日本人組織の根本的エラー「事なかれ主義」をどう解決するか?

この本には、異常な地方が描かれているのではない。 - Freezing Point
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20121104


むしろ、私たちの日常が曝露されている。

あのとき、大川小学校で何が起きたのか

目の前の山に逃げれば、亡くなった子どもたち74人が全員助かっていたのに、
地震発生から50分間も校庭に待機させた。
「山に逃げよう」と声をあげた子どもたちもいたのに、
わざわざ連れ戻してまで校庭にいさせた。
その事実を市長や教育関係者が徹底的に揉み消し、
時間のつじつまをごまかし、聞き取りのメモを捨て、
「頑張って逃げようとしていたが、間に合わなかった」 ことにした。


とても考えさせられる話。
これ、山に逃げて失敗した時も何か言われたでしょうね。

大川小児童の遺族が立ち上がってから4ヵ月 明らかになった真実、隠され続ける真相とは|大津波の惨事「大川小学校」〜揺らぐ“真実”〜|ダイヤモンド・オンライン
http://diamond.jp/articles/-/27043?page=5


一方、遺族側は、2012年10月28日に7回目の保護者説明会で、
独自の調査による避難に関する検証を示し、
“極端な事なかれ主義”が蔓延し、影響したと考察した。

<何事もない日々であればさほど問題ではありませんが、
今回のような事態では大問題です。
あの日、「責任とれるのか」といういつもの判断基準が、
(教諭たちの間で)どうしても頭から離れなかったのです。
あの日の判断の遅れには、2年間で蔓延した極端な「事なかれ主義」
大きく影響しています>

<誰が主導権を握るか、というパワーバランスも無関係ではなかったと思われます。
子どもの「山へ逃げよう」という声を取り上げなかったことでも分かります。
取り乱すことなく、落ち着いていた方が優位に立つことになり、
誰も異論を挟めなかったのです。
子どもの命を守るべき組織としては、あまりにも未熟だったと言わざるを得ません>


事なかれ主義は「正常性バイアス」とも言うそうです。

正常性バイアス社会心理学災害心理学|日常性バイアス
http://www.minamitohoku.or.jp/up/news/newword/normalcybias.htm

正常性バイアスとは、多少の異常事態が起こっても、
それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのことです。
この働きは、人間が日々の生活を送るなかで生じるさまざまな変化や新しい出来事に、
心が過剰に反応し、疲弊しないために必要な働きです。

しかし、この働きの度が過ぎてしまうと、本当に危険な場合、
例えば警報装置が鳴っているといった非常事態の際にも、
それを異常と認識せず、避難などの対応が遅れてしまうといったことになりかねません。


組織の事なかれ主義は蔓延しすぎてて、
多くの公務員も、大企業も麻痺してます。

誰もが失敗した時の責任を取りたくないから
意思決定の共有に何重にも時間とコストをかけます。

結果、意思決定の遅さやコスト負担が致命的損害をもたらします。

しかし何重にも意思決定の共有をしたから責任は分散され
誰も責任は取らないでいいわけです。

責任を取りたくない以上、
トップの決断力が弱い組織は必ずこの力学が働きます。

トップの決断力の強さは上から下までの全てを
抽象化して見通せる目をもってるかどうかです。

組織が巨大化して複雑化して時代が変わるほど、
すべての分野を抽象化して見通すのは難しくなります。
小さく始めて大きくした創業者がその成長と全体を見通すのに
一番近い経験を積んだ人でしょう。


もし共有せずに意思決定を速くして失敗したら
意思決定者だけで責任取らないといけません。


でも世の中の手本とされる伝説的な創業者達は
その意思決定の早さから結構大失敗だらけです。
では彼らの失敗責任はどうなったのか?


「事なかれ主義」を解決するにはこの
「責任の誤用」を意識する必要があります。

1.「責任」本来の意味

責任 - Wikipedia

責任(せきにん、英: responsibility)とは、
元々は何かに対して応答すること、応答する状態を意味しており、
ある人の行為が本人が自由に選べる状態


本来の「責任」は相手にとって良い反応を返すこと。
ここでは失敗に対する次の対応策を考えることです。
だから創業者達は同じミスは繰り返さず1000回目に電球とか発明します。


さらにいえば起こってしまったこと、どんな失敗でも
その人の「過去」に「責任」はありません。
責任とは常に「今これからどうするか」考えぬくことです。

これが本来の「責任」ですね。


ところが、日本人の言う「責任」は他に2つの意味を持ちます。
2つめの意味は「腹を切れ」「辞任しろ」という「責任」。
3つめの意味は「金銭的保証しろ」の意味での「責任」です。

2. 腹を切ったら責任が取れるのか?


失敗の「責務」を「任される」から責任なのであって
辞めるのは「責務」から解かれることです。
その人が役員報酬をもらえなくなったからといって
そこから責任取る人がいなくなって得する人は誰もいません。


任せた以上、もうそこで一蓮托生です。
任せた後の失敗に声を荒げて非難するのは逆効果で、
本来の「責任を問う」というのは、
問題を明らかにして一緒に対応策を考えることです。


相手が舞台から降りれば、責任を取る必要がなくなる。
ここが日本人のおかしな切腹文化」なんですね。


しかし「切腹」でこの世からいなくなることで
「責務」から解かれるというのは戦国時代の話です。


そもそもの切腹文化は
昔は士農工商と身分がどうしようもなくガチガチで
県をまたぐにも今のような自由はなく、
才能やアイディアではなく
生まれた身分で立場が決まるどうしようもない世の中の文化でした。


そんな不自由で理不尽な世界で「責務」から解かれるには
切腹」がベターな手段だったかもしれません。

でも、誰が腹切ろうが、指詰めようが、辞めようが
何の解決にもなりません。


任された人は「失敗」しても堂々と、
周りを納得させるような次の対策を練る事に時間を使うべきで。
その人が辞めるときは他の誰かがもっと良い案をもって実行できるとき
その人の意思が考えるのを辞めた時です。


なので「切腹」や「辞任」で責任を取ったというのは明らかな誤用です。

人生に妥協と寛容がなければ「事なかれ主義」の圧力が高まる

偽リーダー論2: 宋文洲のメルマガの読者広場
http://www.soubunshu.com/article/158535726.html


中国のリーダー学には「疑人不用、用人不疑」という言葉があります。
「疑う人物を使わない。使う人物を疑わない」という意味ですが、
その意味は決して文字の通りではないのです。曹操が戦いに勝利した際、
敵陣から押収した書類に部下からの転向を探る手紙も含まれていました。

「全部焼け!」と命令した曹操は決して部下を疑っていないのではなく、
「このくらいは許してもよい」という線引きがあったからです。

「疑わない」とは「知りながらも気にしない」という寛容であり、
リーダーの心の広さです。

決して事実も知らないで「性善説」とか「信じる」とかを妄信する
幼稚な話ではないのです。


学校が信じられないなら学校に預けなければいい。
日本が信じられないなら、海外に移住したらいい。
とはいうけども、どこの国や学校だって完璧はありえません。
預けないリスク、外国で暮らすリスクだって発生するのですから、
生きてる以上自分が何らかの理不尽や時代から回避することは不可能です。
ただ、次の世代へその理不尽を少し減らして渡してあげる事だけが可能です。

3 「責任」と「金銭的保証」は分けて考える


例えば、どんなに謝られてもお金をつまれても
人の命なんて返ってきません。
心が傷ついてもその人に癒すことはできません。

法的に裁かれるものなら保証対価としてお金を払うしかできないでしょう。


ゆえにそこで被害者は本来「金銭的保証をしろ!!」と訴えるべきなのですが
それは公衆の面前ではあまりに恥ずかしいので「責任をとれ!!」と
抽象的かつ間違った発言をするわけです。
これも明らかな誤用なのですが、言い回しとして下品にならないよう
ずっとそう使われてるんですね。


「本当にやり場のない怒りをただぶつけてるだけ」なら
できる事は何もありません。

「金銭的保証をよこせ」なら
裁判で決まった判決通りのお金を払うことです。
やはりできる事は他にありません。

「次の被害を出さないために純粋に解決してほしい」なら
相手が感情的になってないはずなので一緒に考えることができます。

「責任」が誤用されてるかどうかのポイントは、
相手が感情的になってるかどうかです。

日本は市民というお客様が強くなりすぎた


人間は平等主義から強い権力構造を批判するようになります。


民主主義システムの国は、トップが強く批判されます。
とある大学で学生主体の民主的システムを取り入れた所
教授陣全員が駄目だし批判の的にされて
そのうち全く運営がなりたたずもとに戻されたそうです。
そりゃ、誰にでも完璧な人なんていませんからね。
権力を自由に攻撃解任してよくなったら組織なんて持ちません。


企業だとお客様に選んでもらえるよう、お客様の声を聞く必要があります。
上場企業ならそれ以上に株主の言うことも聞く必要があります。
また、従業員が団結して労働組合社会保障などの権力が強くなるほど
いろいろそういう団体にお伺いを立てないといけなくなります。


日本でアメリカみたいにレジの人が無愛想だったりしたら、
本社のホットラインはえらいことになるでしょう。
この国は市民やお客様の力が強くなりすぎました。
こんなに市民やお客の力が強ければ
組織が事なかれ主義に走るのは当然です。


これは日本の平均的教育水準と文化の力が優れてたからこそ
より個人の力が強化されたとも言えますが
何事にも「みんなおんなじ」を求めてきた弊害かもしれません。


メディアは売上や正義?のために政治を煽り、企業を煽り、事件を煽ります。
さらにネットの発達で個人も大炎上するようなメディア化が可能になりました。
ネットの発達はさらなる個人権力の増大につながります。
個人の力が強まるほど、組織は何重にも保険をかけなければいけません。
一体それは誰のための組織なのか?

「事なかれ主義」を解決するには


「事なかれ主義」が強化される組織では
新しいヒット商品も出ず、あまりに防御保険にコストがかかりすぎて
税金は上がるし、企業は潰れます。

役所が非効率なのは、市民や親の誰一人にも
怒られないための仕事が多すぎるからです。
20%の市民やお客さんぐらいは怒らせとけばいいんですよ。
本来あるべき姿から考えたら、見当違いのこと言ってるんですから。


「事なかれ主義」を解決するにはなによりも、
「本来の責任の意味」を全うすることです。
極端に言えばそれ以外の誤用の責任は気にする必要はありません。

もし、失敗が怒られなくて、
見解の違いには寛容の心を持ってる組織なら
当たり前のように同じ失敗は減っていきます。
いろんなところから怒られて、本質の責任を忘れ、
体面を気にするような組織が内側から潰れていくんです。


失敗したらクビになり、左遷されるから
本来のやるべきことあるべき姿をわかってても誰もやらない、
言うだけで自分からはリスク取ってやらない。
なんていうシステムでは、もう長くもたないでしょう。


しかし、「責任」の意味はこれからも誤用され続けます。
日本人の体面としてもそれは仕方ないことなんでしょう。

ならば体面上の「責任」はかまいません。
責任の誤用を言う方も言われる方もそれが誤用であることをまず自覚することです。

失敗したからこそ、その経験を次に活かすようなシステムに変えていくことです。
その上で体面を付き合えばいい。


権限がないとか、自分一人がやってもとかではなく、
世の中を変える人はいつだって敵を味方に引き込んできたのですから
今は次の世の中を作っていく責務を自覚した人達だけが
息苦しくない世の中になってます。

みんなあるべき責務を放棄してるのだから
良いサービスやよい製品は生まれにくくなってます。
でも本来あるべき姿の責務を全うする人たちには
周りが遅すぎてとてもやりやすい世の中なんですね。

日本なんていいカモです。


複雑巨大化して個人の力がましてどんどんやりにくくなってる今こそ
自分で責任を引き受けるのチャンスなんですよ。
失敗こそが、次の成長につながるんですから。


そうして「責任」の本当の意味を理解する人達が
世の中の流れを変えていったら、僕らがじいさんになるころには
「事なかれ主義」も死語になってることでしょう。


目先の損得で考えたら事なかれ主義の方が得のようにも見えますが、
損得勘定するほど僕らの人生は長くないですよ。
失敗でもその教訓を残すほどやりきった人生の方が
後悔しないで死ねるトクな生き方だと思います。



関連:

ジュースこぼしちゃった - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20100805/1280954384