麹町中の取り組みに対して「せやかて工藤」

togetter.com
このまとめが話題なんだけど、東大までつながりやすいエリート公立麹町中学校、それを率いる校長の工藤勇一氏が面白い。

「制服着るかどうか服装は生徒会任せ」
「テストは2回受けられて良い方を採用」
「中間、期末、宿題、固定担任制の廃止」
「意見は対立するのが前提のディベート重視」

公立でここまでできるんだと、感心した一方、このツイートだけでは全体がよくわからない。ツイッターでも絶賛する人がいる一方で

「せやかて工藤、制服のほうが楽やで」
「せやかて工藤、あんたんとこエリート公立中学校なだけやで」
「せやかて工藤、麹町がまず所得高い地域なんやで」
「せやかて工藤、宿題、期末なかったらわし勉強せえへんで」
「せやかて工藤、ここまで自主性尊重されるのもわしつらいで」
「せやかて工藤、ここで落ちこぼれるやつはきついで」
「せやかて工藤、こんなの他の中学は真似でけへんで」
「せやかて工藤、日本の会社いったら自主性通じない空気読みばかりで面喰らうで」

と意見が並んでて、なるほどそれもごもっとも。
なのでこの学校の実態を知りたくなりました。

そう思ってたら、まとめのリンク先にある記事は当の校長インタビューに加え、前に働いた役所の人、先生、PTA、生徒と多数に渡る視点からの高評価があり、これらの疑問に答えてある。

前に「イジメを増やす方法」を考えたとき思ったことと共感できることが多く、感心してしまった。もちろん成果が出てる学校関係者のインタビューで悪い意見なんて出てこないだろうが、それを差し引いても「去年決めた取り組みそのものを1から改めて見直し続けていく」姿勢は、バランスの良い舵取りに思える。この学校に興味ある人は以下の記事を読むことをおすすめする。

この記事は以上。
以下は、その超ロングインタビューの中から、特に感銘受けたところを僕用のメモと赤線。このインタビューは名言揃いで読む人によって大事な所は違うはずなので、あとは本文読もう。
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夏休み後の始業式

「みんな元気? 夏休みは充実していたかな? 元気な人はまあいいや。今日は、元気じゃない人だけに話をしよう

子どもたちの中で特に話を聞いて欲しい人をターゲットにしている。が、「休み明けの憂鬱」なんて全校生徒、全職員に当てはまる普遍的な話でもある。

「夏休みが終わってしまい、『やることがたくさんあって嫌だな』と思っている人が多いかもしれない。砂時計に例えるなら、上の部分にまだまだたくさん砂が残っている状態だね」

「ここで、砂時計の真ん中あたりを拡大して見てみよう。砂がたくさんあっても残り少なくなっても、下に落ちるスピードは変わらない。人間も同じで、やることがたくさんあってもほとんど片付いていても、進むスピードは同じなんだよね

やらなきゃいけないことがたくさんあるときは憂うつになって、進むスピードが遅いと感じてしまうことがある。人間は思い込んでしまう生き物なんだな。

「憂鬱」というのは、やること、やるべきことを溜め込んだ状態なんだよね。ある種の引きこもりや、学習性無気力もそう。頭の中に「やらなきゃいけないこと」を溜め込んでいくほど、何もやる気が起きず、マイナスのスパイラルに入ってしまう。

でもそのマイナスのスパイラルを抜けるためにやることは、砂時計のスピードでも、目の前の事を片付けるしかない。とにかく5分ほどやり始めれば脳内の作業的興奮が働いて、憂鬱はなくなり物事も前に進んでる感があって抜け出せる。

溜め込んでしまった未来の不安も、過去の失敗もいちいち考える必要はなく、砂時計の一番小さな「今」だけ集中してればいい。どれだけ過去や未来に砂が溜まってても気にする必要ないんだよね。

個人的には自分がいつか死ぬとか成功するとか、失敗するとかも悩む必要はない。最後まで生き抜いて、それが成功でも失敗でも、幸せでも不幸でもどうでもいいじゃないかと思ってる。集中すべき現実の「今」は砂時計の一番細い所だけなんだから、成功とか幸せとかが存在するならそれは砂時計の「今」が止まらずよどみなく流れてる時を指すのだろう。


頭に溜め込んだものが多すぎると、砂時計が詰まって、また再始動が憂鬱になってしまうから、一旦脳内に溜め込んだゴミを捨てるとか、今に集中するため一度溜め込んでしまった「成功」や「夢」なんて未来に集中することを諦めるとかも一つの手で、自分の期待値の断捨離して今に集中することがいつの間にか夢や成功になってたりする。

 「やることがたくさんあるときも、今この瞬間、目の前のことに全力で取り組めていれば、良い生き方をしていると言えるんじゃないかな。みんなもぜひ、そんなマインドセットをしてほしい。それでも元気になれない人は話を聞くから、校長室においで

ここでより深刻な生徒の話を聞くフォローを入れるのが素晴らしい。

ちなみに生徒でなくても溜め込みすぎて憂鬱なスパイラルに入ってる人の改善は「一緒に作業する」だったりする。一緒に宿題をやる、一緒に見る。一緒に運動、ダイエットする。一緒に仕事を取り組む。それだけで砂時計の詰まりが治って、最大の敵「最初の一歩を踏み出す」を解決できたりする。一緒にやる人の時間は使うから、困ってる人同士のうまい組み合わせや仕組みづくりが大事。

教員が『校長先生の話をちゃんと聞きなさい』と指導する姿なんて見せてはいけない。話を聞いてもらえないのは校長の責任ですよ。言葉は伝わることが大事で、分かりやすく伝えなければ意味がないと考えています。生徒たちが『聞きたい』と思うような話をする。ビジネスの場では当たり前のことですよね。

ここ、「人に伝える力」を校長自ら重要視してる。
話を聞かないのを生徒の資質のせいにせず、誰にどうやって伝えればいいかを子どもたちは学校を通して学ぶ。

学校は社会で活躍する人材を育てる場所である。そのことは多くの教員が認識しているはずなのに、気づけば学校にとって都合の良い生徒を作ろうとしてしまう。

これ企業もそうなんですよね。
企業の都合で数字合わせのため、責任取らないでいいよう前例に習うままの望まれてない商品を作り、上司の都合にいいような意見対立しない、盲目に従って議論しない部下を育てる。

元々なんらかの使命感と役割をもって大きくなった企業が、競争社会の中で競合がどんどん現れて、使命感と役割が薄れ、企業の利益と個人の立場が最優先となり、どんどん軸がブレて「それ上司のメンツのために作るの?」「それお客さんのためじゃなく、ライバル会社のヒット商品に対抗するために作るの?」といった事が横行し、元々あった企業の魅力が失われたりもする。

利益が最優先なのは当然なんですが、変化していく社会や市場に対して迷ったときの原点となる、役割と使命の指標を持たないと、その利益すら確保できなくなる。

「作文にちゃんと取り組まない生徒はダメ、学級新聞の制作に協力しない生徒はダメだと言われます。でも本来考えなければいけないのは、『その新聞、本当に誰かが読むの?』『何のために書くの?』ということ。これからの時代はむしろ『こんなの必要ないじゃん』と言える子が必要なのに、教育現場では真逆のことをしているわけです

作文は僕も大の苦手でしたw
「この本がジャンプに比べていかに面白くないか」
「運動会のつまらない所」
という正直なテーマだったら子供のときも書けたはずなんで、今思えばそう書けば良かったですね。面白くない物を褒めるのは難しいですよ。

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「生徒には『授業での重要な部分を判断し、要約する』ことを繰り返させます。これによって毎回の授業での学びをアウトプットできるようになり、表現力向上につながっていきます。授業ごとにタイトルをつけるなど、自分が後で見返しやすいように工夫している生徒もいます」

ここ、ブログでも凄い重要ですよね。
最初重要だと思うことは全部抜き出して、その要約を繰り返していくうちに根底となる抽象レベルの高い要約が本人へ染み込んでいくので、このブログも僕のノートだったりします。

教員の話をただ漫然と聞いて板書を書き写すのではなく、要約して自分の言葉にまとめ、アウトプットする。工藤氏はこれを「再現性のあるスキル」だと指摘する。

今思えば、学生時代、ブログにアウトプットするようにノート取れば良かったなあと反省。将来の授業が オンラインノート、毎回の授業をパワポプレゼンにまとめてアップするとか、アウトプット前提の授業になるとぐっと学力伸びそうですね。

「学習の仕方は人それぞれであるべき。それを強制してしまえば、手段を目的化していることになる」と工藤氏は強調する。生徒には「ノートを取りたくなければ取らなくてよい」とさえ伝えている。

とはいえ、自分の考える勉強方法があればそれも「違ってていい」とブレませんね。

異なる意見と対立することが前提

生徒には日頃から「みんな違っていい」「対立が起きるのは当たり前」「無理に仲良くしようとする必要なんてない」と語りかけているという。

「従来の日本の教育現場では、互いに仲良くしようというメッセージにばかり重点を置いて、『対立するのは悪』であるかのように教えてきました。しかし生徒たちはこれから、ますますグローバル化が進み、異なる価値観を持つ人たちと働くことが当たり前の世界に送り出されていくわけです。いつまで『対立は悪』だと教え続けるのでしょうか?」

ここ、イジメを増やす方法考えた時に思ったんですよね。
日本は同質性や平等、公平を求めすぎてて「いろんな思想やパラメーターが違ってていい」という方が平和になる気がして。

「対立そのものは決して悪いことではない。考え方や価値観が人と違うのは当たり前だということを教えていかなければいけません。でも議論をすれば戸惑いを覚えたり、イライラしたりしてしまうこともある。だから『大人になるためには感情をコントロールする技を身につける必要があるんだよ』と言っています。そのためのツールとしてブレストやKJ法を教えているんです」

「『こんな小さな意見は出さないほうがいいかも』『これは的外れだから』と思っても、積極的に発言すること。会議が終わってから後出しで批判するのは良くない」。そんなアドバイスが飛ぶのも日常茶飯事だ。

そう、子供も大人も意見の否定や批判にとても敏感なんですよ。だから会議だろうが学級会だろうが大事なこと気づいてても言わないし、いいかっこしいの立候補もありえない。

どうも日本人コミュニケーションの前提に「意見の否定」=「人格の否定」となってるので、「君を嫌いなわけじゃないが」「これは君の人格を否定するわけではないが」という前置きが必要な気がします。

 

「世の中はまんざらでもない。大人になるって素敵なことだ。そう思って卒業してもらえなければ、中学校の意味はないと思っています」

 これ、商売人で納税額日本一の斎藤一人さんも「大人っていいぞ。学校で勉強しても給料もらえないけど。大人は仕事したら金もらえるんだよ。」と、楽しそうに言ってましたが、大人になることのポジティブなメッセージはとても大事だと思うんですよね。仕事は辛いとか、サラリーマンや学校の先生は大変とかネガティブなメッセージばかりを背中で語ってたら誰も就職したがらなくなって、引きこもりで不幸になる人増やすような気がします。

「環境問題や平和問題を積極的に授業で取り上げるのはいいのですが、世の中の負の側面を伝えるだけでは生徒たちもネガティブになっていきます。世の中に課題があるのは当たり前。それによって対立が起きるのも当たり前。大人たちはそれを乗り越えて解決しようとしているんだというポジティブな話をしていきたいんです

 

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荒れた中学校での赴任経験

「教室に入ってチョークケースを開けたら、タバコの吸い殻がぎっしり詰まっていたんですよ」

廊下の窓はあちらこちらでガラスが割られ、床にはタバコの火による焦げ跡が点在し、吐き捨てられたガムがこびりつく。一部の生徒は制服があるにも関わらず私服で登校し、授業中は教室の外でサッカーに興じていた。

富裕層の地区の中学だからできることなのかなと思ったら、荒れた中学での赴任経験もあるもよう。

「学校内外でたむろしている生徒たちを見つけると、いつも1人で話をしに行きました。先生が複数で来ると彼らは警戒する。でも1人で行けばちゃんと会話をしてくれるんです

 どんなに無茶なことをしても、僕は生徒である君たちのことが好きだし、嫌いになることなどない。だけどもし君たちが犯罪行為をしたら、そのときは警察に言わなきゃいけなくなる。これだけは覚えておいてほしい。ダメなものはダメなんだ……。

「ボロボロの教室を生まれ変わらせるために、教師たちに呼びかけ生徒たちと一緒にペンキを塗り、壁紙を貼り直しました。ピカピカになったその空間で初めて保護者会を開いた際は、みんな驚いていましたね。この学年が進級すると、またボロボロの教室を一から生まれ変わらせる。そうやって少しずつ、まともな環境を作っていきました

そこでもやること一貫してますね。
違いを認め、人格の否定はせず、対立意見はハッキリ言う。
その熱意で周りの教師も生徒も巻き込み、ひとつづつ解決していく。
工藤先生のブレない生徒ファーストの想いと、合理的思考と、その2つを人に伝えるプレゼン能力のたまもので、周りが感化されていくのでしょう。

授業はプレゼンテーション

「どこで生徒たちの興味を惹くか」「どの部分で盛り上げるか」を、自分が舞台に立っているつもりでシミュレーションする。

「普通なら『教科書のこの部分を教えなきゃ』と考えるのかもしれませんが、私の場合は、『この内容を教えたら生徒たちはどう感じるか』をまず考え、授業というプレゼンテーションを組み立てます。必要に応じて例題も変える。このやり方は校長になった今も変わりません」

プレゼンテーション能力って、生きていく上で物凄い武器だと思うんですよね。仕事、恋愛、人間関係、全てプレゼン能力が解決してくれる。
特に人間の悩みのほとんどは「人間関係」次に「お金」ですから。

世界を変えたスティーブ・ジョブズもプレゼンの達人ですし、ゲーム業界でもプレゼン上手い会社はほんと仕事取れますし、ゲーム内演出力も高い。

自由な校則ではなく合理的な規則

「かつては『校則なんて何の意味があるんだ』と思っていた自分が校則を守るよう指導する側に回ってしまい、戸惑いもありました。テレビを見れば長髪の芸能人がたくさん映っている。社会人の大人の中にもいくらでもいる。『決まりだから』と周囲の先生たちがどれだけ言っても生徒には響きません。当然ですよね」

 しかし、成文化されたルールを守らずに損をするのは、結局のところ生徒たちだ。教師や親など周りの大人たちの見る目が変わる。理不尽なフィルターをかけられた生徒たちの心はさらに頑なになり、大人たちとの間で不要なコミュニケーションが生じる。自分自身がかつて校則に反発し、髪を伸ばしていたときにも、大人がこだわるルールの土俵に乗って無駄な時間を過ごしていただけなのかもしれない。結局はどうでもいいことだったのに……。

「結局はどうでもいいことだったのに」

実は「他人との対立」に置いてこれ結構あるんです。元々どうでもいいことだったのに、人格を否定された感じになって、選択肢と自主性を奪われた感じになって、ほんとに無駄な対立をしてしまう構図。Twitterの議論でもかなり多くみられます。

たとえ本人が良かれと思って言ってることでも、相手にとっての自主性や選択肢を奪う形、人格否定に捉えられるともうダメなんですよ。本人としては損してでも自分の自主性にこだわる方が大事。

、、と、いう事に、自分を客観視して省みて、「そもそもそこまでこだわる必要があることだろうか?」と、それを悩んでどうにかなるのか、そこに時間かけて意味あるのか、気づいたほうがいいんですよね。

こんなやり取り自体が時間の無駄なんだから、自然とルールを守れるようにしてあげなければいけない。そう感じるようになってからは生徒たちへかける言葉が変わっていきました」

 うちの学校は自由じゃなくて、規則がある。規則は人によってとらえ方が違うよね。厳しいと思う人もいれば、甘いと思う人もいる。そうした「感じ方の違い」を話してもキリがない。だからもう、ルールを守っておきなよ。先生たちとはもう、校則の話をするのはやめよう。僕は校則違反を認めるわけじゃないけど、次からはもう、君の髪が長くてもこの話はしないよ。

 大上段に構えて理不尽なルールを押しつけるのではなく、教員としての立場を取り繕うために言っているわけでもない。「無駄な時間を過ごしてほしくない」という合理的な理由で語りかけていることが伝われば、相手の反応が変わる。それを工藤氏は生徒たちから教えられたのだという。

だからといってそんなこだわり無意味だからやめろよ!
と、上から目線で言っても無駄なので、先生側も語りかける言葉を選ぶ必要がある。語りかける側が「結局はどうでもいいことだったのに」と「合理的にきちんと説明できる理由」のバランスを取れる、もしくは一緒に考えれる環境が大事ですね。

「『礼儀や規律、服装などが大事じゃない』なんて言っているわけではありません。世の中に出れば、それが大事な場所で働かなければならないことがあるのは重々承知しています。しかし、礼儀や服装などの見た目のマナーを優先するあまり、その枠の中に入れない人を排除してしまい、幸せを得る力とか、人の役に立つ喜びとか、ともに学ぶことで得る教育そのものの価値を失ってはいけないと思っているんです」

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教育委員会のことは最後に考えよう

「どんなに大変な場面でも、工藤さんなら『大勢に流されていてはダメだ』『思い切って言うべきことを言わなきゃダメだ』と言うでしょう。私にとってあの3年間は、それまでに身につけていた公務員の常識を良い意味で破壊してくれた期間でした」(松田氏)

『相手に使ってもらえる資料でなければ、そもそも作らなくていい』と言われたことがありましたね。学校側で手に取って読みたくなるような資料を作ろう、と」(長田氏)

ICT委員会のときの話ですが、徹底的に何が本質か? 何が今の環境を考えてないただの前例主義か? と、やるべききこと、やらなくていいことを区別してますね。

「工藤さんは日頃から考えていることを積極的に話してくれるので、その思いを少しずつ理解していくことができました。もちろん厳しい面もあって、考えたプランや資料を一から練り直すように言われたことも数え切れません。プレゼンの際には『常に受け手を意識し、メッセージ性のある言葉とメッセージ性のある図表を使ってほしい』とオーダーされたことを覚えています」(小林氏)

こちらも他人に伝える力に絞ったオーダー。

「工藤さんの下で働いていた頃に胸に刻み込み、私自身がいつも心がけていることがあります。それは、すべての判断を『子どものためになるかどうか』という軸で考えること。工藤さんは事あるごとに『何かを判断するときの優先順位は一に子どもたちのため、二に保護者のため』と話していました。その後に教員と学校がある。教育委員会の都合は最後に考えよう、と」(長田氏)

「私たちの仕事ではさまざまな立場の人との調整が必要ですが、今やっていることが子どものためになるかどうかという視点で話せば、どんな相手とも対立軸がなくなって、互いに納得できる場所へ着地できるんですよ」(小林氏)

利害関係の優先順位を「一に子ども、二に保護者、三が教員、最後に教育委員会」と、ブレません。判断迷ったときの指標、使命があるのが大事。

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生徒とともに過ごす時間以外は、なるべく削減したい

会議のルール
赤字で書いたものは生徒に伝えなければいけないこと
青字で書いたものは教員の間で共有しなければいけないこと
・ホワイトボードに書いてあることについて打ち合わせで話す必要はない
・これらは各自が責任を持って確認する
・その他、口頭で伝えたいことがあれば見出しと担当者名を書いておく

「このルールを徹底したら、それまでは5分も10分もかかっていた朝の打ち合わせを1分程度に短縮できました。今朝などは10秒で終わりましたよ。教員の始業時間は8時ですが、生徒は8時15分から登校します。この間に『10分のロス』があると、早く教室に行って子どもたちの様子を見てあげることもできない。教員は生徒とともに過ごす時間を何よりも大切にするべきなので、他の時間はなるべく削減したいと考えています」

「全体に周知しなければいけないこと以外は会議で話さない」

こういうのイジメ防止にも一役買ってるんですよね。
イジメは大人の目の届かない授業の始まる前や休み時間がメインですから。1分レベルで時間の使い方の合理性考え直せるというのは、あらゆる面で思考停止せず、慣例を考え直せる姿勢でしょう。

全員担任制

「以前は、『雑務はすべて副校長がやるもの』というおかしな雰囲気がありましたね。職員室の電話が鳴っても、教職員は誰も出ないんです。私がすぐに出られないときは何コールも響いていました」(宮森)

麹町中ですらそんな状況だったんですね。
企業だったら雑務を秘書や総務がやったり「それは私の仕事ではない」と役割分担あったりします。アメリカだとほんとに責任分担ハッキリしてて、目の前の仕事はやらず、融通が利かないのでサービス悪いです。

個人の利益を追うほど余計な仕事抱えるのは損だからそうなる。担当がいなければ誰も電話に出ないとか、備品切れても誰も文房具屋で買いに行かず、総務忙しくて備品用意できる3日後まで仕事進まないなんてバカバカしいほど非効率な所もある。

給料をもらうために仕事するのは当然なんですが、何のためにこの仕事選んでやってるかまできちんと考えて、本質的な合理化には今まで疑ったことさえない常識や慣例まで一から見直す必要があって「責任の押し付けあい」ではなく「みんなで協力していく関係」が必要です。

「これは他の学校にも見られることかもしれませんが、かつての麹町中学校の教員は学年ごとのセクションに分かれて、学年主任を中心に強固なチームを作っていました。これ自体は悪いことではないのですが、行き過ぎると全体の連携を阻害することにもつながります。教員同士にも情があるので、『まずは担任を盛り立てよう』とか『学年主任の顔を立てよう』とか、組織の論理で動いてしまうこともある。しかし本来は、学年主任や担任の立場にこだわらず、一人ひとりの生徒にとって最も教育効果を発揮できる教員を前面に出していくべきです。工藤校長は、そんな『当たり前のこと』を実践させました」

 以前は、生徒に何か問題が起きても、別の学年の教員が関わることはほとんどなかった。しかし現在では違う学年の教員もどんどん首を突っ込む。縦割りならぬ「横割り」組織の論理を、工藤氏が良い意味で壊したからだ。その生徒の問題と向き合うために、誰が最も適任なのかをフラットに考えて対応させる。宮森氏は「工藤校長が来てから、教員間のコミュニケーションは格段に濃くなった」と感じているという。

なのでこの解決方法は素晴らしい。
個人の利益やメンツ優先ではなく、そのときどきの最適な人を臨機応変に当てる。全体の効率を合理化させながら、負担重い所をみんながサポートしていく。

 教員の意識が着実に変わっていく様子を受けて、工藤氏はさらに大きな改革を準備している。2018年度から、麹町中学校では従来の常識であった「固定担任制」を廃止し、「全員担任制」を採用することが決定したのだ。生徒と教員との信頼関係を一層深め、生徒一人ひとりにより質の高い指導・支援を行っていくことがねらいだ。

 これによって、朝の会や道徳、総合的な学習の時間などを含め、従来は固定の担任教諭が担っていたすべての業務に、状況に応じてもっとも適切と考えられる教員が適宜配置されることとなる。生徒は「今、最も頼りたい先生に相談する」というアクションをシンプルに実行することが可能。面談などは生徒や保護者の希望を優先して決定していくという。

 大胆な改革ですが、ここまでのフラット化した対応が上手く行った流れですね。担任だって人間だし完璧じゃないのだから、全体で補完していき、全体で最適化するほど「個人の利益」より「全体としての協力」が強化されると思います。

教員の採用と育成

「私が学年主任を務めていた頃は、何か問題が起きても校長や副校長に相談することはほとんどありませんでした。いつも自分が『最後の砦』だったんです。しかし現在の麹町中学校では、教員が『こんな方法でやりたいんですが、どう思いますか?』と直接校長にアドバイスを求める場面が頻繁に見られます。工藤校長の指導技術がずば抜けていること、そしてその背中を積極的に見せていることが大きいのではないかと思っています」

これも、フラット化した教員全体の協力体制のおかげですね。

 生徒に何かしらの問題が生じて、保護者との間でトラブルを抱えてしまうこともある。そんなときに工藤氏は「保護者と語り合えるんだから、トラブルはチャンスだよ」と教員に語るのだという。日頃はなかなかじっくり話す時間を持てない保護者が、わざわざ学校へ足を運んでくれる。保護者との信頼関係を強化するためには、またとない機会というわけだ。

普通の学校でこうポジティブに考えるのは難しいと思うんですよ。部活顧問やったり、宿題やテスト準備と採点、いじめ問題など、担任はいくら時間あっても足りないですから、保護者と会話したりトラブル解決する時間なんて持てるはずない。

それを、部活に校外の専任コーチつけたり、宿題や定期テスト廃止、いじめが起こりにくそうな「対立していい、違っていい」「常識や慣例を疑い」「事の本質を議論して」「相手にハッキリ伝える力」がテーマの教育。効率化して浮いた時間を生徒とより多く過ごす配分、教員全体で仕事や雑務を補完する協力関係、などひとつづつ解決していった麹町中だからこそ、こういうポジティブな発想を持てる余裕につながるのだと思います。

 問題を解決するだけではなく、以前にも増して強固な信頼関係を築き、生徒のためにより良い環境を作る。そのためには校長自身が保護者と向かい合い、徹底的に会話する。「まずやってみせる」という姿勢もまた、工藤氏の特徴だという。

それを率先してやるのが校長自身というのもまさに背中を見せて教師を教育してるかのようです。

 

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あなたの子育てが間違っていたわけではない

「不登校の生徒全員と面談をしたい」(工藤)

「不登校の生徒に対して、学校は担任へ『頻繁に連絡を取るように』という方針を示していました。しかし保護者からは『あまり連絡しないでほしい』と言われるケースもあり、間に立つ教員が対応に苦慮する姿も見ていたんです。何より、最も苦しんでいたのは不登校になってしまった子どもたちとその保護者でしょう。工藤校長が全員と面談すると聞いたときには、驚きと同時にうれしく思いました」(新橋氏)

「あまり連絡しないで欲しい」
というのは、不登校の生徒と、親の本音ですよね。
学校が本気で向き合って解決してくれるわけではないし、解決できる問題ではない。いたずらにポジティブなメッセージ投げかけても、親子ともども負担にしかならない。

学校へ行かない我が子に対して親は有効な言葉をかけることができず、責任感と現実の狭間で悩み、学校側とのコミュニケーションを断ってしまうこともある。だから工藤氏は、担任教諭の代わりに自らが現場へ出て、生徒や保護者との会話の機会を重視した。面談の場では保護者へ「あなたの子育てが間違っていたわけではない」と語り続けたという。


 当然のことながら、保護者は学校の運営姿勢に敏感だ。少しでも「学校のため」「職員のため」という姿勢が見えるとすぐに気づかれ、厳しく指摘される。

こんなこと言われたら泣きますよ。
子どもだけじゃなく、親も、教員も、1人の人間として敬意をもって接している。プレゼンなどもそうなんですが、仕組みや意見は対立議論しても、人そのものは否定しないという人間肯定のメッセージがありますよね。

工藤校長は保護者に対して話をするときも『子どもたちのため』という軸がぶれません。だからこそ真正面から意見交換ができるのだと思います。保護者に対して『お母さん、それは違いますよ』とズバッと言うこともある。その後ろ姿に影響された教員は私だけではないと思います」(新橋氏)

子ども、保護者、教員、学校、教育委員会の順番はここでも守られる。そのうで合理的解決に向かって話を直接聞きに行く姿勢。夏休み明けの話もそうでしたが「人間として誰もが当たり前にあるダメな心理」をよく理解してる先生に思えます。

「経験」「論理的合理性」「現場ファースト」「まずやってみる行動力」「権限委譲と責任の引受」からくる判断の早さ

 なぜ工藤氏の判断が早いのか。学校の意思決定は通常、いくつかの段階を経て行われる。教務部や生活指導部、進路指導部、経営支援部といった「分掌」に教員が分かれて議題を検討し、その後は運営会議や職員会議の場へ持ち込まれるのが慣例なのだという。そうしたプロセスがあっての校長決裁だから、物事をスピーディーに決めるのは難しい。

「でも工藤校長は、緊急性が高く子どもたちのために必要なことであれば、そうした『大人の事情による会議』をすっ飛ばして決めることもあります。良い意味で伝統や慣例にとらわれない人なのだと感じています」(新橋氏)

「公立学校では校長だけの判断で決められないことも多々ありますが、そんなときも決裁は早いですよ。私が校長室へ相談しに行ったその場で教育委員会へ電話し、同意を取り付けてもらったこともありました」(桜井氏)

「保護者からの相談を受け、目の前で大学や関係機関に電話し、保護者の相談の約束を取り付けてしまうなどは日常茶飯事です」(新橋氏)

 教員のアイデアを聞き、進めるべきだと判断すれば、「校長からの提案」として職員会議へ諮ることもあるという。日常の会議体をできる限り尊重しつつ、議事の進行をできる限りスピーディーにするためだ。いざというときには校長の権限を最大限に活用し責任を取る。この姿勢が教員からの積極的な提案を呼び込んでいると言えるだろう。

普通の人が判断が遅くなるのは当然なんですよね。
責任取りたくないから、全員の合意を取り付ける。
責任取りたくないから、権限委譲しない。
責任取りたくないから、確実性のないことは保留。
責任取りたくないから、メリット・デメリット両方あるときも保留。
責任取りたくないから、分からないことは手を付けない。

でもこれ判断難しい時に現状保留してしまう「デフォルト(標準選択)効果」という人の認知錯覚だったりします。「判断しない」という「判断」をしたから結局その責任は取らざるを得ないんですけどね。でもそれを先延ばしにしてうやむやに出来る。

権限委譲しないのも委譲しようがしまいがどうせ上が責任取ることになるなら、意見対立したとき自分の考えでやりたいわけで、合理的に議論して詰めて相手の感情悪くしないように避けてるだけなんですね。

だったら
普段から合理的判断できるよう、みんなが意見を述べやすい協力関係を作る。
仕事や課題を現場の判断で早く解決したいから、権限委譲していく。
どっちかわからない確実性のないことなら、さっさと試してデータを取る。
メリット・デメリット両方あるときにこそ、生徒ファーストの判断。
分からないことこそ、議論していく。

というやり方のほうがずっと合理的かもしれません。

ほんと、人間自分のことになると、客観的合理性より、保守的デフォルト選択の方が強くなって判断先のばしになるのが普通なんですよね。

生徒会役員選挙結果を下位まで全て公開

「生徒会役員選挙の際に、工藤校長から『各候補の得票数は開示するの?』と聞かれたんです。前の学校では、落選した生徒の心情に配慮して開示せず、当選した生徒に花を付けるだけでした。同じようにやろうとしていたら、『本当にそれでいいのか? 本当の選挙だったらすべての数字を開示するよね』と言われて……」(戸栗氏)

 

 仮に得票数が著しく少ない生徒がいたとしても開示するのか。工藤氏の意見は「すべてオープンにするべき。立候補はリスクも負ってするもの」だった。「教育的にプラスになることなら、できる限り社会のリアルに近づけるべきだ」と。

みんな違っていいの学校だから、これもありなんですね。
僕が一番工藤校長に共感できるのはここなんですよね。
下位の人が晒し者になったりいじめられたりとか、弱者を守るかのような扱いをせず、子ども扱いせず、1人の人間として結果がどうあろうと自信と敬意を持って接してる感じ。

教員達は無駄な作業は減ったものの、考えることは増えた

工藤氏の方針に共感する教員も、苦労がないわけではない。

無駄に長い会議や日々の宿題チェックといった、本来の学校のあり方を考えるうえで必要のない労力は削減されています。一方で、何事も『昨年の実績があるから今年も同様に』という進め方では通用しなくなりました。常に変化を続けながらゼロから企画することも多いので、考えることは格段に増えたと思います」(加藤氏)

「まだまだ道のりは長いと思いますが、それでも私は、ここ数年でとても自由になれたと感じているんです。生徒のことをいちばんに考えて動けばいい。そんなシンプルな目的意識を持てるようになったので、以前よりもずっとやりやすくなりました」(新橋氏)

 やればやるほど新たな課題が見えてくる。一人ひとり違う個性を持つ生徒と向き合い続ける限り、ゴールも一律ではない。新橋氏は今年度を振り返る工藤氏との会話の中で「ようやくうちの学校も軌道に乗ってきたね」と声をかけられたそうだ。ようやく。しかし、着実に。麹町中学校の改革の歯車は日進月歩で動き続けている。

これ、ついていく教師はすごい大変だなあと思います。
成果出てるので良い意味でやりがいのある大変ではありますが。

逆についていけない教師、工藤氏と一緒に仕事してそれまでのやり方や教師人生を全部否定されたように感じる人もいるかもしれませんね。それはそれで違ってていいと思います。全部の公立中学が麹町をモデルにすればいいわけではない。それぞれが理想を追って、地域に合わせて、それぞれの改革で真似できそうな良い所を共有していければいいですよね。
 

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これから社会で求められる力

「AI(人工知能)やロボットなどの技術が進展し、経済構造が大きく変わりつつあります。大企業に就職しても安泰とは言えない時代となりました。弁護士や会計士、内科医などの高度な専門職も、いずれはAIに取って代わられるかもしれないとも言われています。今の子どもたちに求められるのは『自分の力で転職したり、起業したりできる力』なんです」

しかし学校教育では、相変わらず忍耐や礼節、協調といった「組織の歯車の一部となって働くための力」ばかりが重視されている。これらはもちろん大切だが、優先すべきことが変わってきているという。

これほんと同意です。

これまでの学校がそもそも「常識という空気を読む能力」を鍛える場所であって、むしろそんな能力は今の世の中で邪魔なんですよね。「常識という空気を読まずに、なるべく否定語を使わず、人を傷つけずに本質を語り合える能力」が求められている。

「作文」は「誰に何を伝えたくて」書いているのか?

「『他者意識のない作文』を書かせることも問題。作文は一体、誰に向けて書かせているのでしょう? 自分? 担任? 本当は運動会がつまらなかったとしても正直には書かずに、『感動した』とか『素晴らしい』とか、思ってもいないことを綴る生徒もいます。文章は読み手である『他者』を意識してこそ意味を持ちます。そして『伝えたい』という強い思いがあるからこそ、表現力が身につくものだと考えます

これは先にも書きましたが、他者を意識して伝えるプレゼン能力にもつながる。

価値観が違う人達とどう付き合っていくか?

「生徒たちがこれから飛び出していく社会では、価値観や宗教が異なる海外の人たちともうまく付き合っていかなければいけません。日本には『心をひとつにする』という素敵な言葉がありますが、改めてよく考えてみれば、誰の心も違ってよいのですから、そもそも心はひとつにはできないんです。グローバル化が進む現代では、契約書をなかなか履行しないような文化の人ともちゃんと付き合うための『行動』を教えていくことが大切です。

今の時代むしろ同質化した文化しか知らないというのは、サラリーマンやってるとストレスきついと思うんですよね。みんな違ってて当然という心構えがデフォルトの方がストレス受けず自分のやることに集中して生きれると思います。

「善行を語らない美徳」と比較して目立つ善行は非難されるべきか?

日本では、生徒会長に立候補するという良い行動を取っても『あいつは本当はそんな奴じゃない』とか、『内申書の点を稼ぐためにやっているんだ』など、陰で非難されることがあります。良かれと思って行ったボランティア活動でも同じように後ろ指を指されることがあります。よい行動を行う人間を育てるための心の教育であるはずが、行った行動よりも心のほうが重視されてしまっているのでしょう。国際的には行動をストレートに賞賛できることのほうが大事だと私は思います

ネット時代では、発言に疑いの目を持ったり時に批判も大事だったりしますが、相手のコンプレックスからくる、根拠のない陰口や非難は必要ないですよね。そういう陰口に構わない、陰口に付き合うことに労力や時間を使わないという姿勢が大事で、短い人生そういうことにかまってる暇はないですね。

親や先生の言うことばかり聞くようなら、危機感を持ったほうがいい

「文部科学省は、『主体的で対話的で深い学び』をアクティブラーニングと呼んで推進しています。しかし多くの現場では、『協力すること』が最優先の目的となってしまっています。例えば、班で新聞を作る活動を考えてみましょう。作業中、協力しない生徒がいると『お前も参加しろよ』と非難されます。しかし、せっかく協力して作った新聞も結果的には誰にも読まれないものになってしまうことがあります。そもそも、読み手を想定して作るという目的を忘れてしまっているからです。これからの世の中を生きていけるのは、『そんなの誰も読まないじゃん』と指摘できる生徒。何も考えずに協力する力ではなく、自分自身で『それは必要か不要か』を選択できる力が求められています

「子どもが親や先生の言うことばかり聞いているようなら、危機感を持ったほうがいいかもしれません。通知表に『素直』と書かれても、私などはほめられたとは思いませんよ」

これも責任取らない事なかれ主義や、デフォルト効果の認知バイアスと、平等主義ですかね。「協力」というのは事の本質を突いてからの「協力」だから効果ある。事なかれ主義、平等主義、認知バイアスで「常識や慣例やメンツを守ることに協力」しても大変な労力のわりに成果得られず、全員疲弊するだけ。これは仕事でもそうなので、学校から修正していきたい所。

子どもを見ていて『人を批判しなくなったな』と感じたら、それは成長の証なんです

大人たちが人を批判する姿ばかり見せていると、同じように人を批判することばかりが先行する子どもが育ちます。そんな子は自律のスイッチを押せなくなります。うまくいかないことがあるとすぐに友だちや先生、親のせいにします。子どもを見ていて『人を批判しなくなったな』と感じたら、それは成長の証なんです

批判混じりのブログやってるぐらいなので一番耳に痛い言葉でした。麹町中生よりも子どもかもしれない。

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「人のせいにしない生徒」を育てるために、工藤氏は保護者に対しても積極的に学校経営に関わるよう呼びかけている。麹町中学校は生徒・保護者・教職員全員で創る学校だと言い続けてきた。

 例えば、同校の制服は「ちょっとダサい」「時代遅れ」と長年不評だった。そうした生徒や保護者の思いも受け止め、工藤氏は「経済性と機能性を重視してほしい」という注文だけ付けて、服装や持ち物などの学校のルールを決める権限をすべてPTAに委譲した。保護者や生徒が自律的に制服を決められるようにしたのだ。

 「人のせいにしない生徒」を育てるために、その背中を見せるPTAにも自立性を求めて権限委譲とか結構凄いですよねこの常識見直す判断。

定期テスト廃止について

「もちろん今の受験制度には勝ちにいきます。そのうえで、生徒たちが世の中に通用するようにしていきます」

代わりに年3回だった「実力テスト」を年5回に増やす。こちらは出題範囲が事前に分からないため、生徒はまさに現状の「実力」を試されることになるのだ。

 さらに国語・社会・英語・数学・理科の5教科については、より頻度の高い「単元テスト」も行われる。このテストは再挑戦も可能。1回目で50点だった生徒が2回目に挑戦し80点を取った場合は、後者を成績として採用する。間違えた箇所を見直し、分からないことが分かるようになるとともに、「頑張った分だけ成績が上がる実感」を持てる仕組みだ。

「もちろんテストが重ならないよう、スケジュールは工夫します。受け直しのやり方についても検討していますが、『先生に言われたから再テスト』ではなく、生徒が自分から再テストに挑戦したい』と思えるようにしていきたいと考えています」

わからなかったことが、どれだけ分かるようになったか? という仕組み。
すごく合理的だと思います。2回と言わず、TVゲームのスコアアタックみたいに何度も挑戦できてスコア更新できる仕組みでも楽しそう。

この学校でうちの子がやっていけるのか?

「起業家になるような子どもを育てなければいけないという校長先生の考えは理解できます。とは言え、うちの子どもがチャレンジしていけるのかという不安もあります」

「優秀な子ばかり引き上げられ、落ちこぼれる子が切り捨てられるようなことにならないでしょうか」

Twitterにもあった意見ですね。
あまりに意識高くても必ずついていけない子が出てくる。

ですが、ここまでのインタビュー見た限り「馴れ合いではなく、事の本質を語り合い」「互いの違いを認めて」「相手に伝える能力を大事にする」という基礎的な所に重点を置いてるので、この教育効果は別に起業家や優秀な子に限らないでしょう。

「大きな視点から言えば、学校の教育を変えることは日本の労働生産性を高めることにつながると信じています。自ら『必要なもの』『不要なもの』を判断して選んでいける子どもを育てないと、今の大人たちの社会にはびこる無駄をなくすことはできません。そんな人材でなければこれからの社会で活躍できないだろうという認識は間違っていないと思います

「もちろん、一人ひとりの生徒へのフォローは決して手を抜きません。固定担任制を廃止したのもそのためです。教員の中には、生徒の困りごとを察知することに非常に長けている人間もいます。全員担任制ではすべての生徒にそうした教員の力を活用できる。『うちの子の担任はハズレだった……』と保護者のみなさんが思い悩むこともなくなります

「固定担任制を廃止すれば、生徒は遠慮なく好きな先生に相談できるようになります。一方で自分から悩みを打ち明けられない生徒には、個別に教員から働きかけます。今でも週1回学年主任の会議を行い、『担任とうまくいっていないと感じる生徒』には他のどの教員がコミュニケーションを図るか決めているんです。この体制をさらに拡充していきます」

どちらかというと、できない子へのフォロー体制の方が充実してる感すらあります。

無理して「子どもの自律スイッチ」を押そうともがく必要はない

親も毎日いきいき過ごしている様子を話してあげたいし、実際の姿でも見せたい。そう思ってはいても、日々の忙しさに呑まれてしまい、子どもと良いコミュニケーションが取れていないと感じることがある。家では「勉強したの?」ばかり言ってしまう自分がいる……。

「完璧な親なんていないんですよ」

「大人も、自分の行動を変えるのは難しいものです。」


「子どもが中学生くらいの年頃になってくると、親としては『ある程度の距離を置くべき?』と悩むこともあるでしょう。どこかに連れていきたい、誰かに会わせたいと親が思っても、激しく反発される。親に対してあまり面白みを感じなくなる時期というのが、どんな子どもにもあります。

そんな時期の子どもたちを見ていて興味深いことがあります。自律のスイッチが入るタイミングは、ほぼ間違いなく、親以外の誰かがきっかけになっているんです。なにげなく見たテレビの誰かに影響されて生き方を考え始めたり、友だちが勉強し始めるのを見て自分も猛勉強したり、好きな女の子から『もっと勉強すればかっこいいのに』と言われて急に頑張りだしたり(笑)。

だから大人たちは、無理をして子どもの自律のスイッチを押そうともがく必要はないと思うんです。その代わり、子どもたちにとっての良い環境を作ることに注力するべき。もし不安になってふらついたら、子どもたちのために何をすべきか、私たち教員もみなさんと一緒になって徹底的に考えます」

 ここも凄く共感できる所で「子どもも大人も完璧な人間なんていない」「相手の行動や心は変えれない」「しかし仕組みや環境は変えていける」という、本人の熱血と、環境の合理化が与える心理的影響のバランスが絶妙。

ひとつの諦観でもありますね。
ここも凄く共感できて大事な所。

「相手を変えよう、教えてあげよう、心に働きかけよう」という人間心理としてものすごくリターンの難しい所に労力をかけるのではなく「人は自ら学んでいくのだから、そのための仕組みや環境を整えてあげよう。自らを変えて実践して背中を見せてあげよう。」という人間心理のバグを修正していくような、かけた労力から得られるリターンが一番高い所に集中している。

PTA活動は自分の子どものことだけを考えているとつまらないんですよ

 就学中の子を持ち、現在進行形で学校と関わっている人の中には、「PTA役員になる」ことにネガティブな印象を持つ向きもあるかもしれない。あるいはPTAの存在意義が見えず、「会費を払うことさえばかばかしい」と感じている人もいるのではないだろうか。

「工藤校長と僕に共通していたのは、『形式張ったことが嫌い』という点でした。だから、目的がよく分からないことを一から見直していったんです。委員会などの集まりでは、お菓子やお茶を用意して配るような仕事は減らしていく。PTAから保護者に向けた書類では、時候のあいさつよりも、大切な『テーマ、日時、場所』を大きく伝えることに主眼を置く。そんなふうに少しずつPTAのあり方を変えていきました」(木村)

 木村会長のほか、3名の副会長が軸となり、「何よりも生徒のために」という思いで活動を展開していったという。最初に行ったのは前述のように「PTA活動を軽くすること」だった。煩雑な決まりごとに縛られ続けていては、活動に参加する保護者の負担を減らすことはできない。また、単年度ごとに役員が入れ替わることも多いため、しっかりと情報を引き継ぐ必要もあると考えた。

 凄いのは学校や教員だけでなく、PTAにも目的の合理化、決まりごとの一から見直し、生徒のために、活動を軽く、とその文化が伝播してるところですね。

学校とは不思議な場所で、誰がいつ言い始めたのか分からない『謎の伝統』が機能し続けていることがあります。例えば以前の麹町中学校には、保護者会や面談などの来校時に『保護者は自転車で来てはいけない』というルールがありました。その理由が誰にも分からない。改善して欲しいと工藤校長に伝えたところ、『確かにこのルールは意味がなさそうですね。ルールを変えましょう』とすぐに応えてもらえました。また、体育祭が開催されるときは、駐輪で近隣に迷惑をかけないようボランティアを出して注意していましたが、工藤校長と我々で協議し、今年度からは学校裏のスペースを確保してもらえることになりました。

 裏を返せばこれは、『誰かが言わなければ何も変わらなかった』ということです。もしそこに工藤校長のような人がいなくて、『決まりは決まりなので変えられません』なんて言われたとしても、僕なりに納得できるまでダメな理由を問い詰めたと思います。保護者が起こすアクションによって、学校はいくらでも変わっていけるのではないでしょうか」

「PTA活動は自分の子どものことだけを考えているとつまらないんですよ」

ほんと最後の言葉に集約されてると思います。
PTA内で個別の利害関係を争ってたらそんな辛い事はありません。
メンツのためや、馴れ合いの協力、常識や慣例で動くPTAではなく、子どもたち全員のための、現状の課題に合った、常識を一から見直した合理的な運営。そこに大義や使命感がありますね。

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運動が得意な人が輝き、そうでない人も笑顔で参加できる「体育祭」

「中学校の体育祭といえば、普通は教員が主導して準備を進めるものだと思います。でも麹町中は完全に生徒主導。私たちはほとんど口出ししていません」

企画委員長の3年生男子は校長から「観客のことは考えなくていいから、自分たちが楽しめるように企画してほしい」とオーダーされた。

そして権限委譲が生徒にまで及んでいる。
主体として楽しむのは自分たち自身だと伝えて。

生徒に任せるといっても高校生ぐらい自立して自由な裁量がないと、生徒がやる気なかったり、非協力的だったりしてなかなか上手くいかなかったりするもんですが、普段の議論する力、人に伝える力、対立して違っていいという価値観のなせるわざでしょうか?

 「昨年の体育祭には徒競走などの個人競技やクラス対抗競技があり、みんなが勝ち負けにこだわり過ぎてゴタゴタしてしまった印象がありました。審判役の先生に『今のはミスジャッジだ!』と抗議する生徒も。運動が得意な人は楽しめるけど、そうじゃない人は脇役になってしまうという感じも嫌だな、と思っていました」

 だから、「自分たちが楽しめるように」という校長のメッセージはすっと腹落ちしたのだという。チーム分けを一から見直し、全校を二分する「東軍・西軍」へ。くじ引きで所属を決める一方、運動を得意とする生徒がどちらかに固まりすぎないようにするという調整も入れた。

 誰もが楽しめるように種目も一から考えた。ルールはすべてオリジナル。前述の「ピコピコハンマー騎馬戦」は、安全面を考慮しつつ、運動が苦手な生徒も戦略を考えることで一緒に楽しめるようにと生み出されたものだった。「昨年と同じことはほとんどやっていません」とAさんは話す。

「生徒全員を対象にアンケートを取ったら、『全員リレーをやりたくない』という声が意外と多かったんです。でも『やりたい』という人も、もちろんたくさんいました。続けても、なくしても、みんなが楽しめるようにはならない。そんな議論をした結果、今年は有志リレーという形にしました」

 単純に多数決で物事を決めるのは簡単だ。しかしそうはしなかった。少数意見も取り入れなければ、「みんなが楽しめるように」という目的から外れてしまう。「目的から逆算して手段を決める」というのは、常日頃から工藤氏が伝え続けていること。生徒たちは悩みながらも、この大原則に沿って答えを出していったのだった。

企画視点として運動が苦手な人も動やったら楽しめるか?
落とし所をどう探るか生徒が工夫してるのも素晴らしい。
体育祭だからといって、運動能力を競う大会である必要はないですからね。
そういう常識や固定観念から疑って一から考え直してるのがいい。

 ここまで自分たちで考え、やりきった背景には、工藤氏からの力強いメッセージがあったのだという。Mさんは「社会に出たら、何もかも指示されるなんてことはない。だから自分たちで企画し、自分たちで実行してほしい」という言葉が強く印象に残っていると話す。

「よくテストであるような、『先に答を出されて式を埋めていく』という感じではないんです。『答も式も自分たちで考える』という感覚です」

「体育祭だけじゃなく、自分たちで企画する修学旅行なども、先生たちはほとんど関わりません。でも私たちが困っているときには、遠くでいろいろと考えてくれているのが伝わってきます。『あの子たちはこういうところで困るんじゃないかな』と、先を見て考えてくれているのを感じます」(実行委員長Mさん/3年生女子)

「自分たちで考えるというスタイルにさせてもらっていることにありがたみを感じています。ヒントは与えてくれるけど、答は教えてくれないという感じです。例えば体育祭なら、『みんなが楽しめる』という目的に沿って自分たちで企画できる。この環境に報いたいという思いがあります」(2年生男子)

先生たちもまだ、この学校の独特の環境に慣れていないんだと思います。新しいことや難しいことに取り組んでいて、先生も挑戦している感じ。それがきつそうなんだけど、楽しそうに見えます。きついことや経験のないことをやるからこそ、楽しみが生まれていくんじゃないかと思いました」(東軍応援団長Mさん/3年生男子)

「麹町中は、先生同士の仲がとても良いことが伝わってくる学校です。生徒同士が仲良くできるよう、先生たちも協力しているから、自然と仲良くなれるのだと思います。自由な風土の中で、『忙しそうだけど楽しそうだな』という印象です」(生徒会長Aさん/3年生男子)

 このインタビューで特筆したいのは、校長のインタビューのみではなく、教員、役所、PTA、生徒たちまで全方位への取材を行ってるところです。togetterでこの中学のことが知りたいと思ったのに、インタビュー記事ひとつで全部情報詰まってるなんてことめったにないのでこれ読むだけで過不足なく内情が伝わる。

記事読んでみた感想

他の中学でも適用して、一般化できないかなと思ったけど、エリート校とか麹町とか関係なく

「せやかて工藤、それ論理的合理性と、生徒ファーストの思いと、毎回1から考え直す大変さと、個別案件に対してまで教師、PTA、生徒への様々な権限委譲と、その責任を引き受けれるあんたがいるからできることや!」

と、思いました。

いや、別に校長でなくとも荒れた中学でひらの教師やICT役所担当時代もこうだったわけですから、生徒ファーストの熱い想いで、他人との対立を物ともしない、議論は対立させても、利害や心情では対立させないプレゼンテーション能力があれば、他の組織でも可能ということでもある。

こういう利害関係を超えた想い、いま何が必要で何が必要でないかという判断力の学び方、意見の対立とディベート、そして人に伝える力を、校長から、教師、親、生徒にまで背中を通じて教えてるようで、かなり示唆に富んだインタビューだと思います。ほんと学校に限らず。

逆になんで組織というものが上手くいかないかというと、
PTA活動は自分の子どものことだけを考えているとつまらないんですよにあるように
・みんなが個人や立場の利益にこだわり、使命感なく、下で働く人がバカバカしくなる
・みんなが使命を忘れ個別利益に走ると権限が委譲されず、情報は渡されず、責任は取らされる
・全員意見が違ってて当然という文化ではなく、正解は必ず一つという文化
・意見を的確に要約してまとめるスキルがない
・意見を他人に的確に伝えるスキルがない
・そういうスキルを持ってないから、議論が人格否定に捉えられ、みんなで正直に本質を考えつくす場がない
・本質を議論できないから、現状の課題解決に合わないデフォルトの常識や慣例を守るという心理バグが放置される

と、この学校の裏返しになるんでしょう。
社会ではお金が絡んでくるので、個別利益に走るのは当然ですし、利益や立場を得たければ情報も渡さず、権限委譲されることもなく、権限なければ使命感もつのも難しいものです。

だけど、こういう学校で育ったらそれら違った意見をまとめるスキルや、対立意見とコンフリクトしない新しいアイディアを伝えるコミュニケーション力が育まれそうです。

コメントで動画教えてもらったので貼っとく。

www.youtube.com
校長自ら、学校の仕組み、教育委員会、文部科学省、親のせいなどにせず
「うまくいかないことを誰かのせいにしたり、何かを批判することなく、ありのままを受け入れ、改善作業を繰り返してきた」

名言すぎるだろ。

「手をかければ手をかけるほど、生徒は自律できなくなり、自分がうまくいかないことを誰かのせいにするようになる」

「人や社会を批判することばかり学んだ生徒は自律のスイッチを押せなくなる」

最上位目標
「世の中ってまんざらでもない!結構大人って素敵だ!」
(それぞれの自主性で違ったことをやって、わけわかんなくなったら戻る指標)

「心は一つにならない(みんな違っていい)ということを教える必要がある」

「コミュニケーション苦手な子もいるわけだから、幼稚園から仲良くなくていいよね。(それぞれ考えが違ってていいよね)という教育で大きく変わると思います。」


シリーズの特別編が公開されたようです。
こちらも多数共感できることがあるのでぜひ。

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