teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

日本でひ弱な少年少女主人公が受け入れられる理由を考える

4Gamer.net ― [CEDEC 2012]
“Too Japanese”だから受け入れられた「GRAVITY DAZE」の制作手法。
プロデュースとシナリオから見る海外で評価される考え方
http://www.4gamer.net/games/134/G013499/20120821052/



上の記事が面白かったです。
「日本と海外のプレイヤーで,評価している点がほとんど変わらない」など
今後のコンテンツ制作で「日本的お約束の排除」
どんどん重要になってきそうですね。
ちなみに「GRAVITY DAZE」というのはPSVitaで発売されてるゲームです。


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海外でよく批判されるのが例えば
FF13」のホープやヴァニラみたいな子供っぽいキャラが
世界を救う危険な旅をしてることでしょうか。
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4Gamer.net ― [CEDEC 2012]
“Too Japanese”だから受け入れられた「GRAVITY DAZE」の制作手法。
プロデュースとシナリオから見る海外で評価される考え方
http://www.4gamer.net/games/134/G013499/20120821052/


制作中も,プロジェクトメンバーのフランス人から「なぜ日本のゲームの主人公は少年少女ばかりなのか?」という疑問を提示されたという。彼は日本のゲームを愛し,日本文化にも理解があるそうだが,それでもこうした質問が出るのだから,感性の違いは大きいといえるだろう。


そもそも,日本と海外では主人公像に大きな開きがある。日本では少年少女が,海外ではタフな大人が,それぞれ好まれるというのはゲーム好きならなんとなく想像が付くだろう。この差を「国民性の違いだ」と考えていた佐藤氏だが,先のような疑問を投げかけられたことをきっかけにあらためて考え直してみたところ,「日本人は若さや幼さを神聖視するが,海外はそれを経験不足で死にやすいと判断する」という結論に達したと話す。


この、
「日本人は若さや幼さを神聖視するが,
海外はそれを経験不足で死にやすいと判断する」

と省略されたところを改めて考えてみたいと思います。

1,日本は暗くなって子供が一人歩いても安全な国である


ほんとに安全かどうかはともかく、そういうイメージで
諸外国と比べると圧倒的に治安が良い。
そうすると、戦争ばかりやってる国や犯罪大国などからみれば
日本そのものがファンタジーかもしれない。


夜中にコンビニへ子供一人で買い物するような感覚で
世界を救う冒険に子供が混じっててもいいじゃないかと。


諸外国では非常識でリアリティがなくても、
安全な日本だからこそ、童話、おとぎ話の延長の
「子供が死なないファンタジー」が
日本治安の延長として受け入れられるリアリティかもしれない。

2,宮崎駿、富野由悠季の存在


日本一のおもちゃメーカーであるバンダイの主力商品が
「ガンダムシリーズ」ですが、これは「少年兵」が主人公です。
元々子供向けロボットを売るためのアニメだったはずが
富野由悠季は大人に見てもらえるほど
高いクオリティのアニメを作ってしまいました。
しかも、ガンダムシリーズに収まらず以後も
少年少女が戦争や漂流に巻き込まれるアニメを作り続けます。


「ガンダム」の前の社会現象アニメが
大人乗組員の「ヤマト」だったことを考えると、
ガンダム以降からエヴァに至る過程が少年化、、、
、かどうかはアニメに詳しい人に任せますが
現代に続く強い影響力を与えた一つには違いないでしょう。


宮崎駿は言わずもがな、
日本映画の興行記録を次々塗り替えるアニメ映画監督。
その作品の多くは「たくましい少女」が主役やヒロインだったりします。
明らかに子供向けに映画を作っていそうなんですが、
これも大人が見て充分面白い映画なのが凄い。


この二人が作った大人も楽しめる少年少女アニメで育った僕らには、
子供が戦争に行こうが、世界を救おうが、
そんな違和感感じないのかもしれませんね。


3,少年ジャンプなどのマンガ文化


これも元々子供向けの漫画雑誌なんですが、
ハリウッドなどの映画を夢見た人が
どうしても日本映画では実現不可能で漫画という表現を選ぶこともある。
日本映画が最盛期から衰えるほど物語を作る才能は
TV、CM、アニメ、ゲーム、漫画界などへ流れる。
少年誌なのに大人が見ても面白いマンガ文化の発達が、
子供目線の子供主人公が世界を救う世界観をたくさん作ってきたと思う。



しかし、アメコミのスーパーヒーロー達は基本「大人」である。
子供目線の子供主人公が成長する物語とはちょっと違う。
子供が見るアメコミにはなぜ日本漫画のような
子供のスーパーヒーローがいないのか?

(いないわけではないだろうが)

4,大人の世界に夢がある国と無い国


これは偏見なんだろうけど、
アメリカは大人になって金を稼げるようになってから
アメリカンドリームの本番という気がする。
子供たちは学校で飼われてるよりも、
自立して自分の意見を主張し夢をつかむことに憧れる。
大人になって初めて自由と夢の第一歩を手に入れる。


日本は子供の時のほうが自由や夢があると思う。
大人になるとサラリーマンか公務員。
起業する人はアメリカ人ほど多くなく、
どんな天才もチームの一員としての結果であって
スーパーヒーローとして賞賛をあびることは少ない。
当然子供達にも集団の中のスーパーサラリーマンヒーローは見えない。



早く社会に出て自分なりの仕事をしたいと思う高校生よりは
あと4年間大学で遊んでたいと思う高校生のほうが
圧倒的に多いのではないだろうか。


大学にいくのも、何かを専門に研究し学びたいというより
官僚や大企業への就職が目的になってないだろうか。
もちろんそれらも立派な目的だ。
ただこれでは子供の憧れるスーパーヒーローが見えなくなる。


こういった「大人」に対するあこがれの姿勢の違い。
子供達が「大人」になりたがってないこと。
大人が「子供」の頃の夢を思い浮かべ、「子供達」に夢を託すこと。



そういういろんな事を考えて、
「日本人は若さや幼さを神聖視するが,
海外はそれを経験不足で死にやすいと判断する」

という言葉にまとめたのではないかと思う。




では、日本で非力な少年少女が成長する物語が多くの共感を呼ぶなら、
リアリティを持って「大人の夢」を語れない日本人に
諸外国に受ける「大人」のコンテンツを作るのは難しいだろうか?

自分達の延長線の先に何があるのか


アメリカでFPSが人気なのは
戦争で勝ち、軍備力が圧倒的だからというのは一理あるだろう。
HALO」で未来の惑星開拓をしても
それはアメリカ延長線上のリアリティに捉えられる。


逆に日本は戦争の話を本気でしてもそれは敗戦の話である。
戦後はGHQ統治下で軍備関連の産業も随分解体された。
日本が本気でFPSを作ろうとしてもこれではリアリティを感じられない。
間違って大ヒットしてから左翼団体に圧力かけられるのもごめんだ。


しかしそれを逆手にとったのは、
日本発の世界的大ヒットゲーム「メタルギアソリッド」。
テーマが「反核」の「ステルスゲーム」だった。


「ステルスゲーム」が日本古来の「忍者」に通じるかどうかは置いといて
(そういや「天誅」も海外で大ヒットだった)
こういった日本人に受け入れられるテーマの延長なら、
決して海外に劣るわけではないと思う。


出せば1000万本売れるクライムアクションの
グランド・セフト・オート」シリーズを
仮に東京で銃を突きつけて車奪うようなゲームにしてもちょっとリアリティが無い。
でも、「ヤクザ」をテーマにした「龍が如く」なら日本人にもリアリティを感じる。
ちなみに「ヤンキー物」も意外と手堅いらしい。


敗戦となった「戦争」物の大ヒットはない日本だが、
「戦国」物はいろんなところで大ヒットしている。
信長や秀吉が勝ったコンテンツはリアリティをもって受け入れられる。


日本人には戦争をテーマにしたFPSを作る動機が薄いし、
クライムアクションもリアリティに欠けるだろう。
しかし、「GRAVITY DAZE」や「メタルギアソリッド」は作れるし、
バイオハザード」も「ストリートファイター」も「ゼルダ」も作れる。
自分達の得意なこと、情熱を持って取り組めるテーマの中で、
「日本的お約束」をうまく世界へ受け入れられる形へ昇華できるかどうかが
今後のコンテンツ作りの注目するところとだと感じた次第です。



でも正直なところ、記事にある細かい仕草やお約束も
日本人の僕からするとそんな違和感ないことだったりするので
外国人スタッフや、海外の友人などにテストプレイしてもらわないと
気づかないですよねヽ(´ー`)ノ




続きます。
アメリカで少年少女バトル物が受け入れられない理由を考える - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20120825/1345887787




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