差別する権力は周囲の人間を共犯にする権力だ。それは今回のことでよくわかったと思う。今起きていること、森氏が自らの言葉の責任を取らず、それを「余人をもって代えがたい」などと周りの人間がうやむやに認め、「まあこんなもんかな」、「それも仕方ないかな」という空気で社会全体を塗り直していくということ。もしそれがおかしいと思うのなら、共犯にされたくないと思うのならば、「勝手に共犯にされてたまるか」と声に出して言う必要がある。そうするためには、「私という個人は女性差別をしない」と言うだけではなく、「私は女性差別をする他者を容認しない」とまで言わなければならない。構造的に利益を“得させられてしまう”男性こそ、そう言わなければならないのだ。
この問題は社会の構造であり、そして私自身の中にもある問題だと思っています。昨日沈黙は賛同であると言われ、はっきりとした意見を出していないことを強く反省をしました。私たちはこの機会に、本気でこの課題に向き合い、誰もがオープンに議論に参加でき、また個人は声を出す勇気を持ち、理想を描ききちんと現実を変えていける社会を作るべきではないでしょうか。
「沈黙は賛同」というのはそのとおりである。
女性差別問題、クラスのいじめを無視する、選挙にいかない、ウイグルの問題に声を上げない、全て現状維持を支持するのと同じこと。もし自分が「正しい人間」でありたいなら全てに当事者意識を持ち、声を上げ、できる範囲でコミットすべきだろう。
しかし、知ってしまった全ての問題に対して当事者意識と責任のコストは持てない。まだ無意識に女性差別や男性差別、弱者差別をする社長や役員や取引先に、事あるごとに注意をうながしたり、いじめに常に介入して解決をはかったり、どこに投票すれば日本がよりよくなるのか、誰に投票して賭けるのか調べたり、中国が関わってる部品や商品を全て買わないなんてもはやできない。
僕も含め人はみな沈黙して、他者丸投げで得れるメリットに対して自分勝手であり、無辜の民ではいられない。何もしてないから自分は悪くないとはならないこと。何もしないからこそ正義の側にいられない、正しい人間ではいられない事を自覚していればよい。社会に働きかけるコストバランスの問題で善悪ではないのだ。
なので「私は女性差別をする他者を容認しない」は、かなり強い言葉になる。こないだ情熱大陸の予告編で登大遊氏が「自分で環境を勝ち取りに行かないのはもっともけしからんのですよ」と言ってたが、それはまさに人が生き抜いていく力で、会社が資本主義の中で生き残っていく力。強者の理論でもある。
環境を自ら勝ち取りにいく有能な男女に差別なんて関係ないのだ。「男だろ」「男のくせに」と男性にかけられた自己責任への呪いは、仕事で「女のくせに」に代わる罵詈雑言を浴びせられ、半沢直樹よろしく土下座しようが、パワハラ激詰めされて脅されようが、戦って結果をだすしかない。つまり差別されるのは男女ではなく弱者。男でも金のないキモいおっさんはかなりの底辺で差別されるが、男は自己責任とされ問題にもならない。
つまり僕は男性差別も、女性差別も、弱者差別も無意識にしているのだろう。保育士は男でもできるが、市場需要の偏見で女性が求められるなら募集に女性限定に差別するのはありだと思う。そこに男が募集しても採用するつもりがなければお互い形式的に無駄な面接するだけである。
望月氏や為末氏のように、自ら環境を勝ち取っていく人達はこれから上司でも取引先でも差別への注意を促していくだろう。むしろ森喜朗が巨大なスケープゴートとなったことで女性への偏見がだいぶ改善され多数派になるよい流れとさえ思う。
ただこの流れは「男女全員意識高くあろう」「アメリカ人のようにディベートスキルを持ち男女とも自己主張して、みんな強者を目指そう」という意識改革にも見える。
「私は女性差別をする他者を容認しない」
ここに矛盾を感じるのは、弱者を助けるための発言なのに、これを言えるのが強者であって、これを言えない正しくない弱者が差別されるということだ。望月氏は男性に向かって言ってるのだが、これまで周りの空気に合わせてガッハッハおじさんの女性差別発言をあえて波風立てずにスルーしてきた女性役員や女性社員にも当てはまることになる。これまで沈黙して女性差別を容認してきてたと。
森会長問題から世の中が変わっていくかもしれないから、そこを責める人もいないだろうし、望月氏も他者に強く当たらないだろう。日本も空気を破って環境を勝ち取りに行く人がどんどん続いてほしいが、それは森会長や沈黙する僕らを容認しないのではなく、リーダーシップとして森会長や僕らを正しく引っ張る存在であってほしい。
一番良いシナリオは、森会長なみにアスリートに強い思いと情熱をもった女性の委員会会長が就任することだろう。とても大変な仕事でコロナ過のどう転んでも泥かぶる仕事ではあるが、こういうときこそ男性に押し付けて男性が"得をさせられる"事を防ぐチャンスかもしれない。
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この記事にこういうブコメを残した。
責任重く、仕事長く、ストレス高く、陰口たたかれる役なのにそこまで給料上がらん管理職昇進は男女とも手を挙げない。その場合男をパワハラ気味に追い詰めて無理やり昇進させられるのを見てきた。男女平等とは。
無理やり嫌な管理職につくといっても、長年淘汰されたすえ、役員にまで叩き上げる人物も出てくる。誰もやりたがらないけど、多数は淘汰されるけど、やはり "無理やり男が得をさせられてる" とも見れるだろう。
でも望月氏や為末氏に続いて手を挙げる人にはチャンスでもある。女性のエンジニアやマネジメント職は、フェミニスト達が勝ち取った厚遇される職業となった。周りの目や陰口など気にせずどんどん学び、手を挙げる女性が増えてくれたらと思う。男性含むそういう人達が日本の空気を変えるかもしれない。
、、などと立ち上がるチャンスだとハッパを掛けても、はたして本当に多くの日本人女性がより大変な苦労も待ってる社会進出を目指したいのだろうか? という疑念がある。
ネットの声はフェミニストやバリバリに輝けるキャリアウーマンを目指す人の声が大きい。それこそ沈黙してる多くの女性は「女性への偏見」と「不公平感」を無くしてほしいだけであって、女性役員や社員を同数にしてほしいとか、家事を5:5に分担し、専業主婦と専業主夫の割合が変わらない世の中を望んでるわけではないかもしれない。
そうだとしたら、格差広がるばかりの資本主義社会で自分から環境勝ち取りにいけない人達に厳しい事には変わりない。このままエンジニアが増え、いつかAI統治による共産主義の到来を待たねばならないだろう。
未読だが元は洋書なんで海外でもこの傾向がある。そこに性差あるのだろうか?
デスマーチで家に帰れなかったり、休日にサーバーから呼び出されるとか凄い嫌かもしれんが。