超雑記。
アメリカは英語という語彙の少ない、
間違いにくい言語で、ダイレクトに主張してコミュニケーションを図る。
多民族国家、移民の国だからそれも当然。
これは日本語みたいに母音が少なく、
同音異義語が多すぎて、多義も多義な言語では遅れを取って当然。
日本はとかくコミュニケーションコストが高すぎる。
ただ、日本は一度アメリカを超えた。
それがあうんの呼吸。
職人同士が、町の工場たちが、言葉を交わさなくてもコミュニケーションを取ってたのだw
これは言語を超えたとんでもないレベル。
それでよかった時代だからこそ、コミュニケーションコストは世界でも超ハイレベルで発展できた。
翻って今の日本。
明確な言葉か、著作権、特許、自分の権利、はっきりしゃべれw
アメリカのように明確な指示と、
あいまいでないはっきりとしたコミュニケーションが最大の効率と、「退化」してしまい。
それは普通の人には、当たり前すぎる正論となり、
だからGoogleにやられるんだよ、ばかw
あるチームがある。
1うったら、5とか10とか返ってくるようなチーム。
行き着く先がそれぞれ明確に見えてるのだ。
社内の権利を奪い合うような派閥争いじゃない。
仕事をおしつけたり、10言って1きかせるようなめんどくささもない。
それぞれが自立してるから。
そんなチームがあれば、ものすごい結果を出すと思う。
そういうのはどうやってみつけるのだろうか?
自然と集まっちゃうのだろうか?
誰かが火をつけてみんなで燃え上がるのだろうか?
目的を失った日本や、社員や、ワーキングプアも、
そういうストリーミングにのれるのだろうか?
こういう、人の集まりや、人の目覚めってのが、
ちょっと気になるテーマ。