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「ブラック・ジャック創作秘話」感想

ブラック・ジャック創作秘話〜手筭治虫の仕事場から〜 (少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)


2012年このマンガがすごい1位の、
ブラック・ジャック創作秘話」という漫画を読みました。
後の有名漫画家となる当時のアシスタント達や、
秋田書店編集部、手塚プロダクションスタッフなど
その場にいた人たちのインタビューからなる手塚像が非常に面白いです。


その中でも、手塚治虫永井豪の考え方の違いが印象に残ったのでメモ。

ウソ虫、遅虫(おそむし)と呼ばれた手塚治虫


編集部視点から語られる伝説的な逸話は、
やっぱり絶対間に合わないスケジュールから、
ギリギリのラインを超えてもなお描き直すような
周りへの振り回されっぷりですね。
そりゃ柱に穴も開けますよw


当時のマネージャー談で、


「忙しくても仕事を断るな。
1本でも10本でも同じ。
いつでも僕は締め切りギリギリなんです。」


その上、納得いかなければ描き直すんだからそりゃ遅れる。


まあ、締め切りが人間の限界を決めるとしたら
その考え方が超人的な多作につながってるのでしょうが、
体壊すどころの話じゃないなあ(^_^;)

見張り番がつかない永井豪


アメリカのコミックコンベンションへ仲間たちといったとき、
出発前の手塚治虫は、
「もちろん前倒しであげていきますよ。」と言ってたらしいんですね。


で、やっぱり上がらなかったのでアメリカから原稿空輸するとか、
国際電話で漫画書くとかむちゃくちゃな話になるんですが、
このとき同行していた永井豪も、4本の連載かかえてたが
それを全部終わらせて来たというんですね。


編集者からも「手塚番」(見張り番)、「赤塚番」はあったけど
「永井番」はなかった。
「豪ちゃんに締め切りで苦労させられたことは一度もなかったな。」
などと評されてます。

永井豪が語る締め切りを守れる理由


「アシスタント時代のトラウマ。石ノ森先生のアシスタント時代に
後ろで待ってる13人の編集の目線が怖かった。」


「デビューがページの少ないギャグ漫画だった。
ギャグ漫画から始まったおかげで僕は締め切りを守れるようになった気がします。」


「ギャグ漫画って次のコマがどうなるかわからないところが面白いじゃないですか。
だから僕は描きながら考えるタイプになって、
自分もワクワクドキドキしながら一気に原稿を完成させるんです。


描き終えておもしろくなかったらもう1本初めから描いた方がいい。
実際あんまり気に入らない作品ができて時間までに
もう1本完成させたこともありましたよ。



もしかして、ギャグ漫画だからこそ面白い面白くないの判断を
ある程度読者に委ねられたのかもしれませんね。

アニメの手塚治虫


これは一度虫プロが倒産して、復帰した数年後の話ですが
アニメでも24時間TV用長編アニメを放映直前まで作ってたとか、
放映後にビデオ化も再放送の予定もないのに3ヶ月かけて作りなおしたとか、
やはりてんてこまいなエピソードが描いてあります。


手塚治虫の仕事を断らないかつ、クオリティ重視の考え方だと、
漫画だけでもまずいのに、アニメとか超やばいんじゃないでしょうか?
120コマの漫画と、30分2000枚のアニメという単位でも違うのに、
これに手塚のこだわりが入るとさらに問題も大きくなりそうです。

手塚がアニメーターの給料を下げたのか?


というのはネットでよく聞く話ですね。


「アニメの制作費が安いのは手塚治虫のせい」というのは本当か
- 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20070110/teduka

ASCII.jp:アニメ業界は手塚治虫から何を学べるか?
|まつもとあつしの「メディア維新を行く」
http://ascii.jp/elem/000/000/635/635537/


津堅 「はい。いずれにしても、手塚先生が安く請け負って、
それがきっかけになったというのは、
あまりにも話の飛躍があり過ぎると思います。
そんなに大きなことは、手塚先生はやっていないとも言えますね」


「むしろ虫プロに続いた制作会社、東映動画などが、
既存のテレビ会社と映画会社との関係を活かすことができなかった。
動かしていくべき時期に、それができなかったというか、
やらなかったということだと思うんですね、業界全体が」


こちらだと、アトムの版権収入は成功で充分な給与があったみたいだけど、
著作権ヒット有りきの話で、TV局からの安い制作料だけでは食っていけなかったと。
ヒットが途切れると給料の支払いもやばかったのかもしれません。
漫画家がアシスタントかかえると原稿料では食っていけないのと同じですね。


著作権ごと売り渡せば少し安定はするんでしょうが、
それだと儲けるのは難しそうですね。
というか今はそういうリスク分散の製作委員会方式が主流でしたっけ。
こうなるとハイリスク・ハイリターンを、
どうローリスク・ローリターンにもっていくかなのでなかなか難しい問題です。

アニメは内製でやるべきか、外注でやるべきか

虫プロダクション - Wikipedia


手塚自身もアニメーターであったため、
「アニメーターにあらずんば人にあらず」という
アニメーター尊重の社風であったことを在籍した
豊田有恒富野由悠季らが証言している。


虫プロは、基本的に作品の著作権をテレビ局に売り渡さなかった。
もちろん、そのような形態の作品は当時から存在はしたが、
虫プロダクションの場合、マーチャンダイジング収入なしでは
制作費の回収が事実上不可能なビジネスモデルであったため、
戦略的に著作権を売り渡さない契約を行った。


鉄腕アトム」後、旧虫プロ主宰者の手塚は、
当たりはずれの大きいマーチャンダイジング収入には
なるべく頼らない作品作りを目指そうと考えた。
しかしそのような方式のアニメ制作は定着せず、

鉄腕アトム」式のビジネスモデルが旧虫プロ以後の時代も引き継がれた。



虫プロは、東映動画など従来のアニメーション制作スタジオと同様に、
企画・脚本・キャラクター設定から動画や彩色、録音などの
すべての工程を社内で行う内制システムをとっていた。
この方式によって、作品を早く仕上げ、品質を保つことができた。


その後、他プロダクションが相次いでテレビアニメを制作するようになると、
注文の奪い合いになった。しかし、受注が減ってくるようになっても、
全スタッフには基本給を支給しなければならない。
最終的には受注減が根本的な理由になって、旧虫プロは倒産した。


この後、同様の内制システムをとっていた東映動画でも労働争議が起き、
最終的に東映動画でも内制システムを破棄、動画・彩色は
さらに下請けのプロダクションに出来高払いで発注するようになった。


虫プロが当初は独走してたと思ったら
これ見ると、63年の初アニメアトム、銀河少年隊以外に4本も他社が入ってるので、
初年度から競争状態だったんですね。
しかし、2011年の作品数がこれなら、
劇場版あわせてどれだけアニメに人関わってるんだと。

サンライズ (アニメ制作会社) - Wikipedia


1972年、経営難に陥った虫プロダクションから独立した
営業・制作畑のスタッフが中心となって、

有限会社サンライズスタジオという名で創業。


設立の1972年は、彼らのルーツともいえる虫プロ
その子会社の経営難や労働争議が表面化しつつあった頃で、
果たして虫プロは1973年11月に経営破綻に追い込まれた。
これはクリエーターである手塚治虫によって作られた企業
という成り立ちがゆえに、
「アニメーターにあらずんば人にあらず」と言われる程に
アニメーター偏重の作品作りが最優先される企業風土となり、
合理的で適切な企業運営ができなかったことが主な要因となったものであった。


創業メンバーは、
虫プロが倒産直前の末期的様相を呈する前に独立した面々ではあるものの、
虫プロの内情と体質的な問題を組織内部から見て知る人物達で、
この虫プロの企業体質はサンライズスタジオの経営における大きな教訓となり、
現在まで受け継がれている。


すなわち、サンライズにおける
「クリエーターが経営陣に入ってはいけない」
という経営ポリシーの確立である。
そのため、創業以来、自社スタジオは構える一方で、
制作進行管理業務以外の実制作作業は外注スタッフがほぼ全てを担っており、
既に約40年の歴史を持つ企業ながら
同社一筋のプロパー正社員として監督を務めた人物もいない。


これはアニメ制作に必要なスタッフや専門職の大半を
自社で正規雇用として抱え続けたために
昇給・人件費増加・社内ポストなどの問題が解決できずに
労働争議に至って破綻した虫プロの反省でもあり、

その様な意味において言えば、サンライズでヒット作を手掛けて
その名を知られる富野由悠季高橋良輔などの監督や
塩山紀生安彦良和木村貴宏などの著名アニメーターも
外注スタッフに過ぎず、クリエイターは携わっても
作品単位での企画・制作までにとどまっている。


外注スタッフに頼るのは逆に、
社内には現場のノウハウがたまらず、
制作のコミュニケーションロスも大きく
必要なときに優秀な監督や原画マンを集めきれない
という問題もあるんですよね。



ジブリはほぼ内製ですが宮崎駿がいなかったら、
給料払えるかどうか疑問です。
でも同じ内製のピクサーなどはジョン・ラセター以外の監督でも
きちんと大ヒットしていて、
現在の京アニなんかもほぼ内製で1人の監督に頼らないヒットを
連発するようになって、
演出を含めた技術の伝達教育がうまくいってると思います。
京アニ虫プロ出身者が立ちあげて最初は仕上げの担当だったのに、
ここに来て内製へ舵を切ってるのは面白いですね。


IT技術や流通の発達によって、
今は農家なども6次産業(1次産業x2次産業x3次産業=6)という、
生産から販売までの一括内製方式が注目をあつめてますが
今ある条件で、どう教育システムをつくり上げ
宮崎駿などの属人的に頼ることしかなかったセンスを、
どう(数値化し)伝達していくか、
そこさえクリアできたらまた内製が常識になるかもしれません。

手塚治虫は後継者たちに何を教えたのか?


反面教師として学ぶことは上に上げたようなバランス感覚の逸脱ですが、
手塚プロダクションからは、漫画にせよ、アニメーターにせよ、
製作のサンライズにせよ、多数の後継者が育っています。

手塚治虫 - Wikipedia


アシスタント(抜粋)


笹川ひろし 竜の子プロダクションの創業メンバーの一人、アニメ演出家。
三浦みつる『The・かぼちゃワイン
寺沢武一コブラ』『ゴクウ』
小谷憲一『ホールドアップ☆キッズ』『DESIRE』
石坂啓『キスより簡単』
高見まこいとしのエリー
わたべ淳レモンエンジェル
藤子不二雄A『忍者ハットリくん』『怪物くん』『笑ゥせぇるすまん
石森章太郎サイボーグ009』『仮面ライダー』『人造人間キカイダー
横山光輝鉄人28号』『伊賀の影丸』『魔法使いサリー』『バビル2世
松本零士男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999


アニメーションスタッフ(抜粋)


杉井儀三郎『タッチ』『銀河鉄道の夜』『あらしのよるに』監督
川尻善昭『妖獣都市』『獣兵衛忍風帖』『アニマトリックスProgram」』
出崎統あしたのジョー』『エースをねらえ!』『ガンバの冒険』監督、演出
林重行りんたろう)『銀河鉄道999』『幻魔大戦』『メトロポリス』監督
西崎義展 『宇宙戦艦ヤマト』の企画・原案・プロデュース
富野由悠季海のトリトン』『機動戦士ガンダム』『伝説巨神イデオン』監督
安彦良和機動戦士ガンダム』キャラクターデザイン
高橋良輔装甲騎兵ボトムズ』『太陽の牙ダグラム』『ガサラキ』原案・監督


虫プロ出身のアニメ制作会社


オフィス・アカデミー…西崎義展・芦田豊雄(一時期)・安彦良和(一時期)・槻間八郎・豊田有恒・野崎欣宏・山本暎一
サンライズ (営業系の人材が主体となり独立)…鈴木良武(一時期)・富野由悠季安彦良和・岸本吉功・星山博之
マッドハウス (制作系の人材が主体となり独立)…りんたろう川尻善昭
グループ・タック(音響系の人材が主体となり独立)…田代敦巳等
ナック…西野聖市・小柳朔郎・月岡貞夫
アートフレッシュ …鈴木良武・杉井ギサブロー出崎統・吉川総司等
京アニメーションフィルム (動画撮影系の人材が主体となり独立)…清水達正等
シャフト…若尾博司
スタジオ・ライブ芦田豊雄
ぎゃろっぷ…若菜章夫
京都アニメーション…在籍経験がある八田陽子が設立
アナザープッシュピン・プランニング…在籍経験がある野村和史が設立
グルーパープロダクション…波多野恒正・波多正美
イマジン…在籍経験がある酒井明雄が設立
ぴえろ…布川ゆうじ


手塚治虫は彼らをどう教育したかというと、
漫画内の三浦みつるは、


「いや直接の指導はありませんよ 先生はとにかくご多忙でしたから」と。


あれだけ、1年中締め切りに追われてたらそれも当然でしょう。


「しかし徹夜も当たり前なスケジュールもむしろ嬉しかった。
振り返るとそこに手塚治虫がいたから。」



元マネージャー松谷孝征は、
「子供は父の背を見て育つじゃないけど
手塚先生のガムシャラなその背中を見て
力ある若者たちはなにか感じとっていったとはいえるかもしれません。」


たぶん異常なまでの作品に対する情熱と真摯さ。
その手塚治虫を「ものづくりの基準」として何年も接してきたスタッフだから、
必然的に求めるレベルを高いところへ引き寄せられたのかもしません。


そしてこの漫画からも伝わる手塚治虫の熱量が、
2012年のこのマンガがすごい!第一位というのもわかる気がします。
ものづくり、あるいは製作の立場でも、
その手塚治虫の情熱に触れるためおすすめできる漫画です。


ブラック・ジャック創作秘話〜手筭治虫の仕事場から〜 (少年チャンピオン・コミックス・エクストラ)