teruyastarはかく語りき

TVゲームを例に組織効率や人間関係を考える記事がメインのようだ。あと雑記。

司法の誤判率は実際の所どれぐらいあるんだろうか

anond.hatelabo.jp
この話、結構意見分かれるのは、司法を信用して冤罪なんて0.0001%以下、1万人に一人ぐらいだろうと思ってる人と、あまり司法をそこまで信用して無くて冤罪、無罪、刑の重さ、で誤判が10%近くあるんじゃないかと疑う人で分かれそうではある。どれぐらい誤判があるかというのはもう悪魔の証明で誰にもわからない。

俺は優秀な弁護士、検察がいたらかなり有罪、無罪、刑の重さをコントロールできると思っていて、その意味で誤判は10%以上に及ぶ可能性もあるだろうと思う。その意味で死刑は今の所反対。誤判率を低くする仕組みは街中や部屋中や尋問するにもドライブレコーダーつけろとしか思いつかない。

冤罪の根本的な対処が思いつかず、ある程度誤判前提で司法を運営する以上、冤罪と死刑の是非という本来別に考えるべきことが分けて考えられない。

例えば俺含むはてなユーザーが冤罪の当事者になる可能性などをちょっと実感してもらうとすると、低能先生の事件がある。

fhome.hateblo.jp
この記事は、はてな外部の人が分析し、殺人はともかく「低能先生の義憤の正当性」を強く訴えてる。

そのため低能先生へ心情をよせ、はてなの醜悪なところを批判する増田やブログなどの意見を中心に集めた記事となっている。逆にそれ以外のところは詳しく調べられて無く、むしろどうでもいいという感じで主張以外のほとんどが予断で切って捨てられているため、はてなユーザーに総ツッコミされている。

はてなユーザーのいろんな反論も全て低能先生の対立へと変換できてしまい、低能先生がネットリンチ反対派にすら罵倒コールを浴びせた証拠さえ、たんなる5%未満のエラーだと切って捨てる。

しかし低能先生の無差別攻撃の証拠、罵倒コール受ける前にその人がイケハヤ氏やはあちゅう氏に何を言っていたか? というところまでさかのぼってログを残す人は少ない。

それを載せたら低能先生へ心情を寄せる人達からどうにでも叩かれる材料となるから。載せれない。それをなんとなくわかってる人もわざわざそこまでログをさらせとは思わない。エビデンスが多数揃わない以上、外部から見る偏った視点に反論不可能な案件となる。

もしはてなを使ってない弁護士がはてなのいいところを知らず、この方のように自分がはてブで炎上された経験を何度かもち、100%悪いイメージしかないときに弁護を受けたらどうなるだろうか?

「低能先生の義憤の正当性」に裁判の争点をしぼり、市民から選ばれる裁判員6名の内、2名がはてなユーザー、3名がはてブ炎上経験あってはてなに恨みのあるユーザー、1名が過去にいじめを経験し低能先生の心情によせる人だったとした場合、裁判がどのように傾くか明白ではないか?

有能な弁護士や検察はすぐにはてなサーバーのログを抑えにいき、この記事のように「義憤の正当性」を切り出したログを抽出し、裁判に都合の悪いログは相手に渡さないようにする。はてながもしBANされたログを半年しか保存しないとかであれば、8年前から活動してる低能先生のログもほとんど拾えず、なお心情をコントロールしやすくなる。

これではてな内部からみたこの事件の見解は認められず、はてな外部からみてわかりやすい整合性を取った扱いで判断するということは可能になる。なんだったら低能先生がアカウントハックまでして、自首せずうまく逃げおおせれた場合、はてなへ私怨にかられた検察や弁護士がみせしめのIDを冤罪をでっち上げる可能性だってある。

この事件すらはてなユーザーが冤罪となる可能性だってあったかもしれないし、はてなユーザーの多数派見解とは違う判決(多数派からみた誤判)や情状酌量がくだされる可能性はある。

つまり有能な検察や弁護士がやってることは、裁判員への印象操作。
まとめサイトが情報切り貼りして人の感情を煽り説得することと本質的に変わらない。そしてそういう誤情報にこれまで何度も何度も騙され、予断で怒って、踊らされてきたネットを見てきて、はたして事件の内部事情に明るくない司法や裁判員がほんとに、99%正しい判断をできるかどうか分かるだろうか?  痴漢冤罪がここまで話題になってるのも氷山の一角ではないか?


10%以上も誤判があれば問題ではあるが、その悪魔の証明はできないし、仮にそうでも司法は絶対必要だろう。10%の誤判を自分が受けていくら抗ったとしても、どこか交通事故のように諦めるしかない。だったらせめて死刑廃止でバランス取るだろうか、、、

どんな優秀な検察や弁護士にも印象操作が不可能なシステムがでてこない以上、ある程度の誤判を飲み込んでいくしかやりようが無いのではと。俺は今この元記事をそういうふうに見ている。