昔こんなタイトルの記事を書きました。
天才になれる秘密 - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20090406/1238950447
天才というのはコピーがうまい。
凡才はひたすら努力する。
この記事は名だたる天才がなんらか複数のコピー土台をもってることから、
いかにコピー学習や、巨人の肩の上に乗ることが大事かを説いたものでした。
それが人気記事とはなったものの、
「それは天才じゃなく秀才レベル。」
「筆者はほんとの天才を見たこがとない。」
「俺と天才の定義が違う。」
という意見も多かったです。
みんなの言う天才の定義はこっちでしょう。
天才 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%89%8D人の努力では至らないレベルの才能
つまり「努力できる才能」ですら届かない所です。
では、この定義のままで、
ここ最近確信をもった、「天才」となる秘密を語ってみます。
その前に1つ断っておきますが、「天才」と「成功」はイコールじゃありません。
アートには時代ごとのはやりすたりがあるし、
スポーツにはピーク年齢があって天才同士の勝負なら年齢に勝てないでしょう。
人の努力では至らないレベルの才能があったとしても
2位以下の天才はなかなか天才と呼ばれないでしょう。
学術的天才が、必ずビジネスで成功するとも限りません。
普通の社会生活でそんな極限的能力が求められることも多くありません。
天才ゆえにこだわりがあり、時代が理解できずに埋もれることも多いわけです。
そこはむしろ昔の記事のような秀才的な、時代に合わせた要領のいいひらめきや
プロデューサーのサポートが必要なのでしょう。
ただ、「学習」においてこの話はとても役に立つと思います。
相変わらずゲームの例え話ですが、
手元にスマホや3DSの音ゲーとかあったら
体験版でいいのでちょっとやってみてください。
音ゲーにおける天才の「修行」方法
1,まずゲームオーバーにならない練習モードで、スーパーハードをプレイする。
*1
当然認識すら無理なんですが、
むしろ1個1個処理しようとするとストレスが強すぎるので
1個1個の認識は最初から諦めて、
ただ流して、全体の感覚を掴む感じ。
タイミングはボタン1種類だけパーフェクト狙えばいい。
できなくても構わない。
とにかくスピードに慣れるよう、
できなくてもいいので刺激がなくなるところまで数十回やる。*2
2,イージーかノーマルを正確にプレイする。
目と体がスーパーハードに慣れてる直後は1-2回で高ランク取れます。
Sランクとれたら、ハードへ挑戦。
ハードはまだまだ厳しいけど、
イージーから順番に同じだけ練習するより
ずっと良いスコアが取れるようになってます。
で、何回かするとハードの得点も頭打ちになるんだけど、
それは悪い意味でハードのスピード?に慣れたからで、
またスーパーハードを数回プレイするとハードの記録が伸びる。
その繰り返しが疲れたり飽きたりしたら終了。
3,ゲームを終えて寝る。
寝るとそれまでの経験でごちゃごちゃになった頭が整理されるので、
翌日の同じ時間、同じように、スーパーハードからハードをプレイすると
まだ記録は伸びる。
シューティングゲームやアクションゲームでも応用できる
無敵モードがなかったり、
あってもゲーム本編クリアしないと使えなかったりするけど、
無限コンテニューとかできたら、*3
いきなりスーパーハードモードを体感して、飽きた所でノーマルやった方が簡単。
意識の訓練よりも先に、無意識の訓練を行う
つまり、
1,
トップスピード(難易度)を体感して、正確な左脳処理はあえて止めて、
なんとなく無意識の感覚で状況を受け入れる。
トップスピードが疲れるとしたら意識が働いて努力してる証拠なので、
なるべく考えないようにする。
「Don't think feel(まずは考えるんじゃない、感じるんだ。)」
慣れて刺激がなくなるところまでやる。
これが無意識の訓練。
2,
そのトップスピード感覚を覚えてるうちに、
もっとレベルを下げたモードで正確な左脳処理を行う。
何度かやって得点が伸びないところか、疲れるか、飽きたら、
刺激がなくなった証拠なのでやめる。
これが普通の意識的訓練。
3,
1-2を繰り返したら深く寝て、頭を整理する。
脳は良くも悪くも最適化して慣れてしまう
この、なんとなく全体を掴む訓練と、
意識して正確にこなす訓練の両方を交互にやるのがポイント。
飽きたり、疲れたらやめるというのは、そこが現学習容量のピークだから。
右脳が刺激に飽きたら、左脳の訓練へ。
左脳が刺激に飽きたら、右脳の訓練へ。
両方疲れたら休んで整理した方がいい。
普通のやり方だと、イージーから順番に意識的訓練を繰り返して
無意識に落としこむということをするのだが、
意識でできてしまうことによって、
逆に無意識に作業を渡せない壁ができてしまい、
あるレベルから意識ではとても処理できない領域になり、
ゲームの受け取り方、自分の情報処理が変わるまで全く前に進めなくなる。
だけど、最初から「無意識の訓練」を挟むことによって、
無意識に渡せなかった作業が格段に渡しやすくなり、
超えれなかったハードの壁がずっと楽に突破できるようになります。
ちなみに右脳、左脳と言ってるのは便宜的なもので
左右の正確な処理を僕は知りません。
イメージや音、スピードなどの無意識の感覚的処理と、
文字数字や意識できる正確な処理と置き換えてくれて構わないです。
PC詳しい人なら
正確になんでもできるCPUと、大量のストリーム処理専門GPUと考えてもOK。
意識的訓練がCPUのみの処理だとしたら、
無意識訓練でGPUに投げる処理を優先的にどんどん増やして、
CPUはそれをコントロールする側に回る感じ。
スーパーハードは無意識に任せる練習。無意識で受け取る練習。
前に僕の長文記事をid:wander1985さんが一言でまとめてくれてて
「基礎が大事」という本当の意味を理解しているか? - teruyastarはかく語りき
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20110208/1297157480
wander1985
「練習の種類」は基本的に2つしかない。
「意識してもできないことを、意識することでできるようにすること」
「意識すればできることを、無意識にできるようにすること」
…というのが師の言葉。
僕がこの記事書いた時は、意識から無意識への練習も
ひたすらつまらない意識的基礎練習を繰り返すしかないと思ってました。
でも今年になるまで読み違えてましたね。
「意識してもできないことを、意識することでできるようにすること」
の練習と、
「意識すればできることを、無意識にできるようにすること」
の練習は別物だったわけです。
しかも、後者の方こそ先にやる必要がある。
とすると、今回はこうですね。
「意識してできるようになりたいことを、努力せず無意識で受け止めること」
「無意識で受け止めたことを、意識的にコントロールすること」
偏見なく努力せず、素直に感覚を掴むというのは
子供の方が得意なのではと思われるかもしれませんが
大人で年取っても学習意欲や能力がますます伸びる人がいるように、
理屈や考え方さえ分かれば、経験と知識が豊富な大人こそ
組み合わせの伸びしろが高くなります。
無意識の訓練をいろんな勉強、スポーツ、音楽、絵、仕事に活用する
英語などはとにかく意味わからなくても、
高速スピーチをそのままオウム返しで追いつくようにするのと、
その後で正確な発音や、ワードを抽出する。
スポーツは一流選手の試合や、そのスピードに
空振りでもひたすらタイミング感覚だけついていくようにして
その後正確さの練習をしていく。
例えば140kmの球を打ちたければ、
打てなくてもいいから160kmのマシンで
目と体のタイミングを慣れることが先。
絵もとにかく同じ絵を最速でトレースしたり、
大量に描く感覚からはじめて、
その後正確にトレースしていくことを覚える。
ビジネスでも「一流と付き合え」と言われるように、
一流の人の仕事の仕方をずっと隣で見て真似ることで、
そのスピード感覚を先に身につける。
分野ごと、何の能力を上げたいかによって
どういうスーパーハード設定が最適なのかは違ってきますが、
基本的には大量でスピードがありすぎて
意識で判断できず感覚でつかむしかない訓練と、
その直後に量やスピードを落として意識的に正確にする訓練です。
この時間意識のコントロールこそ、
誰にでも開ける「精神と時の部屋」となります。
これらの例よりも、本当にやりたい分野に詳しい当事者なら
なにが自分のスーパーハードにあたるか
より最適な無意識訓練の設定ができるでしょう。
【毎日スーパーサイヤ人で生活せよ】ドラゴンボールから学ぶ7つの習慣 - アイデアの0.5px
http://sato-nezi.hatenablog.com/entry/2014/02/16/091622
僕らも、勉強をどんな方法でやるかという『修行のデザイン』が大切です。
修行のデザイン。これは名言ですね。
でもやりたいことによっては、
その無意識訓練の環境を揃えるのが難しいとか、
仕事なのに無意識のまま大雑把なスピード処理なんてやる訳にはいかないなど
いろんな事情があるかもしれませんが、
凡人と天才の境目というのは、
天才がこの無意識の訓練を、(GPUに任せる事を覚えて)
偏見なく受け入れる子供時代のどこかで自然に出来てたか
凡人が意識的訓練のみひたすら努力して、
(CPUをオーバークロックばかりさせようとして)
ますます無意識を頼れなくなって、「あいつにはかなわない」
という違いとなったのではないかと考えます。
そこが「天才」の入り口
スーパーハードをどう設定するか、その環境をどう整えるか、
というハードルはそれなりにあるのですが、
この学習法で、人の努力では至らないレベルの才能へ至ることが可能です。
ほんとに無意識の訓練は努力ではなく、
量とスピードに自然と脳を慣れさせるだけなので。
最後にいくつか捕捉を書いて終わります。
捕捉1:このやり方でスーパーハードを超えるには、ウルトラスーパーハードが必要。
無意識の訓練は
本来達成したいレベルより2ランクほど上に設定する必要があるので、
ウルトラスーパーハードが用意できないと、
スーパーハードを意識的訓練で超えねばなりません。
が、それはひたすら努力の道で報われずらいでしょう。
といっても、スポーツなどケガの危険性があるスーパーハード設定で
本当にケガしたら本末転倒なので、安全性には100%の注意を払いましょう。
感覚をつかむだけならセーフティネットも補助輪もあっていいわけですし。
捕捉2:通信教育やゲームにおける右脳訓練、速聴、脳トレについて。
別にそこらへんの回し者ではないですが
速く聴くことによる高速道路原理などの考え方は同じです。
100マス計算にしろ、ドットカードにしろ、能力開発になると思われます。
ただ、寿司職人が1粒のコメの数も間違わず握るとか、
町工場の伝説の職人が、機械より精巧な0.0001mmの研磨ができるとか、
それもある種の感覚的天才能力だと思われますが、
その天才能力が他に役に立つのか? というとちょっと疑問です。
4倍速で喋る人の言葉がハッキリ分かったり、
一瞬でどっちの数が多いか分かったりしても、
それが何の役に立つのかイマイチ想像できません。
無意識の訓練は自分の欲しい能力に特化してやる方が
効果的ではないのでしょうか?
ただ、もしかして
とてもいろんな事の土台となってるかもしれないので、
これに関しては中立ということで、
自分自身でそういう訓練を試してみようとは思ってます。
捕捉3:「文字ベースの天才」の答えにはなってない。
感覚的に捉えられることが含まれる分野はともかく、
文字ベースの勉強はどうしても終始正確な左脳を使う必要があるわけで、
感覚的右脳へ渡す無意識のスーパーハード訓練を
どう設定していいかよくわからないですね。
例えばプログラム言語とか。
昔、登さんが論理的に考えるなと言ってて、
論理的思考の放棄
http://d.hatena.ne.jp/softether/20070324
1 努力しないこと
2 論理的に考えないこと
3 頭を使わないこと
なんてまさに今回のテーマと合致しそうなんですが、、
登さん、ぶっといWin32APIリファレンスを
電車の長い通学時間で全部読んだとかどっかに書いてたからなあ。
とすると、速読的な能力を鍛える事も役に立つかもしれないし、
「言語、機能関係なく穴埋め遅延学習的に
面白いところからひたすら学習量をこなすこと」
が、無意識へ渡すための量の訓練に近くて、
「実際に設計、実装する」
が、意識的訓練になるだろうか。
日本語という文字だってイメージはできるわけだし、
プログラムで作る製品は元々誰かのイメージから生まれる。
プログラム言語の仕様と使うライブラリやAPIの知識がその必要十分あれば、
ブログを書くようにスラスラ打つことも可能になると思うけど
みなさんどう思いますかね?
関連:
練習や訓練を飽きないように、点数で褒めて、試したいことを増やすという話。
人生は練習と思ってる所が本番で、本番と思ってる所はオマケだ。
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20131207/1386476138
アウトプットを先にすることで今必要なクリティカルな練習を探り当てる話。
もらえる経験値を最大化する「正しい努力」のまとめ
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20140110/1389461028
速読の話。3倍以上でも方向性は間違ってないと思われる。
10分のトレーニングで3倍速以上に読めるteruyastar速読法
http://d.hatena.ne.jp/teruyastar/20090208/1234084317