれるわけじゃない?
でも、同時にこうも考える。
「いきなりデートに誘ったら断られるかも」とか、
「今の自分には高嶺の花だからもっとカッコ良くなってから誘おう」って。


和田
そうこう考えているうちに、
結局その女性を誘えずに終わってしまうんですよね。


ひが
でも、『YAGNI』の発想なら、
「何はともあれデートに誘ってみればいいじゃん」となる。
誘ってフラれることは、実際にフラれてから考えればいい。

TDD的に言うと、もしそれでフラレて、最初は「レッド」だったとしても、
そこからダメな部分を修正して「グリーン」にすればいいわけだし。


和田
そして、プログラミングでいうリファクタリングの手法ですね。
必要なことから小さく始めて、少しずつキレイにしていく。


ひが
そうそう。「先のことまで全部見通して、事前に全部用意して」
なんていうウォーターフォールな頭で考えていたら、
いつまで経ってもデートに誘えない。

それに気づいた途端、仕事はもちろん、
恋愛でも不毛な時代から脱却できたんだよ。
気になる女性がいたら、まずはデートに誘っちゃおうって。


そういえば、スティーブ・ジョブズも仏教徒なんですよね。
追悼記事からやはり似た思想が垣間見えます。

スティーブ・ジョブズさんのスピリットは生き続ける」福田尚久さん | 制作後記 | クローズアップ現代 スタッフルーム:NHK
http://www.nhk.or.jp/gendai-blog/200/98241.html


「ライバルが何をしているかを考えたら、その時点で負け」


彼はライバルとか競合のことはとにかく考えない人なのですよ。
いろんな人が聞いていて、僕も何度も聞きましたけれど。
目の前にきれいな女性がいて、口説こうと思ったときに
「実はライバルはその女性にこんなものをプレゼントした」
なんていう発想をした時点でお前負けだろうと。
要するに目の前の人に自分の思いをぶつければいいじゃないかと。
人がどうする、ライバルがどうするなんて関係ないのだと。


当時、マイクロソフトや他の会社が
どういう製品を出してくるかなんてどうでもいいと。
そうではなくて、我々アップルが
どうやってお客さんにいちばん満足していただける製品をつくるのだと。


みんなが競争して、勝ったときは勝つ、負けたときは負ける。
負けたらまた頑張ろうと。その繰り返しでいいのではないかと。

相手がどうした、あっちが、こっちがどうした、
ということというのは考えてはいけないのだと。


競合戦略、ライバルのことは、ほんとに、
意識的に会社から遮断していた部分は強いですね。


そう、正確に言えば素人の僕はプロの作品を見て同じように、
100%を目指そうとしました。
でも人の目を気にし過ぎて、
できてもない自分の作品の粗探しをはじめて途中で自滅してしまう。

100%完璧な作品なんて無いのに、プロの作品にもツッコミどころ満載なのに
自分では完璧なものを作ろうとして、それができないと止まってしまう。



仏教には、「求めてはいけない」、「足りるを知る」とありますが、
すべてを満たす100%の機能を求めてはいけない、
その中で足りるを知ると考えると、
全部入りのWindowsや、ガラケーとは違う、
シンプルなデザインのApple製品に反映されるのでしょうか。

「みんな意見を全部入れたらいい製品になるわけではない」


例えばどういう製品が発表されるかというのも、
当時は本当にごく一部の人しか知らない形でやっていると。
理由は、担当している人たちが
本当に自分のベストだと思うものを作らせることなのですよね。


要するに、例えば周りの社員に「これどう思う?」と言ったら、
いろんな人がいろいろ意見を言うのですよね。
だけどその意見を全部取り入れたらいい製品になるかというと
決してそうではなくて、担当している人がずっと考えて作って、
これがベストだというものを作る方がいいものになると。
だからそこを邪魔させないと。

Stay hungry, Stay foolish.


「ハングリーであれ。愚かであれ。」
「ホール・アース・カタログ」という雑誌にあった言葉が
ジョブスのスタンフォード卒業式スピーチで有名になりました。


愚かであれという意味はなんとなくわかるのですが、
僕はこのハングリー精神というのがいまいち理解できません。


何かに飢えるほどの精神といっても、
今の日本で食べ物に飢えるということはそうありません。
こんな製品が欲しいという飢えはジョブスにはあったかもしれませんが、
僕は今ある製品群でも結構満足していて、
自ら新しく作り出すほどの飢えも感じません。
お金が欲しいかというと、
やはりそこまで自分の利益のみにハングリーにはなれない。
食料も物もない戦後ならいざしらず、飢えという感覚がピンと来ない。



これ、日本語に訳するなら Hungry ではなく、Greed なんじゃないでしょうか?
つまり、
あなたの「本当の望み」に「貪欲」であれ。
あなたの求めるものが向こう岸にあるなら、
石橋を叩きすぎて渡るような賢い大人にはなるな。
目を輝かせた愚かな子供のように、まずは今すぐ橋を渡れ。


他人や失敗をグダグダ気にしないで、ハングリーに、愚かに、というと、
むしろ動物的な感じなんですよね。
動物に一番近いのが子供の成長力なのか、
林檎をかじる前の、アダムとイブならそう思い悩む知識も、
失敗する恥ずかしさも無かったでしょうか?


完璧主義の人は、配られたカードで戦うことを意識しよう | nanapi [ナナピ]
http://nanapi.jp/1419/


ルーシ
「時々,あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ…」



スヌーピー
「配られたカードで勝負するっきゃないのさ。」


「それがどういう意味であれ。」

「より速く適切に学べる人」:その理由 ≪ WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム


賢さ(良い結果)をほめられた生徒たちは、ほぼ全員が、
自分よりテストの出来が悪かった生徒と自分を比較することで、
自尊心を強化するほうを選んだ。
これに対し、努力(行動した過程)をほめられた生徒たちは、
自分より成績のよかったテストを見るほうを選ぶ確率が高かった。
彼らは失敗を理解し、失敗から学び、よりよい方法を編み出したいと思ったのだ。


最後に、最初のテストと同様の難易度であるテストが行われた。
努力をほめられた生徒たちは、
テスト結果が有意に上昇し、平均スコアが30%伸びた。
彼らは、たとえ最初は失敗しても挑戦することを望んだので、
より高い成績を得たのだ。
この結果をさらに際立たせるのが、
最初にランダムに「賢い」グループとされた生徒たちのスコアだ。
こちらは前回から20%近くも低下した。
失敗の経験でやる気をくじかれた「賢い」生徒たちは、
実際に退歩してしまったのだ。



「試してみたら失敗した。それがどうしたというのだ。
 もう一度試せ。もう一度失敗し、よりよく失敗するのだ」


学生の頃を思うと、
なんであんな小さな世界で小さな失敗を怖がってたのかと後悔します。

今、社会人として失敗を怖がってることも、
年取って死ぬ間際になんで社会人の時、
人生として失敗を怖がって何もしなかったのかと後悔するでしょうか?


ちょっとゾッとしますね。
この失敗という奴を別の視点で見れないでしょうか?

失敗の快感


過去にそんなことを語った人がいました。
明石家さんまです。


糸井重里と、「睡眠」をテーマにした話なのですが
僕には睡眠から少し離れたところに見えてくる
「失敗学」の方がとても興味ありました。


残念ながらコンテンツは消えてるのですが、
web魚拓に残ってるのでそちらから引用します。

さんま
見てしまいますねぇ。
『アニマル・プラネット』さえ
見なければ寝れたのに、とか。


糸井
はいはいはい(笑)。


さんま
でね、動物ものって、
見て、損すること多いじゃないですか。


糸井
ああ、はいはい(笑)。
象とかは、わりとつまんないですよね。


さんま
そう。象とか。クワー(笑)。


一同 (笑)


糸井
象、期待はずれですよね、毎度ね(笑)。


さんま
もう、なんでしょう、ありがちなのが、
「そんなん、知ってるわ!」っていう。


糸井
ははははははは。


さんま
多々ある。


糸井
あるある(笑)。


さんま
見終わってから、
「これ、見たことあるわ!」とか。


糸井
あああるある(笑)。



さんま
それでいうと、
私の場合は、サッカーですね。
スペインリーグとかね、
あれを見だすと、寝れない。


糸井
ぼくはサッカーはあまり知らないんですが、
やっぱり、ハズレの試合も、多々。


さんま
もう、ハズレのほうが多いですよ。
そんなにすごい試合には滅多に出会えない。
ただ、やっぱり1年に2回ぐらいある、
すごい場面に出会うために見るんですね。



糸井
つまり、さんまさんが
望んでやってることのほとんどは、
ハズレくじをつかんでるという
時間なんじゃないですかね。


さんま
ああ、はい、はい。


糸井
動物もののドキュメンタリーを見るのも、
スペインのサッカーを見るのも、
手でこう、くじをつかんで、ハズレを引いて、
何回も何回もハズレを引いて、
やっと当たりを見つけたい、みたいなことで。


さんま
そうそうそうそう。
だからね、宝探しとか好きなんですよ。
オパール探しとか、砂金とか、
すっごい好きですね。
あの、ハズレをつかむ快感というか‥‥。


糸井
うん、うん。


さんま
はい。いやもう、絶対ぼく、そうですね。
あの、そこを楽しみたいと思って生きてる。


糸井
はい、はい。


さんま
だから、ダメなのに追い続ける。
さっき出てきた
ロードランナー』じゃないですけどね、
あれに出てくるコヨーテの生き様に
心打たれたりするのは、そこなんでしょうね。
追いかけて行って、ダメなときのほうが、
やっぱり、楽しいですね。


糸井
ハズレのほうこそ愛おしい、みたいな。


さんま
はい。あの、だから、
ギャンブルなんかでも、調子いいときは
もう勝手に(勝ちが)来るんで、
おもしろくないんですよ。


糸井
ああ、はい。


さんま
ダメなときにどう打つか、っていうほうが、
やっぱり楽しいですね。


糸井
なるほどね。


さんま
「負けたわ、今日は」って言いながらね、
「‥‥でもほんとうは、
 もっと(負け分が)行ってたな」って
思うときのほうが、勝った感があるんですよ。


糸井
あと、負けたんだけども、
拍手を送りたくなるような手で負けて、
「おまえ、それをやったの?」っていう
ときなんかはうれしいですよね。


さんま
それはありますね。
「あ、こうやったか」っていうね。


糸井
そうなんですよねぇ。


さんま
だから、競馬なんかでも、
昔の騎手の福永(洋一)さんなんかがね、
人気のない、ダメな馬を、
バーンっと行かすのがすっごい好きでしたね。


外れた物を楽しむというのは面白そうですね。
僕は、デスクリムゾンという
当時どうしようもないグラフィックと設定のゲームをあえて買って
ゲーム仲間と「こんなにダメなの?wwww」と、
ゲームの展開の全てにツッコミを入れながら大爆笑で攻略した思い出があります。
B級バカ映画をあえて味わう心意気でしょうか?
こうなると、もう効率や数字ではなく
ただただ過程を楽しむ行為となってますね。


本来は、ゲーム的にしっかり作られた面白いゲームや、
名作で感動する映画を観たほうがいいのでしょうが、
今回の話では、「いかにハズレを引いても楽しむ事ができるか?」
という開き直った視点こそ人生を豊かにするかもしれません。



明石家さんまの話をもう少し追っていきます。

さんま
あのね、ロシアの哲学者かなんかがね、
「夢と現実を入れ替えろ」
って言ってるんですよ。
そうすれば人生楽になるっていう。


糸井
あああ。


さんま
それはね、かなり、共感しますね。


糸井
夢を現実の自分に置き換える。


さんま
置き換えるだけで楽になるんですよ。
だから、ポジティブな人って、
いつも頭の中ではいいこと考えてて、
現実にイヤなことがあったって、
あの、べつにいいんですよ。
いいことばっかり考えて、
それを現実に置き換えたら、
すごい幸せな人生になれるという。


糸井
それはもう、宗教ですね。


さんま
ああ、そうかもしれませんね。
これはでもね、簡単ですし、
みんなすべきですね。


なるほど、「置き換える」。
最初に肯定語、否定語の区別はないようなこと書きましたけど、
中身の事実がどうあれ、それをどう捉えるかである外側のパッケージは
虚と実をひっくり返しても事実は変わらないから、
どうせ万事塞翁が馬な世の中ならば
夢のあるほうにフォーカスしたほうが楽しいということですね。


さんま
昔ね、うちの師匠(笑福亭松之助
から言われて、
これは助かったなということがありまして。


糸井
はい。


さんま
我々の弟子稼業というのは、
掃除をさせられるじゃないですか。
で、掃除をしていると師匠が、
「それ、楽しいか」って言うんです。
「いいえ」って答えると「そやろ」って。
「そういうのが楽しいわけがない」
と、
おっしゃるんですね。


糸井
うん、うん。


さんま
そのときに、師匠に、
「掃除はどうしたら楽しいか考えろ」
って言われたんですけど、そこでしたねぇ。
あの、掃除なんて、
楽しくなるわけがないんですよ。ところが、
「楽しくなることを考えてることは楽しい」。

っていうところにね、
18歳のときに気づかせていただいたのが
非常に助かりましたね。


糸井
あーーー、それは、
いい師匠を得ましたねぇ。


さんま
ええ、ええ。
これは、やっぱりものすごい助かりましたね。
とくに我々はお笑いやりたいから、
そこはスッと一所懸命できたんです。
けど、たぶん、そうじゃないふつうの人は、
「掃除は楽しくない」
というところでやめてしまう人が
多いんじゃないかと思うんですけど、
楽しくないものをどうすれば楽しいか、
ということを考えていくと楽しいんです。


糸井
それを考えてるときは、
もう、楽しいんですよね。


さんま
はい。それやらない人、多いんですよ。
いまの若手とかにもね。


糸井
「楽しくなることを考えていることは楽しい」
それは、ハズレくじを引くどころか、
ハズレくじを引いて、
それをどう笑うかを考えてるわけですよね。


さんま
そうそうそう。
そこにたどり着くことが、
さっきの夢と現実の話じゃないけど、
「入れ換える」ことなんですよ。

これですね。
「仕事」なんて楽しいわけない。
気の遠くなるような「練習」や「準備」も楽しいわけない。
でも、「つらさ」と、「楽しさ」はどこかで表裏一体。
仕事や練習の内容がどんなB級映画だろうが、
どんな高難度ムリゲー設定で失敗ばかりだろうが、
「それを客観的にどう楽しむか?」というのは自由なんですよね。


極端に言えば、年老いて病気に侵されて体が動けなくなっても、
死ぬ間際まで家族や、付き添ってくれた看護婦さんでもいいから、
なんという言葉を残すか?
と必至で考えるのも、、、まあそのゲームは詰んでるとしても
最後にどう負けるか?
どう楽しむか?
という、客観性に変わるのでしょう。


つまり現実や結果がどうあれ、
「自分のひどい状況こそ笑顔で笑う。」
という心構えこそ、行動へつながるのではないでしょうか。



最悪の悲劇は最高の喜劇である。 | MUG草紙
http://mugzousi.jugem.jp/?eid=62


皆さんはご存じか?
悲劇と喜劇は将棋の駒の表裏。
悲劇は裏を返せば喜劇となる、ということを。


自分の不幸は笑えないだろう。
絶望の底で呆然と立ち尽くすこともあるだろう。
しかし、他人のこととなるとどうだろうか?
「人の不幸は蜜の味」。
どんな悲惨な出来事であっても、心の奥底では興味津々、ワクワクしたり、
余興のように楽しんでいるということはないだろうか?


ただ、私は知っている。
悲しい出来事が自分に降りかかってきた時であっても、
その悲しみが限度を超えた場合はどうなるのかを。


泣いてなんかいられない。笑うのだ。
悲劇が一転して喜劇になる。
もう自分の全てが笑けてしゃあないのだ。
生きていることも、何もかも。


人生は喜劇である。
みんな滑稽な人生を送っているのだ。
ただその面白さに気づいていない人も多いのではないか、と推測する。
そして一番面白いのは、やっぱり自分自身の人生だろう。
なんせリアルに、一分一秒を「体感」しているのだから。
不器用で、空回りしまくって、人に面倒くさがられる人生かもしらん。
けど落ち込むこともないし、悲観することもない。
だって、そうじゃないと人生面白くならないもの。


最後は仏教の話に戻ります。

冷静に考えると、自分の本当の望みを「やらない」という選択肢はない。

仏教的なあれこれ - まめ速
http://mamesoku.com/archives/3090665.html


楽な姿勢をとって、今の一秒を意識して欲しい
ほとんどの悩みは過去と未来を一瞬に詰め込んで、
爆発しそうになる苦しみだから

昔の失敗を思い出しても、もうどうにもしようがない
この先が不安でも、今現在君を責める人はいない
それを意識して欲しい



いらっときたらそれに「気付こう」。観察しよう
それが我に返った瞬間。ひと息入れよう

我に返れるんだから大丈夫
瞑想はある程度コレの延長だと思ってる
横になったり、楽に座って、呼吸に意識を持ってくる
何か考えが浮かんだら、深呼吸して忘れる
だいたいさっきまで気にしてなかったようなことだもの
普段は他に何かやって忘れてるだけで、気にしなくていいことなんだから
繰り返せば、我に返る、気付きが入る瞬間が日常にも増えてくる



煩悩は苦しみの過程
何かを得ようとする→途方もなく得ようとする→失敗する
これは何かを退けようとするのも一緒
できもしない行動に移って、いつも失敗する
だから、無茶な計画や結果を考えるのはやめよう
そもそもそういう「○○がしたい」っていうのは
自分の意思で考えてるわけじゃない
勝手に考えさせられてるんだ

パソコン見ながらメシ食わなくたって、携帯いじってなくても死ぬわけじゃない
でもそういうことに起因してみんな怒って苦しんでる


冷静に考えれば無理だってわかるじゃない
現実を見れば、今やらなきゃいけないことはわかる
今の瞬間やるべきことは、計画が立てられる


ひと息入れるぐらいの、本当に冷静に考える時間を日常にいれたら
自分が本当は何をやるべきか、
どういう反射的な習慣で時間が潰れてるかもハッキリします。



このとき特別
「これからネットや、TVや、ゲームや、マンガ読むの禁止しよう!!」
なんて思わなくても大丈夫です。
そういう我慢は反語として逆に意識に登ってきますから逆効果。


そうじゃなくて、自分の人生まで冷静に考えるとき、
本当の望みを「やらないまま死ぬ」という選択肢はでてこないわけで。
俺は本当にこれがやりたいのか?
という問いかけも出てくる。


だから別にネットしてもいいし、TVみてもいいし、ゲームしてもいいし、
マンガ見てもいいし、本当にやりたかったことを
ちょっとづつ始めてもいいわけです。


もちろんいきなり会社辞めるとか非現実的ぽいことからじゃなくて、
日々気づいたときに、一息挟むことで習慣を振り返り、
少しづつ難度が高くも楽しくなることを増やす。
できることからちょっとづつ膨らまし、今を生きる。



慣れるまでは、明石家さんま言葉をときどき読み返すのもいいかもしれません。
Web魚拓のまとめリンクです。


ほぼ日「さんまシステム」の魚拓まとめ - ウォンビン ビール瓶。
http://d.hatena.ne.jp/teppeis/20090107/1231342772


まとめ


「つらさ」と「楽しさ」は表裏一体。
人生がつらい悲劇で無理ゲーなほど、
結果はどうあれ攻略する楽しさを見いだせる。
客観的に見た喜劇の主人公の、
この舞台から決して逃げられない自分なんてもう笑うしかないのだから。


ふと気づいたら、少しお腹で呼吸して冷静に人生を考えてみよう。


そしてどうすれば自分が笑えるぐらい豪快に失敗するか?
と、逆に考えるのが、「未来」も「過去」も「他人」も気にせずに
何者にもなれなかった僕達の、「今の楽しい」を探しだす生存戦略である。



自分で自分を笑えたらもう、他人に笑われるのは気にならないですよ。
失敗の反語も表裏一体でついてきますから、
むしろ失敗を狙うぐらいが一番楽しめるでしょう。




そういえばこの方もとんでもない状況なのに笑ってましたね。
こういう時の笑顔はほんと救われます。




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