teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

このブログをありがたがってはいけない。

傲慢なタイトルだが、このブログは今でも一部の人からそれなりのアクセスがある。のでその一部の人たちへ。

サイドバーに貼ってあるような記事だが、スマホで表示されてるか分からないので一応リンクもはっておこう。だいたい自己啓発系の記事や、仕事や勉強の基礎の視点を疑い見直すようなことが書いてある。

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それなりの感心をもってもらえて嬉しいのだが、こういう記事を始め自己啓発系の本などに特別な「感心」や「感動」をもってありがたがるのはあまり良い傾向ではない。

というのも自己啓発を実現するのは読み手の本人なのに、記事を「すごい」という視点で見ると「実現してない自分」を深層心理の深い所で強化してしまう。

サッカーのプロ選手に憧れすぎてそれを「観客として追うこと」で満足してしまうよな。相対的に自分がダメであるほどプロ選手は凄いし、自己啓発は感動できてしまう。だからありがたがるほど「自己実現しない自分」を強化することになりかねない。

 

英語を喋れるようになりたくて高い教材をありがたがるとか、ダイエットしたいということでさまざまなダイエット器具やダイエット商品をありがたがって買うのも同じ。心の奥底に「憧れてる自分」が居る限りそれは実現しない。

 

「英語をしゃべれて当然」「スマートな体型が当たり前」という意識が日常的に当たり前にあって、その実現に「感動」も「感心」もないという人が上手く行く。これはブログ記事内でも「め組の大吾」からの引用で何度か書いてあるけど「俺はワールドカップで優勝できないかもしれない、なんて一度も思わなかった奴が優勝する」というあたりまえの感覚が必要。

 

だから自分が実現したいことに「憧れ」や「感動」があるとしたら危険信号。*1そういう努力を続ける感情豊かな主人公の漫画は多いが、主人公に対立する天才肌のクールなキャラの方が本来は実現しやすい。

この場合主人公の何がダメかというと、「練習、実行」するのに「努力」と「感情」が必要なこと。そうしないとストーリーも盛り上がらない。そして天才の何がいいかというと「練習、実行」するのが当然の日常で「努力」も「感情」もいらないこと。天才側が主人公だとストーリーを盛り上げるのにいろんな工夫が必要になる。

 

漫画じゃないリアルな人生は、自己実現するにもそれが出来て当たり前という天才肌を演じた方がいい。別に天賦の才能は必要なく、「感情」抜きに練習、実行できるのがあたりまえと思えるようになればいい。天賦の才能なんてなくても努力や試行錯誤の天才には誰でもなれる。

 

「そもそもそれができたらこんな人生歩んでねーよ」
というのも僕自身さんざん思ってたことなのでもうちょっと具体的なところ。

 

感情なしに新しく動くには、物理的にクリアにしたり、精神的にクリアにするといい。
・嫌な感情や憧れの感情に気づくたびに姿勢や意識を正す
・部屋の掃除を欠かさない
・ちょうど年末だし使わないゴミを捨て、物を減らす
・はてブやスマートニュースやTwitterなど情報を減らすか遮断する
・アニメは後でいつでも見れるからリアルタイムに追わない
・膨大な隙間時間を奪ってるソシャゲも、年を追うごとに面白いソシャゲが出てくるから当たり前のようにやらなくていい
・雑事に振り回される人付き合いも減らす
・無駄な仕事に振り回されすぎなら、あえて苦労を買ってでも改善に乗り出すか、転職や転職のためのスキル磨きなどを優先的な当たり前とする

・こういった物理的な、精神的な断捨離が先。これを見直すことで新しい当たり前を行う時間ができる。逆に言えば物理的なゴミや精神的なゴミを片付けないからその負担から抜け出せてないだけ。

・物理や精神のゴミを捨てるには限りあるMP(精神的な力?)を使うので、朝イチとか休みの日の初動に動いたほうがいい。新しい当たり前をやりはじめたら慣性がつくのでMPは必要ない。

 

といったところでしょうか。
大掃除して頭がクリアになる感覚は人生のどこかで体験したことあるでしょうし、日常的にその当たり前の意識を維持すること。
逆にソシャゲをプレイし続ける当たり前も、太り続ける当たり前も、アニメを見続ける当たり前も、できない人にとっては相当な努力家にみえるし、エネルギーの方向を変えるだけの作業でもある。


なのでこのブログをありがたがってる人は、物理的にも頭もクリアにするところからはじめて、クリアな意識、できて当たり前のクールさを演じれてるかを常にチェックして姿勢を正していけば、どんな自己実現も可能かと思います。

というこの記事も自己啓発ぽいですが、
自己啓発が悪いわけではなく、自己啓発の基礎の基礎という位置づけですね。
だったら一番初めに書いとけよというところですが、まあおちつけ。
あとで追記するかも。

*1:実現して当たり前というワクワク感ぐらいなら構わない