teruyastarはかく語りき

TVゲームを例にチーム理論やその人間関係考える記事がメインのようだ。あと雑記。

深く考える方法を考える

fromdusktildawn.hatenablog.com

こちらの記事に触発されて。ふろむださんと表現の違いかもしれないが。

自分の場合、ネットの話題を見た時
「誰が見ても解決不可能」
「社会的要因が複雑で一概にいえない」
「専門外で答えられない」
「当事者じゃないからわからない」
というふうに捉える時は浅い考えになる。


それを
「答えはわからないが、実は今ある材料の組み合わせだけで解決可能な問題だとしたらどう答える?」

という風に問題を「簡単に解決できてあたり前」という風に捉え直すと、答えがないので自分の今までにない考えや組み合わせを考慮し始める。そのため一次情報を調べたり、当事者の心理的コンプレックスの可能性をあらゆる方向で考えたり、解決有りきで情報を集め、答えの仮説を組み立てていく。書いたり調べたりするほどその思考は発展していく。

それで仮説にさえとどかなかったりもするけど、新しいことを考えたり組み合わせたりしていると、いつかふとそれが繋がったり、別の問題でそこまで考えた過程が役に立ったりする。

自分が「これはよくないなあ」と思ったことに対して「でも専門外だし、よく知らないし、当事者じゃないし」とほったらかすのではなく、全てに「簡単に解決できて当たり前」という前提でなんらかの仮説を当てはめていく事は、今の自分の頭にはない組み合わせを作り続けるのによい訓練ではないかと思っている。

別に膨大な時間をかけなくても、10分程度新しい可能性を考えたり組み合わせたりするぐらいでもいい。一度できるだけの組み合わせを考えておけば、次に似たような問題を見かけた時、新しい仮説が立てれたりする。

 

、、という風に「自分の当たり前」を書出したらところがスタートで、
「えっ、本当にそれでいいのか?」と、過去の自分を疑い始める。
書出した5分前の自分の意見はすでに第3者の意見であって、頭にあるものを全部吐き出したら、次を考えなくてはいけない。つまり書いてしまえば

「5分前の自分なりの完璧な答えより、さらにもっと良い方法があって当然!」

という風に、問題の自己更新、仮説の自己更新が可能になる。マリオカートのタイムアタックをコーナリングで突き詰めた末、別の視点から「どっかにまだ見ぬ、開発者が思ってもないショートカットやバグがないかなあ」と探し始める感じだ。自己更新のループに入るとまとまった考えや仮説にもならないが、それこそいい訓練かと思う。

 

だがここで別の視点からの問題が生まれて、自分の考えた仮説をブログに書くと、自分の体験ストーリーやデータ実証のない、「仮説だけの記事は面白くない」ということだ。

みんなが見たいのは「答え」であって、ストーリーという「体験」であって、実証する当事者でもない「仮説」ではない。このブログの人気記事にはそういう「体験」や実証に近いデータを集めた「答え」がある記事が人気なわけで、他はただの「仮説」にすぎないからピンと来ない。

マクロでみたら別にこのブログが人気ブログである必要はないので、思考実験のログと、人を楽しませる意味の出力は別でもいいのだろう。。いいんだと思うんだけど、、これを考え始めるとまたわけの分からない記事になるので、これも解決できて当たり前の問題として一通り組み合わせ考えたら頭に寝かしておこう。