teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| ネタバレ感想。


1日遅れでさっき見てきたがとてもよかった。
これで俺の中のエヴァは成仏できる。
これまでエヴァでモヤモヤしてた人は映画見て、
感想をブログなり友人なりに語って、
その後みんなの感想読むのが良さそう。

Qまでのいろんな考察だと、旧、シン意外にシン・エヴァだけで2つの世界線があるとか、それが破の予告編にあったQだとか、ループ記号あるから結局終わらないんじゃないかとかあったけど、ちゃんとハッピーエンドだ。3周目はない。(「:||」このループ記号はまた誰かの考察期待しよう)


2時間35分も庵野にぶん殴られるのだろうかと思ったら、旧夏エヴァのみんながひとつのスープ(イデ?)になる人類補完計画を結局もっかいやった。1997年のときは補完計画から現実に戻るとき「居心地いいアニメから、気持ち悪い現実に戻れ。大人になれ。」って観客に冷水というか氷水投げつける映画だったが、今回は補完計画阻止から現実に戻るとき、多くの主要人物にエンディングが用意されていた。

まさかのケンスケxアスカ。シンジx真希波。カヲルx綾波。トウジx委員長は既定路線として、ミサトにも加持ジュニア。結構無理やりな感はあるが、震災10年目を迎える3日前、かつコロナ過の現実がニアサードインパクト状態の世界で、未来を向いて次世代につなげていく物語としては必要なハッピーエンドだ。このタイミングでまた氷水投げつけられても困る。

ゆえにこのカップリングは消去法でくっつけた感じもある。シンジが綾波とくっつくにはオリジナル綾波じゃないし、母親のメタファーでもあるし、アスカは劇中でケンスケの前で裸になれるし、日頃からパンイチでケンスケの家を歩き回り、ケンスケもそれをさも当たり前かのように対応し「ケンケン」って!「先に大人になっちゃった」って! 3人で保護されてひとり先にケンケンの家にいるの不思議だったがそういうことか。「ニアサーも悪いことばかりじゃなかった」ってトウジxヒカリがメインじゃないのか。

綾波シリーズがシンジに好意を抱くようプログラムされ、それに反発する式波シリーズという流れでお互い告白してケリつけ。残された世界や人物が少ないからこうなったというか。むしろ残った者同士、恋人未満で慰めあってるとしたら、その方が大人の関係だわ。

でも、真希波が年齢取り戻したらゲンドウと似た年齢にならんか?w なんだかんだ気を使ってくれた シンジxサクラ の方が劇場版で伏線あってサクラに撃たれそうになって、サクラはTV版でシンジのエヴァに大怪我させられ、トウジがシンジを殴る理由として第3話が初出ゆえ関係性深くない? そこまでしちゃうと結局真希波いらなかったよねってなるか?

まあ最後はアニメじゃない現実の監督の出身地らしい駅と合成してたから現実を生きるメタファーか。最後までアニメなのか。はたまたアニメから突き放した旧劇とは反対に、アニメと現実の両方で生きる事を選択したのか。僕らにとってマイナス宇宙という空想がアニメなのか。みんなのエヴァの呪いを解いたシンジへの呪い(DSSチョーカー)を解くのが旧エヴァの外から迎えに来た真希波だったのか。実写加工に見えたデカ波に驚いたミドリが「変!」ていうのは、アニメ側に現実が侵食してきたのか。VtuberやVRもARもXRも当たり前の2021年にもう作り手も観客もアニメと現実の境界を気にする必要なくなったのか。1997年の夏エヴァで実写多用したときとはメッセージの印象がだいぶ違う。


最後のシンジの頼もしい顔はほんと「シンジさん!」て感じで最高によかった。男でも惚れる。やっぱアニメはこうでなくちゃ。


www.youtube.com(45分頃)


【追記】
この感想書いてあとIGN Japanの初日感想見てるけど、パンフレットがあったらしく、新劇場版に関しては庵野がコンテを描かず、4人の監督やスタッフがひたすらたくさんの案を出し合ってそれを庵野が採用するかどうかチェックするという高畑監督ばりに非効率なやり方で作ったようだ。

庵野監督がこれまで作ってきたトップ、ナディア、旧エヴァまで、庵野監督の中にある膨大な特撮やSFやオタクデータベースからコラージュした絵コンテを、摩沙雪監督や、鶴巻監督たちスタッフみんなが丁寧に補完していった。それがシンでは、3人の監督やスタッフ達のデータベースから、かつエヴァに沿うコンテ案をコラージュしていったわけだ。

旧エヴァの登場人物はシンジ、綾波、アスカ、ミサト、ゲンドウ、加持など登場人物全て庵野の中にある分身で、庵野の精神世界。シンで割って入ってきたのが鶴巻監督キャラベースと噂される真希波とすれば、ずっと独りよがりだったシンジ(総監督)は、真希波(カラースタッフ)と向き合い、真希波(他者)を受け入れる事で、真希波(他社アニメスタッフ)と一緒に現実とアニメを生き抜き、次世代(若いスタッフ)へ紡いでいく物語という解釈もできる。

だから自分の中にいた理想の綾波でも理想のアスカでも、ミサトでも、サクラでもなく、真希波。真希波は他の感想みると妻である「安野モヨコ」説もあって、彼女はカラーに深く関わって劇場版でもデザインワークスや、劇中のハリネズミの絵本も描いてるため、広い意味で妻でありカラースタッフにも含まれるだろう。

真希波は視聴者から好感度上げるような内面の描写がほとんどなかった。旧エヴァだと一番他者に近い使徒の、摩沙雪監督がこだわり抜いた渚カヲルよりも心情が描かれていない。でも真希波は他者であるから、シンジ(総監督)からみて心情など見えるはずもなく、それでも頼もしいパートナーとして手を取り合っていく。だから真希波の内面描写は優先的に採用しなかったのかもしれない。





TV版エヴァから26年も裸踊りし続けた庵野秀明がやっと大人になったんだなあ、鬱を抜けたんだなあ、と、、よく考えるとこのエンディング、ナディアでやってたなw
まさかあのエヴァが、ナディアとしてお行儀よくおとなしく終わってしまうとは。

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ナディアでも最後にガーゴイル倒した後、主要人物全員にちゃんとハッピーエンドを用意して締めてた。イコリーナとマリーが意外な人物とくっついて、エレクトラさんがネモ船長の子ども身ごもって。って考えると序盤のパリとエッフェル塔もナディア第1話の舞台か。僕は音に詳しくないので気づかなかったがQもナディアの音楽ガンガン使われたらしい。


確か岡田斗司夫のチャンネルで、ナディアは岡田や貞本義行とかがもっと作品としていいエンディング案を提案してたらしいんだけど、庵野は「NHKだから」って譲らずハッピーエンドとしてまとめたらしいんだよね。ちゃんと子どもたちの見るNHKアニメというコードを守ったわけ。

そうするとTV版エヴァも、14歳のチルドレンたちと、29歳アダルトチルドレンの気持ち悪い人らがあれこれして、最終回は「すべてのチルドレンたちへ」この世界で自分を肯定して生きていい自分への許しをしたわけだから。。ナディアのとき出来てたことをやったのだから、庵野が大人になったとか、結婚して幸せになったからではなく、庵野が鬱状態のときに映画撮らせるなって話かもしれない。

さっきもいったけど、震災(とコロナ)で世の中変わって、こういう立ち位置に自然となったのかも。エヴァもシン・ゴジラも庵野秀明のライブパフォーマンスであるがゆえに、世界の影響を本人が受ける作品になる。もし震災もコロナもなく、日本の景気や社会が活気づいててNetflixとかでアニメ業界も元気であればこのエヴァ(ライブパフォーマンス)にはならなかったかもしれない。

Qが序破からの期待とは違って、なんの説明もなく観客やシンジくんを振り回したことに文句言ったが、まあこのエンディングに持っていくには必要な鬱回ではあったのか。

 

、、いや、それでももっとやりようあったろう。Qのせいで今回のシンジの精神回復や、アスカ、ミサトの態度、(ピンク髪の)ミドリと、サクラなどは強引に矯正させられた。TV版や序破ではみんなかっこよかった女性陣が、今回みんな添え物役程度に浅かったのはQというトラブルからストーリーを矯正させられたためだ。たぶん破の予告編にあったQであれば、その必要はなくもっと女性陣を魅力的に深堀りできたかもしれない。

つまり序破での「シンジさん」のままでよく、Qで「シンジくん」に戻る事はなかった。はっきり主導権握る「シンジさん」に戻ったのは最後の駅。Qから最後まで、破と駅までつながる「シンジさん」をずっと見たかったんだよ! 破で綾波を助けた時ぐらい突き抜けてくれたほうが、あのシンジくんが大人として劇中最後まで立ち回り、父との戦いで「残酷な天使のテーゼ」をテロップ付きで流し、最後にみんなを導いたのなら大喝采の拍手で少年は神話になったよ。

そうすりゃ女性陣もQでつまらん役回りと、今回の物分り良すぎるわきまえた立ち回りに収まることもなかった。マヤも含めてそんなに物分りよかったらQであんなにこじれるわけないだろ。ビジュアル的にはサービス多かったけど、あの好感もちずらい調子だから序破のようなサービスシーンとしては受け取れない。ただ、Qであまり存在感なかった「ぽか波」は村でシンジの回復役、シンジの命をつなぐ母であり子どもであるまま終わったのがよかった。いつも自己犠牲だな。

女性陣がご都合主義な役回りの分、男性陣、トウジ、ケンスケ、加持ジュニア、ネクタイつけた大人(高校生?)シンジが美味しい役割だったかと思う。今回の主役でもある碇司令はじめ、男のメンタル弱すぎるので成長してよかったというべきか。

そう、夏エヴァのときはシンジの内面を深く描写していたが、今回の補完計画は碇ゲンドウの内面と向き合うことになった。オタクにありがちな「みんなとコミュニケーションがうまく取れない」「楽しめない」「ひとりが好き」という立ち位置からユイと出会って世界が広がって、ユイを失うことで世界を失うわけだが、すごくありがちで分かりやすい描き方で表現した。

どうしてもクラスやグループや組織って、馴染めない人が出るんだよね。それはその人の性格にもよるけど、ウェーイ系を40人集めても必ず馴染めない人は出てくる。というのも人間はグループの関係性で人気の立ち位置が埋まると、そこからはみ出たり、みんなと違うことでアイデンティティを取るのが本能的な生き残り戦術だから。全員が同じ考えと動きでは、何かの事故で遺伝子全滅の恐れがあるから。

本能的に生き残るために「みんなと同じである」事に違和感を感じる。これは家族間でも、兄弟や親子どもで立ち位置が決まると、残った人の役割も決まる。例えば親がとてもだらしなかったら、むしろ家庭を維持しようと長男や長女がしっかりして、親がしっかりしつつ過保護だと子どもはずっと子どものままであったりするように。

今回の映画で「みんなとコミュニケーションが取れない」席にゲンドウがはっきり座ったのはよかった。映画見た多くの人は、もうその席がゲンドウのものと認識してしまったゆえ、自分がその席に座るのはなんか違うし、誰かが座るのも良しとしない。良くも悪くもそのこじらせ席は無意識に座ることができなくなり離れるしかない。

今回のエヴァを熱く語っても批判しても、もはや当時のように論争やケンカにならない。かつてのような熱い否定や批判すら生暖かく見守れるほど周りがみんな大人になり、批判し続けようとする人すらも、ゲンドウの席にしがみ続けることができなくなってしまった。

、、最後に「渚司令」?
ってのがわからなくて。アニメ上のゲンドウの席に座り、ゲンドウの服着て「渚司令」なんだよね。。あれ? こいつ碇ゲンドウなの?

じゃあ、綾波が母親をベースにしたクローンのように、渚カヲルは碇司令をベースにしたクローン、とは言わないまでも鏡合わせのような存在なの? シンジを拒絶するしかなかった時に別れた何か。ゲンドウがシンジを幸せにするためにループする何か。

カップリングベースの強引なこじつけから考えれば、綾波レイ(碇ユイ)x渚カヲル(碇ゲンドウ) に収まるんでちょうどいいんだけどね。新劇でお互いピアノ引くのもつながってくるし。ピアノはQと今回だけなので強引かなあ。いや、ゲンドウから別れたのではなく、碇ゲンドウが旧劇でアダムの肉体取り込んだ事で、ループ世界でアダムの精神(カヲル)とゲンドウ融合したと考えれば辻褄あうだろうか? あるいは新劇で代わりに手に入れたネブカドネザルの鍵? ループ物にありがちなアダムが先かゲンドウが先かみたいなパラドックスになるけどここまで多次元だと時間の流れも関係ないような。そのうえでカヲルの欠落した(ゲンドウだった)記憶を劇中どこかのタイミングで取り戻したか。でもゲンドウxユイはあのまま成仏してたほうが綺麗に終わるか。まあこれは僕じゃわからんので詳しい人の考察待ちで。



元からハツラツと生きてる人にはなんのこっちゃと思うアニメかもしれないが、当時鬱屈した青春時代を送ってシンジに共感してた人達が24年たって希望もつ大人になってるなら救われるかもしれない。僕もブログ書いたり仕事したりでだいぶ考えが変わった。エヴァ放映当時はコンプレックスの塊で何が Take care of your self. (最終26話副題)だと悩んでたが、今は自分の許し方を心得てる。これでエヴァが成仏する。

だからなんでこのエンディングを24年前にやらなかったのかとw
24年前の夏を気持ち悪いで終わらせず、このハッピーエンドへつなげたなら、人生こじらせなかった人多かっただろww

ただ人生にいまだ閉塞感抱え、まだ自分を許すことができない、TV版の「ここにいていいんだ」と言えない、Take care of your self. できない人は、大人になったシンジ達に置いてかれることになるのか。

そういう意味じゃ24年必要だったかもな。
24年前コンプレックスまみれの自分がこれみても、たぶん救われない。いや、エヴァで救われる、救われないという話でもない。別に結婚もしてないし彼女もいないが、自分を許せる今これを見て、あの夏からちゃんと大人になってた事を理解した。

逆に自分が丸くなったということでもある。シンジ達に置いていかれるような、コンプレックスまみれで子どものままでいた方が、この作品を強く否定できる人の方が、それでもまだゲンドウでいられる人の方が、創作意欲やどうしようもないエネルギーは高いかもしれない。そういう人が次のエヴァみたいなのを作るんだろう。

そういう映画でした。
終わらせてくれてありがとう庵野。



以下はストーリーと関係ない蛇足。

映画見る時、アスカのイラストついた一枚のペラパンフレット渡されて、裏にネタバレ注意ともあったけど、中開いたら「ガイウスの槍」「マイナス宇宙」「ネブカドネザルの鍵」「ゴルゴダオブジェクト」など、劇中で使われる単語が説明もなくひたすら羅列してるだけだった。

これまで専門用語こみで深く考察してる人には展開のネタバレになるかもしれないけど、そんなことしてなければ分かりようがないので、劇中で意味わからん単語が飛び交う予習として上映前に読んどくのはいいと思う。意味分からんでも何しゃべってるかはわかるかも。むしろ字幕ほしい。

あと食料が貴重とか、週3日配給の村のわりにふくよかな人多いなとw
戦後に食糧難が続いたらああはならない。あれはニアサードインパクトから14年なんとか食いつないで生き延びた人ではなくて、震災の人達を参考にしてるよね。


技術的な面では3Dがエヴァに合わない。
やっぱ夏エヴァの全部手書きのほうが戦闘もケレン味あったよ。
3Dで激しいアクションとカメラワークするとFPS大好きおじさんでも何やってるか全然わからん。IMAXを初見中央席で見て認識追いつかないだけかもしれんが、手書きだったら嘘パースとブラーを描き込むから分かるし気持ちいいのだけど、それを3Dでやろうとすると格闘ゲームのギルティギアやナルトみたいに、1コマづつモデリングを変形させるという手書きよりはるかにコストかかることやらないといけない。

何度もプレイして世界中で売れる格闘ゲームはそれで採算取れるけど、カメラワーク決まってるアニメでそこまでコストかけても別に2D超えないからなあ。ガンダムがロボだけは手書きにこだわってるのもそういうことだろう。無機物ぽい使徒や戦艦は3Dでも都合いいんだけどさ。人型のエヴァは手書きがいい。


3D使う場合は、あそこまで激しい(カメラ)アクションせず、戦闘中に歌舞伎のような決めポーズ多様するとか。人物の手書きは基本8フレームぐらいかな? それに合わせて3Dも8-12フレームぐらいに落としてるのが激しいアクション分かりづらい理由かもしれない。最後のシンジとゲンドウの心象風景バトルで、シン・ゴジラ終盤のような特撮セットで戦う場面があって、それはTVの特撮に合わせて映画の24(60)フレーム?で動いてたが、それはアニメのフレームじゃない変にリアルなのが違和感ある。特撮シーンは狙ったものだからいいのだけど全編ただフレーム増やせばいいという話でもなく。

となると、3Dでケレン味出すならハリウッドのトランスフォーマーみたいに全編24フレームの実写リアリティベースぐらいの予算かけるか、3Dでベース作って手書きでトレースし直すとかになるんだろうか? とにかく今回の3Dエヴァは違う。

2回目見るとしても、その3D戦闘や、謎解きの専門用語や、Qで歪み、浅くなった人物の問答はもうどうでもよく、序盤の丁寧な生活シーンや、大人になった最後の元気なシーンがまた見たい。その30分みるために2時間35分使うのは苦痛だw

このため興行収入がどうなるのかは気になる。
序20億。破40億。Q52億と配給が東宝にまで膨らんで先の見えない期待感はとどんどん上がってきた。今はコロナで大作供給少ない各映画館は売れる映画をフルスクリーンでかける。今回は東宝にくわえ東映まで配給。去年鬼滅が300億突破したので、うまくいけば100億やそれ以上も狙えるはずだが、完結してしまった物語や、Qの後始末感ある強引さは複数回見る動機が減るだろうか?

でも最初と最後であんなにキャラクターを活き活き描けるアニメはほんと凄い。庵野やカラーの次の作品を期待したい。

www.youtube.com

jp.ign.com

 

【追記2。他のいろんな感想みたあと】
そういや、この庵野秀明監督の宇多田ヒカルミュージックビデオは、コロナ過を考慮して素材を本人達に取ってもらい、庵野監督が編集するという手法をとってる。これも現場に任せて出てきた絵コンテ案を、庵野がピックアップして編集という点で新しいエヴァと同じ、監督が全てをコントロールするのではなく、現場の案を監督が編集する形になってる。

www.youtube.com
夏公開予定の シン・ウルトラマン もシン・ゴジラのときと違って庵野は「総監督」でなくなった。「監督」でするなく、「製作、企画、脚本」という大元でありながら 一歩引いた立場になっている。ここでも自分で全てをコントロールすることをやめている。むしろシン・ゴジラのときは思い通りにならないことに大暴れして、役者、スタッフにとんでもないストレスを与えたようだ。(庵野というネームバリューがあったから我慢しつつ、出来上がったものが良かったから、報われたらしいけど)

www.sankei.com

もしかしたらシン・ゴジラを作ったことで、独りよがりで映画を作る限界、年齢から次世代へ受け渡す心境の変化、ひとりで全部抱え込んで鬱にならない制作体制への変化が芽生えてきたのかもしれないね。


www.youtube.comIGNの感想だったかな?
今回もEDで流れた Beautiful World がシンジじゃなくてゲンドウの事歌ってたという解釈はしっくりくる。

宇多田ヒカル Beautiful World 歌詞 - 歌ネット


宇多田ヒカル One Last Kiss 歌詞 - 歌ネット

じゃあ今回のメイン曲である、One Last Kiss は誰の視点なんだろうか。
マリ、アスカ、碇ユイ、綾波、ミサト、、女性陣だったらほとんど当てはまるんだよね。女性陣全員としての多重録音コーラスなんだろうか。

「村の描写は2021年にもなって、母性や女を押し付けてくるのがサマーウォーズの細田監督ぽくて気持ち悪い」という感想が多かったが、あれは男性陣も含めみんな優しく受け入れてるので、村人みんなメメント・モリの境地かと。

村のすぐ側で死が徘徊してるわけで、明日にでも4thインパクトが起こったり、村の結界が壊れてもおかしくない。この14年間に助けられない命もたくさんあった。いつも死の存在を忘れず受け入れるしかないから、優しくなれる。メメント・モリ。みんなじいさんばあさんレベルで死を受け入れる準備が出来てるから丸くなるんじゃないかと。綾波にもシンジにも優しくいられる理由。

TVエヴァの序盤、シンジがコンビニ立ち寄って、主婦の会話聞こえるシーンあるけど「また疎開ですって、(NERV)しっかりしてほしいわほんと」みたいな村社会特有の排他感、無責任感を言える状況ですらない。みんな地に足をつけて協力しなければ生きていけないので。

いろんな考察で「トップ」「ナディア」「式日」その元ネタである「ウルトラマン」「田園に死す」などいろんな作品出てくるけど、庵野監督はいろんな作品をミクスチャーして昇華しながら、エヴァも含めた自分の過去作も「:||」リピートしつづけてきたということかもね。それは日常の再生産でもあり、やはりアニメ、特撮、SFの虚構と現実を共に次世代へつないでいく、たぶシン・ウルトラマンも庵野監督の次のリピートなんだと解釈したい。

「最後に緒方さん使わず役者声優使うのは商業的すぎ。緒方さんなら声変わりの演技力もできるのに!」という批判に対し、少年が神(木隆之介)になってマリアと結ばれるという説はなるほど。