teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

いじめを増やす方法

toyokeizai.net

どうすれば、教室でのいじめを「増やす」ことができると思いますか?

荻上チキ氏のとてもよい提言なので考えてみよう。
これは魚の飼育実験でもいじめが発生するように、基本的には狭い環境でストレスを与え続ければいいはず。

寮生活にして家に帰さない

世界を広くもたせてはいけない。
逃げ場所を作ってはいけない。
学校生活こそが世界の全てという状況に追い込むため、寮生活を必須にして家に帰さない。

家庭環境が荒れてる子供はちゃんと家に帰す

人は1方向のストレスには案外耐える。
しかし、学校もストレス、家もストレスという2方向からのストレスにはまず耐えられない。夫婦喧嘩が耐えなかったり、DVだったり、教育熱心で受験圧力が強すぎる家にはちゃんと帰すほうが、より理不尽なストレスを溜め、イジメに発展しやすい。
家に居場所がないなら寮生活させず、むしろ帰してあげよう。

部活動に強制参加させる

人が納得できない理不尽なルールはあればあるほどいい。
部活動強制参加はその一つ。
また長く学校という世界にしばりつける理由にもなる。
部活は必ずヒエラルキーを敷いて、1年に全ての雑用を押し付け、先輩のどんな理不尽な命令にも口答えさせてはならない。

ただしNHKでも特集されたような帝京大ラグビーのような部活はダメだ

ameblo.jp

rugtube.com

上級生が雑用をして、1年生が本質的な練習に取り組むなどあってはならない。

少グループに分けて、徹底した論理的議論と、多様性ある練習の取り組み方を認めてそれぞれが改善、進化、採用するなんて車輪の再発明みたいな非効率はあまりに馬鹿げてる。

そもそもラグビー部なのに、大学卒業してからの「ラグビーとは関係ない」キャリアプランなんかをしっかり考えさせるとか無駄すぎる時間を持つこともどうかしている。本来選手には常に将来の不安をもたせ、卒業後の未来の希望など与えず、「おまえにはもうラグビーしかない」と思わせるような背水の陣みたいな追い込み方が必要だ。

将来のキャリアプランまでしっかり考えた上で未来に余計な心配で頭や時間を使わずに、ラグビーの練習に集中させるなんてその程度の意気込みで試合に勝てるわけがない。こういう部活は最悪だ。

だいたい本当に強いチームを目指すなら、頭の悪い生徒になんか考えさせず、大人の監督が一貫して本物の練習と戦術を教えなくてはいけない。口答えは許さず正しい本物のやり方を押し付けよう。それが結局選手のためだ。

バイト含む学校外部での活動参加を禁止する

外の広い世界を垣間見たり、多用な価値観を身につけたり、それを背中で教えてくれる大人と接することを許してはいけない。つまりバイトも、趣味のサークルも、特に年齢層バラバラないろんな価値観ある居場所に参加させるのは禁止させる。そもそも学生にバイトも早ければ、趣味のサークルとか危ない人が混じってるかもしれないしな。

インターナショナルスクールの廃止。帰国子女の入学を禁止。

インターナショナルスクールはすでに「多様な人種、文化、価値観」「お互いそもそも常識から違う」を許容する前提で作られている。しかしここは日本だ。日本社会で生きていくためにはとにかく目立たない同質性と空気読みと暗黙の常識という前提を学ぶ必要がある。よってインターナショナルスクールはイジメの普及に害悪である。インターナショナルではイジメがないという事ではなく、せっかく日本なのに日本的な同質性を求める空気読みなイジメが減ってしまう。

また、帰国子女もいただけない。
すでに海外で日本とは違う文化を学び体験してるせいで、日本の学校という狭い世界観を押し付けるのにやっかいな存在だ。イジメの邪魔なので海外の学校を卒業して欲しいところである。

先生をひたすら忙しくさせる

先生が生徒の尊敬を集めるクラスのボスであってはならない。
どんな悪いやつも尊敬する人の言葉は素直に聞くので教室を穏やかにコントロールしてしまう。

先生を忙しくさせるため、テストの作成、採点、きめ細やかな対応、部活動顧問を兼任させ、親のクレームに全て付き合い、生徒の生活全てに責任を負い、大量の仕事を与え、ミスのない完璧な仕事を常に求め続け、できて当たり前の減点評価と薄給に抑える。そうするほど先生は壊れてより生徒に無関心となっていくだろう。

イジメが発生したら教育委員会から先生や、校長、教頭の給与を下げる

これだけで、イジメの報告は学校に伝わらず、目立った対処もされず、イジメは隠蔽されたまま増えていく良策である。

教室に1年間同じ40名を押し込める

大学のように講義を生徒が選ぶという方式は良くない。
どんな嫌な先生や生徒でも、「強制的に1年間こいつと一緒にやらなきゃいけない」と選択の自由を奪って、理不尽を押し付け、逃げ道を奪うことでよりイジメが成立しやすくなる。こうしないとクラスでの運動会とか、文化祭とか、修学旅行とかできないし、和を尊ぶのは大事。

ヒエラルキーとしての校内順位やクラス内順位を付ける

中間、期末テストなどの席次は最下位までの全てを、校内の目立つところにずっと貼り付けよう。これで下位20%はバカにされ続け、イジメられやすくなる。

また学校内のイジメだけではなく、クラス内のイジメも増やすためいろんなヒエラルキーがあるとよい。クラス内でも誰が学力劣るか、体力テストでも誰が劣るか、身長でも誰が劣るか、体重で太ってるやつ、痩せすぎなやつがいるか、顔面偏差値でブスやブサイクがいるか、親の資産ランキングもあっていい。全てのヒエラルキー下位20%を可視化して、後ろの黒板に張り出しておこう。常にイジメのネタを提供し、誰かが劣ってる事を証明してラベリングを貼り、マウントを取るゲームにするのだ。

クラス間で競争させ、クラス内の班同士でも個人でも競争させよう。

競争順位付けはクラス同士、班同士、個人同士でやるのも良い。
誰が足を引っ張ってるか明確になるからだ。
オンラインFPSでも人は敵ではなく足を引っ張る仲間に怒る。
自分が活躍してれば、それがなかったことにされるのでなおさらだ。
自分がどれだけ頑張っても勝てない、評価されない、正論(と思って言ってること)が言い訳として脇に置かれる理不尽さは強烈である。

ここで特に大事なのはクラスも班も「協力」させてはいけないことだ。
必ず自分の力のみで答えを出して、自分の頭で考えることを重要視し、誰にも教えてもらったりサポートしてもらわずに結果を出させるように仕向ける。できる人が手を貸したり、分かりやすくまとめられたノート貸したり、コツを教えたり、サポートに廻るのは、できない人のために良くないことだと教え込み、「協力」したら罰を与えるようにする。

1位のクラスや班や個人にはビリのクラスや班に掃除してもらうとか、給食の差が出るとか、限られたパイを奪い合う目に見える明確な優遇措置を与えよう。この差を維持するためにクラス同士や班同士や個人同士が協力して差が埋まると、自分の取り分や立場がどんどん損する仕組みにするといい。世の中はパイの奪い合いなんだから。

絶対やってはいけないのは出会うことのない距離感での競争。対学校での競争である。

生徒1人の評価=学生全体の総合点数。みたいな無茶苦茶な評価にしてはいけない。95点のできる生徒が100点になるよう頑張るより、95点の生徒が20点しか取れない生徒に協力して80点取らせる方が自分の評価が上がり、学校の全体最適化になるという、「校内やクラスで競争するより、協力したほうが得」という仕組みはあまりに馬鹿げている。評価は常に個人、個別であるべきだ。できるやつは100点目指すのが当たり前だ。足引っ張ってるやつにかまっては日本は世界と戦えない。腐ったりんごは切り捨てなければいけない。常に競争させるから人は強くなるのだ。社会は他人を蹴落として踏み潰して勝ち上がっていくしかないのだ。まあどう頑張っても学校のテスト評価で全体最適化がそのまま個人評価になることはないからなんの心配もないのだが。

もう少し映画的に言うと「宇宙人からの侵略戦争」で世界の目的が統一されてるときは人類は一致団結して協力してしまう。しかし、個別の資源争いや利権争いに終始させれば、地球内だけで無数のいじめや争いが発生するわけだ。だからみんなにも正当な権利を常に主張させ、弱者には分け与えず、正論で公平な奪い合いの競争をさせるのが一番良い。世の中は資本主義という弱肉強食の世界なのだから。

誰の差別もえこひいきも許さず公平、平等の絶対的な正しさを教え込もう

まず、みんなの「普通」や「常識」の違いを許容してはいけない。

生徒は全ての行動に対して絶対的な公平でなければいけない。
なんらかの病気、トラブル、事故に関しても例外を認めず罰や負担を与えなければならない。

全ての公平、平等が徹底されるほど、なんの融通も効かず、かなり非効率なところでも公平で平等な時間とコストをかけるお役所仕事になる。これで先生と生徒の両方の学校生活にとんでもない負担を強いることができる。

先生はますます忙しくなってなんにでも平等と公正を求める無駄で非効率な仕事に頭がおかしくなり、生徒たちは40人全員が「それぞれ違う常識」をそれぞれの正しさだと思っていがみ合う。イジメは増え深刻化するし、学級崩壊させるのにも、もってこいのルールである。しかも表面的にはまったく疑う余地がない正論なのがなお良い。

仕事は辛い、金儲けは汚い、日本に未来はない、あなた達の社会負担はより重い、という将来の不安を煽るメッセージをひたすら与えよう

そうするほど学生はより行き場のない不安とストレスが増大する。そのやりばのないストレスはイジメに発展する。無駄に将来を悩み悲観する時間も増え、学校を出た後も地獄だという事が強調され、そういう思い込みで無為な時間を過ごすほどそれは現実となる。ちなみにこれは学生じゃなくても大人にも効く。

いじめを罰するときはいじめた側が100%悪いとして処罰しよう

イジメた側の言い分を一切聞かないという先生や親の態度は大変素晴らしい。イジメられた側の心情に配慮してるのだろうが、イジメの遠因など根本的な解決にたどり着かず、こうすると第3者達が平行線でイジメ議論が何も深まらないのも素晴らしい。

いじめっ子はそれが理屈にあってなく理不尽に感じて、さらなる陰湿なイジメや、歪んだ大人に成長してよりイジメを広げてくれるだろう。

いじめられっ子は弱者なので常に守ってあげよう

いじめられっ子はヒエラルキーの下層や、自分の自信のなさ、いじめっ子の存在に苦しんでいる。だからいじめられてたらちゃんと上から目線で守ってやらないといけない。私がいないとあなたは生きていけないのよという暗黙のメッセージとともに、魚を与えて常に助けてあげよう。いじめられっ子は普通とは違う守ってあげないといけない弱者であるという事実を、あなたにもいじめられっ子にも無意識レベルで植え付けよう。

決していじめっ子といじめられっ子で何の認識が対立してるのか、中立翻訳してはいけないし、いじめられっ子になにか対立する欠点があるとして、それを解決するために一緒に勉強したり、一緒にメイク学んだり、一緒にスポーツ始めたり、趣味に一緒に参加したりしてはいけない。できないことをフォローして、できることを頼るとか対等に立つ必要は一切ない。そんなことまで時間と労力かける義理はあなたにはない。

魚を与えるだけで、決して魚の釣り方を教えてはいけない。
相手にするときは常に守ってあげる上から目線。いじめられっ子を対等に普通に扱って自尊心を育ててはいけない。魚を与えて守ってあげるだけなら、将来に渡ってあなたのいない所でいじめられ続けるだろう。それにもしいじめられっ子がいじめになんとか耐えて自尊心がまだ残っていたら、あなたの弱者を守るという善意100%の支えが、おまえは一生弱者のままだという無意識のメッセージとして伝わり、後ろからバットをフルスイングする攻撃となり、いじめられっ子は防ぐことも耐えることもできず、面白いように人格壊れるのがみられる。

マイナスのハロー効果をテコの原理で使ってイジメを増幅させよう

イジメが発生するというのは、いわゆるマイナスのハロー効果である。

ハロー効果というのはひとつ抜き出て高い評価があると、その他の能力も人格も全て良いと勘違いする錯覚だ。面接でイケメンや美女が圧倒的採用率高いが、面接官は決して顔で判断せず人格や能力を見抜いたと言い切り、面接官本人すら意識できないレベルで効果がある。面接官がハロー効果を知っててもこの錯覚を逃れることも自覚することも難しい。

ハロー効果はマイナスにも働いて、ひとつ失敗したり、モラルに反した言動が発覚すると、人格も能力も全て悪いやつだ、叩いていいやつだと脳は判断する。だから相手に何か気に入らないことがあって、ハロー効果が少しでもマイナス側に振れると、そこからイジメのスパイラルが始まってマイナスのハロー効果も増大していく。脳は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」が正常であって、坊主と袈裟を個別の事象として分けて考える方がずっと難しいからだ。

ふろむださんの本
に詳しく書いてあるが、人間の認知バグとして
「脳は過剰に一貫性を求める」とある。


正義なら全て正義、悪なら全て悪という情報の一貫性、ストーリーの一貫性は、人間の知恵の保管や予測機能、判断機能、自分が自分であるアイデンティティ保持のため、見えない箇所、調べてない箇所、情報の足りない箇所を埋める脳内情報ネットワークの必須機能である。ゆえに副作用として、個別の事象として判断できず全ての判断に一貫性を求め、ハロー効果(本で言う錯覚資産)は強烈な認知バグとして機能する。

このハロー効果を一番理解してるのは「ヤンキー」とか「ヤクザ」がいう「俺たちは舐められたら終わりだ。」というセリフ。ヤンキーやヤクザの世界でもマイナスのハロー効果へ寄ってしまうと、取り返しがつかなくなる。ハッタリが効かなくなると最終手段しか取れないがそればかりでは実際生きていけない。その世界で生きていくために常にプラスのハロー効果として「一目置かれる存在」でなければいけなくて、そのための努力も知恵も根性も欠かせない。

いじめられっ子は「自分は何もしてないのに」とか言ったり、ヒエラルキーで自信を無くしてヤンキーのようなハロー効果を取り戻す気概がないので舐められたままでいいと思ってるからほんとにイジメやすい。

マイナスのハロー効果活用方法はあえてブログで解説するまでもないだろう。
ネットでちょっとでも「モラル」に反したり、「矛盾したダブルスタンダードの正義感」がでたり、「極論」を掲げたら、リアルでもそれを噂で広く晒してしまえば、イジメが発生する。コミュニケーションは言語外が7割を締め、言葉で伝わる事のほうが少ないから、発言の切り取り方でわりとどうにでもなる。

だけどここでプラスのハロー効果を持ってる人はある程度信用されハロー効果が担保となって難を逃れることもある。やはり狙うのは「プラスのハロー効果を持ってない人」だ。

「公正」「平等」などの正論を言う人を狙おう

よくいじめられっ子が都合よく勘違いしてるのは

「自分は何もしてないのに」と言うやつだ。

これはみてる世界が狭すぎる。
「人はそこにいるだけで他人に負担をかける」という認識が現実として正しい。
生徒がそこにいるだけで、先生や管理者の負担になる。
あなたがそこにいるだけで、周りはそれなりに気を使って協調する必要がある。
あなたがそこにいるだけで、成績が優秀でも、誰かのコンプレックスを刺激するし、成績が悪くてもなんでこいつと同じクラスで、同じ扱いなのかと誰かのコンプレックスを刺激する。美人でもブサイクでも同じ、人格が良くても悪くても、仲が良くても悪くても、とにかくそこにいるだけで誰かの負担になる。
義務教育の学校そのものにも税金という多大なコストがかかっている。

「学校施設はそもそも自分が頼んだわけではない。誰かに迷惑かけるつもりもないのに、存在そのもので勝手傷ついたとか言われても責任のとりようがない。そいつアホかと。」
と、正論言うかもしれないが、それが協調性ないと直感でムカつくわけだ。

よくいろんな経営者が「感謝の気持ちのある人が欲しい」というのも、こういう「俺は貢献してるはずだし、いちいち他人に気を使いたくないんだけど?」という自分の与えられてる環境が当たり前で一人前に仕事した気になってる人が、毎回トラブルの元になり扱いづらいから。

みんながみんな「成績で一目置かれる存在」というプラスのハロー効果を持つのはできない。そうすると自分の知らない所で迷惑かけてる負担、与えられた環境をそのまま尊大に「当たり前」と勘違いしてると、マイナスのハロー効果におちいりやすい。実際は自分が思ってるよりも、周りの負担を軽減してフォローして、協調して、ときに盛り上げて、話を聞いて、笑わせて、仕事も勉強もして、ある程度のプラスのハロー効果を身に着けたり、所属コミュニティみんなに貢献したりすることで初めてプラマイゼロになる。「自分は何もしてないのに」だけではマイナスだ。

別にコミュニケーション強者になれというわけではなくて、自分の得意とする所を多く負担することで、はじめてなんらかの自分で気づけない迷惑が帳消しになる。与えられた環境を当たり前だとか理不尽だとか、一人で何の責任もなく生きてると勘違いしてる子供のような狭い正論を言うやつはプラスのハロー効果がなく、ものすごく叩きやすいからイジメの狙い所である。

いじめを増やす方法のまとめ

狭いとこに理不尽に長期間閉じ込め、
平等や公平や常識や普通といった理不尽さをおしつけ、
さらに個別の負担感を増大させ、
ヒエラルキーを強調し、
リソースやパイの奪い合いをさせて、
協力はさせず常に競争させ、
過大なストレスをいじめ以外にも多方向から与え、
未来と社会に希望は持たせず、
マイナスのハロー効果というテコの原理を最大限活用していく。

だいたいこの手法にそっていけばいじめを意図的に増やして、より深刻化させることが可能だろう。この答え合わせは、荻上チキ氏の著書で。

いじめを生む教室 子どもを守るために知っておきたいデータと知識 (PHP新書)

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