teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

「新人も社長も含めて我が社には外国人しかいない」という気持ちで動いた方がうまく回る

勉強はできるけど、仕事ができない サラリーマンの悲哀 あなたの会社にもいますよね ここは学校じゃないことが分からない人たちが  | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36509

学歴社会の日本では、偏差値の高い大学の出身者は就職で有利だ。しかし、勉強ができる人に限って、会社で役立たずのレッテルを貼られていませんか? 彼らに足りないものは、一体何なのだろう。

高学歴の非常識ぶりを際立たせる記事ですが、、、
いや、僕はむしろ完璧な常識人なんて見たことないですけどね。
みんな一皮むけば、変な考え方や、妙な行動ばかりしてますよ。

個性を押し殺し、均質化された教育の日本でさえ
みんなの考えてる常識はかなり違う。
つまり全員外国人なんですよ。
人種や文化や言葉が違うけど
自分にはない能力と活かせる特徴がある外国人と
仕事してると思えばいい。

上司や、部下や同僚でも、仲のいい外国人だと思えば、
とっぴな考えや、常識がなくても当然でしょう。
外国人で当たり前のことができたら、感謝してもいいぐらいですよw
実際それぐらい他人の本心は常識が違いますし、
本当に全てのことが当たり前にできるのなら、
仕事で困ることなんかなくなります。


最初からそう思って人を使うほうがずっと楽で、
こっちのプライドや常識に合わせるために
部下のプライドや、やる気を奪っても何も育たないですよ。
まあ、責任とりたくないから育てる気はないのでしょうけど
それじゃ学歴関係なく使えない部下ばかりになってしまう。

若くて優秀な人ほど、切り込み部隊になりたいわけですから
せっかくの芽をつぶさず、
こっちは彼らのいたらない折衝サポートに回るほうが
強引にうごかすより、まだ楽できて背中を見せる教育にもなります。

向こう見ずな若手を、営業職で放し飼いにすることはできませんが、
社内であればある程度扱えるんじゃないですかね。

元記事の事例はかなりどうでもいいことも多いのですが、
上から目線や、あえて相手を怒らせるところから入る
高度な営業テクニックもあったりしますが、
もともとの信頼度の高い部長とかが同伴ならあえてそこで、
「こんな失礼なことを言う(外国人)やつですが、
仕事はすごくできて私も信頼してます。」
というオーラを出すか、平謝りするかでも全然違ってきます。

まあ、よっぽど会社がギリギリの戦いをしてなければ
新人の態度だけで取引先との関係がなくなることもないですし
部下を育てるには、失敗したら次は挽回のチャンスと思うぐらいの余裕は欲しい。

どうやって「外国人」に「常識」を教えるか?

教えるのは1つだけ。

「相手のプライドと、存在を認めて扉を開けない限り、こっちの話は1ミリも伝わらないよ。」

「お客様」「取引先」「上司」「同僚」「部下」「彼女」
全部に通じる常識がこれ。

だからまず自分から率先して、部下のプライドと存在を
満たすポジションに立つことが背中を見せるということ。

こっちの言うことを聞け!!
変なプライドを持つな!!
立場や空気を考えろ!!
とかいって叱るのはまさに、
「相手のことを考えずに、俺の常識を強引に押し付ける背中」
を見せてるのであり、その上司の背中を見て同じ事を上司にしてるわけで。

怒鳴って鬱になる人、育つ人

まあ、いちいち失敗させる費用も時間もないとかで
怒鳴るのはわかります。
失敗するときは本人が納得する形でやらないと伸びないですが、
そうも言ってられないですよね。

あと自尊心が低い人や、あまり考えすぎずに相手に気を使う人なら、
怒鳴る方法もコミュニケーションとして効果あります。

ただこの場合、
「きちんと仕事をしよう」ということにはならなくて、
「怒られないように仕事しよう」

という意識が強くなりすぎるので、
仕事の本質にはいかず、あさっての方向ばかりにいき
全方位で細かく怒鳴る必要があって疲れます。*1

あと、矛盾のない日本語で怒り続けるのはほぼ不可能なので、
どっちいっても怒られるようにしか判断できず、
ひたすら行動が鈍くなる人も出やすいです。

それでも育つ人というのは、
「言葉を真正面から受け止めない、前向きなバカ」です。
そういう人は、これでもちゃんと育ちますね。
ビジネスで体育会系が強い理由でもあります。
体育会系は、理不尽すぎる先輩の命令で鍛えられてるので^^;

次点で、なるべくサボろうとするずる賢い悪いやつか、
鬱にならないギリギリの耐性を持った人ぐらい。
これは育つの遅いですけどね。

知能指数(IQ)より、相手を気遣う心(EQ)?

「50年前、日本の大学進学率は10%未満でした。
しかし今は50%を超え、大卒は珍しい存在ではなくなった。
今さら、能力を勉強だけで差別化するのは意味がない。
気が利く、勘がいいといった、
試験で測れないもので評価を行うべきなんです。

そもそも、日本の『試験』は高校・大学入試から公務員試験に至るまで、
すべて記憶力テスト。
そんなもので本当の学力なんて測れっこないのです」

いや、あれは確かに記憶力を元に「高速回転数」を競うテストですが、
そのどれだけたくさんの「型」を記憶してるか、
というのは、応用力の高さに直結しますよ。
新しい事を覚えるのにも、
定形の型の抽象度が高くなるほど覚えやすくなる。
ほんとに能力は高いんですよ。

でも、「人付き合いの型」は勉強で習わないので、
リア充な学生生活送ってなければ社会人1年生には難しいですね。
むしろ能力があって、
当たり前の常識(EQ)だけサポートすればいいという人は、
使えるし(一緒に)笑えるし、結構楽なんですが。
チーム組むとか目の届く範囲ならw

身内を評価せず、外を評価する心理

いや、みんなほんとの外国人には一定の尊敬の念を持って接したり、
非常識でも寛容な心で対応したり、
わかりやすく間違えない仕組みを作って、とてもよい背中を見せてるのに、
なんで同じ日本人には当たり前なことも感謝できずに、
自分の常識を押し付けるんですかね?

外人コンプレックス?をどの時代に植え付けられたか知りませんが、
それならそれで、新卒は海外にでて働くほうが
本来の自分以上の能力を発揮できるかもしれませんね。

*1:やり方によっては、とあるセミナーや、ブラック企業なみの洗脳もありえるがそれは言及しないw