なぜ日本でゲームエンジンが根付くのが遅かったかとか

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 2017年を数字で振り返ろう。家庭用ゲーム市場規模は4,413億円で前年比28.3%の増加だった。2007年から縮小が続いていた家庭用ゲーム市場の出血がようやく止まったのである。致死量に達する前に。

凋落の原因は人材不足…だったのか?

2017年の市場の転換はなぜ起こったのか。なぜ2007年から続いていた市場の縮小が止まったのか。ハード売上増による一時的なものなのか、それとも構造的な変化が起きているのか。


すでにこのブログでいろいろな形で書いた気がするので、短めのツッコミ。

日本の空気読み縦割り文化では学校のクラスひとつ分、40名を超える開発部署をまとめることが難しい。逆にタイトル各部署が40名以下で済んでたPS1タイトルあたりまでは絶好調だった。それはDSやスマホの開発規模でも同じ。

開発が200名超えると、どうしても全校生徒を一致団結させるレベルのカリスマが必要になる。しかし、シェンムーやメタルギアソリッドをみてもわかるように、カリスマはとんでもなく作家性が強い。変なところにお金をかけすぎる。PS1レベルだったらそれも良い方に働いてた。しかし、大規模エンジンも開発しながら、同時に作家性も発揮しようというのはメタルギアのように当たればでかいが、シェンムーのようにリスクも大きい。

アメリカはハリウッドがあるので、200名を超える大規模作品開発に物凄い経験値がある。また、労働法律的に人材流動性が高く、これは知見の共有、GDCなどの研究論文発表の共有にもつながる。自分を高く売る人材流動性からどんどん俺すげえだろ論文が発表される。あるいは知見の共有がノブレス・オブリージュであったり、ゲーム開発に対して「学術」という見解がある。このためソースを自社だけの秘密にしておくことは難しく、ゲームエンジンなどへの発展にもつながる。

映画などでも、本来作家性にこだわる映画は中規模以下の予算でなされることが多い。よほど実績のある大監督と客を呼べる大スターを揃えて作家性に挑戦出来るのは、ハリウッドという映画エンジンが完成の域に達してるからだ。

なのでアメリカでのPS2時代 AAAタイトルは派手なアクション映画をどれだけリアルに作れるかという、ゲームエンジンの作り込みの方にお金がかかっている。ストーリーや作家性とうのは、わりとハリボテ。God of Warのシナリオ演出が高く評価されるのはPS4の今作からで、グランド・セフト・オートのシナリオ評価も後期になる。作家性のある多くのゲームは、MYSTとかFLASH BACKとか、PC由来の小規模、中規模開発から出てくる。この辺自分でもツッコミはいくらでもできるので、あくまでそういう傾向ということにしよう。

これが360、PS3時代ともなると、CGに演技をさせることに違和感がなくなるほどゲームエンジンが進化し、ここらへんからシナリオや演出にもハリウッドクラスの金をかけるようになる。土台ができたから、当然のようにそこにも力が入るようになった。もし日本が同じ時代に同じ道を歩みたかったら、労働法律や人材流動性や、空気読みや、大規模開発のチーム組織理論といった、わりと文化の根源となるところから手を付けないと、とても無理な話。

昨今の日本の攻勢というのは、大手といくつか特定の下請け開発会社で、大規模開発の運用ノウハウが充分溜まってきたことにある。また、ハードウェア進化の恩恵を受けて、中規模開発でも昔のAAAタイトルレベルの見栄えが作れるようになった。それが出来る所は限られるとはいえ、それなりに欧米に追いつく土台が整ってきたといえる。

ゼルダブレスオブザワイルドに関しては、これまでグラフィックとアニメーションと物理エンジンにフォーカスされて開発されてきたゲームエンジンに対し、「火」「水」「風」といった、熱や対流といった自然現象まで扱う「化学エンジン」を新たに開発したというエポックがある。これでゲームエンジンはまた新たなステージに踏み込んだ。

ただゼルダの開発においては、とんでもなく泥臭い300人プレイバックがある。
4年間で10回の「開発関係者全員での通しプレイ」からのフィードバック。
最初は小規模だったらしいが、10回めの最後は300人がクリアするのに1週間かかってフィードバックを返してる。人月コストを計算したくない話だ。

まず2Dゲームで開発、社員300人で1週間遊ぶ!? 新作ゼルダ、任天堂の驚愕の開発手法に迫る。「時オカ」企画書も公開! 【ゲームの企画書:任天堂・青沼英二×スクエニ・藤澤仁】


ドラクエでも昔は堀井雄二がひたすらこういった通しプレイを繰り返して、開発会社にずっとフィードバックを返すという、あまりにプレイやフィードバックを返すのに時間がかかる手法を取って開発長期化してたが、だからこそあの手触りの演出や完成度になる。今回のゼルダは300名の堀井雄二未満がフィードバックプレイにあたったということになるだろう。こんなの誰が真似できるかと思うが、ゼルダの開発講演には他にもいろんな知見やヒントがあるので、とても反響が大きかった。

こうみると、日本のAAAゲームの土台には「いかに日本という環境で、大規模開発を成立させるか」「クラスのリーダー」ではなく「全校生徒をまとめるリーダー育成」というノウハウや知見こそが大事であり、アメリカにハリウッド文化という完成された映画労働エンジンがあるなら、日本にもゲーム労働エンジンが必要なのだろう。いつか偶然入社するかもしれないカリスマ猿人を待つわけにはいかないのだから。

同一民族で空気読みが通じる日本では、雑多な考えと人種と文化をまとめて、自分の考えをきちんと伝えて議論できるようなリーダーは必要なく、それで充分働いて生きていけるので、ディベート教育や、リーダーシップ教育と国民性が相反するところがあったりするのだろうか?

しかし、ゲーム業界で200名を超えるAAAタイトル開発を初めて成功させたのは、日本のスクウェアの坂口博信だったりする。彼はFF初代から、11まで手がけてゲームグラフィックにしても、コンシューマーオンラインもジャンプアップさせ、時に同業者からゲーム開発で無駄にグラフィック水準を引き上げるなと大きく批判されたが、彼が退社したあとのスクウェアにその知見は残ってなく、とても苦難のPS3時代を歩む。やはりカリスマ性が為せる技なのか?

実際FF7と、鈴木裕が開発したシェンムーは、欧米のゲーム開発にとんでもない影響を与えた。残念ながらシェンムーはドリキャスの不遇で成功とは言えなかったが、実は大規模開発事例で先行してたのは日本。まるで黒澤明を学んだスピルバーグや、コッポラや、ジョージ・ルーカスがハリウッドスタイルで成功したようにその知見は引き継がれてしまった。と、例えるのは言いすぎだろうか。

我々は日本ゲーム”凋落のシナリオ”の続きを紡がなければならないのである。


まあこれも、1ゲームユーザーから見た凋落のシナリオの一つ。
それぞれの目線や立場で、元記事やこの話にツッコミをいれたり、考えたりするのも一興じゃないでしょうか。