日本人の幸福は他人の目を気にすること?

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日本人は勤勉で、一生懸命働いて今の日本を建設した。でも、会社や組織への貢献ばかり考え、自分のせいかを自分が享受することを忘れていると思う。


主語が大きい話だけど、まあ留学生からやっぱりそうみえるよな。

日本人は「自分がどうしたいか」より「他人から自分がどう見られるか」の方が大きい。留学生からみたら「その他人ってあなたの妄想ですよね?」と映るかもしれない。

逆に「自分がどうしたい」と大きく主張する人に対して「私はともかく周りの人にもっと配慮したほうがいいよ」と批判する。むしろこういう言い方は優しい方。

この「他人からあの人がどう見られるか」まで心配して批判するのは、被害妄想もたいがいにしてくれと映るだろうか。

だが「自分は他人からどう見られるか」「あの人は他人からどう見られているか」の2つの妄想と妄想があわさったとき、日本人独特の「空気」が生まれる。人の主張を自分の価値観で判断せず「周りから見てどう映るか」という自分の判断とは別の「空気」で判断する。だから叩いていい「空気」が生まれた時はほんとに怖い。

しかし日本の経済復興とは「ヒーローを作らない」準社会主義的な土台があってこそだった。「自分の成果を主張しない」からこそ「一億総中流社会」が達成できた。ここまで貧富の差が少ない状態でGDP2位にたどり着く先進国など歴史的にこの瞬間しかなかったはず。

「自分の成果を主張しない」日本の発展というのは囚人のジレンマにおける「協調」を達成したことにある。

懲役 囚人B 協調 囚人B 裏切り
囚人A 協調 (2年, 2年) (10年, 0年)
囚人A 裏切り (0年, 10年) (5年, 5年)


この囚人のジレンマを、日本社会に当てはめると

社会負担 国民B 協調 国民B 成果主張
国民A 協調 (2, 2) (10, 0)
国民A 成果主張 (0, 10) (5, 5)


となり、他の国が犯罪や社会福祉においてもの10もの税金コストを必要としながらそれでも間に合わない所、日本は4というかなり低コストで社会システムを維持できる。囚人全員が「空気を読む」ことで囚人全員が儲かる協調路線だ。

バブル崩壊後からアメリカを習い、成果主義の導入にいたりこの協調関係が崩れだした。失われた20年は、日本人の協調路線から裏切りへの転換でもある。

こうみれば留学生から見える「もっと成果を主張すればいいのに」は囚人の裏切りかもしれない。とはいえ囚人のジレンマはあくまで話をわかりやすくするための単純なモデル。世の中の複雑さでは、協調路線を取りながらも成果を分け与えていける人を目指し、その留学生と手を取り合いたい。