西武・そごうの広告に仕掛けられた3つの謎を読み解く

 

 

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年初からかなり話題になってて賛否分かれてる広告。
というか今Twitterみたら元旦の「賛」が訂正、削除されてほとんど「否」になってる。

僕はこの広告を高く評価していて、女性の社会進出に関しては先を行ってた西武・そごうだからこその説得力もある。

facta.co.jp

 

この広告には腑に落ちない点が3つある。

1.なぜ、女であることの生きづらさが報道されるたびに「女の時代」は遠ざかるのか?
2.なぜ、顔の見えない「女性」がパイを投げられる広告なのか?
3.誰がパイを投げているのか?

他にもポリシーの違いで腑に落ちない点があるという人はいるだろうが、ここでは主にこの3点を読み解いていく。

1.なぜ、女であることの生きづらさが報道されるたびに「女の時代」は遠ざかるのか?

女だから、強要される。
女だから、無視される。
女だから、減点される。
女であることの生きづらさが報道され、
そのたびに、「女の時代」は遠ざかる。

まずここ。
女性差別問題が大きく報道されるほど、「女性は扱いづらく、対策コストが余計にかかる」と見られるリスクがある。

togetter.com

 
「ハラミ会」(女性参加禁止でハラスメントを未然に防ぐ飲み会)などがすでにいくつか存在して、ウォール街も含めこの考えを女性採用にまで広がるのは避けられない。これがMeeToo報道の結果。


これは何も女性差別問題に限ったことではなく、去年も黒人差別問題でガキの使いが炎上したり、子供の黒人モデルがH&Mで猿のトレーナーを着てたから黒人差別だと大きく騒がれた。結果、黒人モデルの画像は削除されトレーナーのみの写真に。黒人モデルは仕事を失いました。TVでも黒人のネタの何がタブーになるかわからないとしたらバラエティで黒人のネタを控える方向に動く可能性は高いです。

また、アメリカのVOGUEというファッション雑誌で日本人の着物を着た白人という構図が、日本人がやるべき仕事や文化を奪う人種差別だと、人種差別のミンストレル・ショーの意味合いで批判されました。日本人は何とも思ってないのですが、新しいミックス文化やファッションの種をつぶす結果に。

ずっと遡ると労働法の改正によって、労働者の人権が守られていくほど労働者を雇うコストが上がり、「正社員」が減って「派遣」が増えるというただ中間の中抜きが増えてますます労働弱者に厳しい格差が生まれました。労働者のために一生懸命大きく問題を報じてよりよく生まれ変わった結果がむしろより下の労働者を苦しめることに。

雇用に男女や年齢制限を加えてはならないとしても、欲しいのは女性従業員だったり、若い人だったりするのに、30のおっさんが面接に来てもほんとお互い時間の無駄でしかなく生産性は落ちる一方。

弱者のために正しいことを訴えて、グレーゾーンを全てアウトにし、正しいルールを徹底しようというのが必ずしも弱者のためにならない例です。いびつなルールのしわ寄せは結局最後弱者に行くのですから。

ルールを変える場合被害者の視点のみならず、加害者が加害者にならないよう、雇う側の利益も含めた全体の視点で考える必要があります。じゃないと正論を言って正しいルールが作られたのに被害者がより不利益をかぶることになりかねない。

だからといって、パワハラやセクハラを放置するわけではない。医大入試や、痴漢対策など個別の問題としてそれぞれが強くあたって処理できるのがベターです。極端なパワハラやセクハラを個別の問題ではなく社会問題として扱い、全てのグレーをアウトに「女性がセクハラと感じたら全てセクハラ」としたら、男女一緒に仕事することにとんでもないコストやリスクがかかるので、それならウォール街に続いて男だけの会社や女だけの会社にしたほうが良いでしょう。

じゃあ、報道しなれけば解決するというのか?

報道するなとは言いません。
問題は報道の内容です。

女であることの生きづらさが報道され」

こういったネガティブな報道がさらなる対立や弱者への悪循環を起こします。

逆に「我が社、我が市は女性の社会進出や子育て取り組みにこんな事をはじめました。」というポジティブな内容はどんどん報道していいです。日本人の同調圧力から他社もやってるならうちでもやるかとか、そういう新しい会社や懐の大きな企業に人材は流れていきますから。

基準はマザーテレサでいいんです。

私は反戦運動には参加しません。
平和運動なら参加します。

マザー・テレサ

反戦運動が、さらなる対立を引き起こし状況を悪化させることを彼女は知っていました。

女性がどうしても子供を生むという大事な役目に連なるハンデがあるので、社会全体でそれを支えていこうというのは賛成です。しかし、国や全ての企業に負担を求めるのほど世界も「先進国」も完成していませんし、安定してもいません。

いわゆる資本主義や社会主義ですら人間の社会システムとして圧倒的に不完全です。戦時中を0点とし、このブログのタグにある「お金のいらない国」を理想の100点とするなら、今あるすべての先進国はまだ10点や20点の途上国でしかありません。EUやアメリカが先進国というのも勘違いです。EUはドイツとフランス以外ボロボロです。

であれば途上国でしかないEUやアメリカや日本と、その全企業になにか求めたところで、台所事情が厳しいのは一緒。すべての国が赤字国債を抱え、7割が赤字企業と言われる日本企業に何かを求め期待するより、戦後の人達のように自分でできるところから動いて、できる企業から充実させていきたいです。

2.なぜ、顔の見えない「女性」がパイを投げられる広告なのか?

「パイ投げ」は批判の象徴。
女だからやめときなさいとか、女のくせにとか、偽善と心無い中傷の言葉。
パイを投げられた上で、それでも進んでいく人にだけ前に出る権利が与えられます。


これは女性に限ったことではなく、目立つ人、成功する人、主張する人、前に進む人、このCMを作った西武・そごうも、それを評価したこのブログも、70億人全員がパイを投げられる対象になる。

男が前に進む場合は「女のくせに」というひとまとめにした否定語ではなく、形を変え数千種類の罵詈雑言を浴びせられます。ときには奥さんや娘からも。逆に「男のくせに」「男だろ」とつながる弱音は一切許されません。

パイを投げられたくなければ、黙って、他人に合わせて、決して主張せず、何もせずおとなしく頑張って生きていくしかない。そうすればなるべくパイを投げられずにすみます。それでも結局影から投げられるんですけどね。

でもパイを投げられて実際に痛いわけでもケガするわけでもないので、そんなの気にせずに生きていくのもいい。他人や環境を気にするのではなく自分を生きるという姿勢。

時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは、一人ひとりが作る、
「私の時代」だ。


これは2017年の樹木希林さんの広告でも一貫してぶれない。

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こっちの広告は炎上せず評価がとても高かった。
でも、安藤サクラがパイ投げを喰らうと炎上する。
その炎上がこの広告の狙い。

パイ投げ - Wikipedia

日本におけるパイ投げ

一般では、ぶつけられ役になるのはほとんど男性で、
女性にパイをぶつけるのはほとんどなかった。

テレビ番組でも女優やアイドルにパイをぶつけるという行為は控えられてきたが、フジテレビ系のバラエティ番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』では、多くの女優やアイドルにパイがぶつけられた。

ここでの志村けんの功績は、男性主役だったバラエティに女性タレントを対等に扱っていい存在として引き上げた事にある。女性にパイ投げをすることで、バラエティ枠に置ける女性タレントの権利をただの華を飾る置き物から、前で使える存在に引き上げた事。


これは去年「ガキの使い」でタイキックをもらったベッキーの騒動にもつながる。あれをDVだ、パワハラだ、かわいそうだとベッキーを守ろうとするほど、不倫騒動から復帰しづらいベッキーの権利は失われる。もし視聴者の大半が笑ってくれていたら、ベッキーはもっとはやく前に出る権利を取り戻せる。

かわいそうという前者のほうが正論で、笑ってしまう後者の方がモラルないのだが、女性として守られる立場と、前に出て権利を得るのは等価交換。パイ投げという批判を喰らって自分を前に進めるか、パイ投げの少ない世界で守られて権利を失うかだ。

もしこれがキムタクや、出川哲朗のパイ投げだったらどうだろう?

「ああ、キムタクはパイ投げられてもかっこいいな」とか
「出川が正月からまたなんかやってるよ」と、たいして違和感もないだろう。
それは彼らが世の中からいろんなパイを投げられる事を覚悟してそこに立ってるから。
だから前に立つ権利が得られる。

しかし動画のような安藤サクラの鋭い意思のある目を使わず、わざと顔を見せずに「女性」としか分からなかったパイ投げ写真はどうだろうか?

その写真とメッセージのちぐはぐさにモヤッとした人は、無意識のレベルで「女性にパイを投げてはいけない」「女性に絶対こういう広告扱いをしてはいけない」という「か弱い」女性の権利を守ろうと思ってなかっただろうか?

だとしたらあなたが男でも女でも無意識のレベルで「女性」と「男性」を対等に扱ってないかもしれない。少なくともモヤッとした時点で「キムタク」と「出川」と「女性」を対等に扱っていない。女性の権利を得ることと、女性を無意識に守ること。その認識のズレにこの広告の意味がある。

こんな広告がでても騒がれなくなったときにこそ、女性はまたひとつ前に立つ権利を手に入れることになり、そのモヤッとした認識のズレを意識して考えさせることがこの広告の意図となる。

弱い立場の女性はパイがぶつからない後ろで守らねばならないという、男女共通した暗黙の常識と、女性として前に出る権利は両立しない。前に出るならパイを投げられる覚悟がいる。

あなたは女性を守るフェミニストを否定するのか?

女性を守るフェミニストと、守られる女性という「差別」化はありだと思います。
そうであれば役割はハッキリしている。

なので、ただ後ろで守られるのを断り。フェミニストと少し距離を置き。女性だからいろいろ気を使われるとか、終電前に一番先に返されるとか、ケツ持ちや余計な負担や奢ることもいとわないとか、取引先やプラットフォームやライバル企業や人間関係から耐え難い理不尽に何度も泥をすすり土下座しにいくとか、そうやって前に出る人がやっと手に入る「普通の権利」という自立も応援したい。

まあこういう無理はブラック企業になってしまうので、知恵や考え方次第でいろいろやり方あると思います。フェミニストをうまく利用する手もあるだろうし、役員に名を連ねて無くて表に出て無くても、社長の妻で女帝として実質会社を動かしてる女性はたくさんいますからね。

3.この写真でパイを投げてる人は誰か?

それはTwitterで他人の事を深く考えもせず批判してるあなたであり、
今まさに西武・そごうに対してパイを投げまくっているあなたにパイを投げる私です。


それを指摘されてドキッとしたら、まだ「パイを投げてはいけない」「パイ投げが存在しない世界を作りたい」という無意識が働いています。この広告はパイ投げを一切否定していません。


今の世の中Twitter,Facebook,インスタ映えする写真が飛び交って、70億人の世界パイ投げ大会が進行中。全員の発言権を取り上げて「パイ投げが存在しない世界」を作る事は不可能。

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この世はすでに大パイ投げ時代。

痛くもかゆくもないパイ投げを食らったうえ、目を見開いて前に進む人だけが楽しめる世界。AKBだって一番前に立つ前田敦子や指原莉乃は老若男女から大量のパイを投げられながら歌っています。

しかしどんな誹謗中傷や批判ややっかみも結局パイ投げでしかない。痛くもないパイ投げられるのが怖くて心折られて前に進めない人は、人類史上まだ達成されたことがない「パイ投げが存在しない世界」が来るのを、それを邪魔する自分のいろんな敵にパイを投げまくりながら待つしかありません。

この広告は「自分もパイを投げている一員であるという自覚の無さ」「顔のない女性モデルだとこんなに違和感を覚えるという、無自覚の差別」に気づかない人をモヤっとさせ、この問題提起にどんな意味や覚悟があるのか考えさせることに目的があります。

これが僕から見たこの広告の答え。
そうすると、第4の謎が出てきます。

4.西武・そごうが、こんな広告を出したら顧客離れて行かないだろうか?

百貨店なので、メイン顧客は富裕層になる。
樹木希林の広告でもターゲット層がわかるように、「自立」と「経済力」は比例する。
この世界はどんな環境だろうが自分の力でなんとかするという人が金を得る。
政治や環境がどうにかならないと自立できないという人は、残念ながら百貨店で大きな買い物するお金を持たない。

また、自立心のある、パイ投げ喰らう覚悟の若い人はこのブランド戦略から将来的顧客になる可能性もある。この広告で少しでもパイを気にせず拭って前を向く人が増えるほど自分で自分を助けれるような潜在顧客も増える。

自社の女性社員を甘やかさないように、顧客の女性も安藤サクラのように凛としていてほしいしため甘やかさない。

あと、Twitterがものすごくこの広告否定で埋め尽くされてますが、あまりにも品がない罵詈雑言も目立ち「ああいう人達が来ない店なんだな」という、あえて今回の件に物言わぬフォロワーがついてきます。これも西武・そごうが優良な顧客を振り分けるブランディングに一役買うことになる。

なのでこのブランドメッセージをポジティブに捉える人と、潜在的顧客層は一致する可能性が高い。


以上が僕から見た西武・そごうの狙い。
意図がどこまで合ってるかはわかりません。

それはそうと、これは顧客層以外のモヤッとした人たちに救いがない

やっぱり負け組はパイを喰らう「我慢」「努力」「辛抱」をしなければいけないのかと。

僕としてはパイを喰らって前に立つのに「我慢」「努力」「辛抱」は必要はないと思っていて、
「人生で女という負け組を引いた人」も
「人生で男という負け組を引いた人」も
「人生で底辺という負け組を引いた人」も、
別に、70億いたら69.9億人が負け組なんだから、いかにその負け方を楽しむか?
という自分のみに集中すればいいと思ってる。

それが広告の最後、

時代の中心に、男も女もない。
わたしは、私に生まれたことを讃えたい。
来るべきなのは、一人ひとりが作る、
「私の時代」だ。
そうやって想像するだけで、ワクワクしませんか。

わたしは、私。

につながるのだけど、長くなったので次の記事に解説持ち越したい。