teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

老害35歳分岐説?

togetter.com
なんだこの「老害」「分岐点」「35歳」とワード全てが曖昧な説は。

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Googleで検索すると定義のひとつはこうらしい。

しかし老害の定義は様々だろう。
学生時代の僕が意識高く、偏見持った正義感で社会批判や政治批判や企業批判して誰かの活躍を妨げてたら「若害」だろうか? そのまま正義感貫き通せば35歳で老害だろうか?

悪と批判され、世間から叩かれるような人達に「こういう見方もあるんじゃないの?」と悪人を逆張り擁護するような僕の記事も、正義感に燃える若手の活躍を邪魔する老害だろうか?

老害という言葉が厄介なのは、やろうと思えば誰にでも当てはめることが可能なこと。「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分、もしくは自分が属する特定の特徴をもつ集団だけに当てはまる性格だと捉えてしまう心理学の現象。」血液型占いに代表されるようなバーナム効果だ。

 

老害という言葉を使っていくとバカになるよ。という意見には同意。定義が曖昧で解釈が語りて聞き手ともに都合良すぎるから。勝手に身の回りに当てはめて勝手に解釈しやすい。


「仮にバカになって脊髄反射で反応して、老害マウントで気持ちよくなって何か問題があるのか?」
というと、自分で気づかないうちにネットリンチしたり、1次情報調べずに風説の流布したり、コロナに対して都合の良い解釈したり、自分の正義感であちこちの人や企業に迷惑かけまくったらそれこそ「老害」でしょ?


というわけで元ツイート主がどういう研究を行ってるのか、どういう定義なのかを調べる。

 

 

 

前後の文脈調べて有効なのはこのあたり。

この方は小説家なので、立ち位置と文脈から「老害」の定義は「年をとってもご意見番にならず、第一線で活躍できるクリエーターでありつづけるためには」という問いになってる。その一文を切り取っただけのリプライの様々な納得や同意はかなり自分勝手な解釈に書き換えられてる。それができるワードだから。

 

「老害にならにいためにはなにができるのか」答えは一つ「若手と同じように笑われる。失敗しても手を止めない。ご意見番ではなく常に前線に立つ。期限納期予算などに生真面目に向き合いつつ、後輩をサポートする」

とてもいいこと言ってると思うのだが、ではお笑い界の老害と揶揄されることもある「たけし」や「さんま」のご意見番はどうだろうか? 定義的には説教も多く、彼らが冠番組を多数持つことそのものが若手の活躍を妨げてるとも言える。しかしこの2人の後輩芸人、後輩芸能人の面倒見の良さはエピソードに枚挙にいとまがない。

逆にたけしのように政治や社会に口を出さず、さんまのように若手芸人や若手女優に説教しない「タモリ」は司会というストーリーテラーの立ち位置に収まり、老害評価こそあまりないものの、笑っていいとも時代のオードリー若林に「おまえ面白くないねー」と面と向かって辛辣な評価を下す。当時は春日のほうがわかりやすい華があって、若林は面白いことも言えず、ツッコミも弱く、画面に居場所がなくてますます萎縮していた。

gendai.ismedia.jp
このインタビューでも語られてるが、たけしは今でも年末や特番、時には皇室のお祝いの席で、ひょうきん族のままの道化を演じて笑いを取り、ライブではTVでカットされまくってる毒舌を披露する。ずっと最前線のひょうきん族でありながら、TVという大衆バラエティがそもそも実績と大局観のバランスを持った都合のいいご意見番を欲しがり、そこに座らされて、老害に映るということだ。


叩くべき悪いやつを擁護するだけじゃなく、今度は「老害」達を擁護するのか? という声が聞こえてきそうだが、まあそのとおり。数クリックで調べられる一次情報や前後の文脈はなるべく調べた方がいいよねといういつもの事と、この件をもって「老害」というレッテル貼りは、具体論のない都合の良い解釈で自分の偏見を深めるだけで、むしろこういう単語使っていくほどその老害になっていくからお互い気をつけようねという話。