teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

どうやって「生きるモード」に切り替えるのか?

自殺者が増加してるせいかよく流れてくる両さんの一コマ。

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先日の鬱漫画でも同じ場面があった。

 

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僕が僕であるためのパラダイムシフト

僕が僕であるためのパラダイムシフト

  • 作者:EMI
  • 発売日: 2018/12/14
  • メディア: Kindle版
 

十数年、鬱と付き合って改善するまでの試行錯誤の話。
 
ここには「無能の証明」や「治さない決心」という単語が出てくる。
自分のアイデンティティや自己実現が無意識でそう決まってると、いくら意識上で「有能でありたい」「治したい」と思っても両さんでいう左側の「無能の証明」「治らない証明」の選択肢の中からどう無能であるか、いかに治らないかを探し続けることになる。これは鬱の話なので、なおさら「治すモード」には切り替えれないだろう。

物語で明確にモードが切り替わった瞬間がある。
自殺に失敗したときだ。

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ここでモードが切り替わる。ここからが試行錯誤の始まり。
この後もさまざまな困難と無数の失敗が待ってるが、「治さない決心」の試行錯誤ではなく、少なくとも無意識で「治すモード」の試行錯誤となっている。

自分の価値観がどうでもよくなる。死んだことで過去のこだわりと、未来への絶望に、一時的にでも断絶できた。僕らが左のモードにこだわるのは過去の延長線上による習慣が大きい。今日までの人生に使った時間とコストの延長線上に左のモードの習慣があるが、そこを開き直るきっかけがいる。

もちろん自殺未遂すすめるわけにもいかない。死んだら終わりだ。
重要なのはどうやってくだらない過去のこだわりを切り離し、開き直ってモードを切り替えるかである。

人によって転校、卒業、就職、転職、引っ越し、結婚、離婚などいろんなきっかけはあるものの、そこまでしなくても自分でコントロールしたい。


というのもこれは鬱や希死念慮の話とも限らない。
ダイエットにおける「やせない決心」「喫煙する決心」「お金を稼がない決心」「成功しない決心」「先延ばしする決心」などもすべて左のモードの中で悩んでることになる。

僕ら人間がどうにかやっていけるのは、社会性のおかげ。会社という共同体での他人への責任感や締め切りがあってやっと動けるのだ。でも自分の事となると責任感も締め切りもないのでダメ。生活習慣病の医者もいれば、自分の確定申告が一番遅い税理士もいる。自分で何も考えずに次のスケジュールを強制してくる秘書が欲しい。

人間だから楽な方に流れる、、というとそれも違う。長期的に左のモードの方が精神的にも物理的にもずっと苦しい。「生きるモード」で試行錯誤するほうが精神的にも物理的にも楽だ。その手前のモードチェンジがひたすら「めんどくさい」と思わせるのである。


そう、「思わせる」だけ。
やる前が一番しんどくて、学校や会社に行く前が一番億劫で、ステージに立つ前が一番緊張して、やり始めたらなんてことはなく慣性でどんどん進む。結局「過去」の経験、「未来」の不安。という頭の妄想が、「今」右のモードへ集中するのに一番厄介なのだ。

「若さ」には物を知らない強みがある。
とりあえず「やる」と決めてしまえば、突っ走れる。
それがどんなに大変でめんどくさく、前例のないことかと知ってたら絶対やらない事を無鉄砲に、準備なしにスタートできる。一番めんどくさいのが「スタート」。物を知らない若さは「生きるモード」に切り替えるコストが小さい。若さには「過去」がなく、試してない「未来」へ希望に溢れてるから。むしろ脳筋体育会系の方が余計なこと考えずにすむのではないだろうか。

若さがない僕らは、いつまでも、いつまでも「準備」をしてしまいがちだ。全ての「準備」が整ってから、「最適なタイミング」でモードを切り替えようと。

でも「準備」は一生整わない。
「最適なタイミング」は一生来ない。
若い人たちと一緒で、常に準備不足、常に最悪なタイミングのスタートしかできない。

どこかで諦めないといけないのだろう。右の「めんどくさい方のモード」に、たった今、準備もなく、最悪なタイミングで身を置かねばいけないのだと。年取って嫌な経験積んでるのに、宮崎駿翁のように「あーめんどくさい、めんどくさい」と言いながらモード切り替えて右側で試行錯誤しないといけないのだろう。