読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる


ネットで「しね」とか言わない方法

岩手議員がブログ炎上発端で自殺に至ったんではないか?
あたりからくる話。

「死ね」と「ネットイナゴ呼ばわり」との間に何の違いがあるのか - 今日も得る物なし
http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20130625/1372176480


俺はこれからも死ねって書き続けるよ。
ただ、その際にはちゃんとなぜ死ねと言ってるのか理由も書く。今までも書いているが。
それが「動物的」でも「理性が欠けている」わけでもないという証明になるだろうからな。
そして俺は反論も受け付ける。
コメント欄も余程のことがない限り全投稿を表示させているし、はてブも勝手にすればいい。
それに対して俺は反応すべきところはする。
それが対話だろ。

これは共感する。
はてブや、コメントで罵詈雑言書かれても、
自分の文章の書き方でそう受け取った人がどれだけいるのか見える方が大事だ。
コメント閉じたら自分の伝え方をどう修正していけばいいかわからなくなる。

しかし、ブログ炎上が全てかどうかは死んだ本人に聞かないとわからないが、
そう見える事件が起こったのはショックだ。
ネットで非難されるだけの事を書いてるので、
軽い気持ちでしねといった人達を責めるのも違うだろう。

攻撃すると相手はより強くなり、無視すると衰弱していく

の、はずだったんだが、

「ただし攻撃で彼のHPがゼロでなければ」

という注釈がネットにも必要かもしれない。


でも、そんなHPなんてわかんないよなあ。
その議員さんには言及してないけど、
僕もネットでだいぶ批判的なこと書いて誰かを傷つけたり、
炎上して自分の恥さらしてることもある。

いんたーねっつには、見きれないほどのエロ画像もあるし、
生涯かかってもプレイできないほど面白いゲームは発売されてるし、
本や映画の名作だけでも死ぬまで見れない名作のほうが多い。
何かに腹立てるよりも無視して、
それと反対の有意義なことしたほうがいいのはわかってるんだけどね。
時間的にも、ストレス的にも。

とはいえ昔に比べたらだいぶ余計な事を言わなくなったけど
今回の件で、もう少しネットの言葉遣いを意識しようと思う。

そのなんとなく意識してたことを書いてみる。

なんで顔も知らない他人とネットでケンカできるのか?

他の人は単純な正義感で悪口言うのかわからないけど、
僕の場合は、今の自分をネットに重ねてたり、
過去の自分を悪く言われたような気がして
本気で怒ったりしてましたよ。

基本、ネットは第三者の話なんだから、
全く自分と関係ないことに反応するわけない。
どこか自分のことと重なるから脊髄反射で口出してました。

なんでこんな自分と関係ないことで炎上したり口論になったりするのか、、

結局僕は過去の自分をそのまま認めて欲しかったわけで、
その正義と公平性の主張をやめず、
全く子供のまま成長してないことに気付いたあたりから、
いったい何に何度も怒ってるのか、これはおかしいと考え始めました。

過去の自分の正しさや公平性の主張を認めて欲しいために
誰も得しない口論を何度も繰り返すのはバカバカしい。
すでに終わったことを何度も何度も、、歴史的宗教戦争じゃあるまいし。

結局僕は何に怒っているのか?

自分のチームや身内とケンカする

つまり、仕事の分担とか、金の使い方とか
目の前の資源が公平に分けられてないことを怒るんだよね。
大きな仕事でも、小さなプライベートもそう。
ネットで自分のポジションに当てはまりそうなあれば、
その立場が強くなる方の意見を正しく言う。

でも自分の主観で公平に分けられることは絶対なくて、
全員の世界観や常識と立場を照らしあわせて
完全に公平にするにはものすごい計測コストがかかり、
時には永遠に平行線で計測だけで資源と時間を食いつぶして
全員が損してしまう。

自分の正しさを永遠に証明し続けるか? それがただの交渉事のポジショントークだとしても?

世界がかくあるべき正しさを追求していたとしても、
それは結局どこまでいっても、
自分にとっての公平な世界を求めるポジショントークである。

そう、ただの交渉。
ケンカや戦争になってもそれはお互いの正しさを求める交渉の延長線でしかない。

交渉で勝つには?

モノポリーカタンだと、面倒な交渉事は6:4で一歩譲るほうが素早く決まる。
そして、敵を作らず沢山の交渉事を水面下で進めた人が勝つ。

これを何百回とやってるうちに勝率上がって思ったのは、
時に3割でもいいから目の前の奪い合いや争いからは一歩譲って、
その争う時間で、別の場所狙ったほうがずっと得だということ。
そうしてると敵が減るせいか、
思いもしなかったところから利が回ってくることが多い。

戦いは決して1対1の1回限りではない。
それどころか人生は戦いですら無い。
戦わずに勝つのが一番いい。
仲間になって協力しあうことこそ利潤が最大化する。


モノポリーカタンは勝ち方のルールが決まってるけど、
現実の出世の仕方やお金の稼ぎ方はひとつじゃない。
出世やお金以外のところに目を向けるということでもある。

目の前の利益よりも、一つ上の目標を設定すると
それはもう譲ることも戦略の1つなのでそう腹は立たなくなるし
その緊急事項がそう重要でないと気づいて余裕も持てる。

ストレスの原因は作業量ではなく、不公平感。

昔だったら
なんで自分ばかりやらないといけないんだ、不公平すぎる!
と短絡的にイラツイてたのも、
別に一人でやるときはそれ以上の作業量をなんなくこなしてたので、
作業量そのものが大変なわけではなくて
自分の主観で比較して不公平なのがずっとストレスの原因だったわけです。

作業そのものが大変でなければ自分でさっさとやったらいいんですよね。

こうすると、敵は作らないし、なぜか相手が遠慮することもあるし
いろんな交渉を譲ってると、ほんとに大事な所で有利な条件つけれたり、
変な形で感謝されることもしばしばあります。

ストレスx作業量 = 疲れ

みんなと同じ位置にいると思うと負担に感じるけど、
1つ2つ上の目標を持って基本的には全部自分でやるつもりぐらいだと
パーキンソンの法則
仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する

の等式変形で、
自由な発想と締め切りによって最優先順に仕事量が収まる
となるので自然と効率よく余裕を持てます。
*1

まあ、普通は仕事のやり方決まってて勝手な工夫や
どうでもいい切り捨てはできないんですが、
キャパオーバーなぐらい一度一人で全部やってみると
ほんとに決まった仕事でも視点や動きが変わりますよ。

だいたい、仕事量が大変というのは仕事の不公平感以外に
他にプライベートないんろんなストレスレベルが5ぐらいになってて、
同じ事やってもストレスレベル1で働く人より何倍も疲れるわけです。
だから不公平を感じるほどどんどん疲れていく。

平気な顔で淡々とこなせる人たちは
もともと自分一人でやってきたという修羅場をくぐってきてるか、
それと同等の覚悟を持って仕事してるから、ストレス耐性が極端に強く
同じ事やっても疲れず効率が良くなります。

「うばい合えば足りぬ 分け合えばあまる」

相田みつをの言葉ですが、仏教にも似た教えがありますね。

僕は奪い合ってるつもりはなく公平にしろと思ってただけ
なのですが、
自分の主観で公平にジャッジしろというのが
だいたい自分の気づかないうちに自分の悪いところを棚上げしていて
1つも譲らずに公平に分けろというのが、実は互いに奪い合ってたんですね。
実際、言い争う時間と感情で両方損しますし、
不満を言えず腹にためながら働いても全くいい仕事はできませんし
人が違えば何一つ同じものさしで測れません。

奪うとか公平にしろというのは、
自分の将来や色んな物が不安だから言うのですが
でも奪っても公平でも安心は保証されないので、
そうしなきゃ生きていけない自分の不安はさらに強化され、
なぜかその不安を実現するかのような怠惰な行動で埋め尽くされてしまう。

与える人は、自分に覚悟ができてるのか、
自分は大丈夫だと思うから
それでも何とかできると思うから、
常にそういう準備をしてチャンスを逃さず行動する。

自信や能力があるから与えれるのではなくて、与えてしまうから自信や能力をつけるしかなくなる

これ、自分に自信と覚悟のある人だけが与えることが出来て、
自分に自信のない人は公平性を訴えるしか無い、、、
というのではなく、経験上は逆ですね。

与えてしまったから、
開き直ってもうそれ以上のことやるしか無い感じでした。

公平性を訴えたら、
その仕事量とお金を上限として時間内いっぱいで使わないと
その上限以下の仕事だけしないと、
余計な仕事や気遣いは公平性の意味が無くなる感じ。

与えるから、自分の上限が引き上って自信と覚悟をもてて、
公平性にこだわるから、守りに入って自分の限界を作り
逆にそこから抜け出せなくなる気がします。

ブラック企業に与えまくって奉仕しろと?

ベンチャー的な会社がどんどん技術を吸収するのが楽しくて
いつまでも自分から帰りたくないというならわかります。

でもそれ以外でほんとに最大限の仕事能力を発揮するなら、
休暇でリフレッシュするのも必要ですし、
きちんと定時に気分よく帰るのが一番ストレスなくよく働けますし
ひとつの趣味を掘り下げることが仕事につながることもあります。
会社に最大限与えようとまじめに考えるほど、
自分の心身と精神の健康をホワイトに調整して働くしか無いです。

金も時間も全く余裕がなくて何も与えられない

それも因果が逆で、
与えないから自分とは別次元のお金や時間がみえなくなるというか、
まあ普通は自分の世界以外みようともしないのですが。


別に、与えるのはお金や時間だけじゃないです。
普段やってないなら、笑顔でも、元気のいい挨拶でもいい。
気持よく声をかけたり、人を笑わせたり、周りの雰囲気を良くするのでもOK。
要らない持ち物を譲ったり、
わからないことを負担にならないよう教えてあげたり、
みんなが困ってるけど誰もやらないことを率先して解決したり、
いろんなレベルで他人を気持よくしたり、
他人の重要性を満たしてあげればいいのです。

他人の重要性を満たすというのは、自分の主張を一歩引いて相手の顔を立てること。
普段の積み重ねやそうした後のほうが、交渉もずっとスムーズです。

ネットで「しね」とか言わない方法

あくまで自分の場合ですが、
自分がそうやってネットで悪態ついて正義を振りかざしてケンカしてたのは、
リアルな今の自分も過去の自分もそのまま公平に認めてほしいという思いからでした。
リアルの方でも同じ考えからストレスを抱えてたわけです。

公平こそ世界の常識で正義だとずっと思ってましたが、
それだと全く解決せずうまくいきませんでした。
でも、公平に考えるのは相手から奪うことだと定義し直すといろんなことが当てはまります。

それから、どこまでも公平に考えるのをやめて、
自分で全部やるつもりになって、
不公平どころかどうやって与えるかを考えるようになると、
敵は無くなるどころか、意外にも敵だった人が協力してくれたりして
「無敵」に近くなりました。

与えるものは金銭や物や時間よりも、
言葉や思いやりや相手の顔をたてるような
メンタルの部分がずっと大きいことを知りました。

これだと、何も持ってない人がうまく芽が出て成功した人を讃えるだけでも、
新しい成功者に与えることができます。
昔は、妬んだり嫉妬したり、あれこれ欠点を見つけて叩こうと
逆だったかもしれませんが、なんにも得せず何一つ学べませんでしたw

でも与えるほど、「能力を受け取る」こともあることを知りました。
情報発信者が情報を一番受け取るとか、
与える素直さと学ぶ素直さが同じような性質という意味で。
ネットで「しね」とか言わない方法も与える思想なら言う必要がありません。
これらは結局、相田みつをの言葉に集約されるのだと思います。


うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる

*1:だいたいどうでもいい仕事を切り捨てたりアウトソーシングしたり