teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

「叱る子育て」で育つ我慢の子

痛いニュース(ノ∀`) : 尾木ママ「叱らない子育て」提唱 「万引きしても『どうしたの?』と優しく声掛けして」 - ライブドアブログ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1770569.html

全く叱らないというのは無理だが
わりと尾木ママに賛成。


素行の悪い親が叱ると、いくら叱っても説得力がなく
親にばれないような犯罪を繰り返すようになる。

素行の良い親が叱ると、自分で考えることをやめて
ただ従順にルールを守る我慢の子になり、
その代わりルールを破る奴を強く糾弾するようになる。

ルールができあがった仕組みを考えないし、
知ろうともしないから、
例外や他人の劣った能力差を受け入れられない子となり、
こういう余裕がなく自己肯定感の低い我慢の子が増えると、
いじめの助長につながる。

逆に自分より能力が高い子はルールとして正しく、
そのルールを守るため同じような成果を出すために、
根本的なことを考えるのではなく、時間を使って帳尻を合わせようとする。
もちろん自分より劣る子はルールから逸脱するわけでより攻撃する。

さらに、我慢の子はルールの変化にも弱く、
根本を考えるくせがないので
自分でルールを作る側には回れない。

また、叱られるばかりで「どうして?」を封印され考えさせられず、
伝えられてこなかったので、
自分が子育てする側となっても、子供の「どうして?」に答えられず
叱ることしかできなくなって、負の連鎖が生まれる。

112 : キングコングラリアット(富山県):2013/08/07(水) 18:21:26.04 ID:1mURJRf50
「どうしたの?」「なんでもない」「あらそう」
これで済むなら人生楽勝だなw


そんなんで済むかw

子供が万引きしたというのは、
なぜ、そんな安易でリスクのある方法を取ったのか?
そもそもなにが満たされてないのか?
なんの劣等感があるのか?
子ども自身でもちゃんと考えたこと無いから、
子どもは目の前の欲求に従っただけとしか答えられない。

そこを掘り下げて、どうしたらお互いが喜ぶよりよい方法になるのか、
一緒に考えつづけていくほうが大事。

叱ることが必要なとき

そんな掘り下げる時間がないときは叱る。
言葉が通じない赤ちゃんも仕方ない。

教師とか、上司や、第三者はひとりひとりにそこまで時間を取れない。
なので自分が絶対正しいと過信して叱るぐらいしか出来ない。

親も時と場合により、
公共の場で周りに迷惑かけてまで話し合う時間は取れない。
そこは叱る。

だからといって相手の話も聞かず叱りっぱなしは
素直な自己肯定感をなくしていくだけなので
あとでちゃんと掘り下げて、一緒に考える必要がある。


もっと楽なのは、昭和のマンガやワンピースに出てくるような
親がカッコよく、気持ちのよい親分肌で、
子供が誇りに思うようなら、情操教育としてはその背中で充分。
そんな親だと屈折した我慢の子にはならないので、
叱るだけでも真っ直ぐ育つ。

といっても、そんなに見せ場があるわけでもないし、
誰もが成功者なわけないし、
見せ場がきても度胸ない人の方が多いのだから、
子どもと一緒に成長するぐらいのつもりでいたほうがいい。

森羅万象を知る神じゃないのだから
子どもの「なぜ? どうして?」という問いに
完璧に答えられる大人もいない。

大人として子どもに何を伝え、教えるか?
ということではなく。
大人が考えもしなかった子どもの視点で、
一緒に答えを探していくのが教育だと思う。

子どもに教えられ、一緒に育つ。


僕は叱られて育った。
ルールを守る我慢の子であった。
常識を守り、正義でありつづけ、根本的なことには何も手を付けず、
常識とルールを自分で教えながら破り続ける大人や先輩の矛盾には
子供の頃からずっと苦しめられ続け、ひたすら要領が悪かった。

しかし、事の本質や相手の心情を考えることもなく、
ただ盲目的に正しくあるべき
と教えられたルールや常識こそ現実から歪んでいた。

それをずっと信じたくなく、本質を考えないことで
これまでの自分を肯定してた。
別の何かで自己肯定感を積み重ねるまでは
このスパイラルから抜け出せなかった。

幼少期の子育ての大切さも強調し「人が自立するためには一定量の愛情が必要。思春期に“愛情不足”とならないよう、幼いうちにたっぷり注いで」と呼び掛けた。

叱るだけだと、論理の矛盾や
自己否定感をどんどん積み重ねるスパイラルに入って
我慢の子はどこかで破綻してしまう。

年をとるほど逆転させる肯定感はより多く必要なのに、
過去の自分を否定しかねない根本的なことは
とても考えれない自己洗脳に近い状態なのだから、
これを抜けるのは偶然や奇跡にまかせるしかない。

それよりは、「なぜ、どうして」と素直に聞く子どものときに
子どもの目線でちゃんと深く対話するほうがこじれない。
できれば自分が強く、他人との不公平は自分の絶対的な幸せとは関係なく、
持ってるものだけで最大限気持ちよく生きることを見せてあげることが
愛情であり、自己肯定感につながるのだと思う。



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人は「考え方」を手に入れたとたん頭のよくなる生き物である - teruyastarはかく語りき
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