teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

俺も詭弁よくするので反省

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1. 人格攻撃

ある程度気をつけているが、自分が批判されたときに論理的根拠が薄く人格攻撃にしかなってない場合、的を射てない相手に返せる言葉がなく人格攻撃返ししかできない。

さすがに言われっぱなしはストレスになるので相手のレベルに合わせて返すのはありかと思うのだがどうだろうか。

2. 権威を笠に着る

すみません。俺が無名なので根拠に権威借りることはよくあります。でもなるべく複数視点からいろんな権威混ぜることで、客観性得ようとするのと、、結論ありきのもの集めて記事まとめるのとのせめぎあい。

3. 衆人に訴える

「みんながこう言っているから、こう」と言うお子様論法。


むしろ逆張り派だし、最後は主語小さくまとめたいからほぼやらないか。

でも議論をずっと深掘りして、より根っこの共通点ではみんな同じこと言ってるよね、同じ成分から出来てるよねみたいな論法はやる。

4. 語義曖昧論法
「~は罪になる」と主張していた人が、法的には罪に問えないと指摘されて、「~は道義的な意味で罪になる」と弁解するようなのが典型例。

話の枠を広げたり深掘りして、メタな話はよくやるが、、、
これはピンとこないな。
自覚ないからこそ一番まずいポイントかも知れない。

5. それは本当の…ではない論法

「日本人は納豆が好き」「オレは日本人だが嫌い」「君は帰国子女だから、本当の日本人ではない」と言う感じの、何かの集団や属性に関する主張をしたが、反例が持ち出されて否定されたときに、その場限りで集団や属性の定義を変えて反論を封じようとする詭弁で、負けを認められない老害がよく使う。

 俺の論は集団や属性の定義を崩す側なんで、はてなもいろいろあるよねとか、どんな尊敬する集団でも人でも自分自身も一貫してるとは思わないから大丈夫と思うが、、


6. 早まった一般化

「富士山も、浅間山も、桜島も火山なので、全ての山は火山である」と主張するような誤謬。こういう誤謬が自明な例では「エベレストは?」とすぐに反例を投げつけられて終わるが、(国家)公務員の話をもって、(地方)公務員を非難するような人々は少なくない。米国のトップ大学のトップ研究者への好待遇を参照して、米国の大学全ての平均的な待遇のように言っている大学教員の弁もこれに含まれるであろう。

 これもいろんな視点や推測するから無いといいたいが、話をわかりやすくするための一般化はしていて、自分の視点や予測以上の知らない業界の一般化は自覚すらできないはずで、それをどの基準から早まったとみられるかはわからない。指摘されたら謝ってる。

7. 無知に訴える

否定されていないから、肯定されると言う論法。「幽霊がいない事は証明されていないから、幽霊はいる」と言ったもの。偽科学や公害問題などで、この種の論法を使う人は多い。

 悪魔の証明なあ、、自分が悪魔の証明言うならもう自分の主観や感情であると、とことん話を小さくするしかないし、相手が悪魔の証明を求めてきても、証明不可能なので悪魔がいる可能性はまあ否定出来ないよね、で退散するしか無いな。

8. 循環論法

「聖書は神の言葉だ。聖書にそう書かれている」といった論法。論点先取、トートロジーとも言われる。

 むしろはてブはトートロジーの矛盾を指摘するよね。
「俺が間違ってて相手が正しいとしたら」という視点を毎回挟む時、自分の中でトートロジーが発生してごちゃごちゃ悩むことがある。

9. 誘導尋問

犯行を否定している被疑者に、どうやって被害者を殺したのか聞くのは間違っている。こう書くと術中にはまる人は少ないように思うが、「身体に悪いのに、どうしてウナギを食べるの?」と聞かれたら「美味いから」と答えてしまい、ウナギが身体に悪いと言う命題を肯定してしまう人は少なくないはず。

 これはどうだろう?
あれこれディティール気になるタイプだから、なんで体に悪いの? とか聞き返しそう。自分が誘導尋問してるかどうかは多分自覚できないよなあ。今の所相手のリテラシーに期待するしか無い?

10. 根拠と主張の乖離

前提から演繹できない結論を主張する支離滅裂な主張、理由になっていない理由も良く見かける。例えば「原子力は危険である。再生可能エネルギーは有望である。」と言う言説を考えてみよう。原子力は危険であることから演繹できるのは、原子力が見込みがないと言う事だけである。他のエネルギー源については何も言えない。つまり、誤謬である。

 「なにを言ったか」じゃなく「何をいいたいか」で見るから、この例で、俺に言う分には問題ないんだよな。とすると俺が根拠と主張で飛躍した話をしてる可能性はある。

つっこまれたり必要だったらどんどん説明付け足すし、なるべくわかりやすい単語使うから大丈夫と思いたいが、、

11. 話を逸らす

論点すり替え論法。主張が通らないと分かると論点を逸らしていって議論を有耶無耶にしてしまう人は多い。

 論点を替えるときは、主張をごまかしたいわけではなく、プログラムのアルゴリズム治す議論するより、データベース設計をきちんと作り直したほうが手っ取り早く根本的な問題解決になるよね、みたいな論点のすり替えはよくやる。

これも相手のメンツとか、哲学、アイデンティティに関わるなら問題解決そのものよりも、相手の感情を満たすこと優先にしようとは思っている。が、ネットの議論はそんなこと気にしてないかなあ、、、そのほうがいろんな視点出てきていいのではと思うし。。

12. すべりやすい坂論法

勝手に状況がエスカレートすることを当然としてしまう議論。他サイトの紹介例では、「一度、この銃規制法案が通ったら、全ての銃器を没収する他の銃規制法案も通ることになる」と言うのが例に挙げられていた。日本人としては、戦前の東條英機大将の「米国ノ主張二其儘服シタラ支那事変ノ成果ヲ壊滅スルモノタ、満州国ヲモ危クスル更二朝鮮統治モ危クナル」と言う主張を思い出す。

 ああ、これはさすがに無いと思う。
スケールアップするごとになんらかの神の手が働いてルールは変わると思ってるから。

例えば、社員が3人、10人、50人、300人とかで運用ルールは全然変わるし、人口爆発のスケールアップ問題にしても、先進国が増えるほど晩婚化や少子化が進むし、温暖化すればするほど、二酸化炭素で植物が育ちやすくなって熱が吸収され、海の蒸発は雲を生み太陽光を遮断する面積が増えるから。

だから議論の問題がスケールアップした上での環境変化の推測視点は必ず入ってくるし、何か商品売る上でもアイドルグループの人気でも、キャズム超えるポイントが複数あって、それを仕掛けてルールを変えていくことが大事だと考える。

予測し得ない、推測しきれないことは多いけどね。

13. 藁人形論法

問題とされている主張や事象が捏造・改編されたものである事は少なからずある。これを藁人形論法と言う。「凶悪犯罪が増えている、実際に重犯罪が増加している」というような主張を見かけたことがあるかも知れないが、統計を確認すると重犯罪は減っているので誤謬である。

 なるべく1次資料探すけど、せいぜいネットで簡単に辿れるところまでなので(英語資料とかわからん)、正しい事象を反映したデータかどうかわからんこと多いよね。結局自分は推測止まりにするからこういう藁人形論はバズるとかはなく、他の人が藁人形でバズってその事に詳しい人が後からカウンター入るホットエントリーとかはわりと頼りになる。

これもネットで詳しくない業界のことへ考察や意見する以上、自覚せずやらざるを得ない、避けられない道かなとも思う。

14. 文脈無視の切り出し論法

裁判の判決文などの一部分を切り出す論法があるが、あれである。法政大学の上西充子氏が、安倍政権の答弁が「朝ごはんは食べなかったんですか?」「(パンは食べたが)ご飯は食べませんでした」と、質問の一部分を切り出し曲解した“ごはん論法”なるものとなっていると批判しているが、これも亜種として入るであろう。

 ああ、裁判の判決は「勝ったと言うけどその争点で勝訴ならNHKの負けじゃないの?」で、NHKが裁判に勝ったという点だけ独り歩きすることはあるよね。

ニュースメディアは視聴率とかPV主義だから、中身よりも「見出し」が最重要で、おかしな風説が出回ること多い。。。という俺が見出しでやらかしてることあるんだなw

もちろん相手が書いてることより、その人の考え方、哲学や過去のエントリーなど文脈重視だから本文は大丈夫と思いたいが。

15. ~は…だから…あるべし問題

実証(~は…である)と規範(~は…であるべし)を取り違える誤謬。事実と規範の混同。人の世に諍いはつきものだが、人間は争うべしとは言えない。夫婦喧嘩は絶えないが、夫婦喧嘩はしない方が良いのだ。

 規範とか常識とか道徳すら疑うから、この使い分けはまあ大丈夫かなあ。
人間の争いや、夫婦喧嘩を肯定するときは、規範とは別の話だからな。

16. 前後即因果の誤謬

偶然、順番に生じた二つの事象に、因果関係を見出してしまうような誤謬。「この呪文を唱えていたら、赤だった信号が青に変わったから、この呪文には信号を青にする魔力がある」と言うようなモノである。信号は時間式か何かで、呪文に関係なく青になったのだが、それには考察が及ばない。反ワクチン運動など、擬似科学方面からよく出てくる。過去の増税の悪影響を言う人々も、コレに陥っていることがある。

 疑似科学はわからんし、経済も複雑すぎてなんとも。

ただ超常現象的な理解できないぶっとんだ思考は、こっちの常識を超えた視点広げるので嫌いではないんだよね。マクロの宇宙も、ミクロの量子力学以下の世界も、99%今の科学では謎だらけの世界でなぜか生きてる訳なんだし。

ネット言論で書くことはなくても、発想として因果の謎ジャンプはあるんだよね。

17. 擬似相関

偶然、相関関係が見出される統計から、因果関係を主張してしまう誤謬。共通する真の原因が別にある場合、因果関係はあるが因果の向きが逆のときも使われる。悪意が無くても陥ることの多い誤謬だが、結論が先にあると信じ込みやすいようだ。

 最近どっかでみた気がするな。義憤と結論があればそうなるか。悪魔の証明もできないならもう信じたい人にとっての真実が立場の数だけあるわけで、誤謬かどうかも証明できないしな。

人間は感情の動物だから、これに至っては仕方ないのではとすら思う。
俺がこうなったエントリー上げたら、たぶん落ち着いた翌日のエントリーで反省するんだろうけど、それはteruyastarも普通の人間だなということで許して欲しい。

、、17は多すぎるわw
もっと絞ったほうが刺さると思う。

我が身振り返って反省するものの、本気で自己を省みて価値観や新しい視点が更新される時はいつも誰かと対立した感情的な議論の中なんだよなあ。