まだどこか相手に期待してた自分の不寛容さを考え直す

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この話すごくよかった。

自分は隣の知らない家にきた犬が毎日すげえうるさくても、あれこれ飼い主と犬の両方で事情や心情をいろいろ想像してたら3日でなれた。ネットで炎上してる人をたまに擁護するのも、逆張り狙いとかではなく、複数の仮説や心情を想像することから始まっている。

でも大きく反省するところがあって

ただ、一つ悲しいのは、議論が噛み合わず、嫌悪が増幅されること。

例えば、以前の俺と現在の俺が別の人格で、上の階の騒音について議論したとすると絶対に絶っっっ対に噛み合わない。どちらも自分だからわかる。

「なんて我儘な奴だ。全体のことを考えていない。あいつは頭が悪い」って両方が言う。間違いない。両方自分なのに。

ブコメやTwitterの様々な議論を見て、もちろん建設的な話をしてる人もいるんだけど一部、お互いのポジションに対して嫌悪を助長するようなことがあれば

今よりもっと、子供の騒音を許せなくなるし

今よりもっと、子供に不寛容な人を許せなくなるんじゃないかと思う。

それはそれはちょっと悲しいことですね。


 そういう言い争いを見たとき、
「もうちょっと相手の事情や心情のいろんなパターンを想像したらケンカする必要ないのに」と、かなりモヤモヤする。これはメタ的に不寛容だ。

ネットで顔も声もボディランゲージも名前も年も立場も文脈も見えない他人とのテキスト応酬はそうなりがちだ。信頼してる身内だったら同じ話をしてもそんな議論の仕方にはならないのだろうけど。*1

でも自分がコントロールできないことでイライラするのは無駄だし精神的に良くない。
怒ってる人に、相手はもしかしたらあんな事情やこんな事情があるかもしれないよ?
と言っても「あいつがそんな事情を説明したわけじゃないだろ!仮にそうでも相手の事情が俺に関係あるか!」と言われるだけになりかねない。

なんで俺はこの無益な争いを許せないのだろうか?
そもそも俺に関係ないことなのに。
まあ議論に首突っ込むのも、説明するのも、他人のためではなく自分の納得のためなんだろう。
相手が小学生でも言葉遣い以外は子供扱いせず複雑なことを1から説明する自分の一貫性のため。だから対等に話を聞き、意見を言う。
そこにテキストだけで互いに理解しあえるというおかしな期待をどこかにもってる。

、、とすると足りないのは「相手の変化に対する信頼」か。
たしかにその視点は足りなかった。
増田みれば「人は勝手に変わるし、勝手に成長する。」ことがわかる。

「相手の今に対する仮の信頼」はあったけど、今の延長線だけで考えて説明するのは良くない。僕が説明せずとも「相手の未来がその人なりの過程で変化する信頼」や想像力がなかったわけだ。自分すらこれだけ考え方も視点も変わってきたのにね。*2

仮にでも「相手の未来ごと信頼」するほど、相手の今に期待する必要はなく、直接的な批判も少し抑えて、自分のコントロールできること、自分の考え方や伝え方や視点の変化に集中できる。*3

それでも言いたいことは言うだろうけど、それは相手を説得するためではなく、相手を傷つけるためでもなく、自分を納得させるために言うだろう。それなら必要な期待値や攻撃力はずいぶん下げて対応できる。ちょうど増田が誰も攻撃せず批判せず、自己完結で話を終えてるように。

*1:だから相手の事情や心情を複数想像するときは、まず「身内だったとして」という仮定から始まる。

*2:そういや子供の頃、短気だった大人がジジババになったら好々爺になる例は見たな。

*3:見方によればこれは寛容というより、付かず離れずの距離を置いた気の長い思考だが