なぜ人はクソリプをするのだろうか?


クソリプはモヤモヤする

冷静に語ってるようで実は自分のポジショントークしてるのはモヤモヤする。

正しいことを言ってるようで過去の自分を許すため、過去のトラウマを癒やすための発言も今起こってる話とは辻褄があわないし、その人が間違ってても、今の話と関係なくても、実は自分の過去を語ってるのだから絶対引かなくてモヤモヤする。

自分の正しさにこだわって相手の事情を無視し互いに正論ぶつけあうのがモヤモヤする。

権威バイアスがかかって、権威を語り、中身を語らないことにモヤモヤする。

悪意バイアスがかかって、中身すら見ない、フラットに評価しないことにモヤモヤする。

「"カドカワのお達し"とハッキリ書いてあるから悪いのはカドカワで、責任はカワンゴだろ。知らんけど。」みたいな発言にモヤモヤする。

一方の事情しか知らないで相手を批判し、自分で調べる気はなく、クソ投げっぱなしで、発言の責任を取らず、間違ってても謝ったり訂正するつもりはない、と宣言してるようでモヤモヤする。

相手のマウントを取るコメントにモヤモヤする。

そういったクソリプやクソコメが、いいねとか、スターとかたくさんもらって上位に表示されることにモヤモヤする。

一方でモヤモヤしないコメントというのは

ドラマで役者が何を言おうがモヤモヤしない。役者はただ脚本通り役を演じてるだけで罪はない。

ワイドショーでコメンテーターや、芸人が何か発言してもモヤモヤしない。TVの構成上それぞれ物議を醸したり、かき混ぜたり、ボケたり、あえてどちら側かに立ったりと、役割があるのを知ってるから。TVで編集された発言と、実際にどれだけ深く考えてるかが違うのも知ってる。

Facebookやインスタグラムには(あまり)モヤモヤしない。実名だからかあちこち気を使ったタテマエが多く物議をかもす本音を言わないから。盛りのある見栄えが強いから。もちろん実名を掲げて本音で糾弾したり、右や左に立ったり、頑張る人もいるがそこはTwitterやはてなと変わらずモヤモヤする。

どういうリプやコメントがみたいのか?

自分が正しくても、相手も正しいかもしれないと考えるコメント。

左辺が正しければ右辺の悪さは証明される、と単純に考えるのではなく、見えない右辺の複雑さを考えるコメント。

印象の悪い人でも、言うことは切り離して個別に判定するコメント。

印象の良い人や、自分のあこがれの人や、実績や権威こそ疑うコメント。自覚できない無意識のバイアスがかかるので好きなものや味方を批判するぐらいの気持ちをもっておくことがちょうどいい。

表と裏の両方の仮説を考えるコメント。

事象のお金の流れを考えるコメント。

事象の理屈ではなく関係者の感情を考えるコメント。

事象の過去の事例と、未来のパターンがどうなるか考えるコメント。

事象において「じつはそのままが最適解では?」「本当にそれは問題なのか?」という事象の問題そのものを疑うコメント。

これらを組み合わせて1つの事象に16から32パターンの仮説に分解し「三方良し」を探るコメント。

「明らかに悪い奴」がいてもすぐに断罪せず「全員善人」という全員生存クリアハッピートゥルーエンドを考えるコメント。

環境要因やゲーム理論の調整で「全員協力したほうが一番得になる」となると、悪人も善人の振る舞いをしだす。中国のソーシャル点数でマナー守るのなんかは極端だけどひとつのブレイクスルー。人の振る舞いだけでなく、たくさんの仮説に分解してつなげるのは、ものづくりにも言える。

まとめると
他人を敵とみなさず、相手に敬意を払うコメント

みんな聖人じゃなく人間なんだから無理では?

確かに人はみな、何らかのコンプレックスとトラウマを抱えて生きている。

自分のコンプレックスやトラウマが強く刺激されると人は防衛反応から発狂するように出来てる。

今の自分や過去の自分を守るため「自分を傷つけた敵」を倒すために理論武装する。ここで自分が間違ってる可能性も含めた32パターンの仮説なんて考えきれない。答えは「相手からの謝罪」という1パターンのみ。

こうなると人間は議論してるようで全部クソリプしてるだけである。会話や発展や解決などない。

クソリプにどう接したらいいのか?

ネットだとスルーか、ブロックが推奨。
しかし身内やリアルではそうもいかない。

ポジショントークや、コンプレックス、トラウマは発言から漏れ出すので、その片鱗が見えたらもう議論する意味はない。ただその感情に寄り添う事が必要。

感情無視して正論の理屈を言ったところで、泣くかキレるだけ。相手の感情を満たすことが先で、敵認定をさせない。誰かを許せないといった感情が消えないなら身内もリアルもある程度諦めて距離を置いたほうがいい。

こちらからみたら誰かを許せない理由がどうでもいい小さな事でも、本人にとっては生きる理由にすら匹敵する事もある。生涯誰かを許さないとしても第3者からは寄り添うか距離を置くしかない。

なぜクソリプが目立つのか?

喧嘩は江戸の華、他人の不幸は蜜の味、人の感情が一番面白いからキュレーションされる。

極端な意見を「晒す」ために「いいね」や「スター」を付ける人が一定数いる。ネットはほんとにひねくれ者が多い。キュレーション上位だからといってみんなが賛同してるかどうかはあてにならない。(煽りクソリプに反論するためのブクマもついてPV稼ぎにつながる手法のためさらにややこしい)

もし双方複雑な事情が先にあれば、安易に叩けないで盛り上がらないか、両方叩いて盛り上がる。

個人の内省とかは真面目に読むと、読む人も反省しなくてはいけなくなるので誰も読まない。ブランド価値も下がるのでわざわざ書く必要もない。

価値のある面白くないものは世の中あふれていてそれはキュレーションで上がってこない。価値のあるものを書くなら「しくじり先生」みたいに読む側からはあくまで他人事として、面白おかしくする必要がある。

ソーシャルメディアは自分のブランド価値を上げることができる

安易な正論やポリコレや悪者バッシングの流れに乗るだけで自分のブランド価値をちょっと上げることができ、正義感を満たせる。

なので一方の正論だけで、なんの仮説も考えずに安易に賛同するクソリプが多発する。

いいね、スター、ブクマ、PVなどがクソリプを加速させる。

人間のコンプレックス、トラウマ、プライドを守るためのクソリプ

1.
クソリプとは、先に悪意があって投げかけるのではなく、何気ない発言から傷ついた人のコンプレックス、トラウマ、プライドを守るための手段として即座に投げかえされる物である。そこに悪意という石が埋め込まれる。

誰も傷つけないよう慎重に発言すればいいかというと、どの言葉でもなんの発言でも、見る人から見たら傷つくので、誰も傷つけないのは不可能である。なんならアカウントが存在するだけだったり、アカウントがないことだったり、何も発言しないことが誰かを傷つけることだってある。

2.
また「芸能人にはモヤモヤしない」と同じようにクソリプもその人の表面に出ている1パターンに過ぎない。その人の残り31パターンは見えてないのだから「ちゃんと会って話せば」敬意を持って深く考えてくれる事は多い。とするとTwitterやはてなのクソリプは小さな芸能人がワイドショーのごとく役割を演じてるものと思えばモヤモヤしない。

TVがCM抜きで50分、かつまとまりと方向性を保つため編集される条件があるとすれば、Twitterは140文字、はてぶは100文字というシステム。かつ、スタックではなくフローでたれ流す前提の設計なため、思考が反射的で浅くなる設計となっている。

ここまで考えるとクソリプは、ネットという巨大な生き物が自己防衛のために行う生理現象ともとれる。人間の脆弱さとネットの仕組み考えるとクソリプは必要な生理現象で、あまりモヤモヤしない。クソリプをせず溜め込んでしまうと精神的便秘になるかもしれない。その程度のものとも言えるので、正しく距離とマウントをとってクソリプと付き合い、クソリプしていきたい。