teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

「傷ついた」という概念はなくていいと思う

anond.hatelabo.jp

なんか傷付いたらすごい人生全体にデバフがかかることになってるんですよ。

いやそれ自分でそうやってるだけじゃん。

自分で自己憐憫して浸ってそういう方向に自分で向かってるんじゃん。

気持ちいいかもしれないけど害しかないじゃん。

 元いじめられっ子としてはまさにこの通りのことが起こったので、全面同意で増田とは気が合いそうだ。

 

傷つくという概念は嘘ではなくて、嫌な記憶、許せないことを忘れられずに、事あるごとに自分で何度も思い出して嫌な気分を繰り返すやつです。思い出すたび脳の嫌な回路が太くなってきて、それはストレスなので負荷とダメージが物理的に蓄積します。ある程度いくと鬱まっしぐら。休んでるときはなんともなくても月曜や休み明けに学校とか会社にいこうとすると、太くなりすぎた回路に電気が走って吐きそうになる。

そこまでいったらどうしようもない。周りの同情も否定も回路の強化にしかならず、ほっといても自分で何度も思い出すという脳の自傷行為を繰り返すから。どうあがいても本人の弱さを強化することになってしまう。

たくさん本を読むなり、旅に出るなり、住む土地や国を変えて、新しい人生、新しい文化や言葉や知恵をたくさん吸収し、アウトプットしてこれまでの人生より大きな脳の回路を作るぐらいしか手はありません。

なのでそこに至る前に、本人も周りも「傷ついた」という概念は持たないほうがいいと思う。自己憐憫の脳内麻薬回路は百害あって一利なし。

「傷付いた」っていうののほとんどは単にむかついただけだと思う。

むかついたら一旦そのむかつきに正当性はあるのか、相手と立場ひっくり返したりして考える。

それでもむかついてるならやりかえせよ。

 これ、反撃できないパターンがあるんですよね。

クソ上司に逆らえない、ってのは金銭や職、立ち回りの問題でもあるのでクソ上司には逆らって異動できなければ辞めたらいいんですよ。会社に縛られて人間関係を我慢するというのは高い報酬に納得してたらいいですけど、安い給料で我慢しては大人として自立してるとは言えません。

男女差や、大人と子供で力でかなわない、ってのもありますがかなわないまでも一矢報いたらいいんですよ。やられてもやりかえす心があれば体は傷ついても心は傷つきません。

やり返せないのは、期待と信頼をかけて共感が欲しい相手。恋人、家族、友達、仲間などから配慮なく裏切られると、やり返すという気も起きなく、やり返す場がなく傷つきます。

何がまずいのか、アドラー心理学では家族や恋人だからといって自分の常識としてのエゴを過度に期待しすぎるのが良くないわけです。恋人はもとより家族だって考え方はそれぞれ違ってて他人も同然。常識と思ってる期待は大きなエゴであり、外国人なみに文化の違う他人と思って事前にすり合わせたり、期待しないことが重要。

ネコを飼ってもネコに期待はしないでしょ?それぐらいの寛容さと愛情とすり合わせが大事です。

もし僕が友達に騙されて性転換手術されたら傷つくかもしれません。でも宇宙人にレイプされた場合は傷つかないでしょう。ただの事故。友達はそんなことしないと期待してますが、宇宙人や天変地異にはなんの期待も持ってないからです。

傷付くってうそつきの言葉だと思う。

そんなこと言って自分を縛ってどんどん人生を暗い方に自分で持ってってるんでしょ。

まあそういうことをする余裕がある人なんだろうなとも思うけど。

なんも余裕なくて必死に生きてる奴は傷付いたーとか言ってられんし。

動物とか途上国の若者とか絶対傷付かないと思う。

 いやほんとに、昭和の戦後復興なんかニートとか傷ついたとか言ってられなかったと思いますよ。いい加減で無責任で公害垂れ流しで、工事現場のセキュリティもずさんなまま仕事で人が死ぬのは当たり前だったわけですし。ニートや傷つく人が生きていく余裕はなかったでしょうね。

これはベストセラー「嫌われる勇気」でも扱われてて、人間の悩みのほとんどが対人関係にあるゆえ、もしこの宇宙に自分一人しかいなければ、悩む必要はなくなりたんたんと目の前のことに対処するしかないからです。こうなると誰でもどんな困難も受け入れるしかなくなります。

宇宙で2人しかいないとなっても、協力関係か力関係でしかありません。相手に恥をかかされた、傷つけられたとしても、それを観測して判定する世間が無いからです。あなたが恥をかいてもその恥を笑う世間がいない。あなたの心が傷つけられてもそれを「かわいそう」と共感する仲間や世間がいない。自分自身を含めてこのよから「かわいそう」と憐れみ同情する人がいなくなれば、周りがどう思うかなんて諦めてしまえば天変地異にたんたんと対処するのと変わらないわけです。

「傷ついた」というのは世間からみて、世間と比較して、自分の思う普通や常識と比べてどれだけ「かわいそうか」という、他人の目ばかり気にした他人の生き方で、自分の人生を生きてないんですよね。

自分が考えてる以上に完璧でもなく、自分を卑下するほどひどくもない。あなたはあなた。それ以上でもそれ以下でもなくあなたはあなたで自己完結しています。この宇宙にはあなたひとりしかいないという瞑想が自己完結ベースのスタートライン。実は自分以外はマトリックスで作られたロボットであるなんて否定しきれないですしね。まあなんでもありのマトリックスの世界で傷ついたと引きこもりしてたらほんとにバカバカしいですが。

そのうえで誰に好かれるか、誰に嫌われるかコントロールできない事に悩むのも諦めて、手数を打って無理のない社会性をつないでいくわけです。

メンタルが強い弱いではなく、単に物事の捉え方と視点の話。他人の目で自分を見てるか、自分の目でありのままの自分をちゃんとみてるか。

嫌われる勇気

嫌われる勇気

 

 この本、増田と言ってることが同じで年間ベストセラーのはずですがブコメで言及してる人かなり少ない。7年前だから意外とはてなで読まれてないのか、読んでも腹落ちしてないのか。

アドラー心理学がマッチョイズムの極地みたいなものですが、じゃあ傷ついた人に同情して憐れんだらいいかというと、傷ついた扱いすることそのものが、逃げる口実を与え深い悪循環にはまる恐れがある。

傷の浅いうちは昭和の肝っ玉母ちゃんのように厳しく尻叩いたり、いっしょにストレス発散しにいったり、いっしょに仕返ししたり、いっしょに頭下げたり、しばらく一緒に仕事したりのほうがいいと思うんですよね。余計な同情や共感は必要なく普通に扱えばいいので。

他人では手に追えないほど傷が深くなる前に「傷ついた」という概念は忘れた方がいいと思う。

 

anond.hatelabo.jp

全部私の主観だから違ってたらごめん。違ってるといいな。

でもそこまで怒る理由ってなんだろう。

(自分を縛ってどんどん人生を暗い方に自分で持ってってる人という主題に反論がないわりに、浅い反論や煽りが多くてムカついてるのでは?)

 元増田にトラウマや傷があるんじゃないかと本気で心配する優しい人たちもいるんだけど、僕には傷があるようには見えない。アドラー心理学に納得する僕と優しい人とはわかりあえないかもしれない。

アドラー心理学は傷浅い人なら大丈夫だけど、後戻りできない深いキズには逆効果。そこまでいくとこういった優しい人達との共依存関係も必要となる。でも優しい人が増えるほど受け入れる社会ができあがって「傷ついてもいい」余裕が増えるのは悩ましい。

 

それでも元増田にすごく反論が多いのは、言葉が荒いのとタイトルの「嘘」という極論への反論だ。

でもそこは丸めて読んだらいいんじゃないかな。
僕は全面的に同意と言いながら、「傷つくのは嘘ではない」という論を展開し「傷ついたという概念は忘れた方がいい」に解釈しなおし「反撃できないパターン」も提示している。言葉の荒さにも触れていない。これで本論の意図は変わらず中身を議論できるからだ。

ゲームアニメオタクの人が富野由悠季や宮崎駿や宮本茂相手だったら、実績と文脈を考慮してこういう議論の中身にせまる変換はみんなもやってるはずで、逆に尊敬できず言葉も荒いホリエモンだったら、元増田にやるのと同じように言葉の極論を切り取って攻撃する。

それは顔も見えない、尊敬もしていない、実績も過去の文脈も分からない増田だからなんだけど、「尊敬しない」「相手を立てない」で議論するのは、枝葉の極論や暴論ばかりに目がいってめちゃめちゃ時間の無駄になるのを10年間ネットで見てきた。元増田への反論のように。なので、ネットの匿名は全員頑固で偏屈だが実績のある富野由悠季か宮崎駿と思って相手を立て、相手の余計な言葉を丸めて議論したほうが実りあるんじゃないかと。