有名無名問わず、誰かがメディアでした話から別の誰かが一言だけ抜き取って、文脈から切り離してネットで持ち出して、そこから少数派を除いた多くの人がソースの文脈を参照しようとしないまま自己投影に基づいた批判や擁護(つまり妄想)のたたき台にして論争が繰り広げられる現象にまだ名前ないのかな
— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) July 17, 2018
いうまでもないが、俺これよくやってるわ。
自己投影に基づいた批判や擁護、その妄想をたたき台にした論。
どちらかというとソースの文脈をたどったところ突きつけて「おまえら言い過ぎ」と多数派への逆張り擁護が多いけど、ネットで辿れる文脈の限界や、調べる労力の限界はあってどこまでも第3者でしかないから、結局おれの価値観や考えが喋りたくて、自己投影に基づいた批判や擁護や妄想も、話や事件をただのたたき台としてる。
それはネットの表現として、ブログでもTwitterでもはてブでも、避けられないと思うんだよね。
藁人形論法になるのは避けられないが、相手や当事者への敬意を払いコンフリクトを避けられるところまで文脈を辿れるかどうかが肝かと思う。