teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

自己責任論について勘違いしてないだろうか?

anond.hatelabo.jp
死ねばいいとは思わないが、本文の自己責任論はこのブログに書いてる事と近い。

よく「自己責任論は弱者差別、ブラック労働につながる悪。国や社会の責任として論じるべき。」という批判があるが、この対立は矛盾させたままでいい。社会の話は社会の責任として、個人へのアドバイスは個人の責任として、矛盾してもスケールごと別に話す必要があるからだ。


例えば国の経済の話として、「宵越しの銭は持たないよう個人は預貯金をどんどん使ったほうが良い。その方が経済は活性化し巡り巡ってあなたも豊かになる。」というのは正しいが「個人はいざという時のため節約し、しっかり貯金したほうが良い。資産は海外投資も含めて増やすようにするのだ。」という対立項も正しい。

このとき「社会経済のこと考えず個人で貯金するなんて狂ってる。こういう奴が経済を止め、お金使わないことで国の税収が減り、みんな貯金あるからと国が福祉の必要性を重視しなくなる社会悪なのだ。」と言うだろうか?

国の経済がひとつの体であれば、血の巡りを加速し、新陳代謝を高める方が良いが、その新陳代謝のために細胞のいくつかはどんどん死んでもらう方が体の都合上良い。しかし、細胞やその中のミトコンドリアが自分の事だけを考えるなら、エネルギーを溜め込みいざとなった時に備える方がずっと良い。僕らひとりひとりが社会の都合最優先で死んでいいわけない。

資本主義社会は格差が広がり、どうしてもブラック会社的圧力がかかる。独裁的共産主義が失敗してる以上(現状、中国は独裁資本主義) 今のところ資本主義から逃れる術はないが、生活保護やベーシックインカムなど、どれだけの割合で社会主義的福祉を混ぜ合わせるか? という話は重要だ。

しかしベーシックインカムが整備されたからといって、弱者男性が社会的抑圧から救われるとは限らないわけだ。どの社会体制でも自分で自分を救おうとしなければ、差別解消なんて無理な話である。社会福祉と矛盾しようとも、自分で自分を助ける事はかなり重要。

増田も言うとおり、99.99%の人には届かないだろう。
自己責任論は「学習性無力感」克服の問題であって、増田のようにハッパをかけたり煽ったりしても、弱者男性からは「はあ、そうですか」と無気力な返事しか返ってこないからだ。ここにもたくさんの勘違いがある。


ひとつは弱者男性が「仕事が嫌いではなく、クソ上司とモンスタークレーマーが嫌い」という事だ。それをひっくるめて「人間関係が苦手」「コミュ障」なんて言ったりもするが、それも違う。はっきり「クソ上司とモンスタークレーマーが嫌い、それにうまく対応できない自分が一番嫌い」なのだ。弱者男性でも、尊敬できる上司と、敬意払ってもらえる気持ちの良い顧客なら仕事は楽しい。コンビニのアルバイトが辛くて、高級カフェでのバイトが快適になるのもそういう事だ。自分を助けるというのは、嫌いな自分を許すところから始まる。

次の勘違いは「給料高いほどストレスも高い」だ。コンビニより時給高い高級カフェの方が仕事は楽だ。管理職は激務だったりするが、管理職も上に上がるほど仕事は楽になる。クリエイティブな仕事ほど楽しくなる。究極的には投資家になれば時間対費用は超楽だ。

同じ勘違いとして「全力で働くと疲れる」があるけど、全力で働く方が早く仕事覚えて終わらせてどんどん楽になる。疲れるのは「クソ上司」「クソ顧客」であって全力かどうかではない。最初から90のしごとを120ぐらいの覚悟をもってやった方が楽になる。50ぐらいの覚悟だとずっと40の積み残しを引きずって苦労する。

他にも人間は他人に細かく支持される仕事が嫌いだ。しかし、自分に権限があって試行錯誤する仕事は楽しい。全力でプラスアルファでやりきる仕事は30ぐらい試行錯誤する工夫ができるので楽しくなる。もし職場がクソなら、起業やフリーランス化するのが自由で楽しいだろう。

この辺の話は、斎藤一人氏の本にある。

 

www.youtube.com(CDの公開も著者が認めてるようだ)


普通はつらいというか、普通のほうがつらいのである。
みんなそれぞれ違ってるのだから、仕事も恋愛も結婚もみんな違う。普通なんてのはなくそれぞれのプロになる覚悟を持つと楽。プロになる覚悟がないと人生つらい。

そうすると次に勘違いするのが「プロになるため死ぬ覚悟で頑張って努力しろということか」というやつ。金だすのが一番楽。金がなければ知恵をひねり出すのが楽。知恵がなければ汗を出す。つまり努力は最終手段。RPGでパーティも組まず、新しい魔法も覚えず、装備も買い換えない魔法使いが、先へ進めないなら、そこで数年かけてスライム100万匹倒し、レベルカンストまで頑張ればいい。

弱者男性は、人生をesportsなんかと勘違いしてる。優勝者は1組。入賞も3組。あとはみんな負け組の弱者。それは誰かが決めた市場ルールで戦ってるからだ。

esportsではなく、人生で目指すのはストリーマーやYoutuberの方。1位を狙う必要はない。1位だけが報われるわけじゃない。自分でルールを決めて視聴者を楽しませることができたらいい。ニッチで一番目立てば良い。自分でそれを試行錯誤するのが楽しいから。

もし、esports側で勝てる見込みがあるならチャレンジするのは構わない。でもesports選手は勝てなきゃつらいよ。スポーツじゃなく、エンターテイメントならいくらでも勝者作れるんだよ。

斎藤一人風に言うと
「正しい扉と、楽しい扉があるとき、正しい扉を開けてはいけない。正しい扉には苦労が山のように溢れてるから。おかしいと思ったら楽しい扉を開けなさい。」
仕事するのにこの考えはとても重要。自分は esportsしてるのか、ストリーマーやYoutuberしてるのか、正しい扉を開けてるのか、楽しい扉を開けてるのか。

anond.hatelabo.jp
Twitterでも「正しい扉」ばかり開ける人いるんだよ。
無限に苦労するからやめときなってw
タイムラインを自分の趣味で埋めて「楽しい扉」を開けるんだよ。

 

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明石家さんまは売れてない頃から「生きてるだけで丸儲け」と、お笑いとして試行錯誤してるのが楽しかった。

『僕は売れない時代が長くて、
ずっと人生は厳しく、不公平だと思ってたんですよ。
でもね、さんまは昔から、

 

「紳助、お前は一体、何が不満なんや?
確かに俺らは、まだ大成功はしてへんよ。
でも、一応飯だって食えるし、
狭いながらもこうやって部屋だってあるやないか?
それに、俺達は好きなことやって毎日くらしてるんやぞ。
俺なんか、いつも生まれてきただけでまる儲けと思ってるよ。」

 

人生本当に楽しいのは
「試合が終了した時の結果」が一番ではないんですよ。

プレイ中に相手の動きを読みきった時や、
自分がこれまで以上のプレイに達したとき。
それを仕込んでる最中に想像してる、
「結果が出る前のワクワク感」が一番楽しい。


その明石家さんまは「ハズレを引く快感」という奥義を会得してる。
これはクソゲーを楽しめる人の特徴。ハズレを楽しめる自分一番大好きな人間。

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さんま
だから、ダメなのに追い続ける。
さっき出てきた
『ロードランナー』じゃないですけどね、
あれに出てくるコヨーテの生き様に
心打たれたりするのは、そこなんでしょうね。
追いかけて行って、ダメなときのほうが、
やっぱり、楽しいですね。

糸井
ハズレのほうこそ愛おしい、みたいな。

さんま
はい。あの、だから、
ギャンブルなんかでも、調子いいときは
もう勝手に(勝ちが)来るんで、
おもしろくないんですよ。


糸井
ああ、はい。


さんま
ダメなときにどう打つか、っていうほうが、
やっぱり楽しいですね。


糸井
なるほどね。


さんま
「負けたわ、今日は」って言いながらね、
「‥‥でもほんとうは、
 もっと(負け分が)行ってたな」って
思うときのほうが、勝った感があるんですよ。


糸井
あと、負けたんだけども、
拍手を送りたくなるような手で負けて、
「おまえ、それをやったの?」っていう
ときなんかはうれしいですよね。


さんま
それはありますね。
「あ、こうやったか」っていうね。

 

まあでも70億人も人間がいるんだから、みんな同じことやらず明石家さんまみたいに「しかけろ!」って思うよね。それが最後まで結果の出ないハズレの人生だったとしても、しかけた回数楽しめる。人生がTVゲームだったとして、そのTVゲームを時間いっぱい楽しみつくすのに必ずしもクリアする必要はない。



これら一連の話は自己責任論の範疇だけど、僕の言ってるのは別にブラック会社で死ぬほど苦労して働けという話ではない。むしろ90の仕事に楽して楽しむ覚悟を120持てと。世界の捉え方、受け取り方の話。


社会責任論で言えば「お金のいらない国」という極論が面白いと思っていて。対立項ではなく、どちらも必要な話なのだ。
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