teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

ルックバックの感想というか

amamako.hateblo.jp
ブクマじゃ書ききれなかったのでここに。

僕は京アニのアニメをいくつか見て人生の時間を共有し、これからも新作を見て時間を共有するだろう。だから事件のことは自分の人生に介入されたかのように悲しむ。

やまゆり園の事は障害者の身内を持たず、そういった施設で働いてる知人もいないため、共有してる時間や知識がなく、世界で秒ごとに起きる悲しい事件の一つでしかない。ただ施設で働いてた犯人がそういう思想に至らない社会となるよう、自分の職場ではピリピリした場をなごませ、怒られたり調子悪い人の話を聞いてあげ、公平より少しばかり自分が負担しようとは思ってる。(他人から押し付けられる仕事はきついが、自分からかってでる分には精神的負担が少ない) 僕ができるのは自分の周りの関係性をちょっとよくする事だけだ。


統合失調症の方がルックバックを批判していたが、ルックバックでは「統合失調症」も「精神障害者」の言葉も使われていない。京アニや、やまゆり園などでも事件前から幻聴と暴力性、近隣トラブルや警察沙汰などの前兆があり孤立しているので、普通の統合失調症の人と穏当に付き合ってる人達が恐れることはないだろう。無根拠な差別や誹謗中傷、ヘイトスピーチに対する統合失調症の正しいアピールとしていい題材かもしれない。

anond.hatelabo.jp

mmkanimm.hatenablog.com



「物語」から疎外されるものについて(「ルックバック」の感想のような、そうでないような) - あままこのブログ


おそらく今の人々の多くにとっては、インターネットってそのような場所ではなく、むしろインターネット上こそ「まわりの空気を読んで、その空気に合わせた発言をしなきゃならない場所」になってしまっている。
そうした中で、「この物語のここが自分には合わない」ということが発露できないモヤモヤが、なんか今のインターネットには溢れている気がします。

いや、ブログでもTwitterでも自分の思うことなりを自由に発言していいんじゃないだろうか。別に自分の思いに「いいね」とか「賞賛のブクマ」がないといけないわけではないが、共感してくれる人が1人でもいたら嬉しい。批判はされたくないが、発言の自由と批判される責任はセットだ。ただ誹謗中傷にまで付き合うことはない。ミュートブロック。発言や批判はその相手や誰かの誹謗中傷にならないよう気をつけ、自分の大切な人生の時間は京アニなどに使おう。Don't Look Back In Anger。


僕のルックバックの感想だが、事件そのものはありふれた悲劇のひとつでしかない。
それよりも個人的に刺さったのは、漫画家としてのさまざまな苦悩を小学生の4コマ制作として表現してるところだ。

4コマとしては藤野の方がきっちりオチをつけて完成されている。京本の4コマは絵が抜群にうまい背景画でしかない。マンガとして売れるのは藤野の方だ。しかし、漫画家が、絵描きがどうしても欲しい「絵がうめえ!!」という賞賛の声。そこで筆を折る嫉妬。絵の巧さとマンガの面白さや売れ行きは必ずしも比例しないのに、商業作家も抱えるその苦悩で手塚治虫のデフォルメ絵では満足しない描き込みをしている現実。

逆説的に「絵はうまいのに…」と批判され続けた「小畑健」や「大暮維人」などどちらかというと京本側の作家の苦悩も浮かび上がる。漫画じゃなくても絵じゃなくてもクリエイターであれば誰もがこだわりたい何かが、商業的に求められるとは限らない苦悩。そこには自分勝手な見栄や、自尊心、傲慢、嫉妬、憧れ、諦めが詰まっている。

それらを全て背負って描き続ける背中。
143ページに及ぶ背中。
ルックバック。
自分の背中を見て。
僕はここまで語れる背中になっているだろうか。


shonenjumpplus.com