teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

人の批判をするほど自分の成長が止まる

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イラストで稼ぐ人の心構えを解説するYoutuber動画なんですが、いいこと言ってます。

「急成長する人は褒め力がすごい」

逆に考えると

「他人を批判ばかりするとそこで成長が止まる」


というのは核心ついてて、僕も反省すべき点ですね。

「批判はそれを言ってる自分へ一番強く呪いがかかる」

わけで、他人を批判すればするほど、自分が行動するときのハードルがどんどん高くなっていき、しまいには自分で上げすぎたハードルが高すぎて、自分は動かず批判しかできない人生になってしまいます。

褒める人が成長するというのは、

「自己批判のハードルが少なく行動が早くなる」
「褒める他人からの差分を吸収しやすくなる」

という事が挙げられてます。


子供や学生が成長率高いのは
「若さ」
「素直さ」
「未熟さ」
の3つが揃ってる事もありますが、年上を敬う文化として
「若いほど相手を批判できない」
ということもあるかも知れません。

でもそのうち「歳を取るほど、批判が増えて老害化する」となる。

まあ、ある程度歳取ってたとして充分立場も年収も人間関係もできてたら、そこで成長がストップしても本人は特に問題ないでしょう。

ただ、若いうちで批判ばかりの老害化におちいり、でも若い人は老害なんて言われないので、自分の成長がストップしてるのに苦しんで、この苦しさは他人のせいだとさらに批判を強めるのはよくないスパイラル、よくない歳の取り方かもしれません。


褒めることって、人間関係も改善することあるんですよね。

批判すると意固地になり、褒めると軟化する


心のなかで批判してる相手とはあまり仲良くなれませんが、相手を褒めれると、大げさな褒め方じゃなく相手が認めてほしい所を自然に褒めると、相手との関係性や相手の悪癖が収まったりします。大人子供関係なく。

なぜそういう事がたまにあるのかハッキリわからないのですが、批判するほど相手は意固地になって、自分をそのまま認めて欲しいため悪癖によりこだわるのでしょうか?


さて、動画では満員電車で見る人たちを心のなかで褒めることで練習しようとありますが、ここも少し掘り下げてみます。

なんでもかんでも褒めればいいというわけではない

ポリアンナ症候群 - Wikipedia


●「直面した問題の中に含まれる(微細な)良い部分だけを見て自己満足し、問題の解決にいたらないこと」

●「常に現状より悪い状況を想定して、そうなっていないことに満足し、上を見ようとしないこと」

などを指す。

しかし由来となったポリアンナ自身は自己満足や現実逃避のために「よかった探し」をしているわけではない。


「ポリアンナ症候群」とは実際のポリアンナの「よかった探し」とは異なり、現実逃避のために行う楽天主義(アドラー心理学で言えば実際には悲観主義であり、問題解決を志向する楽観主義とは異なる)を指す内容である。

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批判(自己批判含む)をしてはいけないというと、なんの議論もできなくなり、Wikipediaで書かれてるように、問題解決から目をそらす現実逃避の悲観主義になりかねません。

いくつか段階があります。

第一段階、公的に議論すべき場合は批判する

特に改善案も、褒める所もないけど、社会的問題で公的に議論すべきものは批判して議論する。これは特に意識する必要はないですね。Twitterでたくさん見かけますし。

第二段階、褒める所が思い浮かばなければ、批判もしない

公的なことはともかく、私的な人間関係で批判しても、いいことなんて何もないんですよ。なので褒める所や、改善案が思い浮かばなければ批判することはありません。沈黙は金です。

公的な事は批判していいかと言うと、別にそれは市民団体とか他の人が頼みもしないのにどんどん批判してくれるので、前に進まないいろんな方向から混ぜ返す批判をあなたがしなくてもいいです。

世の中には改善のために前向きな議論したい人だけじゃなく、深い考えもなくただ一方的に批判して正義マウント取りたい人や、批判に交えて自分の不幸自慢をしたい人など批判そのものが目的となってる人もいるのでそこに混ざらなくていいです。

第三段階、批判したうえでwin-winな改善策を提案する

もちろんそれができれば苦労しないのですが、三方良しの改善案は事における深い理解と人間関係の調整が必要。

それらを調べるにも高い洞察力や、地道な足が必要となり、物事に精通している事も重要です。

とはいえ仮説で良ければ、精一杯の調べごとから考えを提案するのは悪くないでしょう。そのとき調べたことや考察はまたひとつ知の土台となって、たまには誰かの役に立ったり、別のところで生きてくるかも知れません。

第四段階、批判したうえで、良い所は褒める

良い所を褒めて批判する、という順番ではないですよ。
批判したうえで、良い所を褒める。のが感じ良いです。

日本は上意下達というか、尊敬語、謙譲語、年上をより敬う文化影響があるのか、批判というのは人格否定に捉えがちです。

なので議論するにも「あなたを否定してるわけではないですよ」という意を伝えるために、最後に褒める場所、批判とは逆の利点を述べる方が前向きな議論になりやすいでしょう。

なぜ、改善策を提示するほうが第三段階なのかというと、人は「改善策」を求めてるわけではなく「自分をありのまま認めて欲しい」という欲求のほうが強いのが自然です。

当たり前ですけど、第三者の自分が「改善策」を考えるより、当事者が考えたほうが解決早いわけで、しかも当事者はすでに解決方法を「分かってる」事が多い。

けど何かが許せなくて前に進まないという状況ばかりなので、その人を褒めて認めたほうが前に進み解決早いです。ごちゃごちゃ3人で揉めてたら、第三者の自分が改善策考えるより、人をよく見て3人の良い所を褒めて引き出し、状況を整理するだけで充分でしょう。

第五段階、世の中、批判するほどたいした問題はないので、それでもよく頑張ったと褒める

ここまでくると、なんでも褒めれるスピリチュアルな領域。

金が無いとか、結婚できないとか、少子化とか、温暖化とか別にあなたが楽しく生きることに対して大した問題じゃないんですよ。

当事者としてほんとに大変な問題だと思うならそうならないよう行動して、啓蒙すればいいだけで批判する必要はない。

難しい問題は一市民にどうにかなることではないので、学者や政府に任せましょう。
学者や研究者の最高の頭脳でどうにもならないことは、どうせあなたが考えたところで無駄です。例え地球や人類が終わろうと無駄に怯えて終末を迎えるより、今あなたができることを一生懸命やりきって終わるほうが楽しいですよ。

あなたが悩んでどうにもならないことは悩まず行動する。
あなたが批判してどうにもならないことも、批判せず褒める。


なにか深堀りしすぎた気もしますが、この5段階をもって

「他人を批判すると自分のハードルがどんどん高くなって動けなくなる」

「批判ばかりして自分は動かなければ、若くても老害となる」

という事を改めて自覚していきたいです。