teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

「おちフル」コラボに反対するほど女性は生きづらくならない?


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おちフルと略されてる「おちこぼれフルーツタルト」は売れないアイドルアニメ。まんがタイムきららという雑誌の趣向で、登場人物はほぼ女性しかいない。アニメ見てたけど、女が女にセクハラしまくり、フェチズムの作画レベルも高く、ほのぼのストーリーの起承転結まとまってて笑えて、好感度高い。

女性同士でもセクハラや下着描写はフェミニストにとって許せないだろうし、自分の子どもに見せられないだろうし、いくら町おこしで商店街が助かってるからといって、舞台である小金井市とのコラボは許せないという話。


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対してこちらは北海道であちこちコラボされてるゴールデンカムイ。戦後の金塊を狙うサバイバル群像劇で、北海道を舞台にアイヌ文化を丁寧に描き、男同士のセクハラ、下ネタ、ふんどし、裸、よく放送できるなという変態行為がたくさんあって、とてもおもしろい。

フェミニズムが進むと、こちらもアウトになるだろう。なぜこれほどの変態アニメがなんの問題もなくコラボできるかというと、男は自虐する権利を最初から得ているから。自身のハゲ、デブ、チビなどの身体的コンプレックスや下ネタまでも、自虐として笑いに変えていいという社会的通念を得ている。「男性」の表現に関して自由と責任を獲得している。

「女性」はこの社会的通念を得てないので、女芸人が自虐ネタや下ネタなんかしてもあまり笑えない。これまでわりと許されてた、女性が女性にするセクハラ行為するというのも、リアルでどんどん規制されていくだろう。志村けんのTV番組でおっぱいが出せなくなったことは、女性はフェミニズムの権利と引き換えに、それだけ生き方の表現と自由を失ったのだ。

こないだアカギのタイツで炎上してたが、企画者は女性で、男性目線で描かれたような絵師も多くが女性だった。まんがタイムきららを読んだりそのアニメを見る女性も多いと思われるが、女性はフェミニストの目を気にするほどアカギの企画が好きだとも、きららアニメ見てることも、オタク活動もおおっぴらに言えない。

ゴールデンカムイのコラボが許される男は自由で生きやすく、おちこぼれフルーツタルトのコラボが許されない女はかなり生きづらいと思うのだ。

「そんなマイノリティー女性のことより、もっと多くのマジョリティ女性に目を向けるべきだ」というと、ほんとにその女性たちはマイノリティーなのか、言えないだけでマジョリティの可能性もあり、女性のさらにマイノリティーだとしたらそれを助けないフェミニズムとはなんなのか違和感を感じる。

表現に関する規制は、黒人差別問題にも感じる違和感。黒人の文化や仕事を白人が奪ってはいけないと騒ぐほど黒人の仕事は減る。モンキーとかかれたシャツに黒人の子どもモデルが着て問題となって騒いだときもモデル無しの広告に差し替えられ、黒人は仕事を失った。黒人にめんどくさい規制が多くなるほど使われなくなり、それならどんな自虐でも自由に使っていい白人を使ったほうが楽になる。男の自由さと、フェミニズムの表現規制で逆に女が窮屈になる事と重なる。

文化がパクられるという事はないはずだ。白人が黒塗りにしたショーはミクスチャーとして別に進化し、原点の黒人のショーはまたさらに進化できる。「ストリートーファイター2」をカプコンが特許でがんじがらめに規制して俺の文化をパクるなと言ってたら今の格闘ゲームの隆盛も「ストリートーファイター5」もなかったはずだ。ラッツ&スターが黒塗りでドゥーワップを歌う世界のほうが日本人を本場の入り口へつなげてくれるだろう。

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フェミニストは究極的にムスリム女性の黒い二カブをかぶるところまでいけば、性的搾取されないかもしれないが、その不自由さの取引は望まないだろう。漫画のように中身は気高く、女子会では華やかであっても。

僕らがイスラム教のことがよくわからないのは、その閉じた世界観にもある。仏教やキルスト教は手塚治虫や「聖☆お兄さん」のように漫画でも結構自由にいじって表現できたりするが、アラーを扱うと激しい抗議がくるから漫画で読めることはめったにない。ゲーム業界でもうっかりコーランの音源を使って大問題になることが数年おきで発生する。

極端に言えば、男性にしろ女性にしろ、いじられたり、セクハラされないようイスラムのように守られる世界より、いじられたり、セクハラされても跳ね返せるように育てる方がより自由で生きやすいのではないだろうか。

男からセクハラや差別されて、泣き寝入る女性を助けるフェミニズムではなく、
「わきまえない女」として堂々と言い返せる女性を育てるフェミニズムなら応援したい。

いじめられっ子をいじめられっ子扱いで守る事はやりたくなくて、同じ対等の人間として殴り返すやり方を教えてあげたい。新人扱いや子ども扱いせず、そのうち成長する未来の対等な人間として最初から扱ったほうが飲み込み早い。

この意味で「おちフル」作中のセクハラを受け入れてるキャラ同士は問題なくて、でも結構お互いが「キモい」と否定しつつオチを付けてる。シティーハンターやジャンプ作品の多くにも言えるが、もっこり獠さんは香からハンマー喰らうというオチがついたり、大人のあしらわれ方をしてセクハラを「わきまえない女」として強く跳ね返してる女性たちだ。

弱い子どもや、弱い女性を守るならそういう漫画やアニメも規制したいだろうが、それは子どもと女性の振るまいを縛り弱くする事にもなる。子どもや女性を強くするなら、自由に立ち向かえる環境であるべきだと思う。

「おちフル」の下着姿含めたフェチ表現は、男性が出てこないのもあってか、一枚絵としてのクオリティが高いせいか、個人的には性欲を掻き立てるものではなくて、エロとアートの中間のフェチ? もちろん男性目線を狙っての表現というのはわかるが、ニコニコ実況で「ブロッコwwwブロッコwwwブロッコリーwww」とか、フェチシーンでコメントが盛り上がるのはネタとして見てしまう。

いや、「セクハラをネタ扱いするな。だから男が、、、」というのがフェミニストの主張なのはわかる。が、根本的に「セクハラされる女性を守る男」はいろんな無意識の差別を内包していてるので「セクハラされたら殴り返す女性を応援したい」という立ち位置なのでジャンプもおちフルも見れる。

リアルではもちろんセクハラはしないし、それができる人、できない人、そのエリアの社会通念がどちらに偏ってるか、基本フェミ側で柔軟になるべくみんなが傷つかないよう立ち回りたい。

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別に僕は「おちフル」がどうなろうと、フェミニストがどう活動しようとあまり影響はない。たいして性的興奮を掻き立てるものではないと思うが、そう感じる一部のファンからはむしろ表に出ないで、深夜アニメとしてひっそり自分だけで楽しむ方がいいと思う人もいるだろうし、そういうファンとフェミニストは利害一致してるかもしれない。

コラボ禁止でも、R-15扱いでも、18禁扱いでも、同人でも、アンダーグラウンドに押し込めるほどエロくなるので、市場がどう変わろうがファンにも問題ないだろう。実はフェチズムの追求としては、フェミニストが問題視してる直接的な下着の表現なんか使わないワンカットのほうがレベル高く、コメントの反応もいいので、個人的にはフェミニストを応援できたりもする。でもコロナで大打撃喰らって死活問題の商店街はせっかく賑わって活気とりもどしてるので、大目に見てやってとは思う。

昭和のTVはもっとムチャやって過激だったのに、今は視聴者の苦情でとてもおとなしくなって、たけしの毒舌は全部カットされて、みんなTV見なくなり。お金払ってNetfrixやAmazonPrimeで昭和のTVを再現するのはなんなんだ。ゾーニングなんて無理。子どもはNetfilxも見るし、インターネットでもちゃんとエロ見てるぞ。Netflixは視聴履歴からペアレンタルコントロールできるかもしれんが、インターネットのゾーニングは現状不可能。守るんじゃなくて、きちんと向き合い毒の耐性強くするほうが現実的だと思う。

宇崎ちゃんの件でもどこかの議員がFacebookで偏見ぶっちゃけて叫んでたけど、フェミニストはこういうアニメの先に「汗かいたブヒブヒ言う、キモオタデブ」を想像して、それが「いずれ性犯罪者になる」という偏見を元に「気持ち悪い」とこういう運動してないだろうか?  もちろんそんなエビデンスはないし、それが事実なら日本は世界有数の性犯罪大国となってるはず。でもデータは逆。

「そんなことはない。コミケで売られてるものや、それに並んでるキモオタデブの映像を見たぞ」というかもしれないし、それはオタク同士でも思ってるかもしれない。でも1億2千万人中の75万人が集まるイベントだ。そりゃ夏空で汗臭いデブぐらいいるさ。しかしよく見たら通常体型の人も、精悍な顔立ちしてる男女も、筋肉で引き締まったコスプレイヤー達もたくさんいる。アニメファンの多くがキモオタというのは偏見。というかデブだったらなんだっていうんだ。

異世界転生もののアニメでキモオタデブニートが映った時、ニコニコ実況で「あれ、俺がいる?」ってみんな打つじゃん? でも実際はバリバリ働いて彼女いたりするわけじゃん? 本物とネタで打ってるやつがどれだけの比率かなんてわかんないわけよ。一部重なるだけとか、過去そうだったかもしれないし。


偏見で始まる運動は当人たちが望んでない歪んだ結果を生みかねない。フェミニストはあえてアニメファンを真面目でたくましいサラリーマンぐらいに思ってたほうがいいのでは。じゃないと女性オタクへの偏見や圧力にもなって苦しませることになる。

フェミニストは女性の管理職や役員を「黄金の3割」まで無理やり引き上げないといけないのだから、男女ともやりたくない管理職を意識高い「わきまえない女」としてアップデートしていくのは賛成。意識高いほど性被害もきちんと訴えやすくなり、法や警察の対応も変えていくのがいいと思う。

ただ表現から女性、子どもを「守る」のは自由を縛る事でむしろマイノリティー差別にもなりかねない。子どもにも意識高く向き合っていくのが結果的に生きやすいと思う。宇崎ちゃんやおちフルレベルなら景観そこねるわけでもないだろう。ゴールデンカムイが裸やふんどしのポップ出さないように、おちフルも下着姿のポップ出すわけではないだろうし。

「それはオタクの屁理屈だ。女性、子どもは絶対的に弱いのだから、そいつらからみんなを守らないといけない!」

というなら止めはしない。弱い人に魚を与えるより、魚を釣る方法を教えようとしてもそれすらできない人だっているんだよとマイノリティの中のマイノリティには共依存も必要だろう。ただ、やれば一緒に魚釣れる人の方が多いのに、あえて守られるのは生きづらいかもしれないし、むしろこじらせてオタクになるのかなという老婆心。

 

 

 

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