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アニメはウンチクで楽しむ? 2次創作で楽しむ?

アニメの愛し方
http://anond.hatelabo.jp/20131022014419

声優なんか誰だっていいだろう、監督なんて誰だっていいだろう、会社の経済状況なんてどうでもいいだろう、グッズなんてどうでもいいだろう、BDの売り上げなんてどうでもいいだろう。

薀蓄を貯めるやつってなぜそんなに薀蓄を大事にするんだ?俺は聞きたい。
お前はなぜ声優の名前を覚えるんだ?なぜ監督の名前を覚えるんだ?


全然関係ない話で恐縮だが、内申書ってあっただろう。
中学とかでつける成績のアレだ。
俺はテストの点はそこそこ良かったが、態度が悪かった。
内申書はそういう人間に不利なように出来ている。
教師は「学習態度」という訳のわからない項目を盾に、
自分に媚を売れる人間にしか好成績を与えない。
その経験のせいで、人に依存した評価は大っ嫌いだ。


アニメにせよ何にせよ、
評価はアウトプットしたもので行わなければならないと考えている。
逆に人に依存した評価になると、
それは賞賛なら崇拝になるし、批判なら人格否定になる。
人間とアウトプットは切り離されているからこそ
建設的な意見を述べることができる。


話を少し戻す。「なぜ声優や監督の名前を覚えている?」という話だ。
多分「好きだったら、当たり前でしょう!」が一番予想できそうな答えだ。きっと、お前には愛が足りないとかそういうニュアンスで言うだろう。
思うのだが、その「当たり前」は、俺には全く当てはまらない。
俺は「好きだったら、二次創作する」と思う。


競馬をデータだけ見るのもいいけど、
血統や騎手を追いかけてみるとそこにもうひとつのストーリーがあるでしょ。
未来のアウトプットこそ価値があるというのもひとつの楽しみ方だけど、
それが作られるに至った過去の歴史を追うのも面白いし、
新しい作品のより深い理解につながることもある。


あと、増田は自己矛盾してるのに気付いてない?
この場合のアウトプットには2つの意味がある。
商品の売上としての結果と、作品の面白さとしての評価だ。
大人は前者を気にして、ファンは後者を気にするが
その面白さは見る人それぞれの知識や背景に依存している。

人に依存した評価は大っ嫌いだ。

アニメにせよ何にせよ、
評価はアウトプットしたもので行わなければならないと考えている。
監督なんて誰だっていいだろう、会社の経済状況なんてどうでもいいだろう、グッズなんてどうでもいいだろう、BDの売り上げなんてどうでもいいだろう。

というからには、いつまでも大ヒットしない押井作品を無視するとかではなく、
商品の売上という数字を無視して純粋にアニメという作品を見てるのだろう。


、、人に依存しない評価ではなかったのか?

俺はテストの点はそこそこ良かったが、態度が悪かった。
内申書はそういう人間に不利なように出来ている。

これもアニメに置き換えるなら、
テストの点数は人の判断に依存しない売上の話で、
内申書のほうがどっちかといえば人間という作品、先生という人に依存した中身の話だ。
自分が気に入らない先生1人に中身を判断してほしくないとしても、
作品で万人受けするものはなく評価は勝手なものである。


もちろん言いたいことは、
先生一人だけで評価して欲しくないしそのために頑張ったことはない。
テストの結果だけを見てくれ。
と、アウトプットは数字の結果を頑張ったのに
その意味を評価側で使ったことなんだろうけど、
アニメの話と混ぜるなら、嘘でもテストの結果が悪くて、
内申書が良く人気者としてくれないと困る。


売上の高い作品が良い評価とも限らないが、矛盾したままでは話が進まないので、
ジブリエヴァなどある程度中身と売上は比例するという前提で、
アウトプット=テストの点(売上)≒作品の質 を含む形で話を続ける。

評価はアウトプットしたもので行わなければならないと考えている。
逆に人に依存した評価になると、
それは賞賛なら崇拝になるし、批判なら人格否定になる。
人間とアウトプットは切り離されているからこそ建設的な意見を述べることができる。


正しい、その考え方は正しいがゆえに清濁飲めない子どもぽっさを感じる。
心理的に、テストの結果を褒められた人は守りに入り、
テストの努力を褒められた人は成長する傾向もある。
増田がそうだというわけではなく、その考え方は極端で、
僕は人に依存した評価も両方あると思う。


参考:「賢さ」と「努力」を褒めたグループの子供達の反応の違い。
http://social-design-net.com/archives/2841





あまり関係ない話で恐縮だが、
評価はアウトプットしたもので行われなければならないというのは、
環境がフェアに近い「学校」とかアメリカヨーロッパみたいな、
仕事の範囲と責任がはっきりしたスペシャリスト達なら分からないでもない。

でも、日本の会社だと責任はみんなで取って、
仕事範囲も曖昧で変化に耐えるゼネラリストを育てる傾向が強い。
アウトプットを得るためには仕事のポジション取りが最優先。
誰の下につくか、どのプロジェクトに割り振られるか、
営業担当区域がどこになるかで出力できるアウトプットの上限が決まる*1
裏方にまわされたらアウトプットどころではない。

もし、この根回しや愛嬌や媚を売ることも含めてアウトプットだというなら、
内申書もアウトプットだ。


また、相対的にアウトプット評価のみを高めたければ、
新しいことやる奴に非協力的態度を取り、常に足元をすくえばいい。
新しいことに失敗はつきものだから簡単に転ばせれるし、
それで自分の評価は相対的に上がる。いわゆる派閥競争。
そんなアンフェアな競争でアウトプットのみの成果主義に納得できるだろうか?


他にも新社会人で「俺は1000万の仕事を廻してるのに、
会社は俺のことを評価せず給料はこれだけしかない。」とグチる奴がいたら、
そいつはその会社がこれまでどれだけのリスクと時間をかけて、
信頼と市場を築いてきたか歴史を一切考えてない。
自分が会社に入社してから先のことしか知らないし、
前しか向いてなくて興味が無いから創業者すら知らなかったりもする。
じゃあ、会社の看板外して、サポートやパックアップ一切なしの
個人起業でリスク取って自分で市場開拓したら、
1000万まるまる手に入るからやればいいじゃないかと。


話を少し戻す。

プロならば当然両方共かなり高い次元でやらなければならない。
俺にそこまでの時間と情熱はない。だから俺はプロではない。ファンだ。

その前提に立った上で、俺はどちらか選べと言われたら
圧倒的に二次創作を作る方を大事にする。

薀蓄ばっかり貯めるやつに聞きたいけど、
そういうことって考える?
そもそも、そういうアプローチが世にあるって知っている?


若いうちはものを作って手を動かすのを最優先にするのは正しいと思う。
プロでも他人の作品は見ずに自分の世界観のウンチクだけを掘り下げる人もいる。
でも、カリオストロの城が短期間でどうやって作られたとか、
予算のない中で出崎演出がどう進化したとか、
ガンダムがグッズ売るためにシナリオがどう改変されていったかとか、
勉強や仕事でも公式の1次資料や基礎技術を辿って行く人は
要領がよくつまづきが少なかったりする。*2
ときには、学校というカテゴリで一番荒れる「中学」の先生を気遣う余裕だったり、
行動はしなくても自分にない専門知識を備えた人達を尊敬することで
今以上に協力的な仲間になることもある。


気になったのは 「人に依存した評価は大っ嫌いだ。」という「嫌い」という言葉。
この感情表現が自然に出てきた場合、
もう素直な目で見てないという自覚から自己矛盾を探せる。
アニメは好き嫌いで見ていいけど、
人とアウトプットを分けるとか、罪を憎んで人を憎まずなら、
人のやり方そのものにも「嫌い」という感情表現は出てこない。


人を観るというのは、目の前のその人を見るのではなくて、
その人の仕事、兄弟関係、親子関係、恋人、出身地、年齢、
普段口に出してること、しぐさ、食べてるものや、趣味嗜好など、
その人を作り上げてる制作スタッフリストを興信所を使わず、
普段の言動から矛盾しないいくつかのパターンを予想することであって、
相手の困ってることや、ほんとに言いたいことを、
その予想スタッフリストから自分が何を補えば嫌いにならずに済むのか
考えることだと思う。*3

ウンチク調べるか創作やるかに上下はないし、
内申書があるという前提はフェアで、悪いことしたら下がるが、
協調性や、リーダーシップ、ムードメーカーなどを評価するので、
先生に媚びうって単純に上がるものではない。
物事や他人のやり方を素の状態で見れてないとしたら
何か許せないトラウマを抱えてるわけで*4
他人が間違ってると思ったらまず自分の嫌いという自己矛盾を突き詰めていけば
それを手放して素の状態で見れることもあるということを、
素の状態に善悪はなく*5自分で世界に合わせた定義をし直せることを、
知らないなら知ってほしいと思って書いた。*6

*1:営業は他にやりかたあるんだろうけど

*2:2次創作にはあまり関係ないが、知ってると深みのあるネタを仕込めることも

*3:わからなかったり、わかっても無理そうだったら嫌いでいいので距離を置く

*4:これは自分も含め誰でもそうなんだが

*5:中庸や知恵の樹などで検索

*6:まあ、自由に距離取れる立場なら好き嫌いで人みたほうがめんどくさくないし、いちいち考え方改めなくていいから楽だけどねw