teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

ニュージーランドでは若者の自殺率が高いらしい

anond.hatelabo.jp

かなり学歴社会みたいだけど人口500万の経済は移民に頼ってる部分が多い。となると高学歴高収入の職は海外に目を向けない限り狭き門かもしれない。人口は多くて学歴社会なら他の国にも当てはまる。

 

第13回 ニュージーランドの自慢できない一面 - うつ病、いじめ、ストレス

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日本の他に北欧、カナダ、韓国、アメリカなどもランクインしてるがNZは日本の倍も突出。

 

日本は自社の文化に人材を染めたい新卒信仰があるため、新卒より替えの効かないおっさんの再就職が難しく、若者よりおっさんの自殺率が高い。

 

日本の自殺 - Wikipedia

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学歴社会で自殺が増えるのは若者として他に世界が見えてない時期で、そこへ全力投球しなきゃいけないというのは多大なストレスだろう。

 

これは同じ投稿者だろうか?
NZのジェンダーギャップは突出して低く、ほんとにそんな社会がいいのか促している。

anond.hatelabo.jp

ニュージーランドのジェンダーギャップは世界で6位だ。日本の121位に比べたら天と地ほどの開きがある。

(略)

こういう社会の女性たちは確かに自信を持っており、自己肯定感も高い。ただ、それに向けての努力も怠っていない。

首相が女性であり、女性が社会進出して生きやすく、かといって女尊男卑でもなく正しい先進国の道筋にも見える。はてぶの多くも「まさにこんな社会を目指している」というコメントだ。

 

500万人という人口は間違ったことを軌道修正するにも素早そうだ。正しいレールからこぼれおちないよう、ずっと努力し続けれる人にとっても素晴らしい国かもしれない。ここで言う努力はジェンダーギャップを無くす努力ではなく、自立し続けるための努力。

 

気になるのが2つめの記事にあるニュージーランドの「いじめ」問題。

アンケート結果が得られた51ヶ国の中で、ニュージーランドは何と2番目にいじめの経験を訴える子供の割合が高かったのです。(一番はLatriaのいう東欧の国でした。)

(略)
ソーシャルメディアを使ったいじめ、いわゆるcyber bullyingも、ニュージーランドでは大きな問題です。

 

ここで思うのが「まさにこんな社会を目指している」はずのはてぶやTwitterで正論を言える僕ら。そういう大人を見て育った子どもたちが「正しくないやつ」をいじめるんじゃないだろうかという疑念。

 

僕らがそのまま学生に戻ってもいじめをするつもりはない。多分僕らの子供たちも正しいやつはいじめない。しかし「正しくないやつ」は全員でフルボッコにすると思うのだ。クラスにはあちゅうや、イケハヤや田端がいておかしなこといいはじめたとき、ほんとにいじめないだろうか? ハブったりなにかあるたびに差別したりしないだろうか?

 

あっちが先に差別思想を押し付けてきたり嘘ついたのだから、あやまって反省するまで徹底的に無視するか、事あるごとに圧力をかけるのではないだろうか?

 

是々非々で、お前の「その論」は間違ってると思うし、嘘ついたことはちゃんと謝るまで許さないが、同じクラスというコミュニティに属してる以上、仲間はずれにはしないし、意図的に優先度を下げないように気をつける。。なんて立ち回りは子供にできないだろう。大人だってほとんど無理だ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのが普通。ましてや「正しくないやつ」と一緒にいれば自分がハブられてしまう。

 

これがビジネスなら、得意先の思想が気に入らなくても失言やパワハラあっても、金銭的相互利益とのバランス考えて、それはそれ、これはこれと分けて考えることができるが。

 

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日本のいじめ認知件数はどんどん伸びてるが、昔と比べて本当にいじめが増えてるかどうかは調べようがない。昔(2012以前?)は事件あると校長らの退職金が減る仕組みだったので、いじめは学校側からもみされる力学が働き、正確な統計が取れてないからだ。日本のいじめられっ子がいじめられてることを自分自身のプライドにかけて認めるかどうかの側面もある。

 

中学、高校も上向きだが、日本は少子化まっしぐらなので2008-2012のように、比率が同じなら件数も右肩下がりになるはず。子どもたちの学校に限らず、世界的に「正しくないものを全員で叩き潰す社会」に走っているのかもしれない。良くも悪くも。

 

SNSで子どもたちに見せる背中として、僕ら大人が身につけるべきははあちゅうやイケハヤや田端を叩かない技術だろう。好き嫌いの感情ではなく、是々非々で判断し、批判するにも相手を立て、暴言や誹謗中傷を混ぜないで意見表明する背中を同じSNS使ってるであろう子どもたちに見せていきたい。

 

とはいえ、相手を批判するのに袈裟まで憎んだほうが手っ取り早く都合がいい。安倍が憎ければ、全ての揚げ足を取り、入閣する全ての人事を批判して、自民党も潰れてもらうほうがいいに決まってる。やらかした芸能人を番組から降板させるようスポンサーに突撃したり、やらかした俳優の出演映画を自粛したり、漫画やテレビなど、細かいところからどんどん表現規制をかけて社会規範強くするのがてっとりばやいが、そこをもう少し考えたほうがいいと思うのだ。

例えばアーティストが麻薬やってたからといって、楽曲の販売自粛は是々非々。作品はアーティストの遺伝子を継いだ子供であり、親の罪と作品としての子の存在権利は切り分けられるのではなかろうか?

 

もう少し踏み込むと、やらかした人を許す、悪人に寛容になる哲学でもある。自分の意識なんて正義に決まってるので、自分も含めて全員悪人、自分もみんなも全員ダメ人間ぐらいに考えたほうが感情抜きで物事だけを捉えやすかったりする。

 

話が哲学になるけど、他人を許せないというのは、実は自分を許せないということらしい。自分で今の自分自身を全部肯定できない。自分を肯定するために他人が必要で、今の自分や過去の自分を否定するから、過去のコンプレックスを刺激する他人や環境を変えようと必死になる。正義とは真逆の「いいかげんさ」「ひらきなおり」で執着を手放す事が必要。簡単で難しい。

 

もちょっというと他人の目を気にして、他人から怒られないように気を使ったり、余計な忖度して生きるより、植木等、高田純次、明石家さんまなど、自分自身がまず大好きというきっかけがあれば他人を許さないという執着から逃れられる。子どもにネットリンチしてる姿を見せずにすむ。他人のためじゃなく、自分自身を生きるスタートライン。話が飛ぶのでまた次回。

 

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