この件ですが、浜田や番組が黒人差別をする意図なんてないですよね。
《私の気持ちは半々です。
半分の私は、日本のテレビコメディーや音楽でブラックフェイスを見るたび、見下されたような、馬鹿にされたような、そして表面だけを見られて、人間性を否定されているような気分になります。
私の肌の色が、私自身の人間性が、芝居の小道具、あるいは脚本にされたかのように感じるのです。
しかし、もう半分の私は、『彼らは子供で、わかっていないだけ。だから我慢しなきゃ』とも思うのです》
マクニールさんは、こんなふうに思ってしまうこと自体が「つらい」のだと話す。
《敬意を持って、一緒に生きていこうと決めた日本の人たちに対して、このような感情を抱いてしまうのは、つらいことです。》
《このような時、日本の立場を弁護し、こういった見方を打ち消すのは、日本のことをよく知る外国人の役割になるでしょう。でも、こんなことがいつも行われているなら、心から日本のために弁護するようなことができるでしょうか?》
マクニールさん、日本に13年住んでてそれだけ番組チェックしてたら、いや別に日本に住んでなくてもそういう意図がないとわかると思うんですよね。これで傷ついたというのはもっと何か深い理由があるはず、、、
ダウンタウンの松本はシュールなハイコンテクストのコントをよくやりますが、笑ってはいけないという企画はそんな難しい文脈はない単純なもので、テーマに沿って毎回みんなが服装を着替え、まとも、まとも、まとも、最後にズレた衣装の浜田が出てきてツッコミどころ満載の衣装で笑いを取るだけですね。
もう15年近くやってる企画なのでマンネリ気味だけど、過去にやったことない衣装でみんなの予想から斜め上狙う番組スタッフ。「アメリカンポリス」というテーマに対して最後に「エディ・マーフィー」。浜田の毎回の変な衣装は、笑い上戸の松本を狙い撃ちしていて、松本の年代が喰いつくチョイス。どう見ても似合わない浜田が笑われてるのであって黒人を笑う意図はない。
日本人にもっとアメリカ黒人の歴史を知ってもらいたいという想い
マクニールさんはその文脈もあえて知りながら、そこにアメリカの黒人差別の人権運動を持ち込みたい意志が伝わります。それがこの段落の矛盾に現れてる。
《ブラックフェイスが、なぜ悪いかって?
それは、これが、多くの日本人が海外の歴史を知らないだけでなく、自分自身の歴史も知らないことを示しているからです。
多くの日本人は、日本人が顔を黒く塗ったとしても、日本にはアメリカの人種差別の文脈や歴史がないので、問題ない、害がないのだと言うでしょう。
しかし、実はアメリカの歴史とは別に、日本でもブラックフェイスの歴史はありました》
遡れば1854年、来航したペリー提督が当時アメリカで流行していた「ミンストレル・ショー」を幕府の役人に披露している。
《それ以来、現在に至るまで、エノケン(榎本健一・日本の喜劇王)ら、多くの日本人コメディアンやミュージシャンがブラックフェイスをしてきました。シャネルズ(※1980年代に活躍)やゴスペラッツ(※2005年〜06年、2015年夏に再始動)のずっとずっと前からのことです。だから、知らなかったという言い訳、日本にはブラックフェイスの歴史がないという言い訳は通用しない。ダメなのです》
ビデオもない時代に江戸の役人に披露しただけです。このとき奴隷制度真っ只中でミンストレル・ショー=黒人差別という意識すら思ってないペリーが、未来にリンカーンが登場して、南北戦争が起こって奴隷制度が解放され、その先のキング牧師の演説までし、いかにこのダンスと歌と喜劇が黒人差別を助長してるかということを未来予測で解説したうえ、日本の後世にこのことをしっかり伝えて欲しい、、と仮に言ったところで、江戸の役人は開国要求の駆け引きだけでもう手一杯でしょう。
それを日本人は義務教育の自国歴史で学んでるはずだから、知らない、意図はないという言い訳が通用しないという無理筋は、アメリカ人権問題を世界基準に考え、日本の常識にしなければいけないという強い意志が感じられます。
ミンストレル・ショーの内容に幅広い解釈
じゃあいったいこのミンストレル・ショーとはなんなのか、、Wikipediaにものすごく長い解説があります。
顔を黒く塗った(Blackface)白人(特に南北戦争後には黒人)によって演じられた、踊りや音楽、寸劇などを交えた、アメリカ合衆国のエンターテインメントのこと。
ダンス、演劇、漫才、コント、歌、マジックとエンタメとしては何でもありですね。
奴隷制度時代から、それが法的には解放される南北戦争後まで続いたショウ。
+++明らかになるミンストレル・ショーの真実 文:大場正明+++
実はジェファソン時代以後の民主主義のなかで、中流階級が増え、下層の白人とのあいだに対立が生まれていた。
その下層の白人たちは、中流社会から疎外されるがゆえに、奴隷制や差別を受ける黒人たちと意識を共有し、ニューヨークの一部の地域ではすでに白人と黒人が共生する地域が誕生していた。彼らは、接点がないどころか活発な交流を行っていたのだ。『Raising Cain』では、当時のそんな交流を物語る絵や文献なども紹介されている。そこでは、食べ物をもらうためにダンスを踊る黒人の舞台に白人が一緒に立っていたり、白人の芸人の舞台を黒人の観客が見ていたりする。
つまり、ミンストレル・ショーは、当時の社会に不満を持つ白人と黒人の文化の融合から誕生したきわめて先鋭的なパフォーマンスだった。差別的であるどころか、差別に対抗する姿勢がかたちとなって現われたものだったのだ。
こちらは黒人の差別的表現や、白人が黒塗りで黒人を道化の用に演じるという俗説に対するカウンターですね。ただこれはWikiの方にもあるように、南北戦争以前のショウと褐色黒人が自らダークスキンへ黒塗りをするあり方や、多数のミンストレル劇団や地方の例。その時代の流れや盛衰の中でテーマの多様化や劇団の多様化もあってこういう解釈もできるということでしょう。
ミンストレル・ショーがどうであれ、今を生きるアメリカ黒人が現在進行系でその呪いに縛られている事には内容の多様性はあまり関係無さそうです。その象徴がブラックフェイスと。
浜田はどうすればよかったか?
そこでマクニールさんの、笑ってはいけないの解決案ですが
テレビは、どうすればいい?
テレビ側としても、黒人差別をするつもりは全くないはずだ。どうやったら「誤ったメッセージ」を発信せずにすむのだろうか? マクニールさんはこのように話していた。
《この問題を解決する方法は、非常にシンプルです。こういう(黒人が登場する)シーンには、日本語が話せる黒人...できれば日本語が話せる黒人の俳優を起用すればいいだけです》
いや、浜田のキャラは他の4人を笑わせるために配置されてるので、番組レギュラーでない黒人を罰ゲームに参加させるのは、さすがに文脈を無視した解答です。
さきほどの「日本人は自らの歴史に伝わるミンストレル・ショーを知って無ければおかしい」も含めて、なぜこんな答えになるのでしょうか?
2015年の、ラッツ&スター ももクロ 共演カット事件
マクニールさんは2年前のフジテレビ、ミュージークフェアにおける、ラッツ&スター、ももクロ降板劇も、マクニールさん主導で同意した日本人達がTwitter動員され、無事放送をカットさせることに成功しています。
マクニールさんはもちろん、ラッツ&スターやももクロにそんな意図はないとわかった上で反対してます。馬鹿にする意図がなく、敬意を込めても黒人の目にそう映らないからやるべきではないと。
対してこちらはベックニールさんの心情。
note.mu重い!なるほど!!ようやく少し理解できました。
ミンストレル・ショー、ブラックフェイスのここまでの記事を怒り言葉に変換すれば
「白人が黒人の仕事を奪うことに怒っている!」
「なんならアジア人が黒人の仕事を奪うことに怒っている!そこは黒人に歌わせろ!黒人の演者を雇え!!」
「黒人の音楽で利益を得てることに怒っている!」
「黒人の文化で利益を得てることに怒っている!」
「あなた達がそうすることによって、黒人はみんなダンスが上手く、リズム感に優れ、バスケができ、ラップを歌うとみなが勘違いする。それができない黒人はまるで犯罪者のように扱われる!黒人には成功者か犯罪者か奴隷のような賃金で働く選択しか無いのか!? 普通の仕事で普通に生きる権利をくれ!!」
「ミンストレル・ショーで、ほがらかな黒人奴隷として描かれるのに怒っている!!黒人は幸せな奴隷生活だったというのは白人のウソで罪を逃れるための免罪符だ!!」
「ミンストレル・ショーでなぜ、黒人がさらに顔を黒く塗らなければいけない? 素の褐色肌でいいだろ!? ありのままの個人を認めてくれ!!」
「顔を黒く塗る」という行為に、さらに幼少からこれまでの理不尽な生い立ち全ての想いを重ねれば、それだけで怒り心頭でしょう。
「顔を黒く塗る」+「仕事や利益を得る」=「怒り」
ここで重要なポイントは「ただ顔を黒く塗る行為」そのものではなく、その行為で「仕事、利益を得ているか?」です。だから渋谷の女子高生がガングロにすることに対しては誰も怒っていない。女子高生はそれで仕事や利益を得てなくガングロで将来のスターを目指してもいません。でもラッツ&スターや、浜田はそれが仕事だから怒るわけです。
「ミンストレル・ショー」≒「顔を黒く塗って、黒人をあざけわらう行為」
という部分もなくは無いですが、一番始めに来るのは
「ミンストレル・ショー」=「他人種の仕事を奪って、利益を得る行為」
と考えたほうがわかりやすいでしょう。
「GHOST IN THE SHELL」 という、ミンストレル・ショー
別にハリウッドでスカーレット・ヨハンソンが、日本人の草薙素子を演じたところで日本人役者が仕事を奪われたわけじゃないからいいじゃないか。と多くの日本人は思います。ですがこれはアメリカで署名活動おこるほどの問題となったもよう。
確実に興行成績に結びつくスカーレット・ヨハンソンか、誰も聞いたことのないアジア人の女優か。キャスティングでどちらを選ぶかは、明確だ。
僕はこれ、今の今まで勘違いしてて、アメリカでも「原作厨」が怒って署名活動してると思ってたんですね。日本で怒る人は原作イメージに合わないという「原作厨」だけで、それ以外の人はヨハンソンが草薙素子を演じることそのものはどうでもいいわけです。アメリカ国内の批判はそうじゃなかった。ゴーストインザシェルでの非難は原作厨が怒ってるのではなく、ミンストレル・ショーの流れで怒ってるのです。
もちろん配給側も日本人やアジア俳優でヨハンソン以上の興行が取れるならそれに越したことはないはずです。アジア人のハリウッド俳優も少しづつ出てきましたし、いつかスカーレット・ヨハンソンを超える、早川雪洲レベルのハリウッド俳優が育つまで気長にまつしかないでしょう。
カーリー・クロスは誰に謝罪をしたのか?
これで海外で変に日本人配慮されて不思議だった問題も理解できました。
「白人モデルが日本人を演じた」ので人種差別として雑誌もカーリー・クロスも謝罪。そんなこと当の日本人は誰一人思ってない、誰も傷ついてないのに謝罪?
でもブラックフェイスの理論だと、そこは日本人がやる仕事であって、日本人の仕事を白人が奪い、日本人の文化と利益を白人が奪ったという理論になるわけですね。これもミンストレル・ショーだと。だから日本人からは怒ったり謝罪したりする意味が伝わらず、海外だけで物議を醸した。
日本人からしたら文化交流として興味をもってくれたり、イメージ宣伝してくれるだけで日本の利益になって大歓迎ですけどね? これはこれで一つの作品の形になってますし。
ANAもミンストレル・ショー?
前にANAの2014年CMに批判が殺到したことおあって、今回こちらを思い出した人も多かったようです。
www.madameriri.comこれも白人を登場させろという、ブラックフェイス理論かなとおもいきや、いろいろ海外の批判見てたら、
このCMで一番のいけなかったのは「付け鼻」だと思う。
特に欧米人は、成長とともにどんどん高く大きくなる鼻にコンプレックスを持っている人が少なくないからだ。
しかし、「自分の高い鼻が嫌だなぁ」、「日本人みたいに小さい鼻がほしいなぁ」と思っている外国人がこのANAのCMを見たら、馬鹿にされたような気持ちになっても不思議ではない。人によっては人種差別されたと受け取っても仕方がない。
これは知らなかった。外国人の、声を上げたのは主に女性でしょうか?
女性は日本人みたいに鼻小さい方がキュートでモテますしね。でも平たい顔族の男性としてはホリが深く高い鼻に憧れるわけで、日本人男性としては低いほうがコンプレックスになるわけです。ま、大きすぎて嫌だという外国人男性もいるでしょうが、このすれ違いは気づきにくいですね。
ミンストレル・ショーとはなんなのか。他人種を演じて仕事をするとはどういうことなのか。これでマクニールさんがなぜ「(ANAもカーリー・クロスもGHOST IN THE SHELLもあって、これだけ日本でも問題になってる)ミンストレル・ショーを知らないはずがない」とか、「黒人を起用したらいい」といった的を外した答えや解説をしてるのかが理解できました。
世界(アメリカ)の常識に配慮する
ブコメやTwitterでみんながマクニールさんを心配する気持ち、こうやって問題を知ってしまったのだから、世界の黒人達の気持ちに配慮したほうがいいのではないか? 世界の常識を日本人は学ぶべきという意見ももっともでしょう。
その意見は「世界的に」「国際的に」「グローバルの常識」とありますが、一応ミンストレル・ショーはアメリカの問題であって、アメリカ銃社会の問題を描いた映画ボウリング・フォー・コロンバインなど見ても、お隣カナダでアメリカほどの黒人差別はないと聞きます。カナダは医療や失業などの社会保障充実してますしね。
もちろん、「世界=アメリカ」「国際社会=アメリカ基準」「グローバルスタンダード=アメリカスタンダード」という認識もおよそ間違ってないですし、英語がグローバルビジネスの公用語というのもあって、アメリカの文化や常識を取り入れようというのも理解できます。僕も日本のダメな所ばかり見え、相対的にアメリカのいろんな良いところに憧れてる1人なので。
人種差別の概念がそもそもない日本は子供で、人種差別の概念を意識するアメリカは大人?
ただほんとに世界(アメリカ)基準が正しくて、東のはてにある田舎国家である日本が遅れてる、という前提で考えていいのでしょうか?
「元々人種差別という意識がない日本に、わざわざ人種差別を意識させるような運動、文化を持ち込んでいいのか?」
「人種差別という意識がない日本が異常で、常日頃、人種差別の是正を意識しないといけないアメリカの文化が正常でしょうか?」
という点は疑ってもいいと思うんですよね。
もちろん日本人同士でもいろんな差別はあって、「外人」という差別もしてますが、それはアジア人も一括りに含めて「外人」差別であって人種差別ではありません。白人黒人に対しては体がでかくてビビるとか、6年学んだ英語が喋れないコンプレックスもありますが。
マスコミに切り取られてアメリカで放送されたらどうなるか
日本でマクニールさんを応援する人達で、一番の心配事は日本側に意図はなくても、浜田の画面写真だけ切り取られてアメリカのメディアで「Japanese Minstrel Show 2018」とかで紹介されたら大きく炎上するかもしれないという不安でしょう。
www.bbc.com、、と思ったらこの記事書いてる途中でもうされてましたね。
BBCの放送にもマクニールさんは横浜中継で出演したようです。
ただ僕はこの最悪のパターンで紹介されても大した問題にならないんじゃないかと楽観的に見てます。というのもこれだけソーシャルメディアが揃ったアメリカン人は簡単にメディアに踊らされないだろうし、多国籍文化でさまざまな意見がでるだろうと思うから。この点は普通のアメリカ人を信用してます。
すでに両論併記されてますが、カーリー・クロスの件で勝手に外国で騒がれて、当の日本人がキョトンとしてたように、BBCにガキの使いが映って、なんで日本の番組とミンストレル・ショーをつなげてるの? と思ったアメリカ黒人もなかには居るんじゃないでしょうか。
心配しないでも、日本はとっくにアメリカから変態国家の目で見られている。
そもそも日本という存在自体が諸外国から見たらタブー破りの国です。無宗教という最大のタブーに始まり、HENTAI AINME、全体的にロリコン、痴漢天国、援助交際、JRPGと揶揄されるゲーム表現が稚拙、大人が漫画を読む、若すぎるアイドルという存在、無駄な仕事概念、過労死。どれ1つとっても意図なきブラックフェイス並かそれ以上にアウトで、今更そんな日本がバラエティで黒塗りしたところで、「まあ、あの日本がやることだからな」が声なきマジョリティじゃないでしょうか?
マクニールさんが傷つくのは、黒人を演じてることではなく、「知らない」ということ
マクニールさんは別に記事やインタビューにおける売名目的で仕掛けたわけではありません。あくまで自分の出自に苦しみ、黒人差別問題は世界の常識であって、黒人差別意識がない日本人にこの気持が全く共有できない、自分の一番大事な所が大好きな日本ではそもそも問題ですらないかの用に扱われる。それが無視されるように感じる。日本で黒人差別がない世界が当たり前だとしたら、マクニールさんのアメリカで散々悩み苦しんできたトラウマが報われず、黒人差別という概念がない世界そのものに傷つくでしょう。
そこに日本人が同情して応援して大きな騒ぎになる。「マクニールさんのような日本在住黒人のために、日本にも黒人差別をしない世界常識を持ち込もう」という善意の道ができていきます。
この騒ぎで一定の日本人がミンストレル・ショーの知識を得た分は、目的達成できてる。
マクニールさんと、優しい日本人からすれば、TV番組で黒塗りをやめれば、それで目的達成。恐らくこの件で日本のTV番組における黒塗りはほぼ絶滅する可能性があります。その結果、日本に住むアメリカから来た黒人はみんな喜んでハッピーエンドではないでしょうか。
日本に住むアメリカ以外の黒人はどう思ってるのだろう?
僕が心配するのはその後のこと。アメリカ以外の在住黒人からすると「黒人差別がない世界が当たり前がいいに決まってるじゃん。なぜ個人の、アメリカのトラウマを癒やすためにアメリカの文化や表現規制を日本に持ち込むんだ。それだと日本が余計な気を廻して黒人が扱いづらい存在になり、そこに新たな差別が生まれるだろ。もともと関係ない国の黒人まで巻き込むな。」とならないかと。*1
まあ空気読める人なら例え思っててもこんな余計な議論に巻き込まれること言わない方が懸命ですけど。
この件でバラエティに黒人使うのはタブー、、は、やめて欲しい
この問題はアメリカではなく日本TVへの影響であって、ミンストレル・ショーの解釈は広く、どう表現しても妙な解釈に取れるので「バラエティでボケやツッコミをしていいのか判断が曇り、黒人そのものが扱いづらくなること」「視聴者側がミンストレル・ショーを知ったことで、黒人芸人の扱いがこれでいいのかと気になり初めて素直に番組を楽しめなくなること*2」「視聴者から何言われるかわからないから、黒人ネタはバラエティ全部タブーで」と無意識のうちに差別しはじめることです。
日本人の他人の気持ちに対する配慮が異常だからこそ意識したい
日本人は自分の判断で正しい意見の文脈を主張するよりも「みんながそうしてるから」という同調圧力の言葉に弱く、担当者はクレームに責任持ちたくないため「見えない被害者に配慮する」ことには異常なレベルで対応するという弱点を抱えてます。ゆえに役所も政治も大企業もTVも学校も、配慮を最優先としそこに膨大なコストを払って実務が二の次になります。だからまともに機能しづらく、過労死するぐらいの仕事量になってる一因です。
むしろこの件で黒人芸能人を応援してもらう流れになったらいい
例えば元格闘家のボビーオロゴンって本当は日本語を流暢に喋れることを、見て流人は薄々感じるのですが、僕らが思ってるストレートな暴言をそのまま代弁してくれるのが見てて気持ちのいいキャラです。「日本語がたどたどしい外人キャラ」だから許される特殊な立場を利用してますね。これもそういうキャラの振る舞いが「ボビーのキャラは今の時代のポリコレ的にまずいかな? バカな黒人を演じて黒人偏見を助長しないかとか」などとTV側が余計な配慮を加えないで欲しいと願います。
日本で着物着て演歌を歌うJEROはどうでしょうか?
www.youtube.com日本人はJEROに怒ってないどころか、新しい演歌歌手として歓迎しています。別に演歌を歌うのに「着物を着る」必要はありません。ありのまま歌うなら、JEROは黒人としてありのままのいでたちを守り、着物を着るべきではないでしょうか?
そうではないですよね。演歌を志す人間としてその様式美を追求するための衣装であり、その形でいたい。日本にいて日本に同化しようとするその心意気は応援できます。余計な心配ではありますが、アメリカ人からJEROのスタイルは問題じゃないか? とか言われたり、JERO自身が今回のような運動の広がりに萎縮して、配慮しはじめたらそれは残念です。
サンコンとかゾマホンとかたけしの「ここがヘンだよ日本人」みたいな番組から頭角表す黒人タレントもいますが、もともと日本の芸人に憧れて入ったお笑いのパックンや、厚切りジェイソンのように、黒人のお笑い芸人がいてもいいと思うんですよね。
www.youtube.comちょうどこちらまだTVではみない「ニック&ぶらっくさむらい」という若手コンビで、ぶらっくさむらいは日本とカメルーンのハーフで国籍は日本人。アメリカにも8年ほど在住経験ありでこの問題を語ってます。
この騒ぎのあとでも、黒人が日本のバラエティの扉を叩いたとき、視聴者に気遣って門前払いや差別することなく、ガキの使いでニック&ぶらっくさむらいが見れる日がくるといいですね。
アメリカの常識を日本に
他にも懸念点はあって「日本で意図のない黒塗りだとしても、アメリカ黒人の歴史を省みたらアメリカ黒人が傷つくし、少数でも日本国内にすむアメリカ出身の黒人が傷つくからその文化に配慮しよう」という前例ができました。
では宝塚はどうでしょう?
ジパング 世界の反応 えっ 全員女性?? 宝塚歌劇団 世界の反応
宝塚は世界でも異例の女性のみの舞台演劇集団。「彼女らは全員レズビアンかい?」は笑いましたが、 形としては男性の役も権利も奪ってることになります。このことをアメリカ人が異常に思ったり、日本国内に住むLGBTや、わずかな男性が傷ついたとしたら、宝塚にまったくその意図がなくても、そういう声が大きくなったら恥ずべき文化として終了するべきでしょうか? 世界の常識ではない宝塚は性差別の運営をしたと後の歴史に非難されるでしょうか?
逆に歌舞伎はどうでしょう?
女役は全員女形(おやま)という男が演じています。日本の男尊女卑から女人禁制ではじまった芸なので当然、世界の非常識。男尊女卑は宝塚より悪質にみられそうです。今も歌舞伎に関わる人達がいますが、グローバル化が進むにつれそれはおかしいとアメリカから非難され、こういう文化が残ってるからこそ女性の権利が向上しないと、女形の白塗りに傷つくひとが少数でもいたら、やはり世界の目を気にして恥ずべき文化として闇に葬り、非難すべきでしょうか?
もちろん深夜アニメや、アイドル文化などもアメリカ基準の影響はありそうです。
「そりゃ、この後100年もグローバル化が進んで人権の尊重がますます守られていくなら、仮に宝塚や歌舞伎や深夜アニメやAKBが日本の恥ずべき文化として世界から見られ、消えていったとしても仕方ないだろう。」といい切れる人はマクニールさんを堂々と支持できると思います。それもひとつの主張でしょう。
「非実在被害者」の話にのってはいけない
マクニールさんが傷ついたのは「日本人がアメリカ黒人の歴史を知らない、関心ももたない、そこに敬意は払えないこと」「そんな無知な日本が世界からどう見られるか心配」の2点で、前者はアメリカ含め日本でもあちこちで行われた議論で、だいぶ理解が進んだ事はマクニールさんの面目躍如です。ここまでなら僕もOK。
しかし後者は「非実在被害者」です。「アメリカ人は日本の文脈など読まないし、日本に人種差別がないことを理解しないし、学ぼうとはしない。」という前提で話をしています。それは「カーリー・クロス」のときに「非実在日本人被害者」に向けて「日本人に失礼だ!!」と勝手に被害者を作ってるのと代わりありません。
大事なのはお互いの文化や歴史や概念や文脈を学ぶことであって、黒塗りをしないことではない
「日本人がアメリカの歴史であるミンストレル・ショーを知った上で」「アメリカ人が日本は歴史上そういう人種差別をもたない文化だと理解した上で」ミンストレル・ショーと全く関係ない黒塗りを日本でやるのはありというのが僕の意見。お互いの文化、歴史を知った上で黒人を特別扱いしないのがベストです。
グローバル時代、「だからこそ」話せば分かる
議論がこじれるのは「人々は切り取ったマスコミの情報に踊らされる」「普通の人は相手の歴史なんか学ばない」という前提で話をしてるからです。今はネットやSNS、前後の文脈もわかるYoutubeさえあります。BBCなどの反応を見ても「案外みんな文脈を理解する」「お互い相手の歴史や文化を尊重しようとしてる」「アメリカ人も、日本人も言うほどバカじゃない」でした。
ネットの発達により「マスコミに切り取られる前提」「非実在被害者前提」の話は終わりました。昔は雑誌やTVで切り取られたらどうしようもなく誤解が広まるだけで取り返しがつかなかった。だからお互いの文脈を理解するなんてありえず、マスコミによる非実在被害者を想定する不毛な議論があったんです。
今は「互いの文脈、歴史、文化を手軽に知り得て、手軽に議論をするツールがある」のが前提です。だから、「マスコミに切り取られて(非実在)被害者が出たらどうするんだ」、「文脈を知らず傷つく人がたくさん出たらどうするんだ」という余計な心配をする必要がありません。勝手に見えない被害者を作ってそれを前提に議論すること自体が不毛で、そのステージで話しはじめたらどちらも泥沼の敗者です。
「誤解して怒る人にはお互いの歴史や文脈を解説する」
「非実在被害者前提の話にはのらない」
「こいつはこんなこともわからないのか、という相手をバカにした口調でしゃべらず敬意を持って接する」
この3つを守れば、不毛な論争を避けれるでしょう。*3
「グローバル化の時代だから、相手の歴史を学ぼう」には賛成です。今回は歴史を知らない僕が調べるための記事で、とても勉強になりました。これもマクニールさんの成果です。
だからといって日本人の表現者や制作者が前もって「ミンストレル・ショー」が意味する所を知ってて当たり前とは思いません。僕も怒ってる部分は理解しましたが根深いところまでは分かってないでしょう。それはその問題を指摘されたそのときに反省して調べ始めたり、黒人の方が解説してくれたらいいのです。それに加えて、
「グローバル化の時代になったからこそ、こちらの文化や概念を話せば相手は意外と分かってくれる」というのも今回の騒ぎの特徴ではないでしょうか。
↓こちら、id:inherentviceさんから、僕の記事の誤認を指摘されています。
良ければご一読を。
2018/01/08 2:11 - キットカットきっとぐにゃっと
僕の調べたことはまだまだ浅く、黒人差別の重さや、ポリコレと安易に関連づけたこと、マクニールさんへの失礼な態度など反省します。