「暴力振るったやつが悪い」「いじめる側が100%悪い」という正しい教えがいじめを加速させる

「暴力は絶対ダメだよ」「いじめは絶対ダメだよ」「殺人は絶対ダメだよ」「自殺は絶対ダメだよ」「戦争は絶対ダメだよ」ってそんな当たり前の事は子供でもわかってる。

「あいつがムカつくことや悪いことしたからいじめた」が通らないこともわかってる。

だからその罪を真っ先に問う姿勢を見てる子供は心を開かない。
いじめの原因となるつまらない理由は話さない。
先生や親がそういう「正しいこと」を言ってるから、そんな大人に自分のちっぽけなプライドや感情などまったく理解せず話が通じないことがわかってるから口を閉ざす。

これが「大人の加害者」に対して「プロのカウンセラー」だと、そんな当たり前の断罪などはやらない。それは裁判所の仕事。ただ「なにがムカついたのか? 相手が(あなたにとって)どんな悪いことをしたのか?」ただそれだけに関心を寄せ、それがどんなくだらない理由でも、本人のコンプレックスの投影でも一切否定しない。暴力に訴えたあなたが悪いなどと絶対言わない。

人間というか、特に子供はたくさんのコンプレックスを抱え、視野の狭い正義感を持っている。だから他の子供の別の正義感とぶつかりやすい。ただ同じクラスに存在するだけで、比較対象としてコンプレックスを刺激されることもある。いい子ぶって優遇されてる奴が平等じゃないのが気に食わないとか、自分より劣っている奴と同じクラスで平等に扱われるのが気に食わないとか。

そんなとき親や先生が「暴力は絶対ダメだよ」「いじめは絶対ダメだよ」なんて頭ごなしに正しいこと言ってたら、子供は自分のコンプレックスや偏った正義感がこんな正しいことを言う人に通じるわけがないと表面でしか付き合わない。正しいことしか言わない大人に何言っても無駄。これはいじめっ子もいじめられっ子も同じ。つまりいじめた理由、戦争をはじめた理由など根本的な問題に誰も触れること無く、子供は自分から「正しいことばかり言う」大人たちとの関係を断絶する。

大人の正しさと、子供の闇との断絶だけではない。この正しい価値観を植え付けられた子供は、子供同士でも正義感と闇とで断絶する。大人と同じ正しいことを言ってる子供と、その子供が抱えるただしくない劣等感がコンフリクトを起こし、正義感から発生するいじめはさらに拡大する。

「正しいことばかり言う」大人たちを断絶するしかない未完成な心をもった子供達は断絶するほど追い詰められるほど、暴力に訴えるしかなくなる。ただ多くは他人への暴力ではなく自分への暴力、自殺となって死んでいく。

「暴力は絶対ダメだよ」「いじめは絶対ダメだよ」「殺人は絶対ダメだよ」「自殺は絶対ダメだよ」「戦争は絶対ダメだよ」と言い続けるほど、その正しい価値観に子供が染まっていくほど、大人も子供もその因果に目を向けなくなり、子供は自らのコンプレックスをコントロールできず社会と断絶していく。

これは単に保険やディーラーなどの営業テクニックでもある。いきなりサービスの利点やお得感など正しいことをアピールしても、成約には至らない。その人の人生の愚痴やら大事な価値観とか親身になって聞いて仲良くなって、そういう自分のつまらない価値観や偏った正義感も全部認めてくれるんだとなったら成約に結びつく。

だから親や先生も最初から「いじめは絶対ダメだよ」といくら正しいことをアピールしつづけも、いじめは無くならないし、自分のコンプレックスを理解できない話が通じない人と判断され悪循環になる。

それより子供たちが自分と他人を比較していろんなコンプレックスを持たないよう、それぞれのつまらない価値観や(一方的な)正義感を聞いてまず納得し、そのまま肯定することが大事。それが受け入れられてからやっとその他人を怒る正義感の次の話へ成約を持っていける。先生にそんな時間はないだろうから親の役目だろうか。

ただ「暴力も、いじめも、殺人も、自殺も、戦争もただの結果だよ。原因じゃないからダメと言ってもしょうがない。」なんて、まずいじめっ子側の偏った正義感やいろんなコンプレックスすら認めようと言う先生がいたら、正義感の強い子供に「あの先生、いじめ肯定してるよ」とPTAに告げ口され1ヶ月もたたずクビになるだろう。先生も世間の目や親の目やお互いの目を気にする以上常に正論しか言えないから子供の闇からは断絶され、子供は子供同士の正義感と闇から断絶し、誰も善悪関係なく本当の気持ちを受け止めることはできないという地獄感ある。

この正論に足りないのは「怒っては絶対ダメだよ」だろうか。正義感による怒りは別の正義感の怒りを呼び連鎖する。少なくとも当事者以外が結果に怒っても仕方がない。しかし怒りがダメとはまだ法律や秩序にもない。そこまで正しい聖人君子を問えば子供を叱ることすらできない。でも自分が聖人君子になれないなら、正論を言うより善悪含めた人そのものを受け入れるほうが秩序へつながるだろう。