JR大阪駅の御堂筋口。こんな広告が…。2022年の日本、女性の性的なイラストが堂々と駅出口で広告になるのか…。 pic.twitter.com/nsNlJCMiEr
— 尾辻かな子 (@otsujikanako) 2022年11月25日
この話題見かけたので。
個人的にはお尻にネームプレート被せて隠すのは品がないから隠すな。
隠す判断なら別のポーズを使えといったところ。
雀魂と咲はこういう広告のチキンレースしなくてもいいだろうに。でもチキンレースするから広告に振り向いてもらえたり、ぷち炎上して駅以外へも広告効果が最大化したのは確かで、それが狙いならずるい。
ちょっとフェミニストと噛み合わない原因を言語化できそうな気がして。
例えばフェミニストのいう「性的消費」「性的客体化」ってラッキースケベの上下関係を
読者(お金払う消費者) > 作者 > 女性キャラ(客体化)
として見てるんですよね。漫画読者やアニメ視聴者、ゲーム購入者がお金払って一番下の女性キャラを性的消費してると。
ちょうどこのコスプレ漫画にいいセリフがありました
そう、オタクからすれば逆なんですよ。
例え3次元のコスプレイヤーでも、作られた2次元キャラでも。
キャラクター(主体化) > 作者 > 読者(消費者)
という関係。
よく神とか○○様とか崇めてるじゃないですか。
この消費させてもらってる序列は、ソシャゲに課金する人とかコミケ行く人なら理解できると思います。それこそエロとかアイドルとか男女とかも関係なく。
フェミニストが思う
「読者(消費者) > 作者 > 女性キャラクター(客体化)」
で感じるリアル社会の抑圧はオタクとは無関係な権力と金もって女をどうにかしようというセクハラおやじの価値観です。
「キャラクター(主体化) > 作者 > 読者(消費者)」
と自分自身を一番下に見てるオタクから女性に迫るとか直接的なセクハラは無理。
Twitterでフェミニストといくら毎日喧嘩しようが、リアルでは何も言わずおとなしい。
なのでフェミニストがオタクを攻撃してケンカするのはおかしい。
(Twitterバトルはともかく)リアル社会で女性を抑圧してくる層と、オタクは対象が間違ってます。
キャラクターは作者を超えて人格をもち独り歩きします。
消費者の自分達をお布施してご奉仕させてもらう一番下に置く。
作られたキャラクターなのに。
だから僕らオタクは気持ち悪い。
男らしくないでしょ?
そりゃお金払ってる側が隷属してるなんて一般的に気持ち悪いですよね。
生き物でないキャラをまるで命が吹き込まれた神仏のように、リアルな人間より、リアルな女性より上に置くのも気分悪いと思います。
フェミニストが思うキャラを神格化し、消費者の自分を一番底辺におくオタクの気持ち悪さこそ、消費者側としてのオタクが客体化してる証。
ラテン語で魂を意味するのが「Anima」で、命を吹き込むアニメーションの語源とか。
紙やモニターに描いたただの絵が人間より上とか、人格や命があるかのように扱うというのはもう哲学レベルで分かりあえない原因かと。
だって絵なんだから作者がいくらでも自由に都合よく描けると思うじゃん?
紙の絵は人間より下だと思うじゃん?
でも綾波レイというキャラクターは、綾波レイだけ描いても成立しないんですよ。
キャラクターをキャラクターとして作り上げるには、その周りに碇シンジやアスカやゲンドウなど魅力的な人物をたくさん配置しないと綾波レイというキャラクターは完成しない。キャラクターは人物の関係性で命が生まれるからです。
そしてそのキャラクター達を取り囲む世界や歴史も魅力的で説得力のある関係性でなければなりません。そこまで作ってやっと綾波レイというキャラクターが完成する。つまりキャラ1人作るために世界ひとつまるごと作るエネルギーが必要。
世界との関係性を作った以上はもう綾波レイは作者の自由にならず、綾波レイがやりそうにない勝手なことはできない。そこに人格が、命が生まれ固定される。でも僕らリアルの人間だって誰からどう見られて、どういうキャラを演じるかと、周りの人間とこれまでの世界との関係性で自分の性格が作られてるという意味で変わりはない。
もちろん作者は綾波レイを自由に作り変えることはできるけど、それは世界との関係性を歪めてしまうので、世界の方まで1から作り変えなくてはいけない。Qとか、Qとか、Qとか…
そこまで労力割かなくても、もっと雑に簡単に世界を歪めてしまってもいいけど、歪んで矛盾ばかりの世界は説得力を持たないので、面白くなく、ヒットせず、観測されないです。
漫画はまだ作者1人のものだからコントロールしやすいけど、アニメーションはたくさんの人と資本が関わり、予算と締切があって意外と自由にならずキャラ1人ままならない。実写映画ならさらに撮影困難で人間的トラブル連発をなんとかアイディアでごまかしハンドリングしないといけない。
元ツイートは議論としてはこちらをベースにしたいとのこと。
フェミニストの言いたいことがイラストでとてもわかりやすく解説されてます。
(いわゆるラッキースケベ)
これらは「性的な女性表象の差別性」になり、「累積的抑圧」につながるとのこと。
望ましいのは客体化させず、主体性を持った女性という印象。
なのでパリコレの露出はOKで、3次元女性はたいてい主体性あるので強制じゃなければOK。
逆に宇崎ちゃんという聞いたこともない(エロゲーのようなとも言われた)キャラが、あれだけ胸を強調してセリフで煽る献血ポスターはNG。でも宇崎ちゃんてポスターから想像するエロコメではないので、もし少女マンガ連載で大人気で有名だったら。ウザカワイイでラブコメしてるだけの作品と中身知ってれば炎上しなかったと思うんですよね。
www.youtube.com戸定梨香の炎上も、中の演者は強制的に性的格好させられて客体的消費させられてるというフェミニストの勝手な憶測でした。Twitterフェミニストの炎上は女性が自律性をもってやってるという可能性を全く考慮せず、女性は常に客体化され、消費され、被害者でなければならないという圧を感じます。
逆にセーラームーンが少年チャンピオンで連載して男しか知らない作品だったら、これまでのマクドナルド、生活用品、警察はじめあちこちのコラボ先で炎上しててもおかしくないところ。セーラームーンのアニメ描写や理由のないミニスカート衣装などはかなり「女性の性的客体」に抵触してます。
セーラームーンが炎上しないのは女性作者が少女漫画向けに作ってて、わがままで主体性もった主人公達が活躍するのを知ってるから。多数の女性支持をえてると知ってるから。「キャラクターの関係性、主体性のあるキャラクター、作品の中身を知ってるから」です。
ラッキースケベは女性差別になるのか?
こういう描かれ方をすると、女性は覗かれても許してあげるべきだという歪んだ認知を男性が学習するとかいう話がありますが。そんなことはないです。これが18禁エロ漫画ではなく、ストーリーとして成立するには主人公とヒロインでこれを許せる信頼関係が作られてないといけない。実は互いを好き合ってるとかそういう態度をとる関係性が必要。
らんまでも、最初にあかねの風呂に入るラッキースケベがありますが、初対面なので思いっきり嫌われます。恐怖や強い嫌悪にならないラッキースケベが成立するのは、もっとお互いの関係性が進んだ連載後半。
もっこり遼さんもそうですね。
なんの関係性も築いてない事件のヒロインと出会って、まず最初のラッキー?スケベで嫌われます。しかし話が進みお互いの信頼関係が深まっていった最後には、毎度女性から主人公を追っかけるという展開。
化物語では無防備なポーズ、理由のない露出、性的なメタファーが多用されますが、その主体性はキャラクターの彼女達にあります。化物語でも、少年ジャンプ600万部時代のラブコメでも、それらを見て育った人がセクハラや女性差別しはじめるなんてことはありません。
物語から受ける影響を僕らはきちんと選んでいる
ヒカルの碁をみたら囲碁始めるかもしれません。
でもToLoveるを見て、ラッキースケベしようとか、セクハラしようとは全く思えません。できるわけねえ。クラスのリーダー格で、陽キャで、クラスメイト全員から大きく信頼度稼いでないと許されない。そんな人気者ですら信頼度減らす行為。陰キャオタクだったらまずハブられ、いじめられます。
ブルース・リー見てカンフーの真似事するかもしれません。でも首の骨折って殺したりはしません。友達を本当に殴ったりもしません。もちろんウルトラマン見て屋上から空とぶなんてこともしません。子供でも普通にやっていいことと悪いことの区別はつきます。
仮にブルース・リー見て誰かをカンフーごっこでいじめたとしたら、それは元々いじめっ子だったからです。ブルース・リー見てなくてもいじめます。子供は社会的厳罰がないのでいろんな悪意の塊です。善悪の判断がついた上で社会的厳罰がない事を天秤にかけ、悪い事とわかっててやるわけです。
親や教師が嘘ついたり矛盾したり体面繕って信頼関係がなくなれば反抗期にもなり、不良にもなります。でも大人だって人間だからずるするし、さぼるし、嘘つくし、矛盾するし、正論より体面とるしかないのはしょうがない。矛盾して嘘つく嫌な大人にたてつき歯向かうのは子供の価値観でもかっこいいわけで。
ハレンチ学園のスカートめくり騒動はどうなんだ?
漫画から社会への悪影響でよく語られるのがこれ。
漫画の悪意に子どもたちが悪いこととわかっててのっかた話。
これ調べると面白かったんですが、あまりに長くなるので次の記事↓で。