teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

人の会話は2割の「理論」と8割の「コンプレックス」でできている。

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だけど、それでも、支離滅裂な理論を組み立てる人とかを眺めて、とんでもなく薄っぺらで愚かだと感じてしまう。

何でこんなつまんないことがわかってくれないんだろ、って、腹が立ってしまう。多くの人にそんなつまらない感情をどこかで抱いて、心のなかで小バカにしてしまうのだ。

真に愚かなのは周りから学ぶことを諦めた私なのかもしれないけれど。そんな焦燥がじわじわと自分の身を焦がして、私は今日も時間を無駄にするのだ。

つまらない人生だ。

人は「理論」じゃなくて「コンプレックス」、いろんな劣等感という感情から会話をしてる。という理論的な話。


相手は劣等感を補うための「理論」を持ち出し、劣等感を遠回しに指摘される部分に極力反応してしまうのでそれ以外が見えなく聞こえなくなる。

ところが僕自身もいろんな劣等感ごしに会話する。
劣等感同士がぶつかると、木の話をしてるのに、森の話をされるとか、理論としてお互いそこは正しく一理あるのに話は全く噛み合わず、理論的ではない無駄な時間になる。もし心のなかで相手を小バカにしてるとそれが言葉のはしににじみ出て劣等感が加速される。

それに気づいたら「相手の浅い(と自分が思ってる)理論」ではなく「本当は自分のどの劣等感が傷ついてるのか?」と一歩引いて考えた方がコミュニケーションの解決は早い。修正は自分側しかできない。

修正を繰り返してたら、「最初から相手の劣等感に触れない形で会話を進める」ため「相手のコンプレックスを読み取る」「自覚してない自分のコンプレックスと向き合い解消する」というコンプレックスを基本とした会話能力が少しづつ向上していく。

相手の感情を先に満たさないと会話も議論もまず成り立たない。それを踏まえず「理論」だけで会話しようとしたら、それだけで1日のエネルギーを無駄に消耗しつまんない人生になる。

ただ、本当に「理論のみ」で成立する会話なんてものすごく短い。本人になんの劣等感もないというのは、なんのこだわりもなく、数値とデータとABテストだけをもちこむ味気ないものになり、世の中の彩りまで激減してしまう。それはそれでつまらない世の中なので、暖かい、優しい、楽しい人達には相手のコンプレックスを補完していく会話でありたい。