teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

中学の義務教育をやめるという話

これが話題だったので何の話なのか調べてみた。

www.youtube.com動画の該当部分は25分から。

ツイートは貧富の差の支配、財務支出の予算低減を狙うような事を言ってるが、動画のテーマは「教育における同調圧力」でありN高生の質問はこちら。

「日本は民主主義ですが空気や地域的、社会的な圧力がかなり強い国だと思います。国民が自分の考えを言い出しにくい場合が多々あると思います。今の教育は中学校などは特に、個人の多様性がおさえこまれる教育の仕方だと思います。民主主義の国として国民一人一人が自分の考えを持つ事が大切だと思うのですが、今の教育はベストな教育の仕方ですか?」

これに対して麻生氏は、世界が植民地だらけの帝国主義、日本は明治維新(1868)で欧米に追いつくための富国強兵から語っている。このときに導入したのがヨーロッパの科学技術を学ぶための義務教育。読み書きそろばんを徹底してやる。

工業ラインで物を作るにも、強い軍隊を作るにも間違いなく効果があった。しかし今の時代、ブルーワーカーや物を考えない兵士が重要か? 多様性やイノベーションが重要視される時代で義務教育を(高校まで伸ばして)押し付けるのは逆効果ではないか? 各国から義務教育が優れてると言われる日本なのに、大学はみんなアメリカや海外に行くのは真剣に考えないといけない。「教育」は小学校までで充分ではないか? 中学から学校いかなくていい、行きたい人だけ行けばいい。それでも高校の進学率は90%超えてるが、(2021年99.8%) 藤井聡太みたいに若くて腕に覚えがある人は高校中退。そういう人がどんどんでてきてもいい。という答え。

www.youtube.com
小学生Youtuberとして稼ぐゆたぼんなどもこれに当てはまるのだろう。ちゃんとホームスクールを受けてるから、引きこもりの人がN高を選ぶように、子どもに学習の選択肢はあっていいかと。中学は友達と遊んだり、部活に打ち込んだりとかいった楽しさもあるけど、いじめられたり理不尽な目に合うそれどころじゃない子どもが無理していく必要はないよね。


中学の教育で非効率なのは「興味がない事を学ぶ」事。人間は興味がない事を覚えることができないようになってるので非常に効率が悪い。むしろ社会に出て仕事で使う必要性を痛感したときに急激に学ぶ。一度社会人を経験した方が、高校や大学での学習意欲が格段に違ってくる。

「教育」ってのは先生が子どもを育むために教える事なんだけど、「学び」は「教えてもらう」のではなく「自発的興味」でスタートしなければならない。ここに大きな開きがある。

もう一度N高生の質問を載せよう。

「日本は民主主義ですが空気や地域的、社会的な圧力がかなり強い国だと思います。国民が自分の考えを言い出しにくい場合が多々あると思います。今の教育は中学校などは特に、個人の多様性がおさえこまれる教育の仕方だと思います。民主主義の国として国民一人一人が自分の考えを持つ事が大切だと思うのですが、今の教育はベストな教育の仕方ですか?」

中学で大人が「何も知らない子どもに教えてあげよう」という気持ちで接していると「正論の同調圧力」で押し殺すことになる。ツイートのリプライように自分で発言元を調べないから本質的議論にいたらず、単なる政治的ポジショントークに持ち込み「異論を正論の同調圧力で叩き潰す国民」に育ってしまう。そんな国民性ばかり教育しては周りの目ばかり気にして本質を議論せず、政治も自治体も企業も、正論で非効率なブルシットジョブで国が衰退してしまうだろう。

「自発的に学ぶ」には自分で教える方がよい。教えるほうが理論を整理し、他人にわかりやすく伝える事で学びを完成させるからだ。教師から教わるのではなく、課題に対して子ども同士で教え合う授業が望ましい。教師はそのサポートでよい。

昔プロフェッショナルで紹介された中学英語教師がそれを実践してた。

先生にきちんと説明できた人は「教師役」になれて、他のまだできてない生徒のチェックに回る。流れができたら先生の時間は空くので、隣の教室で生徒個人個人を呼び出し個別の情操的問題に取り組む。13年前の番組でいろんな学校から視察もありどこまで普及したかわからないが、とてもよい取り組みだ。


新任教師に「できの悪いクラス」と吹き込むとそのとおり「できの悪いクラス」が作られ、「本質的にできるとても良い生徒たち」と吹き込むと「学習結果の良いクラス」が作られる心理効果、アンカリング、ウィンザー、バーナム、ピグマリオン、プライミングなどが挙げられるが、会社で新人を新人扱いせず、自分より凄い可能性を持ったやつと一定の尊敬をもってこちらが柔軟に接すると、新人の吸収力がものすごく早くなるのと同じだ。

「大人の方が子どもより社会や物事を知っている」というのは大きな誤解で、過去の成功体験や、過去の失敗体験が、「今のタイミング」「今の人数」「今の環境」「今の時代」で同じ成功や失敗になるとは限らない。 規模と場所と時間と環境で答えは無限に変わる。つまり「自分のこれまでの正論は間違ってるかもしれない」という疑念を常に抱えながら、子どもや新人の素朴な疑問に接して、子どもと一緒に1から考え直す方が本質的な話やイノベーションにつながる。でなければ、親でも教師でも上司でも、過去の正論を同調圧力で押し付けブルシットワーカーを生み出し続ける国や企業や家族になりかねない。

中学の義務教育をやめるかどうかは重要な話ではないが、今の「大人と日本社会の価値観を子どもに教え込む」よりは、別の道もあった方が健全だろう。真面目に「教育」を「学び」に昇華するにはそういう抜本的な制度改革もありかもしれない。

「子どもを教育する」と上から扱うのではなく「子どもをひとりの人間として敬意をもって扱い、学びを促進し、教師や親も時代や環境に合わせずっと一緒に学んでいく」という異論の方が面白いと思うのだ。