teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

恨みはどうやって手放すのか?

togetter.com
恨み相手の事ばかり考え、相手主体で生きると許せないが、
全て自分主体で考えると「正確にはあのとき適切な反撃や立ち回り、その強さがなかった自分が許せない」となるので、そのときの自分を許す事ができればいい。

アドラー心理学の延長みたいなもので、もし山で熊に襲われて友人が殺され、自分も瀕死の重症負って命からがら助かったとして、熊を恨み続けるかどうか。その熊の性格は子熊のテリトリーを守るとか防衛本能ではなく、遊び半分の悪ふざけだったとする。

対処として一番悪いのは何もせず毎日熊を恨み続けること。
それを毎日思い出すたび気分が悪くなり、脳の何割かがそっちに持ってかれて普段の生活能力や仕事能力が衰える。なんなら鬱にもなる。

恨むにしても復習を実行に移すならいい。その熊を狩りにいくとか、もし人間相手ならちゃんと裁判で戦うなり、ケンカで勝つなり、自分の土俵や商売で勝つなり。行動が伴うなら生きるエネルギーになる。それが社会を良くすると思う人もいるだろう。

一番楽なのは最初に書いたように自分の山に対する認識や準備が甘く、対処を間違えたそのときの自分を許すことで「忘れる」。熊を許すとか、熊が幸せになったらいいなんて思わなくていい。自分を許して忘れる。さっさと次に行く。

それで友人が浮かばれるのかと非難されて、他人からの目線で自分の人生を生きる必要はない。熊のほくそ笑む視線を考えて熊の目線で自分の人生を生きる必要もない。あくまで自分の人生は自分のため自分の視線で生きる。


一度、善悪や、正義や、幸、不幸などを取っ払って考えたほうがいいだろう。まだ人が文化も法律も社会も持たず力だけで大自然を生き抜いていた時代に、野蛮な奴が私利私欲のために力振るってたとき、倫理を元にあるべき社会正義など振りかざしても潰されるだけだ。

社会正義を元に恨んでも自分で自分を毎日傷つけるだけ。そいつから離れるか、戦うなら力にはそれ以上の力か知恵で対抗しなければいけない。そう考えるほうが健全。あるべき社会正義や善悪なんて考えるから人間は苦しくなる。より正確には「自分が無意識に信じて疑わない正義の被害者、善である」と思い込んでるから苦しむことになる。自分にも相手にも利害があるだけでそもそも善悪などないと考えたほうが、相対的な自分の悪も自覚でき、より客観的に正確に勝てる行動をとりやすい。

無理に戦わないなら避ける。戦うなら社会的に勝つように戦う。
 

嫌われる勇気

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