自分がコントロールできる事に集中する

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「反対だ」とか馬鹿なことほざいてんじゃねえよ

 という発言なら、罵倒語の「馬鹿なこと」を全消去し、「ほざく」から贅言要素を消去して「言う」に変換することで、

「反対だ」と言わないでください

 と解釈が可能に。こうすることで、「『反対と言うな』ということですね。反対すべきでない理由を聞かせてください」と冷静に議論することができるとしています。

僕も感情的な煽りとか結構使ってたので反省。
ネットはもっとフラットな言葉遣いのほうが議論早いかもしれない。

そしてトップブコメにある指摘

殆どの人は議論したいのではなく自分の思う正しさを相手に認めさせたい

 まさにその通りで、どうやって相手を言い負かすかのほうに目が言ってたのかもなあ。自分の正しさを証明することで自分の存在意義を定義する。自己承認欲求は何らかの形で実現しないと社会的自我を保てないのだから。

 そう考えると、相手が的外れと思って違う意見でも、自分の考えをフラットに述べるだけで別に言い負かす必要はない。相手の理も認めたうえで自分の思考にどう矛盾なく折り合いつけるかどうか。

 自分がコントロールできるのは自分の思考だけだからそこに集中したほうが効率良い。相手の考えをあらためさせよう、自分の考えを認めさせよう、というのはかなり無駄な労力で、自分の思考をあらためて矛盾を成立させるようなアイディアを考えたほうがいい。贅言はコントロールできない無駄な労力を呼び寄せるだけだ。

 逆に贅言は相手の社会的自我を強化してしまう。相手の自己主張を論破しようとしても相手の寄るべき社会的自我はそこにしかなく必死に防衛する必要があるから。相手の思考をコントロールできない以上、相手の理を認めた上で自分の考えとの矛盾を成立させる必要がある。

 ネットで見かける個人の問題や組織の問題を「無能」と思いがちだが、組織の中の人は自分の利益に合理的であったり、個人だって自己矛盾の「欲」で合理的だったりする。組織でも個人でも、全体としての利益と個別の利益、欲求が同じ方向を向いてないことばかりで、個別の欲に合理的で全体的に非合理だから無能に見える。

 コントロールできる事に集中するというのは個別の欲を否定せず全体の欲求と同じ方向を向ける場所を探すということ。

 組織は従業員をできるだけ安く使いたい。従業員はリスクとっても見合うリターンがないので能動的に動くより指示待ちにが最適解。という個別と全体の利益の矛盾を同じ方向に向かせるか。

 個人も自分の夢や実現したいことという「大欲」と目の前の「小欲」が矛盾する。ダイエットしたいのにケーキを食べるとか、自分の作品つくりたいのについアニメやゲームやってしまうとか。これを「禁欲しろ無能」では解決しない。小欲と大欲を矛盾させず同じ方向へ向かせることができれば自然と解決する。