teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

フェミニストが「優しい口調」でなければならない理由と「激しい怒りの声」になる理由。トーンポリシング、ダメ!絶対!

このへんの話。

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 「優しい口調」でなければならない理由は、たかまつさんの記事のブコメに書いてあった。

日本のクソフェミニストどもは米国のフェミのスターのギンズバーグ大先生のお言葉を胸に刻みつけるべき

「あなたが重要だと思っているもののために闘いなさい。しかし、他の人達があなたに賛成するように闘いなさい」

フェミニストは社会を動かすために、フェミニストじゃない多数の一般人を味方に付けないといけない。当然その中には男も権力者も含む。上記記事の過激で自己矛盾した怒りをぶちまければ過激な賛同者は得られるが、同じぐらいのアンチと、より多数の一般人を敵に回すことになる。

日和見の一般人から「フェミの言うことは矛盾ばかりで耳を貸す必要がない」と思われたり、同じ女性からも「フェミの仲間と思われたくない」と捉えられると、穏健な「優しい口調のフェミニスト」すらも無視されかねない。

僕の森会長からここまでの6記事はたかまつさんと同調するものなので「優しい口調」の理由は理解できる。


わからないのは「怒りの声」で染めるという理屈だ。
(以下思考過程なので、結論へどうぞ)

マイノリティの感情を無視するな! とか、
男は優しく言ってもわからないんだから怒るしかないじゃない! とか、
議論や対話、問題解決のためではなく怒りの表明だ! というのは一理あるのだが、
それはフェミニストの問題を解決するには逆効果だし、分断を生み、守るはずだった女性すら名誉男性にして攻撃するのは、もはや怒ることそのものが目的になってないか?


逆に穏健な「優しい口調のフェミニスト」というのは現状そこまで価値がないのだろう。多くの人がネットでつながりTwitterやFacebookを使ってる以上、すでに多数派が差別反対の声をあげてる事実上の「優しいフェミニスト」だ。Twitterでなんらかの差別に声を上げてるだけでひとつのフェミニスト活動である。

ここから社会活動家として意義のある差別化をするなら「怒りの声の代弁者」でなければ目立たないし、声が大きくならない。声の大きな活動家でなければ記事も書かせてもらえないし、メディアにも呼ばれない。Youtuberとしての活動もしりすぼみである。

日本中を怒りの声で染めて社会を変えるか、日本の空気を理性で変えるかの違い?

しかし怒りで変えるには森会長なみの巨大敵権力の失態が月1で必要であり、あのレベルの失態を意図的に引き起こすのは難しい。前に出すぎて孤立した小木をゲリラ的に囲んで、どんな小さな敵でも張り付け火炙りにしていくというのは、手段選ばない自己矛盾となり、ギンズバーグのいう他の人の共感を得られず、カルトとして先鋭化していく悪手だと思う。

小木はいろいろ失言をしたが、勝部が虐待とレッテルを張って拡散するのはどうだろうか。小木を擁護する妻のツイッターにも批判が殺到し、10歳の娘まで学校でいじめられないかの心配まで出てくる。そのため小木はアウェイでも参戦し勝部を問い続けるしかなかった。勝部はそれも小木の責任で自分は切り取られたメディアを引用しただけと責任回避するだろう。それじゃPVさえ稼げればいいというマスゴミ仕草と変わらない。敵の妻や子どもを犠牲にしてまで怒りの声を主張したいというのは、女性や子どもを守るフェミニストのやることだろうか?

ソーシャルアクティビストという名称は今回初めて聞いた。フェミニストという印象があまりに悪くなったせいで名称を変えてるのだろうか? 今回の件で僕の第一印象は最悪のスタートとなったので、汚名挽回してほしいところ。

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これに対して勝部氏は「じゃあメディアの側が嘘をついているってことですか?」と自分が批判されているのにメディアに責任をすり替えようとする。

しかしおぎさんは「メディアも悪いですが、それを調べようともせずにそういう風に誹謗中傷する人がいけないんです」と、勝部さん自身の話に引き戻そうとする。おぎさんは最初からずっと勝部さんの話をしている。

しかしこれでも勝部氏は「メディアに出されたら信じるんじゃないですかね。通常であれば」とどこまでもメディアのせいにして自分には責任がないと言い張る態度を崩さない。

小木はラジオを聞いてる人であればニュアンスが分かるから、切り取りで判断せず最後までラジオ聞いてほしいと訴えてた。でも切り取りを見た人が、ラジオの1次ソースを後から調べるのは難しい。一応 radikoや、各局のアプリで1週間ぐらい聞ける番組もあるがそれに当てはまらなかったり、1週間過ぎることもある。

この答えはなかったが、ラジオや一次ソースを知らなければ敵ではなく味方視点で考え「文脈の前後を敬意で埋める」でいいと思う。深夜ラジオのノリで、小木のキャラで、前置きとそれなりのフォローいれたうえでの発言だろうとしてしまえばいい。それで正義のリンチに参加せずに済む。

職場に知らない新人が入ってきてミスすると激しく怒る人がいるが、現場を知らない社長が入ってきてミスしてもその人は怒らず丁寧に教える。それは社長に敬意があるからだ。知らない新人にも敬意を持つほうがチームはうまく回る。子どもに対しても大人ぶらず一定の敬意を持ち同じ目線で尊重し考えたほうが飲み込みが早くなる。

ただ子どもや新人や小木の前後の文脈は、どうしてそういう考えに至るのかちゃんと話聞いたり、ある程度予想できるので敬意を払えるが、勝部は自己矛盾をわかっててやってるフシがあって、どうしてそういう考えに至るのかが理解できないと敬意が払えない。

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該当の音声探して聞いたんですが
10歳の娘、当人が怒るならいいんですよ。
でもパパとお風呂に入りたいと自分で言う他人の娘の気持ちを、勝部が怒りの代弁として社会活動に利用するのは違うでしょ。そこに自分たちのトラウマやコンプレックスを重ねて怒るのも違うでしょ。よしんば、成人したときにお父さんがこんな気持ち悪いこと言ってたと怒られないために代わりに怒るんだと言っても余計なお世話でしょ。娘さんの事思うならそっとスルーしてやれよ。現在の奥さんや10歳に負担かけるような拡散もだめでしょ。怒るなら自分の事で怒れよ。他人の娘のポジティブな気持ちまで政治利用するとか何様だよ。
と、ごめん。この方のツイート利用して勝部に言い過ぎた。

いや、女性は男性権力者相手以上に、同じ女性やフェミニストに対して一番わきまえてるよね。 過激なフェミニストが論理矛盾や暴走しても、なんか違うと思っても、それを注意する女性はほとんどいない。そんなことしたら仲間に潰されてしまうから。たかまつさんは男性のためにわきまえてるのではなく「過激派フェミニストにもわきまえない女」の目線。森会長の組織委員会が自浄作用働いてないみたいな批判あったけど、過激派フェミニスト内で自浄作用が働いてないのは、よしきさんのnoteの通り。

拡散の話に固執したのは勝部が娘への虐待と言ったスレッド↓の最後にクラブハウスで話そうというリンクがあって、小木がさすがにこれは釈明しなければいけないと慌てて入った流れのためですね。

 

以下激しい怒りを公言するツイートを拾ってみます。

 

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クラブハウスの中では
「僕たちは怒りを表明する役だ。丁寧に説明するのはそれをやりたい人がやればいい」とまで言っていました。


なるほど。性被害に関することと、妊娠育児というどうしようもない女性のハンデはあります。それ以外の女性差別については、前の記事で「資本主義」という弱肉強食の圧力がある以上、弱者差別は避けられないことを書きました。その枠に女性差別と男性差別も含まれる。高税率、高福祉を目指すなら、他国との競争をやめ、社会主義や共産主義に移行ということになり、それはみんなで貧乏になる可能性も考慮しないといけず、共産主義であるはずの中国共産党すら1985年から「先に豊かになれる者たちを富ませ」で資本主義になり、共産主義の実現はいずれその後ということになってる。

「女性差別の話であって、資本主義や男性差別の話なんかしてないよ!」
と思うかもしれないが、過激派フェミと僕とでは世界の見え方が違ってるのでしょう。

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すごく大雑把ですが、クラブハウスで一切の非を認めないあたり、100:0で男が女を抑圧するこんな感じのヒエラルキーでしょうか? こんな単純ではないかもしれませんし、女は3ページ分ぐらい下だよというかもしれませんがだいたいのニュアンスで。

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僕の現在の偏見だと資本主義世界の差別ヒエラルキーはこんな感じ。この図は性被害など加えてないので比率などツッコミどころたくさんあるでしょうけど、まあとりあえず。

僕からみると「女性、子どもは守らないといけない社会通念」はさまざまな女性へ配慮されたサービスや社会保障、権力者や男からの(余計な?)気遣いだけど、男性フェミニストで怒りを公言してる人は「女性、子どもは守らないといけない社会通念」という正義感が女性の下支えではなく、枠全体を覆うほど拡大してる。俺たち男は全員圧倒的強者であって、女性を全力で守らないといけないという、むしろ女性を対等に見てないマッチョイズムなおごりにも見える。


この図で言えば、左の踏みつけられる女性が立ち向かうべきは上の男女の権力者。才能や権力ある女性に差別なんて関係ないマッチョイズムだから。女性差別という形では「男の権力者」のみを狙うだろう。

ここで同様に踏みつけられてる「男全体」を狙うのは不毛。弱いもの同士で争うことになる。過激派ではない優しいフェミニストは男女どの層にもいるので、全部味方にした方が得なはず。

男の場合「女のくせに」というオブラートすらないから、同じ学校でも職場でも女より男のほうが強く詰められるの見たことないですか?  同じ悪いことして男のほうが罰受けるの強かったりしない? 逆に女性は女性の上長のほうが「女のくせに」って言葉使わないから女に対して遠慮なく強くあたることない?

男性の底辺はリストラされて再就職できない中年が離婚されたり、引きこもりキモオタニートだったり、パートすら断られるような人たち。社会から一番抑圧されてるはずのフェミからもキモいと侮蔑されさらに底辺におかれる。

性被害に関しては女性が圧倒的に多く、痴漢対策に女性専用車両ができるのも個人的には男性差別なんて思わない。そんな女性専用車両に突撃する頭おかしな男もいるが、彼らは女からも男からも虐げられる最底辺にいるのに、誰からも救いの手が出されず自分で自分を許すこともできない悲しい奴だ。男にそんな甘え許されない。女性よりさらに底辺を這う弱い男が自己責任で、自分専用車両が用意されないのは理不尽に思うだろう。そいつはつまみ出されるべきだが、そんな男と女が女性専用車両内で共に発狂するなんて地獄すぎる。

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女は風俗で体犠牲にするもっと底辺がいるわ!
という反論もあるだろう。

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すると男は誰にも甘えられない高い自殺率や、理不尽なヤクザの鉄砲玉、命落とすかPTSDとなる軍人、昭和の大掛かりな建築や炭鉱で何百人も死亡事故の犠牲になったというかもしれない。女が体で尊厳なくす方が命落とすよりずっときついわ、というかもしれない。でもお互い自分が一番不幸だという競争しても意味ない。みんな差別のない上の世界、もう稼がないでいい世界に行きたいだけなんだから。


これは資本主義という格差を考えた図だけど「出産」となるとヒエラルキーはグッと女性に傾く。母体なんだから当然。軍隊のヒエラルキーとなるといくら女性自衛官が出てきたからと言っても男に傾く。「女性差別」という図なら森会長や、小木は補給の途切れた孤立無援の状態だ。例えTVに出る有名人でも、女性差別問題で小木が発言影響力のある権力者だなんて思えない。


フェミニストの「優しい口調」で世界は変わらなかったとか、フェミニストの「激しい怒り」で世界が変わったとかもない。#MeTooの衝撃でSNSの市民の声が可視化されることがむしろ政治に影響を与えるようになったが、それも理性的な主張だ。ネットとSNSがあればいいことで、過激派フェミがいなくても女性の社会進出は進み、世界はどんどん良くなっている。

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男性社会でも、女性社会でも今まで弱者として虐げられてた人たちが世代交代で上に立つ機会増えたのも大きい。私達が上に立ったからには過去の理不尽なパワハラも偏見も絶対許さんぞと。IT業界の躍進で、学園ヒエラルキー下位の合理的な理系オタク(差別?) が役員に顔を並べるようになったのも影響あるかも。

anond.hatelabo.jpこっちは過激派フェミから離脱する人の記事で納得。 
明確な自己矛盾に気づいて離脱してる。
なら自己矛盾見えてて離脱できない人はなんなんだ、、

うーん、、ここまで書いたのにわからん。

なんで自己矛盾してまで100:0で相手が悪いといいきれるんだ。
なんで自己矛盾してまで話聞かずに一方的に相手を批判できるんだ。
いつもは叩かれてる方を擁護しがちなブログなのに、勝部を擁護するスキが全く見えない。クラブハウス聞いても、Twitter見ても自分達の絶対正義を疑わない、自分達を棚に上げてるのわかってて、それを無視できる哲学が見えない。

メタな事を深く質問してもシーライオニングと言われ答えてくれないだろうか。まあ理解のとっかかりもないからシーライオニングになるだろう。Twitterで勝部達にそれなりに賛同者がつくということは、去年死去するまで性差別に生涯を通して戦った連邦最高裁判事ギンズバーグに対抗できるほどの哲学や教典となる思想書があるのだろうか? それを読むと僕も考え変わるのだろうか? それともそんな教典などなく、単にSNSでの言論によるテロ活動として体制に蜂起してるのか? 示し合わせたように?




と、いったん筆を置こうとしたら。。。教典これか!!!

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ん? ここちょっとおかしくない?
議論と感情は別問題では?
裁判で恐怖や感情の強い方が勝ちとなると、それは議論でも善悪でもなく、心の弱い方が中心であって、凶悪犯罪者でも心弱ければいいのか?
議論とセラピーは別なはず。

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いやいやいや。逆に怒り狂った特権階級の会話が暴力的でも、マイノリティが会話を拒否することは可能だって! 勝部も石川もそれやったろ!

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議論とは、、、
「ガス抜き!」
「コミュニティを見つけるためのもの!」
「少しでも孤独を和らげるもの!」
あーーーーー

あーーーーー

なるほど。コミュニティのガス抜きで孤独を和らげるものだったから、誰も勝部を止めなかった。小木を吊り上げてみんなでやすらぐつもりが、突然小木本人が釈明に入ってきたり、たかまつさんが入ったりでああなったのか。奥さんや娘さんに被害が及ぶなんて気にかけることもなく。「私達の議論は解決を目的としてない。自分の感情満たすため攻撃をしかけるセラピー」だと。それなら納得。

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いやだから、特権、抑圧、差別でしかおきないみたいな言い方がもう読んでる人を洗脳しかけてるんだって。じゃあ過激派フェミの感情暴言には、感情暴言で返したらいいの? それが正解ならアンチの暴言で石川さんが傷ついたと嘆いて、町田さんが鍵かける結果になるのは、ソーシャルアクティビスト達の望む事だったと? そんな戦争繰り返すより理性的に話し合ったほうが良くない?

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社会が変わらないなら、社会が変わるまで、自分の感情満たす言論の暴力を撒き散らしますって、それテロだよね。もちろんテロも戦争も体制へ抵抗する手段のひとつだよ。無関係の市民や味方を巻き込みながらね。

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(アライ Ally 味方。怒りを表現してフェミの良い味方になりたい。)
一旦引いて鍵かけるところまで教典にあるのか。

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ここで「アクティビズム」が出てくる。
いや、正しいよ。凄く正しいよ。
マイノリティが自分の心を守るため、素直に気持ちを表現するため、強者が作った社会のルールには一切従わず、一方的に感情をぶちまける。そのために小木の奥さんが攻撃されようが娘に害が及ぼうが、仲間と思ってた人が名誉男性で裏切ろうが、勇気ある仲間が戦死を遂げようが、逆差別しようが、自分の感情が一番大事。立派な過激派テロリストだ。

この教典がまずいのは信者になるデメリットが巧妙に隠されてること。
「感情で攻撃したら感情で攻撃され返される」ことをオブラートにつつんでること、
「議論とセラピーを混ぜて」いくらでも都合よく逃げ道を用意してること、
「人間の一番大事な感情を利用して」会話のルールを逸脱する踏み絵となってること、
「引くこと」の逃げ道も用意し、外の敵と中のコミュニティで分断させ、激しい否定と激しい肯定の行き来が、まさに洗脳システムそのものであること。

会話のキャッチボールができないのも納得。相手のボールは取らないでピッチングのみしたいわけね。ボールが相手のどこにあたろうが、流れ弾が誰に当たろうがマウンドに立ってピッチャーしたいという自分の気持ちが一番大切だからそれは二の次だと。マイノリティ最強カード「ずっと俺のターン」発動だ。でもごめん、お前とはもう野球も遊戯王もできねえわ。

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トーンポリシング教信者に対して僕の言葉は何一つ届かないだろう。この教典を否定することがトーンポリシングだから。自分の感情を守るためには人の話を聞かないでいいという教典だから。なのでトーンポリシング教を支援する若い人に話そう。

これ、会話や社会のルール無視できる思想なんで、自分の感情のためなら法は関係ないんだよね。人間は感情が先で、法は(彼らに言わせると権力者の都合いいように)後から作られたわけだから。オウムもそうだったよ。現世で間違いを起こした人間を正しく来世に送るためにポアすればいい。誰が間違いかって? それはオウムが100:0で決める。議論なんて必要ない。そこに日本のルールなんて関係なく、自分たちの思想をまず一番大事にしたんだ。内省することも、仲間が諌めることもない組織に自浄作用はない。

もちろん過激派フェミがオウムになることはない。教祖もいなければ、教典もたぶんこれしかないしね。あくまで言論のテロリズム。でも言葉で人が死ぬこともあるんだよ。本来守るはずだった奥さん、娘さん、名誉男性を傷つけてさ、自分の感情のためにフェミニストからテロリストになって、さらに自分も攻撃されるわけじゃん。まあテロリストも社会活動家ではあるかな? この教典を学んで自分の感情のためにルール無視しても構わないのであれば、何があっても仕方ないよね。

若くて何者にもなれない人達が、自分のアイデンティティを探して悩み苦しむのは当然。アラサー腐女子の記事にあるように、誰かに否定され、それを何年も自分で反芻すれば拭えないコンプレックスとなる。肥大した自尊心と二律背反。自分が何者かになることもなく、政治にも期待しないとしたら人生に救いはない。

そんな李徴の心のスキに、宗教、ネットワークビジネス、オンラインサロン、自己啓発、フェミニストなどが助けに入る。否定し続けた自分を肯定してくれるコミュニティだから。僕も若い時、自己啓発と自己責任にハマったよw 同じ10代20代でスターやリア充もいるのに、何者にもなれない自分はなんなんだってみんな思う。結局手に職つけて自立するしかないんだけどさ。アラサー腐女子じゃないけど「別に何者にもなれなくても自分は自分でいいや」と自信持てるほど広い世界見て経験得たのは30ぐらいからだったよ。

よしきさんが「N国党とおなじに見える」という批判してたけど、N国党はまだ「選挙」という社会のルールを利用してる。この世界で生き残るには自分で手に職をつけ自立するか、選挙で社会を変えるか。そういう意味ではN国はまだ現実のルール、、の隙間をついて戦ってる。

西野のオンラインサロンは資本主義経済の上で成り立ってる。この2つはアレコレ非難されてるコミュニティだけど、一応どっちも日本のルールの上で戦ってるんだよね。さすがにまずいと思ったのはどっちも謝る動画や記事だしたりする。トーンポリシング教の「100:0で相手が悪い」「相手の話は聞かなくていい」「体制のルールは守らなくていい」と解釈できてしまう教典は言論のテロ思想になりえる。当初の目的も取り違えて、先がないんだよ。

もちろん、同じ聖書読んでも解釈する宗派によって平和になったり過激になったりするから英語の原典をどう解釈するかってのもある。海外のフェミや差別の状況と日本とでは随分違うだろうしね。100歩譲って社会ルールの範囲で正しく扱えるなら平和でいられるかもしれない。海外はなんでも先に進んでて121位の日本はちゃんと学ぶべきという偏ったバイアスもこのコミックを聖典化してしまう事に拍車をかける。ほんとに海外を盲信してこのコミック信じていいの?

資本主義で「自立」と「政治(選挙)」を諦めた人たちに救いはない。ネットもない昭和時代の受け皿には「学生運動」というのもあったのさ。しかし激しい怒りをぶつけても世界は変わらなかった。ミイラを狩る自分たちがミイラになってる事、自分たちと関係なく世界は好景気になってる自己矛盾に気づいて仲間内で殺し合い、みんな抜けていった。

 
教典にもあるように負け組全てに救いの手はのべられない。思考過程の途中にリンク張ったがそれでも世界はどんどん良くなってる。ファクトフルネス読めばそんなに未来は悲観するものでも無い。優しい口調の本来のフェミニストにつくのも悪くない。ほっといても世界はどんどん変わる。あなたが起業するのも、優秀な女性を雇うのも、政治に立候補するのも、選挙を真面目に考えるのも誰も止めることは出来ない。一歩ずつ一歩ずつ試行錯誤。世界も自分も諦めなくていいんだよ。 

僕は世界で自分ひとりしかいなかったとしたら、暑いのを太陽のせいにしたり、食料や住居が保証されないのを地球のせいにはしない。周りの動植物と比べるとお互い全然平等じゃなく、弱肉強食の差別しかないけど、いちいちそんなこと考える必要ないので、周りの動植物たちとどう共存して命いっぱい生きるかだけ。もしかして自分以外はみんなAIロボットかもしれないし、この世界は5分前に作られたかもしれない。自分以外の人間という動物たちとどう共存していくか楽しむだけだ。勝ち組になれなくてもこの世界で試行錯誤し続けてる事そのものが楽しいということもある。

これも一つの思想。テロ思想や戦争が社会のルールと勝ち負けができる前に戻って戦いたいということであれば、さらにそれ以前の原点に戻って、もし世界に自分ひとりだったら、他人からのトラウマで毎日自分で自分を傷つけたり、他人の目を気にしたり、地球や動物に怒り続けながら生きるだろうか?教だ。ダメな自分を肯定するコミュニティベースではなく、自分ひとりの所から世界のミカタを再構築してもいいんじゃないかな。

トーンポリシング教の人達はほっといたらいいと思うんだよね。その言葉が出たらもう会話は成り立たないのでそっとしといたほうがいい。自分の気持ちを吐き出すのはセラピーとして大切なこと。それをフェミニストや社会活動家として、相手の会話を聞くかのような議論と言ってるのが、同じ空間にいる本来のフェミニストや社会活動家やSNSに対立を産む。

過激派でも一応フェミニストの形を取ってるんで、差別にしか噛みつかない。話が通じない叫びたいだけの虎だ。近づかなければ害はない。人は他人を救うことはできない。他人の手を取ることだって自分の意志が必要。自分のことは自分で救うしかない。自分を救えない人が必ず一定数発生する以上、虎となって叫ぶ場所は必要なんだろう。僕らは喰われないようにブロックしながら注意して生きていくことで、遠くから虎と共存するしかないのかもしれない。アラサー腐女子のようにいつか虎であることをやめるなら会話もできるようになるだろう。本来のフェミニストから分派した過激派フェミニストが「ソーシャルアクティビスト」を名乗るなら混ざらず区分けできるかもしれない。

社会活動に夢見てもいいけど、母ちゃんに言われたように宿題してから遊ぶ。ちゃんと衣食住確保してライスワークして、社会のルールは守り、現実とのバランス保った上で、そのあと好きな事やろう。現実から逃げたら「鬱」「統合失調」「Qアノン」「テロ」あたりでしか世界との整合性とれなくなるからね。